8・巨大なしゃもじは空をとぶ
『男達は皆、櫂を波に立て、その先にあるであろう自由を求め旅立った。
その船先には、瀟洒な女性の上半身を模した像が掲げられている。女性像のその翠玉 の霊妙な瞳は、果の見えない青緑色の未来を見つめていた』
「なんも船長」という駄洒落が船乗りたちの間にはある。これは、悪天候等の非常時や出入港の時以外に、船長にこれといった仕事がないからなのである。
この帆船の船長も例外ではない。普段は本当に仕事がない。船長は操舵の技術はそこそこあるものの、まだまだ体力もない子供で、実際のところ、船の仕事の面ではあまり役に立たない。だから、実は船長という役職は、実は一番都合良く、しっくりくるものなのかもしれない。
しかし、仕事が無いからといって、いつも何もしていないのかというと、そうではない。困っている人がいると、助けずにはいられない性格なのである。気がついたら、何か頼まれたことをしているのだ。
そういった経緯もあり、専らの仕事は雑用係と同じだった。
船長のお人よしは、船の中だけに限らず、村でも発揮されるので、そのおかげか船員だけではなく、村人たちからも親しまれている。船長も、それを分かっているので、『船長さん』と親しみをこめて言われたほうが嬉しく思っていた。
さて、ヤチボカ村には、温泉がある。夜の街モイでゆっくり過ごすのもいいが、疲れを取るのは広く温かいお風呂が一番。
村に湧く温泉はそのままでは温度が高く、入るには少々熱すぎる。しかし、水で薄めることはしない。適温にするために温泉を湯棒でかきまわす湯もみをしているのだ。
湯もみは重労働なのだが、村の娘たちが主に携わっている仕事のひとつだ。これがこの村の名物で、これを見るために毎日温泉に来ている人もいるくらいなのだ。
村の広場で、その湯もみの娘が困っていた。お節介な船長は、見てみぬ振りができない。彼女に近づき話しかける。
「あ、船長さん。大きな木の棒を持った子供たち見ませんでした?」
どうやら、仕事で使う大切な湯もみのための道具『湯棒』を、いたずらっ子が持っていってしまったらしい。
「見ていないですが……。一緒にしゃ……それを探しましょうか?」
一瞬「しゃもじ」と口に出かかる。前々から船長には湯棒というものが、巨大なしゃもじにしか見えなかったのだ。
「いいのですか?」
「急ぎの用事はないので、大丈夫ですよ」
船長は一緒に探すことした。
結果、いたずらっ子は捕まえられなかったのだが、湯棒の所在は分かった。村の外れにある樹の下に、それはあった。
「それにしても、なんでこんなことに?」
二人は、今、そのご神木の前にいる。この大木は、神の宿るご神木として親しまれている。木の棒らしいものが、その樹の根元の地面に刺さっていたのだ。
「ああ……」
無残な姿の湯棒を、一刻も早く救い出さなくては! しかし、
「なんでぬけないの!」
子供が地面に刺したにしては、不自然な程にしっかりと、地面に刺さっている。二人がかりで抜こうとしているのだが、不思議な力が働いているかのように、びくともしない。巨大なしゃも……湯棒は動こうとしない。
「……そのしゃもじのような物は、大地に根付き、力を得ている。人の手で抜くことは、もうできないよ」
そんな言葉が背後からした。振り返った船長は目を丸くした。そこには見覚えのある人物がいた。
淡い光沢を放つ青白い毛皮付きの帽子の奥で、唇がにっと上がる。
確か、どこかで会っている。
そうだ、あれは間違いない。しゅりるりだ。彼のことは見間違いようがない。
「夢であった以来だね!」
忘れもしないあの夢の、時間のままの、変わらぬ笑顔でそう言った。
「そうだ! 思い出した」
もはや、嫌な予感しかしない。
しゅりるりが現れること、それは何かが起こる前触れのような気がするのだ。
