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短編集 【三題話】

【三題話】見積・じゅんさい・ブートニア 『探偵事務所最大の事件をめぐる考察』

作者: 秋乃 透歌

『見積、じゅんさい、ブートニア』

 この三つのキーワードからどんな物語ができるのか、ご自分で想像してから、本編をお楽しみください。


【予告】

 水の国アクエルカの片隅で、陰謀と謀略に彩られた黒い「見積」を立てる者がいた。

 国王の信頼が厚いだけでは飽き足らず、宰相ゴディバはクーデターを起こす。

 視察行事のため「じゅんさい」農園を訪れていた、王位継承権第二位の王子だけが戦禍をのがれ、一人国の奪還を心に誓う。

 その王子の名は、「ブートニア」!


 『見積、じゅんさい、ブートニア』、お楽しみに。


(この予告は、本編と全く関係ないことがあります)

「もしも彼女が肯定的な意見を口にしたら、私の勝ち。否定的な意見を口にしたり、何も意見を言わなかったら、私の負け。――負けた方は、勝った方の要求を何でも無条件で一つきくこと」


   ◆ ◆ ◆


 探偵とは職業ではない。行為や結果に付けられた名でもない。

 では、探偵とは何か。

 答えはこうだ。探偵とは――生き様である。



「そういえば私、じゅんさいって、実物を食べたことないんですよね」

 今までの会話の流れを断ち切って、愛らしい声がそう発言した。我が愛すべき助手である。ただし残念ながら、助手、というのは彼女の自称である。

「なんだね、藪から棒に」

 私は、その唐突な発言に対する難色を、眉毛の間のしわで表現しつつ応えてやる。

「それはですね。所長は知っていると思いますけど、私、別のバイトで無農薬有機栽培の野菜の流通業務とかもやってるんですよね。で、高級料亭からじゅんさいの見積書を出せって言われてるんです。でも、考えてみたら、私じゅんさいって実物を食べたことないなぁって思いまして」

「なるほど。推理などするまでもなく、明子(あきこ)くんは探偵事務所の事務員でありながら、別の仕事のことで頭が一杯だったということだね」

「むー。私は助手ですよー」

 私が端的に事実を述べてやると、彼女は頬をふくらませて論点のずれた反論を返してきた。

 さて、このあたりで舞台と登場人物の説明をする必要があるだろう。

 場所は、某県の某所にある『高田(たかだ)探偵事務所』。何を隠そう、この私、探偵高田順平(じゅんぺい)を所長とする小さな探偵事務所だ。古びたオフィスビルの二階に構えた小さな事務所ながら、誰かの悩みや不安を解決することと引き換えに、どうにか生活していくだけの金を生み出してくれる。

 その応接スペースには、現在三人の人間がいる。それぞれがソファに座っていて、それぞれの目の前で淹れたての紅茶が湯気を立てている。

 一人は私、所長である高田順平。

 もう一人は、愛すべき探偵助手(ただし自称)であり、じゅんさいで頭が一杯の幸せ娘である、明子くん。本人は助手だと主張しているが、実際のところはパートタイマーの事務員である。

 ちなみに、事務所事務所と偉そうに連呼してきたが、現在高田探偵事務所に所属している人間は、実のところ私と明子くんの二人だけだ。

 そして、最後の一人は依頼人専用の位置に腰掛けている女性。彼女は先程、自ら村上友(むらかみとも)と名乗った。明子くんの親友であり、そのツテで、今日この探偵事務所を訪ねて来たのだった。

 つまり、そういう事だった。

「あー、何の話だったかな」

 私はそう言いながら、村上嬢に視線をやった。

 彼女は、冷静というか、冷ややかというか、冷たい視線で、こちらをじーっと見ていた。

「ごほん。つまり、あれだ。ええと……村上さんは、じゅんさいという植物を知っているかな?」

 苦し紛れの私の言葉に。

「じゅんさい――スイレン科の多年生水草です。日本各地の池とか沼とかに自生していて、中部以北に多いです。地下の茎が泥の中を伸びて、節ごとに根を下ろします。葉は楕円状楯形で、長い葉柄で水面に浮かんでいます。茎と葉の背面には寒天みたいな粘液を分泌して、それは新葉の時に多いです。夏に紫紅色の花が咲いて、卵形の果実を結びます。若芽と若葉が食用として珍重されます。古名は『ぬなわ』」

