狐は雑食寄りの肉食である
side.N。直は志良たちに付き合いはじめた頃に報告したことを、珠稀に伝え忘れている。
「卒業おめでとう、珠稀ちゃん!」
「ありがとうございます、美織さ…おねーしゃま!」
噛んだ、しかも二度も。
「ふふふ~お姉さまだって」
自分でいわせておいて悦に入る美織は、口を両手で押さえて│蹲る珠稀が見えないようだ。
どうやら、言葉だけではなく、舌も噛んだらしい。
「浮かれて舌噛むなんて、バカだな~」
志良のからかう言葉に苛立った彼女は、涙目で睨んだと思ったら小さな拳で兄の足を殴って悶絶させる。
弁慶の泣き所を殴られれば、そりゃ痛いだろう。
直は少し離れた場所で、そんな三人の様子を眺めていた。
「結城君も、ありがとう。仕事で忙しいのに、娘の卒業のお祝いをしに来てくれて」
「いえ、おめでたいことですから一緒にお祝いをしたかったんです」
犬江母に声を掛けられて、直は相手へと向き直る。
「でも、よかったんですか?俺は志良の友だちってだけなのに参加しても」
もう一つの肩書きでは、参加どころか追い出されそうだ。
「いいのよ!むしろ、結城君がいてくれた方が娘もうれしいでしょう」
「結城君、こっちで飲もう!」
徳利片手に直を招くのは、犬江父だ。
上機嫌な彼は、すでに酔っ払っている。
どうやら志良が酒に弱いのは、父からの遺伝らしい。
「…お父さんもね!」
「ハハハ」
それにしても何故か、犬江家の両親を接待する役になっている。
犬江兄妹はどうした。
そう思い、蹲っていた珠稀に視線を向ければ、彼女とちょうど直を見ていたらしく目が合った。
またセーラー服が制服だった彼女は、直がはじめて会ったときに比べればあどけなさが薄れたように感じる。
当時から中学生に見えなかった彼女だが、今の姿と見比べれば確かにあの頃は本当に子どもだったのだとわかった。
輪郭も身体付きも、子ども特有の丸みではなく、女性的な柔らかさな曲線を描いている。
相変わらず化粧っ気はないが、見た目だけなら彼女は、オトナだろう。
しかし、中身はどうだろうか。
直は、ある夜のことを思い出していた。
あれは、あんな遅くに珠稀の部屋に行った直も悪い。
しかし、あんなに無防備でいる珠稀に対してもまた、警戒心がなくて苛立ったのも事実だ。
とはいえ、美織たちの視線を気にしているわけではないが、まだ手を出すつもりはない。
見た目や年齢はともかく、あんな風に男の自分に対して無自覚にああいった態度を取るのだ、十分に“コドモ”である。
いくら好ましく思っていても…いや、好ましく思っているからこそ、自分勝手に振る舞うわけにはいかないのだ。
彼女を悲しませるくらいなら、自分の欲ぐらい抑えようと直は出来る限り二人っきりになる状況や、過剰な接触を避けて来ていた。
このかいあってか、今のところ心穏やかに過ごすことが出来ている。
潰れかけている犬江父の介抱を犬江母と代わった直は、先程も伝えたお祝いの言葉を珠稀の顔をキチンと見ながらいった。
「タマ、おめでとう」
“感無量”はいい過ぎだが、感慨深いものがある。
そんなことを感じながら、自然と笑顔になった直に向けられた珠稀の顔は鬼気迫るものだった。
「ありがとうございます!!」
挑むような勢いで礼をいわれ、数歩後退る。
鼻息もすごいが、ギラ付いている珠稀の目も若干コワかった。
…イヤな予感がしてならない。
不安を感じ、何かしらの原因になりそうな志良を目だけで探すが、彼は美織にべったりとくっつかれてそれどころではないようだ。
「直さん、この後に時間はありますか!?」
「は?…あぁ、あるけど」
「私の部屋に来てくれますか?」
グッと返事に詰まる。
即答出来ない質問に、苦し紛れに志良の名前を出す。
「シロも?」
「いえ…と、いうよりはムリかと」
珠稀の視線の先では、志良がいつの間にかべろんべろんに酔っている。
こんなときに、使えない!