それ自身が天災、いや、人災のようなもの。いつも、何か変な、不可解でおかしな雰囲気を引き連れてくる。
「ここに奉られている大木は、大地を支える封印木。この土地は、神聖な力に満ちている。今はこのしゃもじにも、その力の一部が流れているんだよ……」
わざとらしく、もったいぶったようにくすりと笑うと、目深にかぶっていた帽子をそっと取る。帽子の下から、薄い栗色の短髪と少し青みがかった硝子のような灰色の瞳が現れる。
そして、突然、しゅりるりは大地にひざをつき、称える祈りをささげる。
「月の引力が弱まる時、上弦の月に封印木は芽生える。次の満月には月の魔力を蓄え、下弦の月に記憶を残し、新月の夜に息絶える」
何やら、呪術のような呪文のような文言を唱え、儀式をはじめている。
「何をしているんですか?」
湯もみの娘は、急なしゅりるりの行動に戸惑う。
無理もない。
しゅりるりに会う人は、全て等しく、みんながみんな、奇人変人な行動に振り回される。
しゅりるりに会った人は、かなり常識逸脱な現象を体験してしまうのだ。
「せっかくだから、崇め奉ってみようかと。まぁ適当、だけれどね」
そう言うと、再び深々と大地に跪き、同じような呪文を唱える。即興の儀式のせいで、何が起きるわけではないが、異様な雰囲気には包まれる。
「みんなも、やろうよ?」
しゅりるりは誘うが、誰も加わろうとはしなかった。
しかし、
そのとき、奇跡は起きたのです……
カミナリの煌きの様な、辺り全てを照らし出す光の強さが、一瞬。
「なんだ、なんだ?」
しゃもじが、ゆっくり回転し、あれほど固くしっかりと埋まっていた地面から、いとも簡単に脱出し始める。
地面から、完全に出たところで、回転が止まる。
ぐらぐら揺れて、このまま重力に任せて地面に倒れこむのかと思いきや、ゆっくりと浮かび始める。
目の高さ、身長よりも高く、徐々に、そして、やがて樹と同じ高さに。強大なしゃもじは浮かんでいく。
木の棒は、しばらくその空中に停滞する。
見上げる3人。今起きている現象に対し、どうすることもできない。
三人を見下ろすしゃもじは、見送りに感謝するかのように一回、ゆらりと大きく揺れると淡い光に包まれ、螺旋の残像を残し消え去った。
そう、しゃもじは遠いところへ、飛び立ったのだ。
「あぁ、びっくりしたねぇ」
まるで、予想外のことが起きたかのように、しゅりるりは言う。
それは、こちらの台詞である。
「それにしても、すばらしい。大地の力を借りて、進化したしゃもじ。……もう戻ってはこないだろう。あのしゃもじはもう、自由なのだから」
しゅりるりは、一人感嘆としている。
船長と湯もみの娘は、今起きた出来事についていけない。
「そうだ、しゃもじがないと、困るよね?『こんなこともあろうかと』準備していたものがあったんだ」
どこからともなく現れた、巨大なしゃもじが何の前触れも無く、しゅりるりの手の中にある。
「これはご神木に似た樹『封印木もどき』で作ったしゃもじ。湯もみの娘さんにはこれをあげよう」
何はともあれ、湯もみの娘は、巨大しゃもじを手に入れた!
湯もみの娘は、何をどう突っ込んだらいいのか分からなかった。
「……だから……あれは、しゃもじではなくて……」
★よんよんの秘密の日記「でも、やっぱり、しゃもじ?」★
しゃもじさがしを したらしいよーん
しゃもじは つちに うまったり
そらを とんだり いそがしいよーん
じゅうたん ほうき ふうせん ききゅう
そらをとぶものは ゆめいっぱいだよーん
そらをとぶのは ゆめだけど
でも やっぱり
しゃもじは そらを とばないと おもうよーん
もし飛行機飛ばしたら……というのか、飛行機を飛ばせるほど広くない!と思う!
せいぜい、気球!
「でも おいらは しゃもじで そらを とびたいよーん」