狼になれない狐
side.N。
「いらっしゃいませ」
そうお決まりの挨拶をした、まだ男子学生の店員の横に見知った姿を見付けた直が苛立つのも仕方ないだろう。
気付いたのは直の方が早かったが、荒れる内面を押さえていたため、後から入店した志良が先に声を掛けた。
「おっ、タマは浮気か?」
バシッ!
「違う!」
言葉より先に、キレの良い蹴りが志良の太腿に入った。
自身の兄に対して、だいぶ過激な反応である。
「うっ、お゛ぉっ!?」
「ま、まったく!何いってんだか!」
まさかのツンデレか?
しかし、直はあまり羨ましくなかった…ちょっとしか。
何だかんだとスキンシップが多く、砕けた雰囲気の犬江兄妹の仲の良いやり取りを尻目に直は店員と珠稀の横にいた少女を見た。
今日はまだ学生の珠稀はもちろんだが、直も仕事が休みだ。
ごく普通に二人で出掛けるつもりでいた直だったが、友だちと出掛ける予定が先に入っていると申し訳なさそうにいわれてしまう。
まあ、勝手に思い込んでいた自分が悪いとそう思って犬江家で出掛ける彼女を送り出し、『暇だ!』と文句をいう志良とよく行く古本屋へやって来たのだが。
女子高を選び、兄のせいか男に免疫がない珠稀に男友だちがいないと勝手に思っていた直は、内心ショックが隠しきれない状態だった。
…いや、単に店員に何か探してもらっていただけかもしれない。
そう考え直して感情を鎮めた直だったが、それはあっさりと撤回せざる得なかった。
「おい、暴力振るってんじゃねぇよ!」
「うっさい!今、私の尊厳が踏み躙られたんだ!」
「そんな大層な話かっ!?そもそも、何気に俺をバカにしてるのか、ポチのくせに!」
…想像していたより、ずっと仲が良くて気安い間柄のようだ。
そのことに、モヤッとする。
スッと目を細めた直に気付いていない珠稀は何やら店員に文句をいい続けていたのだが、自分の前に少女が立ったのでそちらに意識の3割を割いた。
「あぁ、あれのことはほっといていいですよ。いつまでも子どもの反応で困りますよね。幼馴染みとして恥ずかしい」
「聞・こ・え・て・る・ぞ!」
両手に花…もちろん、片方の花は珠稀なのだがー…に対して、だいぶ冷たい様子の店員に思うことはあるが、それよりもマイペースに自己紹し仕出す少女に意識を向ける。
清楚な出で立ちの少女は文庫本を閉じ、楚々とした態度で直に一礼した。
「はじめまして、こんにちは。珠稀ちゃんのお兄さんの?」
「えぇ、友だちの結城です」
彼女は“早重静流”と名乗り、珠稀の中学時代からの友だちだといった。
見た目だけは大人びた珠稀よりも、だいぶ大人な対応だ。
直がいわない部分も察してくれている。
「あれは、私の幼馴染みです。まあ、オマケとでも思っていただけたら」
「聞・こ・え・て・る・ぞ!!」
苛立ちも顕わな様子の店員を完全無視するところは、かなり度胸が据わっている気がしたが、彼女からは志良と似た何かを感じた。
慣れているというより、突っ込みをまったく気にしてないところが。
「俺は神谷です。えーと、一応は友だち?です」
何故、疑問系だ。
しかも、珠稀も首を傾げている。
一瞬、直の胸にヒヤリとしたものが過ぎるが、杞憂でしかなかった。
「しーちゃんのオマケ」
「佐古さんのオマケ」
「「何だって!?」」
「…まあまあ、落ち着いて」
コントのようなやり取りを、何故か直が宥めた。
打ち合わせ済みかと、むしろ直か突っ込みたい。
そして、こちらは顔見知りなのかそれとも謎のフレンドリーさを発揮したのか、志良は静流という少女と仲良くしゃべっていた。
二人共、マイペース過ぎる。
「お兄さん、デートですか!?」
「おうっ!こいつとな」
肩を抱きせられて、ゾワッとした直は悪くない。
「きゃぁっ♪」
気持ち悪くて悲鳴を上げられたと思えば、何故か目をキラキラさせている。
何だか、ヤバい目付きをしているし、悪寒がした。
『眼鏡は鬼畜と相場が決まってるわよね』という呟きは、聞こえなかったフリをした。
「なっ、直さん」
服の袖を弱々しい力で引かれる。
「ん?」
「…本当に、兄貴とデ」
「違うから」
上目遣いでこちらの様子を窺う姿は“あざとい”としかいい様がないが、彼女の場合は本当に怯えているという可能性を直は思い至る。
ただでさえ細い目を細めていたから、たぶん剣呑な気配を感じていたのだろう。
不穏な空気を仕舞い込み、いつも通りのにこやかな笑みを浮かべれば、ホッとしたようだ。
…加虐趣味はないはずだがら、ホッとした表情(一見、無表情)の方が可愛いと感じる。
服をツンツン引っ張られて上目遣いされるよりも、怯えた表情に衝動的に手を伸ばし掛けてしまう自分を直はそう考えながらも必死に抑えた。
「暇だと騒がれて面倒だったんだ」
「…兄が、ご迷惑おかけしました」
直としては、こうして遭遇出来たので結果としては満足しているから、別に構わないのだが、珠稀は項垂れている。
「兄貴も、姉崎さんと出掛ければいいのに」
美織本人がいるときは、本人の│強い希望で『お姉さま』と呼ぶことを│強制されている珠稀である。
いなければ、名字そのままで呼んでいるようだ。
さすがに美織は気が早い。
「俺も、出掛けたかったな」
「……」
「冗談だって。そんなに考え込まなくても、平気だから」
軽口に動揺して目をキョドキョドさせている珠稀を見て、性格の悪い直はやっと溜飲を下げる。
いったことは確かに事実でもあるが、束縛したいわけでもない。
しかし…まさか、自分でいって自分に返ると思っていなかったとわかる珠稀の態度が気に掛かるが、慣れていないからだとひっそりと自分の心を慰めた。
「珠稀ちゃん?」
珠稀の怖い方の友人が、どこかから戻って来たらしい。
たぶん、直の知らなくて良い世界である。
無事帰還を果たし、文学少女然とした空気をまとい直した彼女は珠稀が慌てて離した手と直を交互に見て納得顔になった。
ただ、直は何のことかわからなかったため、後ろに立つ珠稀を盗み見る。
どんな話をしていたか、珠稀の反応から想像しようと思ったのだ。
「あっ、もしかして…」
その瞬間、ブワッと珠稀の顔が真っ赤になった。
「珠稀ちゃん、わかりやすいね」
「~~~っ!?」
別にからかうでもなく、事実をいわれただけなのに真っ赤になった珠稀は俯いて、両手で顔を覆った。
あっ、なんか可愛い。
そう思ってみていれば、何だかムズムズして来て、無性に珠稀にかじり付きたくなった。
…重傷である。
隠れS疑惑。




