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仔猫の恋  作者: くろくろ
狐と黒猫の攻防戦
43/61

甘い(香りの)誘惑

side.N。ムラムラしてやった(直が)。

「遅くなって悪い」


「おっかえり~ご飯にする?お風呂にする?それともぉ~お・れ?」


新婚さんか。


内心突っ込んだ直は、リビングを見回して彼女を探す。


「タマ」

「……この質問に、その答えって。俺はお前を応援すべきか、それとも妹の貞操を守ってやるべきかっ」


「そういうの、いらないから」


様々な意味を含めていえば、志良は大笑いした。


「待ちくたびれて、今は二階にいる。大方、二階に上がった手前、下りて来れないんだろ」


さすが兄、よく妹のことをわかっている。

いつも叩かれたり、蹴られたりするくせに、なかなかよく理解しているようだ。

もしくはただの、犬江兄妹流のスキンシップか。


直は上着を脱いで、鞄から紙袋を取りながらそんなことを考えていた。

直は年子の妹のことを、それなりに理解しているつもりだ。

我が強く、自由奔放な妹であるが、直にとっては大事な妹でスキンシップもそれなりにする。

しかし、犬江兄妹はそんな結城兄妹とはまた違ったやり取りをしていた。

年の差があるせいか、珠稀はだいぶ兄である志良に甘え、そして信頼しているように感じる。

乱暴な口調も、ぞんざいな態度も、結局は甘えているだけだ。

直がそんな風に自分たち兄妹を分析していると珠稀が聞けば、全面的に否定されそうだが概ねそう思っていた。


はっきりいえば、直は志良がうらやましい。

珠稀が生まれてからの付き合いである志良と比べてもムダとはわかってはいる。しかし、あの気安い態度はいつだって仲が良さそうで直の目には楽しそうに映っていた。


「それじゃ、二階にいって来る」


「どうぞ~」


軽い。

さっきの貞操云々の話はどうした。

とはいえ、これでジャマされたら二階に上がれないため、協力的な態度の志良に何もいわずに階段を上がっていった。


コンコンコン


ノックの音が早かったのも、返事も聞かずにドアを開けたのも、直の失敗だ。

遅い時間だとわかっている。

遅れてしまったことで、珠稀に不安感や不快感を与えてしまったと思って焦っていたのだ。


その結果として、珠稀がころんとドアを開けた直の方へ転がって来たのだから、ある意味よかったのかもしれないが。


「タマ…何やってんだ?」

「いやいや、それはこっちのセリフだよ!」


まさか、直がすで二階に上がっていて、なおかつノックしてからすぐにドアが開けるとは思わなかったらしい珠稀。

不意打ちを食らって倒れ掛けた彼女は、抱き留められた状態で顔を真っ赤にした。


「あっ、いえ。…すみません。あと、ありがとうございます」


怒っているというより、たぶん恥ずかしがって照れ隠しの口調だと当たりを付ければ、それは正解だったようだ。

志良に対する態度と同じで、直は自分の予想が当たったのと、親しげな口調に満足して珠稀を離してやる。


自分の発言に狼狽える珠稀は気付かないとは思うが、柔らかな身体をこれ以上抱き締めていたら美織や志良が危惧する展開になりかねないのだ。


「タマが転ばなかったのなら、別に良いさ。…ところで、部屋に入っても構わないか?」


“性欲なんて知りません”と、シレッとした顔で平然とそう宣ったが、そんな直に天罰が下った(大げさ)。

直としては平然を装っていたが、珠稀は項垂れて小さくなっている。

自分の下心がバレたかとヒヤリとする直は、厚い│仮面えがおをかぶり直して今日のところは引くことにした。

第一、いくらなんでも部屋まで入るのは気が早すぎると自分でも感じた、というのもある。


「あー…。これ置いたら、すぐに帰るから安心してくれ。長居はしない」


餌付けの一環と口実として購入した焼き菓子の入った紙袋を持ち上げて注意を引く。

宣言通り、今日のところは志良のいる一階へ戻ろうとすれば、ハッとした顔で彼女は顔を上げた。


「いえ!大丈夫です!」


それから素早く傍から離れて、部屋の中へと招き入れてくれた。

どうやら、下心はバレてはいなく、彼女も直と離れがたく思ってくれたのかもしれない。

慌ててベッドの上に置きっ放しだった本を片付けて、勉強机にまとめて重ねる珠稀の背中を見ながら直はそんな風に思った。

ちなみに、まとめた本は全てお菓子関連のものである。

やはり、洋菓子店店員は、彼女の天職なのかもしれない。


「うん、じゃあお言葉に甘えてお邪魔します」


珠稀がガサガサと片付けを 終えるのを待って、直はそういって部屋に入って来る。

せっせとベッドの上を片付けて、周辺にゴミが落ちていないかキョロキョロ確認していた珠稀は、可愛らしい。

自分自身が信用出来ないため、保険の意味でドアを開けっ放しにすることまでは考えたのに、いざ部屋に入った直を珠稀は無防備にもベッドへと誘導する。

突っ立ったまま唖然としていれば、彼女はドアに手を伸ばしていた。

もちろん、閉めるために、だ。


「お疲れさまでした」


不自然にならない程度に室内を見回して、勉強机とセットになっているイスを発見するが、そこには鞄が積まれている。

それをわざわざどけて座るには、珠稀がドアを閉めて振り返ったためタイミング的にムリであった。


直を労いつつ、珠稀がイスに手を伸ばしたときに、希望を見出す。

だが、向きを変えただけで自身と同じようにベッドへと腰掛けてしまった。


「あぁ。…確かに疲れたな」


さり気なく横へ移動したのは、近すぎる距離を離したかったからだ。

むしろ、なんなら今だけは床に正座してもいい。

とにかく、理性の強度の関係で、本心では離れたくないが一刻も早く離れたい直はじりじりと間を開けようと動いた。


残念ながら、そんな相手の状態など知らない珠稀は、直が移動した分をあっさりと詰める。

しまった、ベッドの端ギリギリで落ちそうだったのか。

彼女の状況にも気付かないで、己と戦っている直は必死に伸ばしそうになる手と不埒なことを考えようとする思考を別のことをして紛らわせようと、普段よりもゆっくりとした動作でネクタイを緩めてシャツのボタンを外す。


