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仔猫の恋  作者: くろくろ
仔猫の恋
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仔猫、煙に巻かれる

「と、いうわけで、勉強を教えたいんだけど」


「…どういうわけですか」


それが兄であるなら、もっと冷たい声が出ただろうが、相手が違うため突っ込む声も張りがない。

何故、この常識人があの兄の友人をしているのかわからなかったが、有無をいわせない独特の雰囲気で頷かせようとする今の彼は、確かに兄の友人であった。

何というか、我が道を突き進むところが。


犬江家にいることが普通になりつつある兄の友人は、選択している授業の関係で兄より先にやって来た。

本日は久し振りに休みだった母が迎え入れ、のんびりとお茶をしていた二人だったが、特に気にすることではないので珠稀は参考書とノートを広げて勉強をはじめる。

自分の部屋に勉強机はあるのだが、何となく部屋に行くのも寂しくてリビングで二人の笑い声を聞きながら勉強をしていたのだが、フッと顔を上げれば二人の視線を独り占めにしていた。


「何?」


ただ勉強をしていただけなのに、何かやらかしたかと思って聞いてみれば先程の言葉が返ってきたのだ。

脈絡がなくて、意味がわからない。

すると、肩を竦めた母が珠稀の聞いていなかった間のことを説明してくれた。


「結城君が、いつもうちで宅飲みをするのは気が咎めるらしくってね。でも、お兄ちゃんは常に金欠だし、あの性格だから外でも結城君に迷惑を掛けるのは想像がつくでしょ?だったら実質、料理してるあなたの手伝いをしてもらった方がいいかと思ってねぇ」


確かに、友人の家で毎回飲み食いするだけでは気が咎めるだろう。

珠稀も、友人宅でお菓子をもらうたびに思うことだから気持ちはわかる。


「でも、普段からしてもらってますよ?」


「運んだりしかしてないし、それくらいは当たり前だ」


珠稀はマジマジと、兄の友人の短く切り揃えられた爪を見た。

しっかり爪の間もキレイに洗っている彼の爪からは、垢が取れそうもない。


「俺が今後も気兼ねなく、ここに来られるように助けてくれないかな?」


兄に飲ませる分の垢が期待できない爪から視線を上げた珠稀は、彼のいい方に感心する。

『自分を助けてほしい』という体で頼む形を取るところが、相手の自尊心を満たしてついでに断りづらい状況を作り上げていながら、彼はまったくそれを面に出さずに困ったような笑顔で珠稀の答えを待っていた。


