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仔猫の恋  作者: くろくろ
仔猫は虚空を睨み付ける
30/61

こうして遠回りした仔猫は

ラスト!

「犬江さん…」


進路指導の先生は、何といおうか迷っているようだった。

しかし、蓮花は迷うことなく満面の笑みを浮かべた。


「よかったね、好きな仕事に就けて!」


珠稀は、その言葉に目を見開く。

そういう解釈もあるのだと、友人の言葉に気付かされたのだ。


「そう。そうだよね!ありがとう、蓮花ちゃん!」


「うん、うん!」


手を取り合い喜びを分かち合う二人の少女に、先生はホッと胸を撫で下ろした。

一応これで、最後の二人の内一人が片付いたと思ったのかもしれない。


「それで│峯岸みねぎしさんはどうするの?面接は受けていないようだけど?」


「あっ、私は今年はバイトして、来年専門学校を受験します」


「「…えっ?」」


あっさりと初耳なことをいい放つ蓮花に、先生と珠稀は絶句した。


「蓮花ちゃん…」


「ごめん、ごめん!」


友人から進路の話しを聞いていなかった珠稀は、不満顔だ。

付き合いも三年になれば、彼女が珠稀にいいたくなくていわなかったのではないことぐらいわかるようになる。

単純に、いい忘れただけだろう。

軽い口調で謝る蓮花に、結局はつられて笑ってしまう珠稀だった。


「就職するんじゃないんだ?」


「うーん。やっぱり、技術や知識は必要だなって。やっぱり、あるのとないのとでは使う側もある方を取るなぁと思ってね」


蓮花は珠稀と同じく、数少ない就職組だった。

他の高校に比べて就職率は高いのだが、今の時代なかなか思うように内定がもらえずにいたのだ。

もしかしたら、今の言葉も面接先でいわれたことなのかもしれない。


「まぁ、そっちは仕事しながら資格が取れるらしいから、本当によかったね」


「私、販売での採用だからね」


しかし、努力次第ではどうにでも出来るのは確かだ。

異動だって、もしかしたら出来る可能性もあるのだから目指してみるのもありだし、得られれば技術でもあるのだから、内定したばかりで想定するのもどうかと思うが、最悪の場合は同種に転職も出来るだろう。


