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仔猫の恋  作者: くろくろ
狐と黒猫の攻防戦
42/61

甘い(お菓子の)誘惑

side.T。卒業間際のある冬の日。

「遅くなって悪い」


「おっかえり~ご飯にする?お風呂にする?それともぉ~お・れ?」


新婚さんか。

一階にいれば、即座に兄を蹴倒していたが、珠稀はすでに二階に上がって来ていた。

上がったばかりでまた下りていくのもあからさまで、何よりも二人が付き合っていると知らない兄にバレて、からかわれるのがイヤな珠稀は直に会いたい気持ちを抑えて部屋に留まる。

以前、友人の神谷と一緒にいるところを『浮気』と称されたことがあるが、あれは適当にいったのがたまたま当たっただけで、まさか自分の友人が妹と付き合っているとはさすがの兄も思うまいと、珠稀は推測していた。

なので、ベッドの上でモゾモゾしながら下の会話に耳を傾けようとする。


「………」


といっても、まったく聞こえはしない。

兄の笑い声は聞こえたが、何に対してかはわからない。


にじりにじりとドアへとにじり寄り、ムダと思いながらも二人の会話を聞こうと耳を当てて意識を集中した。


コンコンコン


「タマ…何やってんだ?」

「いやいや、それはこっちのセリフだよ!」


まさか、すでに二階に上がっていて、なおかつノックしてからすぐにドアが開くとは思わなかった珠稀は、不意打ちを食らって前に倒れ込んだ。

幸いにも、ドアの前にいた直が抱き留めてくれたから大事に至らなかったが、驚いたし何よりも恥ずかしかった。


「あっ、いえ。…すみません。あと、ありがとうございます」


恥ずかしいからと、ついつい兄に対する口調と同じになってしまい、狼狽えて慌てて謝った。

それと、お礼を言い忘れたことを思い出して、それも一緒にする。


ぐだぐだな自分のやり方に、珠稀ガッカリして項垂れた。

直であれば、もしくは美織など他の年上の人たちならばもっとスマートにこなせるだろう。

彼がここに来る前の、盗み聞きをしようとしていたことも、いかにも子どもっぽくて少し冷静になれば恥ずかしくてたまらなくなった。


「タマが転ばなかったのなら、別に良いさ。…ところで、部屋に入っても構わないか?」


しかも、彼は平然として珠稀の怪我の有無を確認する余裕すらある。

居たたまれなくなって、項垂れたまま更に小さくなった。


「あー…。これ置いたら、すぐに帰るから安心してくれ。長居はしない」


パッと急いで顔を上げたら、直は苦笑しながら珠稀を見下ろしていた。

呆れてしまったのかと、珠稀は慌てる。


「いえ!大丈夫です!」


素早く身を離して、部屋の中へと招き入れる。

今日も兄と宅飲みの約束をしていた彼は、残業でだいぶ遅れてしまい、もしかしたらこのまま帰ってしまうかもしれない。

それを危惧した珠稀は、大慌てでベッドの上に置きっ放しだった本を片付けて勉強机にまとめて重ねる。

全て、お菓子の本であった。


「うん、じゃあお言葉に甘えてお邪魔します」


珠稀がガサガサと片付けを 終えるのを待って、直はそういって部屋に入って来る。

せっせとベッドの上を片付けて、周辺にゴミが落ちていないか確認していた珠稀は、ドアを開けっ放しで入って来る彼に兄との共通点を見て少し笑う。

きっちりしているのに、こういうところは大ざっぱなのだと意外に思いながら、立ったままの彼にベッドを勧めてドアを閉めた。


「お疲れさまでした」


勉強机にはお菓子の本が積み重なり、机とセットだったのイスには通学鞄と面接用の鞄、それと今後通勤用に使う予定の鞄が無造作に置かれている。

ソッとだらしないところを見られないように、直からはイスの背もたれしか見えないように角度を調節してから、彼の横に座った。

珠稀の部屋には、イスは一脚しかないのだ。


「あぁ。…確かに疲れたな」


さり気なく横へ移動してくれた彼の厚意に感謝しつつ、直の移動した分を珠稀は詰める。

さっきはベッドの端ギリギリで、落ちそうだったのだ。


鞄やコートは下に置いてきたのだろう、彼はネクタイを緩めてシャツのボタンを外して少し楽な格好になった。

エアコンが効き過ぎているのかと、珠稀は暖房の温度を下げる。


「これ」


エアコンのリモコンを置いて振り返れば、直から小さい紙袋を手渡される。


「えっ…?」

「遅くなったお詫び。もう、寝るとこだったんだろ?」


指摘されて自分の服装を見下ろす。

フリースを羽織っているが、下はパジャマである。


すでに時間が遅いため、直はもう来ないと思っていた珠稀は、兄へのポーズとしてさっさと入浴を済ませていたのだ。

そのことに今更気付いて、珠稀は硬直した。


「焼き菓子だから、明日にでも食べればいいよ」


普段使っているパジャマとフリースはボロくはないが、生活感が出ていて決してキレイでもオシャレでもない。

頭の中がそのことがグルグルしていた珠稀は、直の話はほとんど聞いてなかった。


何が悲しくて、恋人にこんな姿を見せなきゃいけない。

この間、新しく買ったパジャマの方がずっとよかったと呆然としながら考えていた珠稀は、一通り話し終えた直が立ち上がり掛けたのを見て更に焦った。


「なっ、直さん!」

