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仔猫の恋  作者: くろくろ
仔猫の恋
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肉食獣に捕獲された、黒猫

ガクンと、高いところから落ちる感覚がして、珠稀の意識が浮上した。

横になったまま、ゆるりと瞬きを繰り返す珠稀はぼんやりとしたまま目の前の壁を見る。


横たわっているのは、自分のベッドではない。

豆電球が点いている状態でやや暗くはあるが、さすがにずっと使っているベッドは間違えるはずはない。

硬いパイプベッドの上で寝返りを打とうとした珠稀は、後ろから延ばされた手に腕を掴まれてその動きを止めた。


「うっ?」


「目、覚めたのか?」


珠稀は、その聞き覚えのある声に混乱する。

何より背後にいる相手との関係性から、取るべき距離感よりもずっと近い。

│いつも《・・・》よりずっと近い、パーソナルスペースを侵されまくりの距離感に慌てた珠稀はよく考えないで言葉を発する。


「先生はどうしたんですか?」


「先生?」


教育実習生だって、珠稀にとっては“先生”だ。

しかし彼にとっては付き合っている“カノジョ”と“先生”とがイコールで繋がらないからか不思議そうである。


「うーん…もう、帰ったんじゃないか?そもそも、式に出てたのか?俺は見てないから知らないが…」


「…!?」


淡白な反応に、珠稀は驚く。

自分相手に照れてるだけかと思いきや、そうでもなさそうだ。


「付き合ってるのにっ!?」


「まあ、付き合ってはいるけど…。さすがに、そこまで把握出来ない。…いや待て、さっきから何か変だ。そもそも“先生”って誰のこといってるんだ?」


珠稀の背後で、身体を起こす気配がする。

何故だかわからないが、彼も隣で横になっていたようだ。

涎が出てなかったか、口の周りをさり気なく拭いながら近すぎる距離にドキドキする。


「名前、忘れましたけど…教育実習生の」


本当は下の名前だけ覚えてしまったていたが、口にしたくなくて黙る。

柔らかそうな外見に似合う、可愛らしい名前だったけど、彼にとっては甘くても珠稀にとっては口に含めば苦い名前だ。


「そういえば、ここはどこですか?病院じゃなさそうですが…」


横になったまま、背後を見ないようにしながら動ける範囲できょろきょろと周囲を見渡す。

あの後、駅の階段から足を踏み外したことを思い出したのだが、病院でも自宅でもなければどこだろうか。

自分が横になれる場所が想像付かない珠稀の耳に溜息が届き、その後に呆れたような声がした。


「急性アルコール中毒でもあるまいし、ただ酔ってただけだ」


「あるこーる」


辿々しい口調で、思いもよらない言葉を繰り返す。

アルコールなど、兄の醜態とその友人である彼の酔う姿を見ただけで飲みたくないというのに。


しかし、誰が酔ったのだろうか。

理解が足りないのか、まるで自分に対していっているように聞こえ、珠稀は首を傾げる。


珠稀がのんびりと首を傾げる背後で、彼の方は今までの態度でどういう状態か察したらしい。

理解力があるのは年上でそれなりに経験を積んできた差か、それとも彼だからか。

彼は項垂れているのか、くぐもった声でしきりに唸る。


「教育実習生っていうと、なるほど…この微妙に丁寧な言葉遣いはあの頃のか。それにしても、なんでまたその頃まで遡ったんだ?」


掴んだままだった腕を開放して、軽く叩いて注意を引いた彼は腕を回して珠稀の目の前でペットボトルを振ってみせる。


「取り敢えず、水分を取った方が良い。起きられるか?」


ずっと前に準備しておいてくれたのか、ミネラルウォーターの入ったペットボトル後ろから差し出す彼は、起き上がる気配のない珠稀に親切心からか提案をしようとして途中で遮られた。