ともかく、これから先は珠稀のやる気次第であるのは確かだ。


「それで、内定が決まったってメールしたの?あの人に」


「うん…、親と一応兄貴にしたついで、だけど」


それはそうと、蓮花は進路の話しよりも友人である珠稀の恋バナの方に興味津々だ。

まあ、去年の教育実習生という恋敵(誤解)の出現を心配していたくらいだ。

どういう進展具合か気になるのだろう。


尤も進展も何も、よくて夕飯を兄と三人一緒に食べるか、差し入れのケーキを一緒に食べるだけだが。


「ついでにコクっちゃえば?」


「いやいやいや!何でさ!」


進展具合を聞いているのに、蓮花は脈略もなく珠稀をせっついてくる。

珠稀としては今のまま、友人の妹か猫のように構われていられるだけでいいのだ。

だから、わざわざその立場を捨てる提案に簡単に頷けるはずもない。


「えーっ?一応、社会人になるんだし、ケジメみたいなもの?通過儀礼的な?」


社会人になると、学生時代の恋など捨てなければならない…わけではないはずだ。

ぶるぶると激しく首を横に振る珠稀に、蓮花は言葉をたたみ掛ける。


「これから社会に出れば、出逢いなんていくらでもあるよ!だから、ダメならダメで気にしないで次に進みなよ」


出逢いがあるのは、相手はもちろん珠稀自身もそうだと蓮花はいうのだ。

次の人のことなど考えたことがなかった珠稀は虚を突かれたような顔をしたが、すぐにまた首を振る。

告白して気まずくなるのもイヤだが、だからといって次の人を考えるのもイヤなのだ。


聞き分けのない子どものような態度にそろそろ怒ってもよさそうなものだが、蓮花は根気強く珠稀に付き合った。


「あのゆるふわは勘違いだか冗談でも、次にあの人の隣に他の女がいて、大丈夫なの?」


「誰か、別のひと?」


そんなこと、想像するまでもない。


「ツラかったり、苦しかったりするでしょ?」

「うん…」


今、彼は付き合っている人はいないと珠稀は思っている。

希望的観測も含まれてはいるが、やっと一年が経ったものの仕事が忙しいのは変わりないようで、その忙しい合間を縫って犬江家に遊びに来ている。

つまりもし、カノジョがいるのであれば、そちらを優先して友人の家に頻繁に出入りしないだろうと珠稀は睨んでいるのだ。


だが、それがいつまで続くかわからない。

蓮花がいう通り今のままなら、誰かが彼の隣に立って結果、珠稀が失恋して苦しい思いをする可能性の方が大きいのだ。


「だったら、当たって砕けろ!骨は私が拾ってあげる!」


蓮花に力強い声で発破を掛けられた珠稀は、つられて強い声で頷いた。


失恋することが前提なのは、仕方がない。

所詮、“友人の妹”か“猫”ぐらいの認識しかしていない相手だ。

フラれたら、力強く後を任されてくれる友人に慰めてもらおうと、珠稀は大きく頷いた。


「うんっ!」


気合いを入れて更にメールを送れば、しばらくしてから彼からの了承の返事が届く。


「仕事終わったら、家に来てくれるって」


「頑張って!」

「うん、頑張るっ!!」


友人の声援を受けて、気合いを入れる珠稀。

握った拳に力が入る。


「二人共、まず教室に戻りなさい」


…ついでに、進路指導の先生からの、冷静な突っ込みも二人に入った。


「タマ、おかえり。お疲れさま」


自分の方が明らかに疲れているのに、帰って来た珠稀を労う彼の笑顔に出迎えられた。


「直さんこそ、お仕事お疲れ様でした」


まさか、真っ先に彼に迎えられるとは思ってもみなかった珠稀は、定時に帰って来ているはずの兄の姿を照れ隠しで探す。


「兄貴は?」


「あぁ、姉崎のところだ。今日ははりきって、ごちそう作ったんだってさ」


「そ、そうですか」


どれだけ張り切っているのだろうか。

若干、怯えながらながら靴を脱いだ。


着替えを済ませてリビングに行けば、本当に兄の姿はない。

まさか帰ってすぐに、二人っきりという状況に珠稀はソワソワし出す。

蓮花にいわれ、告白する決心は付いたものの、いきなりは難しいものだ。


とはいえ、兄が恋人を連れて戻って来たら二人だけになれるタイミングはないだろうし、そのうち両親も戻ってくる。


どうしようかと悩む珠稀は、勝手したたる友人の家でコーヒーを準備してくれる彼からの質問に答えていった。

まあ、準備運動みたいなものと思うことにする。


「それで、どこに就職出来たんだ?」


「あの、正社員ではないのですが、パートで働くことになりました」


就職場所は、何かとよく行くある洋菓子店である。

本当は正社員がよかったのだが、採用はパートタイムであった。


「あぁ、あの店で?」


彼も何度も差し入れとして買って来てくれるので、店名をいえばすぐにわかったようだ。


「はい」


「そうか…なら、もうすぐこういうのは珍しくなくなるかな?」


「あっ…」


彼がそういって冷蔵庫から取り出したのは、見覚えのあるケーキ箱だった。


「就職、おめでとう」


「あ、ありがとうございます!」


こうやって、気遣ってくれるところが好きなのだと、珠稀は再確認する。

…決して、餌付けされているわけではない。


「もう少ししたら、桜のゼリーや桜のロールケーキが出るんですよ」


グロゼイユがアクセントになったレアチーズを取り出した珠稀がそういえば、彼は納得したように頷いた。


「あぁ、花見のシーズンだからか」


きっと、その頃には珠稀はケーキを売る側になっているだろう。

今までずっと、期間限定のケーキを心待ちにしていた立場なのに、何だか不思議な気分である。


「夏のはじめは抹茶クリームのコルネ、夏にはグレープフルーツのゼリー。秋にはブドウのショートケーキ、サツマイモのタルトにブルーベリータルト。冬には二種類のチーズを使ったチーズケーキに濃厚チョコムース、イチゴのタルト。イベントだったら、クリスマスケーキが楽しみです!」