直は内心、舌打ちした。
「あー…実は、予定が」
「さっき、時間あるっていいましたよね?」
ジト目で見られて、視線を逸らした。
「二人っきりはちょっと…」
「…私は構いませんが、直さんは困ると思いますよ」
むしろ、誰もいない方が問題であると、直は声を大にしていいたい。
しかし、不意にある考えが浮かぶ。
…何だか、別れ話をされるときのような。
直は自分の想像に、ヒヤリとしたものを感じた。
深刻な表情での『時間ある?』の質問から、次に『人前で話せば直の方が困る』という意味の言葉。
志良たちに付き合っていると報告しているのだから、目の前で別れ話をしたら直の肩身が狭くなると考えてそういったのだと推測してしまって狼狽える。
「すぐにすみますし、部屋がイヤでしたら階段でも何でも」
「わかった」
今度は素直に頷けば、珠稀はうれしそうに笑った。
その笑顔が若干、あくどいものだったのは、見なかったことにする。
悪代官のようだったなんて感想は、女の子に失礼だ。
「それで、話って?」
犬江父・息子を引き摺るようにして連れて帰り、介抱はそれぞれの相手にまかせた直は、珠稀に続いて彼女の部屋に入っていの一番に聞いた。
ただの憶測なのに、不安だったせいだ。
「話?届かないので、まずは座って下さい」
「?……わかった」
かみ合っていない気がするが、指示通りにする。
当たり前だが、あの日と同じベッドだ。
勧められるまま座り、珠稀の出方を窺う。
珠稀は今回も横に座り…と、思ったら立ったりしていた。
横から強い視線を感じるが、正面からはそれを受け止めることが出来ずに逸らして彼女の気配だけを追う。
「わかれ…ぐっ!?」
「あぐっ!?」
ガッ!
埒が明かないと意を決し、彼女の方を向いて口を開き掛けたら、すさまじい衝撃を受ける。
額に頭突きされたのだ。
彼女の方も予想外だったのか、すぐ近くで頭を押さえているのだが、そもそも珠稀の体勢が悪い。
直の方へと傾きすぎていた体勢では、衝撃でふらつく身体をろくに支え切れずに倒れ込んだ。
大きく目を見開いて直へと手を伸ばし掛け、焦ったように身体を捻って後ろへと体重を掛けて避けようとする。
まるで拒むかのような姿が癪に障り、逃げようとする腕を掴んで抱き寄せる。
ほんの一瞬の出来事だったが、直にとっては長い時間であった。
「いったぁ」
「大丈夫か?」
前髪を除けてやり、額を見れば赤くなっている。
痛々しいその場所を指先で軽く撫でた。
「わっ!?」
後ろに倒れ込んだ直の上に乗り上げていると気付いたのか、慌てて退こうとする身体を、腰に腕を回して阻止する。
柔らかい身体に、ちょうど顔の近くに来る頭から香る匂いと、ベッドから香る匂いが同じだと気付いて理性がぐらついた。
離したくないのに、離さなければ珠稀が危ない。
わかっていながらも、直の口は自分の欲に忠実だった。
「もう少し、こうしてたい」
逃げようともがいていた珠稀は、その言葉にピタリと動きを止めて直を見上げた。
猫のようなアーモンドアイを、まん丸く見開いている。
そして、その目が獲物を狙う猫のそのものの鋭さに変わった。
突然の変化に驚いて身を引こう…としたが、向かい合った状態で珠稀を上に乗せていてはそんなことは不可能である。
何なのかわからないが身を固くしていると、頬というよりは下、顎ともとれる場所に柔らかい感触がして、一瞬で離れた。
「とった!」
『取った』のか、『盗った』のか、わからないような宣言である。
満足気で自慢気で、どこか挑むような顔で珠稀は至近距離で笑った。
自分の顎に触れた唇が、大きく弧を描くのをぼんやり見ていた直は手を小さな後頭部に伸ばして、案外強い力で引き寄せる。
先程の硬直は何だったのかという素早さであった。
「ん?うぅ~~~っ!?」
やはり、見た目通り柔らかいと実感しながら、ゆっくりと向きや角度を変えて堪能してみる。
唸っていたから、塞ぐのを止めて触れ合わせたり離したりを短い間隔で何度も続けた。
軽いリップ音を立てながら、何度も何度も繰り返す。
何度目かに離したときに珠稀を見れば、目を見開いていたからもう片方の手で目元を覆った。
ここまでしておいて今更だが、浅ましい姿などあまり見てほしくないのだ。
キスの間に手を外せば、彼女も意味を察して目を閉じている。
│相手がこうして誘うのであれば、遠慮する必要はどこにある?
舌舐めずりをして、直は目を細めた。
やられっぱなんて、年上として癪なのだ。
開き直った。