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仔猫の恋  作者: くろくろ
仔猫の恋
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仔猫の卒業式

「ポチ!」


ウンザリした顔で、それでも珠稀は振り返る。

本来なら、ろくでもないこの呼び名を無視してもいい。

しかし今日…卒業式くらいは、もう会う機会がないのだから足を止めてもいいと思ったのだ。


「何か用?」


若干、険のある声が出るのも仕方ない。

親しくない相手に、あだ名を呼ばれたのだから好意的な態度にはどうしてもなれないのだ。


「こっち来い」


断られることなど考えもしない、強引な態度で相手は珠稀の手首を掴んで引き摺っていく。

手首を掴む力も、歩く速度もこの後の珠稀の予定も、返事すら気にしない様子が身勝手で、その振る舞いは在学中とても苦手であった。

女子の間では、強引で妙に自信家な態度が『カッコイイ!』と持てはやされていて、先程まで卒業生である同級生たち・在校生である後輩たちに引っ切りなしに呼び出されて告白でもされていたのだろうが、珠稀にはその魅力がさっぱり理解出来ないでいる。

珠稀にとって魅力的なのは、手首を掴むにしてもやんわりとした優しい力加減で、笑顔だって穏やかなようでいて少しくろ…。


「せっかくこの俺が一緒にいてやってんのに、ポチのくせに余所見してんなよ!」


誰かを頭の中で描き終える前に、引き摺っていた相手が振り返って不機嫌そうに怒鳴る。

そのいい草に、怒鳴られる謂われのない珠稀は何となくドキドキしていた気持ちが萎えるのを感じて苛立った声で答えた。


「狭山君には、私が何を思おうと関係ないでしょ。文句があるなら、さっさと女の子たちのところに行ったらいいんじゃないの?」


自分だって友人たちと写真を撮り合った後は、家族と受験勉強に付き合ってくれた兄の恋人と友人とで食事に行く予定なのだ。

こちらが頼んでもいないことで時間を費やした挙げ句、文句をいわれるくらいなら早く用事を済ませてほしいと暗に臭わせれば、相手は何故か体育の授業でよく見せた勝ち誇った笑顔になっていた。


「ふ~ん?」


ニヤニヤと笑う顔に苛立ちが最高潮に達した珠稀は、いつの間にか連れて来られた人気のない場所から元の場所に戻るため、掴まれていた手を振り払って踵を返す。


「用がないなら、私は行くよ。じゃあ…」

「妬いてんのか?」


「はぁ?」


思わず振り返って聞き返してしまった珠稀に、ニヤつきながら相手は余裕ぶった態度で頷いてみせる。


「まあ、俺の周りは可愛い子ばっか集まるからな。卑屈になるのも、仕方ないか!」


「……」


自慢話でもしたかったのならば、よく連んでいる友人たち相手にすればいい。

しかし何故、反応がない自分をわざわざ誘ってまで自慢をするのか珠稀にはまったく理解出来ないまま無表情で突っ立っていた。


はっきりいえば、今の彼女はどこからどう見ても無防備である。

だから強く腕を引かれたときも、勢いを殺すことが出来ずに相手の胸へと飛び込む羽目になった。


「ぐふぅっ」


…だいぶ、乙女としてはマズい呻き声を上げてしまった珠稀は、相手の胸元を飾っていた赤いリボンが当たった頬を撫でて斜め上にある、同級生の中では精悍な顔立ちを睨み付けた。


「何がしたいわ…」

「好きだ」


「け…え?」


意地悪をされたのではなく、抱き締められているのだと、背中に回された腕で気が付く。

しかし、それがわかったからといって何故こうなったのか、珠稀に今の状況を理解するのは難しかった。

つまり彼女は今、混乱の極みにいる。


「付き合ってやるよ」


あり得ない程に密着した身体が、相手の腕の中で独りでに震え出す。

歓喜…ではもちろんなく、むしろ悪寒に近かった。

他人との接触がこんなに『逃げられない』と、追い詰められた感覚がするなんて珠稀は思いもよらなかったのだ。

兄の友人である彼ならば、もっと違っていたと、珠稀が思い至って唖然とする。


信頼…とは違う、あくまで兄の友人であり“兄”とは思っていない彼のことを自分がどう思っているのか。

密着するに至った部分は、目の前の相手と大差ない。

理由はどうであれ、腕を掴んで引き寄せたか引っ張ったかの違いだ。

なのに、目の前の相手…もっといえば他の誰であっても男というだけで追い詰められた感覚に想像するだけでなるのに、それが兄の友人である彼であるなら…恥ずかしさの中にうれしさを感じる。


