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仔猫の恋  作者: くろくろ
仔猫は虚空を睨み付ける
28/61

ある恋の終わり

「タマ」


優しい声だった。


この声が優しく、ときどき意地悪そうに自分を呼ぶのが好きだった。


彼の後ろに、大型の…所謂家族用の車を見て、もうこうやって気に掛けてもらえないと理解した瞬間、珠稀の涙腺は崩壊した。

欠伸のときに出る涙など比じゃない程、一気に盛り上がった滴は目の縁から流れ出してすぐに大きな川を両頬に作り出した。

音にしたら『ダバタバ』とでもすればいいのだろうか。

とにかく、すごい勢いと量であった。


「タマっ!?」


珠稀も自分のことながらも驚いたのだが、もっとギョッとしたのは彼の方だろう。

呼んだだけで泣き出されたら誰だって驚くと、頭の片隅の冷静な部分で思った。


「タマ、タマ。何がイヤなんだ」


『イヤなのは、あなたが結婚することです』なんて、そんなことはいえない。

彼女と、そして子どもまでいるのだ。

冗談でも、蒼白い顔ででも微笑んで見せた彼女のことを思えば余計にいえなかった。


ぶるぶると大きく左右に首を振れば、涙が飛び散ってしまう。

それなのに、一向に頬は乾かないし、涙は止まらないままだ。


「ツラいことがあるのか」


気持ちが消えたら、きっとツラくはなくなるだろう。

イヤなことを考える自分ごと、この気持ちが消えたらきっと涙も胸を塞ぐ苦しみもあっさりと止まるはずだ。

しかし、それは難しかった。

彼はやっぱり、優しかったから。


「タマ、まだ足が痛いのか?…ごめんな。あの日、一緒に帰ってたらコワい思いも痛い思いもしなかったのに」


社会人らしい、きっちりアイロン掛けがされたハンカチが珠稀の頬を濡らす涙を拭う。

次から次へと流れ出しては彼が受け止め、そしてすぐにハンカチはその役目を果たせなくなる。

それを見て、自分の思いは受け取ってもらえないまま、こうやってこぼれ落ちていくのかと思えば余計に珠稀の目から涙が溢れ出した。


ぐっしょりと濡れて、もう受け止められなくなったハンカチを手に持ち、まだ止まりそうにない頬を伝って地面へ落ちる涙を見た彼は伸ばした腕で珠稀を囲い、そのまま自分の方へと引き寄せる。

