仔猫、苛立つ
side.T。『仔猫は無様に転げ落ちた』の後。
「だいじょ…ぴゃっ!」
「大丈夫じゃないじゃない!」
屈んだ友人に患部を鷲掴まれて、珠稀は飛び上がる。
…まあ、気持ちだけだから、実際はすっとんきょな悲鳴しか上がらなかったが。
強情な態度を取っていた珠稀に対し、容赦なく患部を鷲掴んだ蓮花は鼻息も荒々しいまま怒鳴った。
「私が一人でやるって!」
しかし、背後のダンボールを見た珠稀は慌てて首を振る。
ここでぼんやりしていたら、宣言通りに一人で取りかかると、この友人とは短い付き合いながらもわかっていたからだ。
「いいって。頼まれたのは私だし。手伝ってくれるのはありがたいけど、ゆっくりなら歩けるよ」
「でも!」
まだ引き摺るようにしか歩けない珠稀に、ダンボールを運ばせるのは酷だ。
無理だと本人もわかっていだが、たまたま教員の近くにいて目が合ってしまい、断れなかった。
前であれば包帯が厳重に巻かれ、いかにも怪我人だから断りようがあったのだが、経過は良好なため昨日からもう湿布のみである。
靴下で隠れて、湿布が見えないのも原因の一つだ。
二人顔を突き合わせ、お互いに一歩も引かない。
大げさなだが、ここで引いたら負けなのだ。
「あれ?だれー、ここにダンボール置きっ放しなの」
睨み合いが続く中、後ろから可愛らしい声。
イヤな意味で覚えたその声に反応して振り返った珠稀と、教育実習生の視線がかち合う。
「私です!」
強い口調で視線を注意を引いたのは友人の蓮花で、教育実習生の視線を珠稀から引き剥がした。
「あなた、二年生の?」
「はい。社会科教員室に持って行くようにいわれました」
「そうなの?」
教育実習生が首を傾げると、何故か『きゅるん』という謎の音がしそうだ。
つまり、とても可愛い。
それが苛立つのか、それとも友だちの珠稀を思ってか、他の教員に対してよりも若干当たりがキツい気がする。
見ていてハラハラしていた珠稀は、ハッとして二人の間に割り込んだ。
「いえ、私が頼まれたので!」
「ダメだって!」
すぐに拒否してくる友人に、さすがの珠稀もムッとする。
再び睨み合いをし出す、自分とそう年も変わらない生徒二人を見ていた教育実習生は、ニッコリと笑顔を珠稀のみに向けた。
「あなたはやらなくていいよ!」
面と向かって否定された珠稀は、目を白黒させる。
しかもだいぶ相手の勢いが良くて思わず仰け反り、足の痛みに一瞬、顔を顰めた。
しかしそれは一瞬で、すぐに普段通りの表情に戻る。
「ですが、一人で運ぶことは出来ないと思います」
「大丈夫!」
いや、だから無理だって。
自分で運ぶわけでもない教育実習生の軽い口調に苛立つ珠稀だったが、彼女は何てことないように続ける。
「私も手伝うから」
スーツやブラウスがシワになるのも気にせず腕まくりした彼女は、タイトスカートなのに平気でしゃがみ込んで、宣言通りダンボールを持ち上げる。
「意外に重いねぇ~」
やっぱり軽い口調は変わらなかったが、手伝ってもらえるとは思っていなかった珠稀は唖然とその様子を見ていた。
そんな珠稀に対して、ダンボールを持ったまま立ち上がった教育実習生は、教師らしくビシッと生徒に注意をした。
「今、身体が怪我を治してる最中よ。しっかり休むのが、あなたの仕事です!」
ダンボールを持っていなかったら、指でも突き付けられていそうな雰囲気で、彼女はいう。
しかし、無表情な珠稀の様子から、よく怪我をしているとわかったものだ。
顔を顰めたのは一瞬のつもりだった珠稀は、自分の態度があからさまだったのかと不安に思う。
そんな珠稀の不安そうな雰囲気を察したわけではないと思うが、教育実習生はあっさりと自分の方から怪我をしているとわかった理由を話してくれた。
「私も、学生時代は捻挫はよくやってたの。たぶん、治るまでに無理をしたせいでクセになったのかもしれない」
彼女はそういって、肩を竦める。
今はもう平気らしいが、学生時代は運動系の部活をしていたため大変だったらしい。
「まぁ、そのおかげで調理部に勧誘されて今があるんだけどね」
練習しては足を痛め、休めばいいのに動かして悪化させて…それを繰り返して、クサクサしているときに強引に勧誘されて、調理部に入ったそうだ。
強引で変な先輩がいる部活で、最初はやる気がなかった彼女だが、おいしく出来上がってみんなでワイワイ食べるのも、失敗して大騒ぎするのも楽しくて、気付いたら普段食べているものの栄養まで気遣うようになったそうだ。
それが高じて現在、教える側に回ろうと考えたらしい。
本当に、どんなきっかけで将来が決まるかわからないものだ。
「悪いことばかりじゃなかったけど、あなたがわざわざ痛い思いをする必要はないよ!こういうときは、先生を頼ってね!」
かつて学生だった彼女は、そういってニッコリと珠稀に明るく笑った。
彼女は、自分の経験からそうやって学年しか知らないような珠稀のことを気遣ってくれたのだ。
珠稀は相手の見た目や言動から判断したり、嫉妬から彼女に対して苦手意識を持っていた自分を恥ずかしく思う。
だから、素直にお礼を言うことが出来そうだったのだが。
「ありがとうござい」
「あ~!学校にアクセサリー着けてきちゃいけませんよー!」
ダンボールを持ったまま小走りに、別の生徒の元へ行った彼女はそう指摘する。
指摘された生徒は普段から彼女と仲がいいのか、笑い合いながら校則で禁止されているピアスを外す。
「柳センセーはいいのー?」
「いいの!授業中は外してるもん!」
生徒にからかうように指摘されたのは、彼女の左手の薬指に輝く指輪だ。
場所が場所だけに、さすがに色々と疎い珠稀もそこで存在を主張する指輪の意味は理解出来る。
出来るからこそ、先程の思いを忘れてイラッとしてしまう。
つまり、やはり彼女は敵なのだ!
※教育実習については適当です。