それは、つまり…。

告白をされているという状況でありながら、皮肉なことに珠稀は自分が兄の友人である彼に向ける感情に気付かされたのだった。


珠稀が気付いたばかりの感情に唖然としている間にも、時間は過ぎているのだ。


「きゃ~!」


黄色い悲鳴とはこういうものをいうのだと、珠稀は現実逃避をしかけて…正気に戻る。

べりっという音が聞こえそうな勢いで相手を引き剥がして周りを見渡せば、隠れる気があるのかないのか、“見知っている顔”程度の認識しか持たないクラスメイトがこちらを見てニヤニヤと笑っていた。

なかなか戻ってこないのを心配して、探しに来たとは到底考えられない表情である。

そう、この表情は在学中に何度も見てきたものだ。

そう理解したとき、珠稀の頭は一瞬で煮え滾り、そしてスッと冷めた。

人はそれを、“諦め”という。


「…まったく。卒業式なのに、罰ゲームやるなんて最後までバカなの?」


『やれやれ』といった態度で、珠稀は溜息を吐いた。

こんな“罰ゲーム”、何度やられても虚しい気分にしかならない。

やった側はバレていないと思っていたのか、ポカンと口を開けたまま唖然としている。


「罰ゲ…最後?」


彼らにとっては、楽しくて簡単なゲームだったのだろう。

テストの合計得点でも、体育の紅白戦の結果でも、昼休みのジャンケンの勝敗でも何でも、負けた方が買った方の指示した相手に嘘の告白をする。

指定されるのは決まって、珠稀のようなモテるとは決していえない男女であり、だからこそ狼狽える姿がおもしろかったようだ。

しかし珠稀たちの側としては、悪質なイタズラでしかない。

彼らのグループに好意的な男女であれば、ノリノリで応えてくれるのだが、コミュ力が低い人間たちにとってはどうしていいのかわからず、人前でのことは罰ゲームだとわかっていても恥ずかしくてツラいことだったのだ。


先程のことだけでなく、三年間からかわれたことを思い出してしまい、珠稀は苛立ち気に鼻を鳴らす。


「次会うときは、成人式?高校が別で良かったよ。こんな風に、罰ゲームの標的にされるのはもう嫌だし」


一つの区切りである卒業式でもこうなのだ、高校に通うようになっても続くであろうことを想像して心底安心したようにいえば、いつまで演技を続けるつもりか、相手は目を白黒させていた。


「…はぁ?何いってんだよ。お前、幼馴染みと一緒の高校に行くんだろ?俺も同じ高校だ」


最後はまったく興味のない情報だったが、幼馴染みの話題だけには反応する。


「みゃーこと?みゃーこは、しーちゃん…隣のクラスの│早重はやしげさんと同じ高校に進学するけど、私は別のところに行くんだけど」


周囲の進学事情に疎い自覚のある珠稀だが、親しい友人たちであれば別だ。

二人から同じ高校に進学すると聞いたとき、ほんの少し羨ましかったが、自分は自分で受けたい授業があって他の高校に進学すると決めたのは珠稀である。

寂しいが、住む場所は変わりないし、ちょくちょく遊ぶ予定だからそれほどでもない…のだが、もういい加減二人のところに戻りたい。


何故か唖然とした表情で硬直する相手を置いて、今度こそこの場を離れて戻ろうと踵を返す。


「友だちが迎えに来たみたいだから、もういい?みゃーこたち待たせてるから」


二人や他の友だちと写真を撮ったり一頻り騒いでから、家族と兄の友人たちと一緒に食事に行くのだ。

兄伝いに希望校に合格したことはいってはいたが、自分でいうのははじめてだ。

ずっと忙しかったらしい彼と会えるー…そう思うだけで珠稀の足取りは軽やかになる。


浮かれた背中が遠離るのを黙って見送っていた少年は、我に返って様子を見に近付いてきた友人の一人の肩を掴んで喚き出す。


「はぁ?…はあぁぁぁっ!?嘘だろぉぉぉっ!!」


「落ち着け│恵多けいた!酔う、酔うから!」


ガクガクと自分の友人の肩を掴んで揺さぶるという奇行に走る相手に気付かず、珠稀は幼馴染みたちの元へと戻ってあまり表情に出せないながらも楽しく過ごした。


ただ、その日の食事会は事情により取り止めになり。

自覚した途端、彼と会う機会がなくなってしまったのだった。

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