「ハハッ、すぐにでもそれなら働けそうだな」


勢い込んでいえば、彼に楽しげに笑われてしまった。


「け、ケーキを食べることばっかり考えてないですよ?」


「いや、いいんじゃないか?俺も、その方が嬉しい。持って来るかいがあるな」


「そうですか?」


「あぁ、タマがおいしそうにケーキを食べているのを見てると、何だかこっちも幸せな気分になるな」


珠稀は口元を拭った。

食べかすが着いていそうで、恥ずかしかったのだ。


「食い意地張っててすみません!」


ヤケクソ気味に叫ぶが、内心乙女心は泣いている。

好きな人に、食い意地が張ってると思われれば誰だって恥ずかしいだろう。


「何いってるんだ、ずっと見ていたいぐらいだ」


『ずっと』とは、どれ程食べさせる気だ。

ケーキを食べられるのは嬉しいが、珠稀にとって嬉しくない現実もある。


「…それじゃあ、太りますよ」


ただし、腹部しか膨れないのは何故だ。

着いてほしい箇所を見下ろすが、そこのボリュームは残念ながら少なめである。


「じゃあ、どこかに出掛ければいいんじゃないか。いろんなとこに行って、いろんなケーキを食べる。カロリー消費にちょうど良いだろ?」


他人事のような軽い口調に、少しムッとする。


「そんなこというんなら、直さんが連れてってくださいよ」


「いいよ」


さらっと応えられて、珠稀の方が戸惑った。


「…いえ、冗談ですよ。直さんは仕事が忙しいですし、カノジョさんが出来たらそっちを優先すべきですし」


今、ここでいうべきことではないのに、つい珠稀はそういってしまった。

脈がないとはわかっていながらも、告白しようとしているくせに自分から機会をへし折ってどうする。

珠稀は、唇を噛んで俯いた。


「だから、いいんですよ。私のことは」


拗ねた子どもがするように、プイッと顔を背けてしまう珠稀。

こういうところが、子どもなのだと自分でもわかるのだが、どうしようも出来ない。

兄に対するときの方が、よっぽどマシな態度である。


「タマ、こっち向いて」


忍耐強い彼は、そんな子どもっぽい態度を取られたくらいで怒りはしない。

しかし、次の瞬間には彼の声は変わってしまっていた。


「こっち向け、珠稀」


いつかのように、ゾクッとするような低い声で、彼は珠稀の名前を正しく呼んだ。

大きいわけでもないのに、不思議ということを聞かせる力を持つその声で、彼はあくまで静かに珠稀に問い掛ける。


「なぁ、何がお前にとってダメなんだ?別に、出掛けるのがイヤなわけじゃないんだろ?俺と出掛けるのがイヤなら仕方ないけど」


「イヤじゃないです。イヤじゃないんです…」


むしろ、嬉しい。

しかし賢明にも珠稀は、そこの部分は言葉にしなかった。


「直さんにとっては、猫にエサをあげる感覚…友だちの妹を構う感覚なんでしょうけど、私は…」


「珠稀」


時折、本当に時折だか、彼は珠稀を愛称の『タマ』ではなく、『珠稀』と呼ぶことがある。

今日はたまたまその日だったらしく、何度も何度も彼の低くて優しい声に呼ばれるのをくすぐったい気持ちで珠稀は聞いていた。


しかし、彼が珠稀を『珠稀』と呼ぶのはその日の気分なんて暢気なものではなかったのかもしれない。


「俺にとって、珠稀は“友だちの妹”ってだけじゃないよ。もちろん、仔猫だなんても、もう思ってない」


例え引っ掛かりを覚えたとしても、たぶんこの日に気付くことは難しかっただろう。

何せ、彼の続けた言葉によって、正常な判断が下せる余裕は珠稀の中からまったく消え失せてしまうのだから。


「犬江珠稀は、俺にとって一人の女の人で、好きな人で、大切にしたい人だ」


「すき…?好き?」


別の意味の言葉かと思いながら繰り返してみれば、彼に頷かれて肯定される。

彼がいった『すき』は、『好き』で合っているらしい。


「えええぇぇと!直さんは猫派なんですね!違った!あああ、ありがとうございます!あの兄の妹として、大事にしてもらえて嬉しいです!」


この『好き』は、きっと珠稀の『好き』とは違うのだろう。