「起きられないなら、口移…急に起き上がると危ないぞ」


「ひゃあぁぁぁっ!?」


ただし、珠稀はそれどころではなかった。


「着物!着物はどこにやったのっ!?」


「やっと現在に戻ったか」


振袖がなく、代わりにその下に着ていた長襦袢を晒していた珠稀はそのショックからか、現実に戻って来た。

『やれやれ』という心境が見え隠れする態度で、彼は珠稀がした先程の問いに答える。


「脱がしてくれっていったのは、そっちだぞ?」


長襦袢姿の珠稀は布団を頭まで被って、空いた隙間から疑わしそうな眼差しを向ける。

彼の方は元から被っていないらしく、しっかりと布団は珠稀の身体を覆い隠した。


「なんだ、その疑わしそうな目は?」


「……」


自分の胸に手を当てて、よく考えてみて下さい。


珠稀は人をからかうのが意外に好きな彼にそういおうとして、寸前で止めた。

何せ、起き上がったところで退路がすでに塞がれていて逃げられない。

ちゃっかり壁際の方に珠稀を寝かせて自分は退路を塞ぐ、確信犯なのかそれとも単純にペットボトルの準備など他のことをしやすいようにこの位置になったのかわからないが、取り敢えずは珠稀に余計なことをいわせない防止策としては上等である。


だから珠稀は恐る恐る、未だによくわからない彼のスイッチを押さないように言葉を選びながら口を開いた。


「ど、どうしてそんなこと頼んだの?」


「暑かったからだろ」


しれっといわれ、珠稀は言葉に詰まる。

モヤ掛かった記憶の中で、確かに暑くて仕方なかった覚えがした。

思い出した珠稀の険のある視線は緩み、しどろもどろになる。

布団の隙間から覗いた限り、彼は怒ってはいないようだが、疑ってしまって申し訳なく思ったのだ。


「すみません…」


「気にするな。振袖はあっちに畳んでおいてある。お母さんに聞いて、畳み方は習ってあるから安心してくれ」


素直に謝る珠稀に、何てことないようにいう彼だが、若干腑に落ちないことがある。

『お母さん』が珠稀の母を指すのはすでにわかっているが、何故彼は着もしない着物の畳み方を習ったのだろうか。

そつのない彼のことだ、畳み方は完璧だろうからそれに関しては心配しないが、別のことが気になる珠稀であった。


「ところで、どうして横で寝てたの?」


「珠稀が起きるのを待つため」


待つのは良いが何故、隣で横になる必要があるのかがわからない。

普通に座って待ってくれたらよかったのに。


わざわざ起きたのに、肩を押されてゆっくりとベッドへと逆戻りする。

ぱちぱちと瞬きを繰り返す珠稀に、影が覆い被さった。


「どどうして…」


ここから先は、聞いてはいけない。

『どうして、こんな体勢を取るの?』なんて、わかり切ったことを。

珠稀はそのことを、本能的に察した。


草食獣が、空腹の肉食獣に捕獲されたらこんな気持ちなのだろうか。

現実逃避しながら、珠稀はそんなことを一瞬だけ考えた。


薄暗い部屋の中、影になって至近距離でも見えない彼の表情。

しかし、珠稀はどんな表情をしているか想像が付いた。

『珠稀』と呼ぶときに、必ずといって良いほどセットになっている細めた目と微かにつり上がった口元。

笑っているようにも見えるが、それは『友人の妹』にも、『可愛げのない仔猫』にも、向けるのには不適切な表情だった。

この表情は、『兄の友人』が『友人の妹』に向けるものではない。


「聞けよ。『どうして』って。そうしたら、答えるから」


挑発する声はやはり優しくも穏やかでも何でもなく、しかしそれでも珠稀は不思議と同級生の男子のときとは違って嫌とは思わなかった。


「どうして、」


震える声で続けた問いに対する耳元で囁かれた『答え』に、珠稀は真っ赤になった。

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