 一つのよどみもなく、すらすらと村上嬢は答えた。静かでありながら、はっきりとした知的な発音と声色だ。

「わ。友ちゃん、博学」

 明子くんが、とても一般的な感想を口にした。残念ながら私も同じことを、反射的に思ってしまっていた。

「ちなみに、私は食べたことあります。料理法にもよりますが、にゅるにゅるして美味です」

「そうか。それは良かった」

 私は、追従的に頷いてしまう。

「……広辞苑、第六版より」

「何か言ったかね?」

 小声で何やら呟いた村上嬢に聞き返すと、彼女は無言でふるふると首を振った。

 そして、再びこちらをじーっと見てくる。

 観察されているような、妙なやりにくさを感じる。視線をさまよわせて我が愛すべき助手の明子くんを見ると、人の気も知らずにうんうんと頷いている。

 そして、再び唐突にこう言った。

「私、結婚式ではブーケトスだけでなく、ブートニアトスもしたいと思います」

 その唐突さは、例えば○○と△△を使って文章を作りなさいと言われた小学生が、頭を捻る事を放棄して『ぼくは○○と△△がすきです』と並列にしてしまうのに似ている気がした。

 もちろん、彼女の唐突さには、そのような意図的な作為などあるはずもないだろうが。

 いや、少し推理してみれば、彼女の思考も分からなくはない。

 何しろ、明子くんは、結婚が決まっているのだ。もう結婚式や披露宴や二次会の詳細を決めなければいけない時期を迎えているのだ。

 頭の中がじゅんさいと結婚式で一杯になってしまっていても不思議ではない。

「ブートニアトス?」

 私は、思わず聞き返していた。

 もちろん私は、その習慣自体を知っている。しかし、日本の結婚式では、あまり一般的に行われない習慣である気がしたのだ。

「花婿が、結婚式で使用したブートニアを、ブーケトスと同じ要領で、未婚の男性に投げる習慣です。ちなみに、ブートニアとは、花婿の左胸に飾る花のことです。基本的には花嫁のブーケと同じ花を使います。これは、昔のヨーロッパで、男性が女性にプロポーズする際の風習が元になっていると言われています。男性が、野の花を摘んでブーケを作って渡し、女性が結婚を受けるしるしにその中の一輪を男性の胸に挿すというものです」

 聞いてもいないのに、村上嬢がすらすらと知識を披露した。

「そう、それなの。男性からも、そういうサービスがあるのって、素敵だと思うんですよね」

 明子くんが、嬉しそうに顔の前で手を合わせる。

「他にも、野球のボールとかラグビーのボールとか、色々なものをトスする習慣があるんです」

 そう言って、明子くんが私へと乗り出してくる。

「もう少し有名なのだと、ガータートスとか――」

 本題から話がずれているのが、そろそろ気になり始めていた私は、わざと食い付いてやることにした。

「ほう、ガータートス。それはどんな習慣なんだい?」

 探偵術の基本を、アメリカとヨーロッパを放浪中に学んだ私は、当然その習慣についても知っていた。

「えーとですね。まず、花嫁がスカートを――」

 思いっきり真剣な顔をして明子くんを見つめてやる。

「その――」

 その先を説明しようとして、明子くんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。

「つまり――」

 すぐに耳まで真っ赤になってうつむいてしまう。

「……やっぱりいいです」

 ふむ、静かになった。

 世間一般の人間が何と思おうと、この程度のセクハラをする権利は私にはあると判断している。つまり、立場の問題なのだ。

「ガータートスとは、花嫁が身に着けていたガ――」

「わー、やめてやめて」

 再び頼んでもいない解説を始めた村上嬢を、あわてて明子くんが止めている。

 さて。そろそろ本題に入る必要があるだろう。

「ところで、村上さん」

 私が仕事用の表情でそう切り出したのを見て、明子くんも真面目な顔で座りなおした。

「今日、ここにこうしていらっしゃったという事は、何か悩み事か、お困りの事があるのですね?」

 私は、依頼主に最初にかける言葉を、いつものように口にしたのだった。


   ◆ ◆ ◆


「悩み事、困り事……」

 村上嬢は静かに呟いた。

 そして、意を決したように視線を上げ、言った。

「そんなものはありません」

 それは、探偵事務所を訪れる人の口から出るには、少々意外性のある一言だった。それでも、嘘や虚勢と言うわけではなさそうだ。決然とした彼女自身の表情からもそれが伝わってくる。

