仔猫の恋
「ねぇ、あんた」
玄関で出迎えた人は、想像していた人とは違っていた。
派手めなメイクと、乱れひとつない隙のない髪型に、大胆で煽情的な服装と、それが良く似合うメリハリのある身体付き、そして自分に自信のある堂々とした態度。
珠稀は一方的に知っている相手の登場に狼狽えた。
狼狽えたといっても、まったくの無表情のため、親しくない相手はわかりはしなかっただろう。
「ここに」
「タマ-、オーブン見てってどうすればいいんだー?」
彼女の言葉を遮ったのは、兄の友人である。
「こ、焦げ目が強くなりそうなら出して下さい!」
「りょうかーい」
暢気な返事を背に、珠稀は慌てて目の前の彼女を押し出して外へと出る。
「…あんた、タマっていうの?」
「えっ、えぇ」
名前の知らない相手に、正式に名乗るのも気が引けて肯定のみにした。
「タマねぇ…まるっきり、猫扱いね」
鼻で笑う彼女のいうことも、ご尤もだろう。
完全に、猫を呼ぶ気安さである。
この女性とのデート中、直が呼び掛けられた愛称の軽さはまさにそれだった。
「いい?私が彼と付き合ってるの。あんたなんて、ただの野良猫よ。ただ気紛れに餌をあげて、可愛がってるだけよ。飼おうなんて、まったく思ってないの!」
わかり切ったことをヒステリックに叫ぶ彼女は、きっと気が付いたのだろう。
自分の恋人に向ける、“野良猫”の想いに。
だからこそ、彼女は激昂しているのだ。
「なのに纏わり付いて、いい迷惑なのよ!彼だって迷惑に思ってるの。そんなこともわからないの?」
反論したい珠稀は口を開き掛けて、しかし黙って口を閉じる。
彼女にしてみれば、好意を抱いている存在が近くにいること自体、目障りなのだろう。
それがわかったから、珠稀は唇を噛み締めて項垂れた。
「いいこと?黙って彼から離れなさい。彼は優しいから、野良猫だって追い払ったりはしないわ。だからこそ、あんたが離れなさい。いい?わかったわね!」
自分のいいたいことだけいって、さっさと身を翻した彼女は一度も振り返ることなく歩み去った。
その堂々とした後ろ姿に憂いも何もなく、珠稀がいう通りにして当然だと信じて疑っていない。
こういったことを主張出来るのは恋人だけなのだと、そうまざまざと見せ付けられる。
『お前はただの妹分か猫だ』と、線引きされているようで。
「珠稀ちゃん、どうしたの?」
ひょっこり現れたのは、兄の恋人だった。
両手を持ち上げているのは、クッキー生地を扱ってて汚れたからである。
「いえ、兄かと思ったら違う人でした」
「そう。もし、知らない人だったら出ちゃ駄目だから、気を付けて」
面痒い気持ちで、兄の恋人の言葉に黙って頷く。
先程のやり取りで萎れてしまった気持ちが、少し上向きになった気がした。
「それにしても、遅いですね」
「飲み物買いに行くだけで、どれくらい掛かってのだか」
優しい口調で話すこの人と、先程の人を会わせてはいけないと思ったのは、兄から話しを聞いていたからだ。
兄の恋人と兄の友人は高校で同じクラスだったらしいが、そのときは対して仲良くはなかったそうだ。
しかし、美しい見た目と群れず媚びない態度が気に食わず一部の女子から毛嫌いされていた兄の恋人は、日直など一人でやることが多かったため、しばし真面目な兄の友人が手を貸していたらしい。
とはいえ、兄の恋人は誰かにいい付けるのは面倒くさく、一人の方が作業がはかどるために誰にもいわなかっただけで、親しくなりたいなどと下心はまったくなかった。
しかし、そう思えなかったのが、当時兄の友人と付き合っていたカノジョで、そのせいで散々こじれたそうだ。
まあ、最終的にはカノジョの方は本命の彼氏にこの話しが伝わって、それを繋ぎ止めるために兄の友人とはあっさり別れたらしいのだが、巻き込まれた兄の恋人としてはいい迷惑だろう。
同じ大学に進学し、兄を交えて仲良くなったのだが、また同じような状況に以前なったと話しを聞いていた珠稀は、二人が同じ場所にいること隠すためにカノジョを玄関に入れなかったのだが、失敗に終わってしまった。
「タマ、ちょうどいい具合に焼けてるぞ」
ダイニングに行けば、オーブンを見ていた兄の友人がにこやかに報告してくれる。
彼の表情に、友人の妹を疎ましく思っているようには見えず、ただ親しげな態度にしか見えなかった。
ただ単純な“妹分”に対する、親しげな態度。
それ以上でもそれ以下でもない態度を見て、どうしたらあんな勘違いが出来るのだろう。
所詮、彼にとっては“妹分”でしかなくて、“女”という認識はないのだから、杞憂なのに。