確かに、楽な格好にはなった。

尤も、調節してくれたエアコンの温風が、珠稀の香りを運んで来なければ、もう少し冷静になれたのだが。


志良が何もいわなかったのは、わざととしか思えない。

入浴してから対して時間が経っていないのか、珠稀の髪はまだしっとりと濡れていて、甘そうな花の香りが漂ってくる。

普段は白い頬だが、今はメイクの必要がない程、健康的かつ血色の良いピンク色をしていた。


かじり付きたくなる程に。


座っているのにも関わらず、直は目眩を感じて目をキツく瞑る。


「これ」


エアコンのリモコンを置いて振り返った珠稀が見たとき、直はすでに目を開けていた。

小さい紙袋を手渡したときも、普段通りの態度と表情だったはずだ。

内面もきっと、外からでは窺い知れない。


「えっ…?」

「遅くなったお詫び。もう、寝るとこだったんだろ?」


指摘されて、珠稀は自分の格好を見下ろして硬直する。

どうやらやっと、気付いてくれたらしい。


「焼き菓子だから、明日にでも食べればいいよ」


ついでに、硬直する珠稀に、優しく聞こえるように忠告しておく。


「俺たちは付き合ってるけどな、こうやって無防備になられると困るよ。タマのことを大切にしたいのに、その決心が揺らぎそうでコワいんだ」


情けないことだとは思ったが、それが本心だ。

ただ、自分の欲求をコントロール出来ないと告白するのは恥ずかしく、直は珠稀の様子をまともに見ることが出来ないまま、一通り話し終えて立ち上がり掛ける。


「なっ、直さん!」

「うわっ!?」


彼女の方を、見ていなかったのがマズかった。

勢い良く腰に抱き着くなんて、普段の珠稀にしてみれば大胆過ぎる行動で想定していなかったのも原因ではある。

抱き着かれたのは腰だったが、彼女の香りは強くして押し付けられた身体はひどく柔らかかった。

それは無防備だった直に対して、十分な打撃になる。


バランスを崩した直が、再びベッドに強制的に座わらられたのを確認した珠稀は、すぐに離れてもらったばかりの紙袋を掲げる。


「えっ、えっと…そうだ!今、一緒に食べましょうよ!」


紙袋を掲げた珠稀は、あどけなかった。

開けて中身を取り出して、そこに自分の好きなお菓子があるのを発見して手に取る姿は無邪気でもある。


「今?時間は大丈夫か?」


「あぅっ…」


夜遅い時間に食べる甘いものに対して考え込む姿は、女の子だし、迷った挙げ句に直を巻き込むところは子どもっぽい。


「ひ、ひとつぐらい!いえ、二人で半分ずつなら大丈夫です!」


フィナンシェを持ったまま、直の方へと身を乗り出す珠稀の目は真剣だ。

ジーッと直を至近距離から見詰めたまま、動こうとしない。


その姿は無防備そのもので、言葉を重ねて耐えようとしていた直にどんな影響を与えるか、まったくわかっていなかった。


食って、いいんだな。

心の中で、直が呟いた言葉は珠稀には聞こえない。


溜息一つ吐き出して、直は珠稀から視線を逸らす。

心の内で荒れ狂う凶暴な気持ちはそんなことではなくならず、苛立ちも顕わに整えていた髪をグチャグチャに自分の手で乱した。


「…│珠稀・・は、俺の話を聞いてなかったんだな」