それをわかっていながら、珠稀は今なら│あの《・・》兄の妹に生まれてきたことを全力で喜べそうだ。


しかし、彼としたらそんな反応を望んでいたわけでないのか、呆れた様子で珠稀を見下ろしていた。


「あのなぁ…。取り敢えず、猫とシロのことは置いておけ。…そうだな、珠稀はケーキが好きだろ?」


「はい」


猫と兄を放り出した珠稀は、今度は彼の方が変な方向からケーキを持ち出してきたのを、不思議に思いながらも素直に答える。


「ショートケーキは?」

「好きです」


即答だった。

答えてから、食い気味だったことに気付いて赤面する珠稀だったが、彼は引いた様子も見せない。


「モンブラン」

「好きです」


「チョコレートケーキ」

「好きです」


「チーズケーキ」

「好きです」


「イチゴのタルト」

「好きです」


「ロールケーキ」

「好きです」


「俺」

「好きで…す?」


次々と出て来るケーキの種類に即座に反応して答えていたから、最後の質問も食い気味に答えて…珠稀は固まる。

何か、勢いで答えてはいけないことを、答えてしまった気がした。


「えっ、あの。すすすすきっていうのは」


いや、確かに好きなのだ。

好きなのだが、ケーキと同位置で語ってはいけない。

別に、ケーキの方が好きだとかいうわけではないが、同列で語りたくはないのだ。


「まあ、今はそのくらいでいいさ。ケーキの次くらいで」


彼としては、それでいいらしい。

納得しているらしい彼だったが、珠稀としては自分の気持ちを軽く見られているようで面白くない。

珠稀は、ブスッとした顔で拗ねた。


「…直さんは、食べれません」


そういう問題ではない。


「たべられ…いや、それはおいおい」


「?」


何かもごもごといっているのは気になったが、姿勢を正して真剣な表情になった彼につられて真剣な顔を珠稀も作った。


「犬江珠稀さん」


かしこまってフルネームで呼ばれた珠稀は、雰囲気に飲まれてガチガチに緊張しながら返事をする。


「はい」


たった二言なのに、珠稀の緊張具合がわかる。

わかるのだが彼は敢えてなのか、そこには触れなかった。


「あなたのことが好きです。よかったら、お付き合いしてくれませんか?」


珠稀はしばらく、答えられなかった。

きちんと、一言一言彼の言葉を逃さずに聞いていたにも関わらず、口を開くことが中々出来なかったのは、胸がいっぱいになり過ぎていて声が出なかったからだ。


珠稀としては、こんな結果になるとは思っていなかった。

出逢ったときは、自分は自分で愛想がなかったし、彼は彼で怒っていて印象は悪かったのだ。


だいたい、兄と同じ年の彼からしたら珠稀は年下で子どもでしかないだろう。

もしくは、愛想のない近所の仔猫か。

彼が付き合ってた相手…実質は一人しか知らないーを見れば、珠稀は彼の好みではないとわかっていて、諦めていたのに。


それなのに、彼は珠稀に『好き』だと伝えてくれた。

“友人の妹”で“仔猫”止まりでも仕方がない珠稀に思いをくれたのだ。


胸が熱くて、せり上がって来るものが苦しくて、悲しくないのに涙もついでに出て来そうで、油断したら飛び出しそうな嗚咽と共に、顔を俯かせて必死に堪える。

以前のように、急に泣き出したら彼が呆れてしまうかもしれないから、抑えるのに必死でまず返事を返さないといけないのに珠稀は口を開くのも顔を上げるのもままならなかった。


しかし彼は、珠稀が答えていないにも関わらず、真剣な表情を崩して笑う。

バカにしたものでもなく、からかうものでもなく、嬉しそうな笑顔だった。


きっと、彼には見えているのだろう。

それもそうだ、珠稀の髪は彼と出逢う前からずっとショートカットで…それでは真っ赤になった顔が隠せないのだから。


すでに“答え”ている珠稀だったが、自分の言葉で彼に応えたくて、わけもなく戦慄く口を一生懸命開いて思いを口にした。


「はい。私も、直さんのことが…」

1ヶ月間、ありがとうございました。

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