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仔猫の恋  作者: くろくろ
仔猫の恋
3/61

仔猫、だし巻き玉子を教わる

「うっ…これはない」


だし巻き玉子用のフライパンの中身を見ながら、珠稀は一人、キッチンで呻いた。

それを聞く人は誰もいず、独り言は虚しく響く。


彼女が一人で何をしているかといえば、最近は恒例と化した犬江家での飲み会用のおつまみを作製しているのだ。

しかし何故、関係ないはずの珠稀が作っているかといえば、犬江家最高権力者・母上様の厳命なのである。


もうすでに何回か友人を招いての宅飲みをしている兄・志良だったがこの間、珠稀は共に餃子を包んでいた。

その日は日勤だった母とバイトを終えてから来た直がはじめて顔を合わせた日でもあったのだが、そのときの夕食がいつの間にかロシアン餃子に代わっていて、阿鼻叫喚の体になってしまったのだ。

もちろん、こんなことをしでかすのは兄である。

犬江母は、数分のおしゃべりで気に入った息子の友人が当たった激辛餃子(トウガラシ入り)に怒り狂い、それ以来は自分監視の下でしか料理をしないことを厳命させた…という、一幕があったのだ。


それでこんなことになったのだが、珠稀自身だって食べ物で遊ばないものの、まだ修行の身である。

当然、失敗はいくらでも有り得るのだ。

しかし、だからといって失敗した彼女が開き直れるかといえばそうなことはない。


「お邪魔しまー…どうしたの?」


インターホンで相手が兄の友人だと確認して、力無く玄関を開けに行けば穏やかな笑顔は一瞬にして、心配そうな表情に変わる。

それは何度目かわからない、犬江家の訪問でそれははじめてのことだった。


「…どうもです」


言葉少なげなところは普段と変わらないと思っている珠稀は、一緒に来るはずの兄の姿がないことを話題に出して話しを逸らす。


「何でもないです。兄はまだ学校ですか?」


「あぁ、まだ学校で先生と話してるみたいだ」


こういういい方をすると、兄の方が中学生のようだ。

一応、あれでも二十歳を過ぎた大学生なのだが、どうやらまたしょうもないことをしたのだろう。

そのおかげで、失敗が気付かれずにすみそうだと安堵の息を吐く。

兄のアホさ加減に、はじめて感謝した。


「そうですか」


先を歩いてリビングへと直を案内した珠稀は、そのままキッチンに入っていって肩越しに兄の友人の様子を窺う。

リビングから彼の姿は見えていて、テーブルを拭いたりつまみを並べていてこちらを見てはいない。

証拠隠滅を図るため、彼に注意を払いながらフライパンの中身を皿へと移動していた珠稀は、突然核心を突く言葉に驚いて手元を狂わせる。


「何か、焼いたの?」


自分の身体隠していても、さすがに匂いまでは気が回らなかった。

フライパンとフライ返しが、動揺のあまり当たって音を立てる。


「あっ…!」


ベチャッ

フライパンとフライ返しをほとんど投げ捨てる勢いで置いたが、だからといって不格好な形で不時着した玉子は元には戻らない。


「ぐっちゃぐちゃ…」


元々形が整っていなかった玉子の、更に悲惨な姿に肩を落として項垂れる珠稀。

この騒ぎに彼も興味が引かれたのか、キッチンにやって来て珠稀の手元を覗き込む。


「スクランブルエッグ?いや、オムレツ?」


一見するとスクランブルエッグにしか見えないだろう。

しかし、その割に大きな塊が多くあったのでオムレツと考えたようだ。

…別に珠稀は、謎解きを仕掛けたつもりはないので、虚しいし肩身が狭くて身体を縮込ませた。


彼としては先程上げた二つの内に正解があると思っていたのだろうが、出ている調味料に違和感があるのか液体出汁を手に取ったまましきりに首を傾げている。


「“白だし”」


スクランブルエッグやオムレツには、なかなか使わない調味料だ。

このまま推理を続けさせても答えが出ないし、自分が居たたまれないだけなので、珠稀は観念していい辛いながらも口を開いた。


「だし巻き玉子を、作ろうと思いまして」


彼は皿の上に乗った黄色い塊を見た。


「……ごめん」


そしてそっと、視線を逸らす。

素直に謝られては、料理に失敗は付きものだ…とは、珠稀の方からは冗談めかしていい出せない。

いや、口下手だから最初から無理だが。


珠稀としては、もう恥ずかしいので放っておいてほしいのだが、料理名を外したことが申し訳ないと考えていたのか、兄の友人は液体出汁を置いて、代わりに卵とボウルを手に持った。