「うわっ!?」


腰に抱き着くなんて、普段の珠稀にしてみれば大胆過ぎる行動だった。

まあ、とっさに目の前にあったところに飛び付いただけなのだが、無防備だった直に対しては十分に威力を発揮する。

バランスを崩した彼が、再びベッドに座ったのを確認した珠稀は、すぐに離れてもらったばかりの紙袋を掲げる。


「えっ、えっと…そうだ!今、一緒に食べましょうよ!」


急いで用件を作ったのは、少しでも彼といたかったからだ。

もちろん、もらったお菓子が食べたいのもある。


掲げた紙袋を開けて中身を取り出した珠稀は、そこに自分の好きなフィナンシェがあるのを発見して思わず手に取った。

珠稀が働くことになった洋菓子店とは、違う店のフィナンシェである。

ものすごく、興味があった。


「今?時間は大丈夫か?」


「あぅっ…」


時計は“夜遅く”を指している。

この時間で食べたら、肌か身体に影響しそうだ。

…この場合の“身体”というのは、主に腹部を指す。


「ひ、ひとつぐらい!いえ、二人で半分ずつなら大丈夫です!」


紙袋を開けた時点でもう、明日まてガマンするのはムリだった。

生唾を飲み込んだ珠稀は、そういって直を巻き込むことにした。


フィナンシェを持ったまま、直の方へと身を乗り出す珠稀の目は真剣だ。

ジーッと直を至近距離から見詰めたまま、動こうとしない。


溜息一つ。

彼は珠稀から視線を逸らした。

ついでに、キレイに整えらられた髪も自らの手でグシャグシャにする。


溜息もそうだが、髪を乱す仕草も呆れよりも苛立ちの方が強いように珠稀は感じた。


「…│珠稀・・は、俺の話を聞いてなかったんだな」

「えっ?」


フィナンシェを持つ珠稀の手が、大きな手に包まれる。

身を屈めた直は、珠稀の両手を包んだ状態のまま、手の中にあるフィナンシェを大きく開けた口で噛み千切った。

もう、“噛み千切る”としかいいようのない、荒々しい食べ方だった。


「直さ…ん?」


片方の手は珠稀の両手を包み込んだまま、片方の手で自分の食べかけのフィナンシェを取って勉強机の上に置く。

それでは食べられないと、動きを目で追っていた珠稀は抗議の意味で彼の名前を呼んで向き直り、思わず硬直する。


珠稀のフィナンシェを持っていた手は下の方にあって、彼がそれを食べるのにわざわざ身を屈める必要があった。

だから、その体勢で珠稀を見ようとすれば自然と上を向くようになるのだ。

それは、普段から身長差で見上げることの多い珠稀にはわかっていたことだったのだが、はじめて見る彼の上目遣いの威力に、珠稀の身体は独りでに震えた。

ゾクゾクする身体は、室温が下がっているせいでも、彼の細められた目が今まで見たことのない光り方をしているのがコワいせいでもない。

…しかし、その理由を今の珠稀が理解することはなかった。


「何か、目がコワ…ひゃっ!!」


反射的に逃げを打つ身体だが、がっしりと掴まれた手のせいで動けない。

片手のなのに、大きな手は珠稀の両手を合わせた力では太刀打ちすることが出来なかった。

そうこうしている一瞬のうちに、彼のもう片方の手は珠稀の肩を強く押す。

押す力に逆らうことも出来ず、珠稀は仰向けに寝っ転がってキョトンといつも見ている天井を見上げた。


「えっ?えっ?」


何が起こったのかわからない珠稀は、身体を起こそうと拘束を解かれた両手を着いたが、肩を押したままだった彼の腕の力が強くて出来ずにいた。


「直さん?」


片方の手は肩を掴み、もう片方の手は珠稀のちょうど顔の横に置かれた。

彼が身を乗り出せば、二人分の体重が乗ったベッドが軋んで音を立てる。


直の底光りしていた目は、彼自身が崩した前髪のおかげで見えなかった。

口は引き結ばれていて、声を掛けても返事はない。


奇妙な沈黙に、珠稀の胸はドキドキと激しく脈打っていた。

怒らせたのだろうか。

でも、何に?


答えが出ないまま、ただ黙って直を見上げていた珠稀だったが、その視界から彼が消えた。


バサッ


「ぶっ!?」


視界が急に暗くなって慌てながら足掻けば、あっさりと脱出することが出来た。

当たり前だ、彼が珠稀に掛けたのはベッドの足下の方に畳んであった掛け布団だったからだ。


もこもこした掛け布団から顔を出して、やっと珠稀が身体を起こしたときにはすでに、ボタンを留めてネクタイも締め直した直がこちらに背を向けて開けたドアの前に立っていた。


「おやすみ」


髪の毛だけは乱れたまま、振り向くこともしない背中がドアをくぐって珠稀の部屋からさっさと出て行く。


珠稀は何が何だかわからないが、彼を呼び止めたかった。

しかし、呼び止める言葉は思い付かず、ただ閉まるドアを見詰めるだけしか出来ない。


唖然とする珠稀が、何故かガクガクする足を必死に動かして、よろめきながらドアに辿り着く頃には、素早い彼はすでに一階に下りたところのようだ。

リビングのドアを開けたまま、兄と話す彼の声が聞こえてくる。


「おっ?早かったな」

「ああ、寝かし付けてきた」


こ、子ども扱いかーっ!?

ちなみに、珠稀は自分と直とが付き合ってることを、兄はまだ知らないと思っている。

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