「ねえ、明子。私、あなたが探偵の助手なんて全然似合わないと思ってたわ」

 そう言って、村上嬢は明子くんに語りかけた。

「あなたは、ほわわんと幸せそうで、殺伐とした、危ないこともあるような世界は向いていないと思っていたもの。今でもそう思っているわ」

 そう。彼女は、明子くんの親友だという話だった。

「心配してくれてありがとう。でも、ここでのお仕事は楽しいよ。誰かの力になれる仕事だから、やりがいもあるの」

 明子くんは、微笑んで応えた。

「それに、私がここで働くようになったからこそ、『高田探偵事務所最大の事件』が起こったんだから。もう天職――というか、運命なんだわ」

「『最大の事件』?」

「あー、ごほんごほん」

 話があらぬ方向に進みそうになったので、私は慌てて二人の会話に割って入った。

「まあ良いわ」

 気を取り直したのか、村上嬢が改めて私に視線を向けた。

「高田さん。つまり私は、あたなに会いに来たのです。あなたの顔を見に来たのです。あなたがどんな男か、確かめに来たのです」

 静かに、しかし幾分強い調子で村上嬢が言う。

「結局のところ、それはお互いのことですし。親友だからと言って口出しすべきこととそうでないことがあることも分かっています。でも」

 村上嬢の真っ直ぐな視線が、迷わず私を見ていた。

「私は明子が大切なんです。たった一つ――大切で重要で必要なことを確認させて下さい。それくらいしたって、悪くないはずです」

 その勢いに押されて、私は頷いていた。

「明子、『最大の事件』って何? 危ないことじゃなかったんでしょうね?」

 そう言って、村上嬢は、今度は明子くんに視線を向ける。

 その視線は観察的であり、冷静に物事を見定めようとする知性の輝きがあった。それでも、一番奥底にあるものは親友の身を心配し、将来を案じる優しい動機のようだ。

 そうか、どうやら明子くんは良い友達を持っているようだ。

「危ない事じゃないの。事件でもないの。あのね――」

 明子くんは、赤く染まった頬を両手で押さえて、それでも幸せそうに微笑んで応えた。



「所長が、結婚しようって言ってくれたんだぁ」



「は……?」

 数秒間の思考停止。それをなんとか再起動すると、村上嬢はこちらに向き直った。

「それが最大って、……本当ですか?」

「ちなみに、この探偵事務所は私の理想とは違い、失せ物探しやペット探しの依頼が八割以上だ。素行調査や浮気調査なんかも時々しかない。危険な事件や、警察の捜査に協力などと言う事は、創立以来一度もない。非常に安全な職場だ」

 私がその事実を補足として付け加えてやる。

「それで『最大の事件』……。そりゃ、本人にとっては間違いなくそうでしょうけどね。まあ良いわ。明子の方の気持ちは、この顔見てれば分かりますから」

 伝染したのか、少し頬を赤くしながら、村上嬢は私に尋ねた。

 そう、これが、彼女が今日ここを訪れた理由。

 しっかりと、視線を私に向けて、村上嬢はその一言を口にした。



「あなたは、明子を幸せにできますか?」



 探偵事務所の所長という立場で、現実的にはハードボイルドとは無縁でありながらも、それでも一人の探偵として生きている以上、私には一つの信条がある。

 すなわち。

 探偵とは職業ではない。行為や結果に付けられた名でもない。

 では、探偵とは何か。

 答えはこうだ。探偵とは――生き様である。

「――」

 その生き様とは、遠く離れた答えになるかもしれないが。

 私は、村上嬢の真っ直ぐな視線に、真っ直ぐに応えることにした。

「もちろん。私は、私の持てる全ての力で、彼女を幸せにする。私は明子くんを愛しているし、私にとって彼女の存在が何よりも必要だ。この事に関しては、一切の嘘偽りはないよ」

