『寂しい』といえない
過去。『仔猫の恋』『仔猫の卒業式』の後。side.N
「あ、あのっ!」
玄関のドアに手を掛けた頃になって、やっと少年が声を掛けてくる。
先程からちらちらとこちらを窺う視線に気付いていた直は、普段の彼からしたら珍しいことに自分から声を掛けることなく様子を窺っていた。
自分の前に立った少年を無言で観察する直は、彼の制服が友人の話に出て来た、志良の妹の幼馴染みたちが通う高校のものだと気付いて『あぁ』と声を出す。
「タマ…キの?」
「えぇ、ぽ…いえ、タマキさんの」
お互いにいい直すが、相手が何をいおうとしたかはわからない。
なんだ、『ぽ』って。
「いま、珠稀さんはいらっしゃいますか?」
いま来たばかりの直に聞くよりも、チャイムでもならした方が早いだろうに、少年はそんなことを聞いてくる。
しかし、中に確実にいるであろう志良とかち合うのを避けるのであれば、話は別だと思い至る。
「さぁ…?確認して、呼んでこようか?」
志良を避ける相手で、その妹に会いたがる少女と同じ年くらいの少年。
もしや、あの少女の恋人かと思った直が親切心からそう提案すれば、少年は狼狽えて後退る。
「いっ、いえ!大丈夫ですっ!!」
俊敏な動きで走り出した少年は、運動部に所属しているのだろうと当たりを付けていると、しばらく走った彼は急に立ち止まって振り返る。
「妹さんに、卒業式のあれは誤解だと伝えて下さい!」
大声でそう頼んだ少年は大きくお辞儀をして、素早く身を翻して走っていった。
この一連の動きで、少年が運動部員だと確信した直は、相手が勘違いしているのに気付いた。
「シロと間違えられた…のか?」
当たり前だが、志良と直は似たような顔立ちですらない。
パーツがそもそも違うのだ。
何だかんだと顔は似ている犬江兄妹と並べは違うとわかるだろうに、さっきの彼はあまり犬江妹と親しい間柄ではないのだろう。
想像した“恋人”という線はなくなったと直は思った。
「あっ、名前聞いてない」
しかし、名前をわざわざ名乗らなかったところから、先程の伝言だけで通じるのであれば、それなりにあの猫のような少女の心の片隅にでも居場所があるのだろう。
いや、それとも今からその場所を広げるのだろうか。
少し前であれば、笑顔で祝福するか、迷っているようであれば背中を押すことが出来るくらいに直自身が恋人と幸せな関係が築けていた…はずだった。
直は、自分の恋人のことを考え掛けて項垂れてしゃがみ込む。
「さっきから待っているのに、何やって…結城?」
「姉崎…」
顔を上げれば、玄関を開けてこちらを見下ろしている美織が心底嫌そうな表情をする。
「来たくなかったなら、最初から止めればよかっただろうに。今のカノジョにも、私は嫌われてるんだろ?」
そういう意味で項垂れていたわけではないが、そう解釈されても仕方ないのだ。
やはり、どんなに恋人に説明しても美織を友人として認めてもらえないため、会うことを嫌がられていた直はしかし、今はどう思うだろうかと思って苦笑する。
「…気持ち悪いな、急に笑い出して」
「ひどいな」
美織の中の優しさは、常に直には微量のみしか振り分けられない。
何故か付き合っているはずの志良にも、あまり多くは振り分けられないが。
「ほら、珠稀ちゃんも待ってるから早く立って歩け」
弟二人ばかりで、姉妹に飢えている美織はその優しさと関心と考慮を最大限に恋人の妹に割いてそういった。
今日の集まりが、お菓子作りを主体にしているため美織は大張り切りだ。
ちなみに、いつか一緒に料理もしてみたいらしい。
料理と製菓の違いがよく直にはわからないが、彼女にとっては別枠のようだ。
『早くしろ』と無言の圧力を掛けてくる美織に苦笑した直は、立ち上がりながらふとこのクールな友人の意見が聞きたくなった。
「なぁ、姉崎。もしも、もしもだぞ?…タマにカレシが出来たらどう思う?」
「寂しい」
即答する美織は素直だった。
同性同士というのもあるだろうが、あまりにもあっさりと言い切られる。
「あまり遊べないのに、あちらを優先すれば今まで以上に遊べなくなる。結城もそうだろ?」
しかし、そう簡単にいえない直は言葉に詰まった。
「俺は…」
そして、伝言を忘れる。