そのまま、ハンカチを持つ手とは逆の手で珠稀の顔をやんわりと自分の胸へと押し付けた。


「ハンカチもうないから、これで拭って」


押し付けられた頬の水分は、すぐに彼のシャツを濡らす。

その面積が増えて冷たいだろうに、それでも彼は決して珠稀の頭から手を外すことはなかった。


やっぱり彼は、友人の妹でただの猫に対しても優しい。

きっと、泣き止むまでこうしていてくれるつもりなのだろう。

だが、それは珠稀にとってもここにはいない彼女にとってもヒドい行為だ。


「なおさん、もうへいきです」


身体と身体の間に挟まれる形になっていた手で、彼を叩いて注意を引く。


「きゅうにすみません」

「いや、気にするな。もう少しこうしてればいい」


「いいえ、おくさんたちにもうしわけないです」


これは、珠稀の心境的な問題だ。

彼も、もしかしたら彼女も、別に珠稀のことをどうも思ってはいないかもしれない。


しかし、珠稀は自分の中にある恋愛感情に気付いている。

例え、二人が“仔猫を抱き締めている”と解釈したとしても、珠稀にとっては“好きな人に抱き締められている”という意味となる。

後ろめたいのは珠稀だけだとしても、名残惜しくてもダメなものはダメだ。


離してもらったら、この思いを消そう。

そう決意した珠稀だったが、頭の上からすっとんきょな声がしてその思考を留めざるを得なくなった。


「はぁ?おくさん、奥さんっ!?誰のことだ、それ!!」


最後の方は至近距離で叫ばれ、珠稀は目を白黒させながら彼の矢継ぎ早な質問に疑問を挟むことも出来ずに答えさせられることとなった。


「だれって、やなぎゆあせんせい」

「なんで、そうなったんだ!」

「えっと、つきあってて、せんせいがのろけてて、つわりで、あかちゃんが」

「はぁっ!?」


キレ気味に叫んだと思ったら、彼はピタリとしゃべらなくなった。

すんすんと鼻を啜る珠稀は、がっちりとホールドされていて動けないことをいいことに、もうしばらく腕の中にいることにした。


「ふ~ん。あいつ、何してんだか」


やがて。

頭の上の方でした冷ややかな声に、珠稀はビビって固まった。

初対面のときのコワさと、どちらがコワいか正直迷うくらいである。

恋する相手に対して、だいぶヒドい反応だが身体は正直なもので、まったく止まる気配のなかった涙がピタリと止まった。


「そうだ、タマも一緒に行こう。無関係ってわけじゃないからな。いいだろ、シロ」


「は?何でタマ?」


聞き慣れるどころか聞き飽きた声が、珠稀の耳に飛び込んできた。


「あっ、あにきっ!?」


車の後部座席側から下りて来たのは、毎日顔を合わせている兄だった。

慌てて彼の胸を押して距離を取り、腕で目元を拭う。

何かいいた気な彼がそんな自分を見下ろしているのが、頭に突き刺さる視線でわかったものの応えることは出来ずにある程度の水分を拭うまで顔を上げることが出来なかった。


兄の方は妹がそんな状態なんて素知らぬ顔で、暢気に自分の友人と話して一人納得していた。


「嫁さんの方の知り合いだから」


「へぇ?そうだったのか」


「ついでに、ケーキ選んでもらえばお祝いの名目としては十分だろ?」


「まあ、ブルーベリーは食えるのはまだ少し先らしいからな」


「ぶるーべりー?」


舌足らずな擦れ声でも、さすがというべきか兄は聞き取って満面の笑みを浮かべて手招きする。

寄り添うように歩く彼と一緒に、兄が下りて来たドアの中を覗き込めば倒された後部座席のところに苗木が一本置いてあった。


「おう!花嫁さんは、青ものがいいんだろ?ついでに、食べられる!」


兄曰く、近々二人の友人が結婚するらしい。

何を贈ろうかという話になり、色々見て回った結果ブルーベリーの苗木にしたそうだ。

しかし何故、苗木にしたのかは不明。

単純に切り花であまり日持ちのしない花束よりも、兄が主張する通りで食べられる方がいいからなのかもしれない。


それにしても、兄はサムシングフォーの話をしているのか。

新しいもの、古いもの、借りたもの、青いものを花嫁が身に着けると幸せになるというジンクスだ。


だとしても、必要なのは結婚式だ。

花嫁にブルーベリーを持たせる気か、この自立歩行型眼鏡置きは。

珠稀は得意気な兄の態度に、イラッとした。


「見に行ったとき、花も白くてよかったんだけど…」

「すでに散ってますね」


時期的なもので、花はすでにない。

珠稀のサックリとした言葉に、彼は肩を落とした。


突然泣き出したことといい、このサックリとしたいい方といい、だいぶヒドい態度だと自分で思った珠稀は、落ち着いて見えるように努めて平坦な声で付け足した。


「まぁ、いいんじゃないですか?花言葉が『実りある人生』ですから」


結婚という門出に贈るとしたら、いい贈り物だと思う。

ブルーベリーも育てるのが簡単な部類らしいので、ガーデニングや家庭菜園を趣味にしている人であるなら喜んでもらえそうだ。


「…どうしたんですか」


お互い顔を見合わせた男二人が、ほぼ同時に珠稀へと顔を向ける。


「「おお~」」


「お前も一応はおんな…イテッ」


兄はいつも、一言余計である。

この時の彼の心境

名前呼んだら泣き出される→「ウザすぎて泣かれたっ!?」


涙を拭う→「意外に泣き顔かわい…いやいやいや、何考えてんだ俺は」


抱き寄せる→「これはあくまでハンカチの代わり下心も役得も何もない俺はハンカチ俺はハンカチ」

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