不定記5
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自分の思想・叫び・感想などをネットの大海原に垂れ流すのはちょっとした緊張感と背徳感がある。匿名であっても自分という存在をネットを通じてアピールし、考えを表明することは誰に見られるかもわからないのでやはり緊張するのだ。そして今まで現実世界では心の中にしまいこみ、温めながら成熟させたモノを垂れ流すことは、今まであまり見せてこなかった自分の顔を出しているようで背徳的な感情も生まれる。
自分の垂れ流したモノに顔も見えない誰かが反応を示すと、私は驚きと嬉しさを覚える。なぜか?
というのも私は今まで意思表明をあまりしてこなかった人間である。なのでいざ反応されると「こんなモノに反応してくれる人がいるものだなあ!」と率直に思ってしまうのだ。と同時にほぼ無意識に嬉しさもこみ上げてくる。やはり人に反応されると嬉しいものである。いくら私が汚れまくって怪人奇人となり果てても、ここのピュアさは残っているものだ。
しかし私はそこで感情が終わらない人間である。驚きと嬉しさが沸き起こったあと、私は漠然とした不安感に襲われる。
「この表現は誤解を生まないだろうか?」「これは誹謗中傷に当たるのではないか?」「こんなことを書いていて自分は大丈夫か?」など、いろいろと心配してしまい、不安に駆られる。
おそらくこの一喜一憂はこれからも私から生まれ続けるだろう。
と、こんなことを思案したのでここに記す。
もうすぐ春ですね。