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仔猫の恋  作者: くろくろ
仔猫の恋
2/61

不機嫌な狐

珠稀が兄の友人として、彼を認識したのは実際に顔を合わせるずっと前だった。


クールで美人な美織という人と、優しげでいて苦労人な印象を持つ直という人の話題を兄が良く出していたから、何となく珠稀は顔も知らないくせに知り合いのようなつもりになっていたのだ。

こと、“結城直”という人に関しては、美織よりも兄と同性同士ということもあるのか、苦労を掛けっぱなしで申し訳ない気持ちが大きい。


そんなわけで、兄の被害に対する申し訳なさ半分、どんな好青年かという期待半分で直と遭遇する機会をうっすらと楽しみにしていたのだが。


「ただ」

「シロ、勝手に人を置いて出掛けるな!」


ごく普通に学校から帰ってきた珠稀は、玄関に入った途端に聞き覚えのない声で怒鳴られ、飛び上がりそうになった。

鍵は…掛かっていて、自分で開けた記憶がある。

母は今日は夜勤だからすでにいなく、父は短期の単身赴任中だ。

いるとすれば、早い時間に講義が終わる兄だろうが、一向に出てこない。


パニックを起こしている珠稀は気付いていないが、怒鳴った相手の言葉から兄が出掛けていることと、彼が勝手に置いていかれたことが冷静な状態ならばわかっただろう。

残念ながら、男嫌いな珠稀には、そんな余裕がなかった。


「……だれ?」


明らかに、怒っている。

ぶわっと髪の毛まで逆立つような感覚に加え、珠稀の全身に鳥肌が立つ。

誰だかわからないが、たった一人で対峙するには物凄く恐ろしかった。


「お邪魔してます。俺は志良君とは大学で…」


目的の相手とは違う存在の登場に、眉をひそめた目の前の青年はすぐに相手が誰かと察したらしい。

もしくは、すでに兄である志良に話を聞いていたのであろう、苛立ちを隠してにこやかに説明し出す彼は穏やかな青年にしか見えなかった。

…ただし、怒りは全て隠し切れてはおらず、目だけは笑っていなかったが。


「えぇ」


ビビる珠稀は、それしかいえない。

どう考えても友好的でない反応に、彼は困ったように笑っているが、珠稀は本当にそれどころではないのだ。


突然、こんなことに直面した珠稀は表情を凍らせて身体に緊張を漲らせながらも、逸らしたい気持ちを抑えて相手を見た。


「……えーと」


困惑した表情から怒気が漂う彼は、テレビに映るアイドルや俳優に比べたら、華やかさはなく地味で、顔立ちが整っているわけでもない。

しかし、雰囲気だけ見れば穏やかで優しそうなのも相俟って、何となく身近なイケメンに思えてしまう。

きっと、彼が優しげに笑えば、初対面の人はだいたい警戒心を解いて同じようににこやかに対応しそうなものだが、残念ながら珠稀は凍った無表情が貼り付いたままだった。


前にテレビでやっていた映画に出て来た狐を母に持つ陰陽師を思わせるのは、涼しげに見える目が笑っていないからだろうか。

底知れない何かを感じ取り、珠稀はジットリと背中に冷や汗をかきながら無言で堪えていた。


「ただいま~、と。二人して、玄関で何やってんだ」


「シロ」

「兄貴」


待ちかねた兄の帰宅に、玄関で突っ立っていたままの二人は素早く反応した。

どちらも、苛立ちが滲む声だったのは、原因である兄があまりにも暢気だったからだろう。


「人を置いてくな」

「他人を留守番に使うなよ」


言葉は違えど、意味はだいたい同じだ。

しかし、にこやかな見た目に見合わない青年の口調に、珠稀は続きがこう聞こえた。


『こんな子どもと一緒にいて、迷惑だった』


もちろん、青年はそんなこといってはいないのだが、珠稀には彼の笑っていない目がそういっているように見えてならない。


「いいだろ、別に。こっちは珠稀、あっちは直。俺、話したことあるだろ?だからもう、他人じゃないって」


二人に文句をいわれているのに、堪えた様子もない兄だったが、そういう問題ではないだろう。

しかもこんな簡単過ぎる紹介、普通はありえない。

現に、青年は絶句している。


兄の登場で、緊張が緩和されたおかげで青年が話題にたびたび上がっている“結城直”だとわかった珠稀は、兄の口振りから家と同じように外で自分の話をしていたことを知る。

ヘンなことじゃなければいいのだが、ここでは聞きづらくて代わりに辛辣な口調で兄に八つ当たりした。


「何考えてんだ、この非常識兄貴!本体はその眼鏡か!眼鏡に脳味噌ないから、非常識なことするのも納得だ」