これが天然ならばそれはそれで怖いが、計算ずくだとしたら…やはり怖い。

あのそつのない笑顔が若干黒く見えるのは男に免疫のない珠稀の穿った見方だとそう思いたいが果たしてどうなのだろうか。


「ほらっ!こんなにいってくれるんだからいいじゃないの、勉強見てもらえば。あなた成績微妙なんだから、少しでも合格するために見てもらいなさい!」


実の娘だからこそ、ハッキリと『微妙』と称した母は結局は委ねたはずの判断を取り返して勝手に答える。


「この子ったら、ハッキリしないでごめんねぇ。ぜひ、お願いします」


上品ぶって『おほほほっ』と笑う母は、普段とのギャップにドン引きする娘に気付かない。

もしくは気付いていながら、無視しているのかもしれないが。


「いいえ。こちらこそ、よろしくお願いします」


『おほほっ』『ふふふっ』と笑い合う二人に引きつつ、間違えた箇所を消しゴムで消して答えを書き足した。


「でも、俺が教えるのでよかったの?」


「どういう意味ですか、それ」


母が夕食を作るということで席を外し、出来るまでの間に勉強を見てもらうことになったのだが、今更なことを聞かれた。

すでに向かい合って教科書を覗き込んでいる今、いうことではないだろう。


「いや、シロは人に教えるのうまいだろ?だったら、気兼ねしない相手の方がいいかと思ってさ。今更だけど」


確かに、家庭教師のバイトをしている兄はクビになっていないところをみればそれなりに教えられているのだろう。

妹としては疑問だが、あんなんでも一応は働けているのだと思うことに珠稀はしている。


「はぁ…」


「あれ?あんまり、シロに教わらない?あいつ、結構わかりやすくて人気あるんだけど」


気の抜けた返事に、不思議そうな顔をする兄の友人は自分の妹に優しく過不足なく勉強を教えているはずだ。

しかし、自分の兄となると…脳が想像するのを拒否する。


「そうなんですか?」


珠稀の表情は、いつも通り無表情だったが、彼はそれを見て笑う。

彼には憮然とした顔に見えたようだ。


「納得いかないって顔してるね」


「うー…ん。納得いかないと、いうわけではないです」


何というべきか迷っている珠稀に、表情を暗くした兄の友人はどんな想像をしたのか、恐る恐る聞いてくる。


「あまりそうは見えないけど…仲、悪いの?」


まあ、初対面での兄への態度を思えばそう考えてもおかしくはない。

だが、それはもう数ヶ月前の話であり、彼自身が兄と珠稀がやり合うところを笑顔でスルーするようになっているからてっきり慣れたかと思っていた。

逆に、彼の言葉に珠稀は驚く。


「普通ですよ。ただ…調子に乗ってないかと、心配してます」


「調子…えっ?」


聞き取れなかったのか、聞き返してくる彼に、珠稀はもう一度ハッキリと口に出す。


「調子に乗るんですよ、ありませんかそういうこと?」


「あ~、いやーぁ?」


問えば、肯定なのか否定なのかわからない返事。

身内のことに気を遣わせているのがわかり、珠稀は情けない気分になってつい言葉を荒くする。


「だいたい兄は、昔から調子に乗っては私を巻き込むんですよ!高い高いして小さかった私が喜んだからって上に放り投げてキャッチせずに放置!おかげで肩から落ちて、号泣する私の横で『妹が喜んでた』って満足げな顔をしていたそうですよ!」


「いや…それだけ、でしょ?」


珠稀の勢いに押されたのか、それとも友人をフォローするためか、取りなそうと口を挟むが勢いに乗った珠稀はそれくらいでは止まらなかった。

今までの出来事に対する怒りを発散させようと、ますますヒートアップする。


「おんぶしてもらってキャッキャと喜んだら、ずっと背負ったまま走り回って酔って気分悪くなったり、ドッチボールしたら全力で顔面にボールをぶつけてきて私が鼻血噴いたり。男の子たちと遊びに行くときに連れて行ってくれたのはありがたかったんですが、追い付いてないのにそのまま走って行かれて」


「あ、遊ぶ場所で待ってたんだろ?」


「…私が遊ぶ場所に着いたときは、すでにいませんでした」


しかも、暗くなりながらもなかなか帰れない距離を一人で泣きながら歩ききり、家に辿り着いたら両親に怒られるというおまけ付き。

ちなみに兄は、暢気に珠稀の分の夕飯も食べていた。

曰く、『残すともったいない』。


「残したんじゃないの!帰れなかったんだよ!」


「落ち着いて!」


食べ物の恨みは恐ろしいのだ。


まあ、それはさておき、兄に勉強を教えてもらったことがあるかという質問に対しての答えは『ある』であった。


「何といいますか…度が過ぎるんですよ。テスト勉強を見てもらったら、教科書全部終わるまでずっと解放してくれませんでしたし」


ちなみに、他の教科は全滅だった。


「なので、兄だけには頼みたくないです」


「ああ、うん。そうだよね。むしろ、今まで何で仲良いのか謎だ」


さすがの彼も、こればかりは友人のフォローは無理だと判断したらしい。

あまりつつくと、珠稀の地雷を踏み抜くと感じただけかもしれないが、好きなだけ愚痴をいい終えた方は気分も晴れやかで、頭が冷えたおかげで普段通りの態度に戻ることが出来た。

先程に比べたらしおらしいともいえる態度で、本当に今更ながら兄の友人の表情を窺い見る。


「あの、そちらこそ良いんですか。教えてもらえるのは有難いですが、無理にしてもらわなくていいですよ。料理は好きでやっていることですし」


それは最初はともかく、今は嘘ではない。

時々、料理を教えてもらっているのだって、距離の近さに対する恥じらいを捨てれば有難いことだ。


だいたい、兄のワガママを聞いてもらって家まで来てくれる相手にこれ以上に迷惑を掛けたくない。


「大丈夫、無理じゃないよ」


いいのだろうか。

疑問は残るものの、相手は微笑むだけでその内心は読み取ることは出来なかった。

笑っているのに、妙な迫力を感じてこれ以上は質問出来ない雰囲気すらある。

仕方がないが、本人のいっていることを本心だと信じて、出来る限りは迷惑を掛けないようにしようと固く決意した。


「では、飲みに来る日だけでいいのでお願いします」


「うん。よろしく」


恐る恐る相手の様子を窺いながらお辞儀する珠稀に、朗らかな彼の声が答えた。

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