 応えて、村上嬢の視線を受け止める。真っ直ぐに見返してやる。

 ふっ、と彼女の肩の力が抜けた。

「わかったわ。わかりました」

 村上嬢は、明子くんに向けて微笑んだ。それは、事務所に来てから今まで見せたことのないように柔らかな笑顔だった。

「結婚おめでとう、明子。ちゃんと式には呼びなさいよね」

「うん。うん、もちろんだよ」

 明子くんが嬉しそうに応えている。

「まあ、こうなるって分かってたんだけどね」

 そして、村上嬢はこう続けた。



「だってあなた達、随分とお似合いだもの」


   ◆ ◆ ◆


「約束、覚えてますか?」

 村上嬢が帰ったあと、唐突に明子くんが切り出した。

「もしも友ちゃんが、肯定的な意見を口にしたら、私の勝ち。否定的な意見を口にしたり、何も意見を言わなかったら、私の負け」

 そういえば、そんな賭けをしていた。

 そう、確か。

「負けた方は、勝った方の要求を何でも無条件で一つきくこと、か」

 間違いなく、村上嬢は肯定的な意見を口にしていた。明子くんの親友であることから、探偵などという因果な商売の男を相手として認めないだろうと予測したのだが、私の予測を上回るほど本質を見ることのできる女性だったようだ。

「で、明子くんはどんな要求をするんだね?」

 彼女は、しばらく思案顔で考え込んでいた。

「ブートニアトスをやるかい?」

「それは、やっぱり二人で相談して決めましょう。その方が良いと思います」

 私が出した助け舟も、柔らかく断られた。

「では、ガータートス?」

「所長、ガータートス知ってたんでしょう。意地悪」

 可愛らしく頬を膨らませて見せたが、ふと何か思いついたように、笑顔になった。

「高級料亭にじゅんさいを食べに行きましょう! うん、それで決まり」

「ちょ、ちょっと待ちたまえ」

 慌てて私は意義を唱える。

 高級料亭で、まさかじゅんさいだけ食べるわけにもいかないだろう。それなりのコースの、最初か二番目の料理がじゅんさいの小鉢だとして、いったいどれくらいの予算が――。

「事務所の経営に余裕がないことは、明子くんが一番良く知っているじゃないか。式や旅行のための――」

「無条件で聞いてもらいますからね」

 にっこり、と彼女は笑顔を見せる。

「必要なお金がいくらくらいか、見積書を作っておきますね。まあ、愛情特別サービスで無期限にしておいてあげます」

 見慣れているはずなのに、その幸せそうな笑顔を見て、思わずつられて幸せな思いがあふれてしまう。

「良いですね、だんな様?」

 探偵とは生き様だ、と思ってきた。

 だとすれば、可愛らしい奥さんの一挙手一投足に、ここまで心を弾ませてしまう自分は、探偵失格なのかもしれない。

 それでも。

 そうだとしても――まあ良いだろう。

 探偵らしくないならば、せめて、良いだんな様でありたい。単純に、素直に、そう思う。

「わかった。思いっきり高級な料亭に、じゅんさいを食べに行くか」


 お楽しみいただけましたら幸いです。

 なお、お題の3つのキーワードは、友人達によるリクエストです。


 近いうちに、このような形でお会いできることを楽しみに。

 それでは、また。

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― 新着の感想 ―
王子様がじゅんさい畑の視察に行く様子にドキドキしました! (この感想は、予告とは関係があるものの、本編とは全く関係ないことがあります) 三題話、面白いですね。 お題の並びを見ただけで「無茶過ぎ」って…
[良い点] おもしろかったです! [一言] 短い作品なのに、キャラクターがしっかり魅力的でした。 お題の取り入れ方も「なるほど~!」でした。
[良い点] 続きが気になる文章で面白かったです ブートニアトスって、そんなものがあるんですね。 [一言] これ、推理……ですかね? 楽しかったです。ありがとうございました。
2014/02/08 10:59 退会済み
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