独り言
戻ってきました。
私は以前ここで日記のようなものを書いていた。不定期と日記を合わせて「不定記」と名付けたこの書き物は、小説を書くことを目的として始めた。しかし私は飽き性のきらいがある。ゆえに長続きせず、気が向けば書くだけの存在であった。更新頻度の極めて遅いブログのようであったし、私自身そのような認識であった。その皮肉と羞恥心から「不定記」という名にしたと言ってもいい。
畢竟、ここの更新を1年以上怠っていた。なぜ今更と思うが、それこそ私の気が向いたからであろう。では、この1年2ヶ月ぶりの、久しい久しい不定記を書いていくこととする。
まずなぜこんなにも不定期な日記になっているかというと、それは私がツイッターをやっているからであろう。私はアカウントを現在4つ持っている。それぞれ表のプライベートアカウント、裏のプライベートアカウント、自身の思考のゴミ捨て場、ゲームの罵詈雑言アカウントである。
去年は主に1つのアカウントを、裏のプライベートアカウントを使っていた。そこでは日常を綴り、自身のくだらない考えを吐き、性欲に溺れ、作品の感想を言っていた。つまりは小ブログである。ツイッターをブログとして使用し、そこで自身の思いをぶちまけていた。そんなことをしていたら当然、ここに書く内容も少なくなるというものである。そしてツイッターというたかが140文字しか書けぬ欠陥機能に浸っていれば、長ったらしいブログなど億劫になるのは想像に難くない。これが不定期日記の真相である。
言い訳を言い終えたところで、次はブログ更新が途絶えたいきさつを書いていこう。要約すれば、小説より奇なる事実と大学生活の充実になるだろう。
小説より奇なる事実とは、文字通りである。私自身がその渦中にいるわけではないが、関わっていることは確かである。非常に重く、非常に現実的問題で、尚且つ今までの人生から考えられないことが起こったのだ。フィクションの世界で、関わることのない物語として触れるようなことが、私の人生に大いなる影響を与えることが確実となったリアルとして現れたのだ。その緊迫具合、深刻具合は、到底こんなところで書けるものではないし、私自身の能力を鑑みて書けるとは思えない。だが、私にとって非常にセンセーショナルな事実を体感したことは伝えておきたい。
大学生活の充実とは、文字通りである。友人たちと遊戯に耽り、映画を鑑賞し、飯を食らい、談笑しあった。講義に真面目に望み、自分の能力を上回る課程をこなし、自身のこれからについて考えた。恐らく、平凡という言葉で片付けられる内容であろう。だが私は、この平凡な生活はとても尊いものだと思っている。それはそう思わせる出来事があったというのもあるし、私自身がとても楽しいと感じているからでもある。今はゼミやある課程で忙しい思いをしているが、これも周りから見れば、未来の私から見れば、良い充実であると考えられる。
さて、久しぶりにここまでの量の文章を書いてみた。約1300字、ツイッターの呟き約9回分である。我ながらまあまあと言ってもいいのではないだろうか。
また戻ってくるかもしれません。