「なら、一緒に作ろうか?」

「へっ?」


気の抜けたような声は返事ではなかったが、彼は構わずボウルに新しい卵を割り入れる。

溶き卵に多めの砂糖と塩ひとつまみ、出汁を合わせて余分な油を拭いただし巻き用のフライパンに少量流し入れその手際は手慣れたものだ。

どうやら、自己申告していた包丁だけではなく、フライパンさばきも手慣れているらしい。


「ほら、こうやって一回目に流し入れた卵液が焼けたら巻いて」


説明をしながら、素早く一枚の玉子の薄焼きを巻いて一塊にする手際は、あまりにもあっさりとこなすために簡単そうに見える。

それが簡単ではないことを知っている珠稀は、食い入るようにその動きを目で追った。


しかし、菜箸で焼けた玉子を巻く動きが華麗過ぎて、よく見えない。

二本だけの菜箸の先で、どうすれば穴が空かずにキレイに巻けるのかわからず、珠稀は色々な角度から確認しようと首を巡らせる。

彼女としては真剣なのだが、見ている方としては火も使っているから気が散るのだろう。


だからなのか、それとも本当に彼自身がいっているように単純に見やすいようにするためなのか、彼は横にいた珠稀を自分とフライパンの間へと自然な動きで引き寄せた。


「こうすれば、お互いに見やすいんじゃないかな?」

「!!」


何の含みも感じさせない声が、頭の少し上から降ってきて珠稀は息を飲む。

それだけではなくて、彼がフライパンや菜箸を動かすたびに腕同士が微かに当たるこの状況が恥ずかしくて、耳がやたらと熱くなった。

今、きっと顔が真っ赤になっていると、自分でもわかるぐらいだ。


手は新たに流し入れた卵液を均等になるようにフライパンを動かす彼は、自分の腕と腕の間で硬直する相手などまったく意識することなく卵液の残りが半分になるまで巻き終えてフライパンと菜箸を差し出してくれた。


「はい、交代」


恐る恐る珠稀が受け取ったのを確認した彼は、何故か体勢はそのままで卵液を追加する。

動きは確認出来たから解放してくれると思っていたのに、一向に離してくれる気配のないことに気付いて硬直から急に復活した珠稀は離してほしくて暴れ出した。


「離してください!」


教えてもらえるのは有難いのだ。

ただ、この体勢が恥ずかしくて集中出来なくなるから、離してほしいだけである。

何も珠稀は、特別なことを頼んでいるわけではないのに、まるで聞き分けのない子どもに対するかのように簡単にあしらわれてしまった。


「はいはい、暴れない暴れない。砂糖多く使ってるから、早く巻かないと焦げるよ」


暴れるたびにフラフラして危ないフライパンと菜箸を、二回りぐらい大きな手が上から珠稀の手ごと掴んで動きを封じた。

“ついで”といわんばかりに、そのまま包んだ手ごと菜箸を操って彼は器用に玉子を巻いていく。


彼は常に冷静な態度である。

それもそうだろう、彼にとっては珠稀は友人の妹でしかない。

彼も“兄”なのだから珠稀は自分の妹と同じ感覚なのだろう、だからこんなに密着しながらも平然と料理が出来るのだ。

珠稀は自分が自意識過剰だったことに、ここでやっと気が付いた。

彼の面倒見の良さはすでにわかっているから純粋な厚意なのだ、抵抗するのもおかしいと止めて、大人しくこの状態のまま玉子を巻きはじめる。


珠稀は手元に視線を感じつつも辿々しい動きながら、だし巻き玉子を巻き終えた。

ゆっくりだったため、焦げてしまった部分があるが、先程のよりも形はだいぶいい。

せっかく彼がキレイに巻いてくれたのに、自分が失敗したらどうしようと心配していた珠稀は皿に移しただし巻き玉子の形にホッとした。


「うん、うまく巻けたね。今度は、俺は見てるから珠稀ちゃんがやってみ…」


ほぼ自分が巻いたくせに、そんなことおくびにも出さずに彼はだし巻き玉子に落としていた視線を珠稀に移してにこやかに笑った。

リップサービスなのは明らかだったが、わかりつつもうれしくなって頬が緩む。

恥ずかしくなって慌てて俯いて顔を下げたものの、相手はそれに気付いたのか不安になって少しだけ顔を上げた珠稀は彼があらぬところを見ているのに首を傾げた。

自分の赤面を見られなかったのは良かったが、何があるのかと首を巡らせて…リビングのドアを見て固まる。


リビングのドアから、兄が顔を覗かせていたのだ。

その表情はあんまにもニヤニヤしていて、若干イラッとする珠稀。

日常の反射である。


「お邪魔だったかにゃ~」


ニヤニヤする兄の視線は、やたらと密着した自分の友人と妹である。

兄が何を考えているのか…瞬時に頭が沸騰した珠稀は、そこまで細かいことは考えられなかった。


ただ、先程と同じように日常の反射で動き、普段のようにバカなことをいう兄に鉄槌を下すのみだ。


「邪魔じゃないっ!!」


兄の友人の腕から逃れた珠稀は、荒々しく足を踏み鳴らしながらドアへと向かいながら振り上げていた腕を真っ赤な顔で振り下ろした。


反省しない兄は、後にこのときの妹のことを語る。


「あのときのタマ、毛を逆立てた猫みたいだったぞ!」


…むろん、お望み通りに引っ掻いてやった。

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