「えっ?」


フィナンシェを持つ珠稀の小さな手を、自分の手で包み込む。

身を屈めた直は、珠稀の両手を包んだ状態のまま、手の中にあるフィナンシェを大きく開けた口で噛み千切る。

もう、“噛み千切る”としかいいようのない、荒々しい食べ方だった。


「直さ…ん?」


片方の手は珠稀の両手を包み込んだまま、片方の手で自分の食べかけのフィナンシェを取って勉強机の上に置く。

抗議の意味で呼ばれた名前に直が向き直れば、珠稀は硬直した。


彼女がフィナンシェを持っていた手は下の方にあって、直がそれを食べるのにわざわざ身を屈める必要があった。

だから、その体勢で珠稀を見ようとすれば自然と上を向くようになるのだ。

それは、普段から身長差で見上げることの多い珠稀にはわかっていることだろうが、本能的な恐怖からか珠稀の身体は独りでに震えた。

直の細めた目に、欲望が映っていたからだろう。


「何か、目がコワ…ひゃっ!!」



本能的に逃げを打つ身体を反射的に掴かんだ手で封じる。

珠稀は両手の力で対抗するが、直の片手に太刀打ちすることが出来なかった。

逃れようとする珠稀の肩をもう片方の手で強く押して後ろへと倒す。

その力は思いの外強かったのだろう、押す力に逆らうことも出来ずに、珠稀は仰向けに倒されてキョトンと天井を見上げていた。


「えっ?えっ?」


何が起こったのかわからない珠稀は、身体を起こそうと拘束を解かれた両手を着いたが、肩を押したままだった直の腕の力が強くて出来ずにいる。


「直さん?」


片方の手は肩を掴み、もう片方の手は珠稀のちょうど顔の横に置く。

直が身を乗り出せば、二人分の体重が乗ったベッドが軋んで音を立てた。

その音が、この先を否応なく直に想像させ、頭が沸騰しそうになる。


乱れた前髪の合間から、珠稀を見下ろした直は黙ったまま葛藤する。

湿った髪も赤らんだ頬も心なしか潤んだ目も甘い香りも、直の決心を鈍らせるには十分すぎる威力を持っていた。


しかし、掴んだ肩が小刻みに震えているのに気付いてしまえば、無視して自分勝手な行動を取ることは憚れる。


バサッ


「ぶっ!?」


押し倒した珠稀の足下にあった掛け布団を、自分の目から彼女を隠すために使う。

急に暗くなった視界に慌てる珠稀をそのまま置いて、食べかけのフィナンシェを回収してボタンとネクタイを素早く直した直は大股でドアまでの短い距離を急いだ。


ドアを潜る前、立ち止まった直は背後でゴソゴソ動き回っている音がしないことを確認して、一言だけ声を掛ける。


「おやすみ」


彼女の目に、怯えが浮かんでいる可能性を考えたら恐ろしくて、振り向くことなく珠稀の部屋を後にした。


「おっ?早かったな」


意味深な視線を避ける。

やはり、わざとだったようだ。

何をしたいのかわからないが、一種の拷問から無事に逃げ出せた直は疲れを滲ませた声で答えた。


「ああ、寝かし付けてきた」


「ははっ、子ども扱いか?」


子ども扱いでもしなきゃ、やってられない。

今は後悔している(ずーん)。

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