相当頭にきていたから、初対面の兄の友人がいるのにも関わらずに普段の態度で話してしまった。

気付いたときにはもう遅く、兄の友人は苦笑しながら止めに入る。


「あの、タマキちゃん。ちょっと落ち着いた方が…」


もしかしたら珠稀の態度に引いたのか、先程までの怒気は消えていたがそんなことを喜ぶ気にもなれなかった。

恥ずかしくて、でも相手の表情に呆れが混ざっていないか確認したくてジッと無言で相手の様子を窺う。

まるで叱られるのに怯える仔犬のような反応である。


「タマ、さっさと上がれって。俺が入れないっつーの」


靴すらまだ脱いでいない珠稀に、いい加減焦れた兄は文句をいって背中を押す。

グイグイ強く押された珠稀は、文句を飛ばそうと口を開き掛けたが直を見て先程の失敗を思い出して止めた。

後で倍返しすると心に決めつつ、文句の代わりにいわれた通り、靴を脱いで上がって兄に場所を譲る。


「今日は酒飲むから、直の分もメシ作ってやってくれ」


ピクッと唇の端が上がるが、今度は開くことも無事に堪えられた珠稀は頷いた。

この兄にいっても、たぶん無駄だと感じたというのもある。


第一、持っているスーパーの袋の膨らみから、母経由で頼んだショウガ以外にも大量に入ってそうだ。

たぶん、この青年を誘ったときにはすでに勝手な計画を立てていたのかもしれない。


「いや、俺はいいよ。困るだろ?」


彼も初耳だったのだろう、夕食を用意すると聞いて自身の方が困った顔をしていた。

やはり話しを聞いていた通り、常識人である兄の友人は、そういって辞退しようとしている。

まあ、それは無理だと思い、珠稀は黙って哀れなイケニエの行く末を見守った。


「いいって、いいって。まだ作ってないし、材料は買って来た!直だって、一人暮らしだから、帰ってメシ作るの面倒だろ?」


「まあな」


「ならいいだろ。それに安心しろ!なかなか旨いぞ、タマの作るメシは」


リップサービスではなく、残念ながら事実である。

比べるのが調子に乗って調味料をバカスカ入れる兄のため、喜べることではないがまあ、気分は良い。

尤もこんなもので、先程までの行動の挽回が出来るとは思ってはないが。


「手伝おうか?」


いい人なのだろう。

兄などテレビを付けて馬鹿笑いしているのに、彼は手伝ってくれるようだ。

しかし、彼は客である。


「結構です」


ここで感謝しつつ、兄を肴に世間話でも出来ればいいのだが、そう簡単には口は開けない。

別に、先程のまったく笑ってない目が怖くてしゃべれないわけではない。

…ちょっとしか。


「包丁くらい使えるよ?」


最初の内は、物珍しさから自炊しても、一人暮らしもそれなりになればコンビニ弁当や外食になると、兄が別の友人の話しでしていたが、彼は違うようだ。

そういえば、兄との会話の中でも自炊をしているとわかる話しが出たと思い出す。


「そうですか」


純粋に、真面目な人だと尊敬の念を抱いた珠稀は頷いた。


「おいしそうだね。何作ってるの」


まだ、炒めた玉葱に豚肉を入れただけなのに、『おいしそう』はいい過ぎかと思ったけど、照れて少しぶっきらぼうに返してしまったのは失敗だった。


「普通のショウガ焼きです」


反省は出来るけど、それが口に出せない。

まず、話し掛けるのが恥ずかしいのだ。

人見知りが激しいのも、本当に困ることである。

ガリガリと力任せにショウガをすりおろした珠稀は、フライパンにそれをぶち込んでひっそりと落ち込んだ。


「運ぶよ」

「座ってて下さい」


これ以上、気を遣わせるのも気が引けて自分なりに素早く配膳をする。


「おっ、まあまあ腕上げたな!」


微妙に上から目線の評価に、若干イラッとした。

実兄のくせにまったく手伝いもしない兄に、友人の爪の垢を煎じて飲ませてほしいぐらいだ。

じとりと睨み付けながら、手伝おうとしてくれている兄の友人に再度席を勧めて配膳を再開する。


初対面でちょっとどうかと思うが、同じテーブルについて夕食をいただく珠稀は、ショウガ焼きを箸で摘まんだときに唐突に気が付いた。

もしかして、遠慮していたのは作る手間のことを考えたのではなく、料理がマズいかと心配されていたのか。


今更、その考えに至った珠稀は、ショウガ焼きを口に含んで吹き出した彼に、慌てて水を渡したのであった。

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