鼻毛
「ごめんね、試験前なのに。貸してくれてありがとう」
そう言って彼女はリュックサックから国語の教科書を取り出し、俺の机にそっと置いた。
「別にいいよ」
澄ました顔で俺は呟くように返事をする。
でも本当はそんなこと思ってないよぉ。試験の前日だよ? しかもただの試験じゃなくて学年末テストだよ? ここで中二の全てが決まっちゃうわけだよ。それをあなた、試験の前日に教科書を貸してくれって、そんなイタズラ止めてよぉ。俺なんか国語が一番苦手なんだから。試験二日前に一番苦手な国語の教科書が無いんだよ! そんなことあるかい。あなた想像したことある? 自分の苦手な科目の教科書が無いなんて。そりゃ、勉強しないような奴らにとってはどうでもいいことなのかもしれないけどさ、勉強くらいでしか皆を驚かすことが出来ない俺なんかには重要なことなんだよ。
「ロッカーの鍵が壊れちゃって教科書が取れないなんて笑えないよね。国語の教科書だけだったからよかったけど」
本当に壊れたの? もしかして自分で壊しちゃったんじゃないの? そんなこと皆は思わないかもしれないけど俺は思うよ。だってもしかしたら俺の試験の点数を落とすためにわざとそうやって教科書を奪ってるのかもしれないじゃないか。そうだよ! 学生は助けあって勉強を教え合おうなんていうけどさ、実際皆、ライバルなんだよ。そうやって姑息な手を使ってでも試験の点数を落とさせたいとは!
「そっか。じゃあ仕方ないよね」
そんなこと言えないよ。やっぱり。ニコッと笑って言うしかないじゃん。変な言葉を発して変な風に思われたら嫌じゃん。でも本当に点数を落とそうとしてたら嫌だな。ああどっちなんだろう。そんなこと彼女ならしないと思う。……多分。でも確証はないよな。彼女は人当たりはいいんだけど、でもよく漫画やドラマであるじゃん。八方美人で人当たりがいいけど実は悪人で裏では数々の悪行をしているという。こういう人が実は裏切り者だったりするんだよな。もしかしたら試験のことだって裏で何か陰謀めいたことをやっているかもしれない! 昔を思い出してしまう!
「でも本当、貸してくれて助かったよ。ありがとう」
「いえいえ。どういたしまして」
あっ。言い方まずかったかな……。ちょっと声音に自分の思いが出そうになってる。いかんいかん。もっと平静を装わないと。こんな心の声が聞こえてしまったら俺は死んでしまう! サトラレなんて嫌だよ!
「今日は大切な日だからね」
にっこり笑ってやがる。
「そうだね。試験前日だからね」
でも試験前日にそんなこと……。ああ、堂々巡りだ。いつまでもこんなこと考えてても無駄なんだよ。でも考えるなと言われれば言われるほど考えてしまうな。ああチクショー。どうにかして彼女の本心が知りたい! だってそうじゃないか。こんな日に限って教科書――ああ、また堂々巡り! ダメだダメだ。頭から切り離さないと。
いかんいかん。こんな考えすぎてたせいで彼女の目を見るのを忘れていた。彼女はちゃんと机の前に立って見下ろしていて、座ってる俺の目をしっかり見てくれているだろう。なんだよ、ずっと机に置かれた国語の教科書を見ながら会話するって。完全に恥ずかしくて下を向いている少女漫画のヒロインじゃないか。ヒロインだったら許されるだろうよ。俺はヒーローでもイケメンでもないんだぜ。ただの冴えない中学二年生。下を向いてたらいかん。俺が恥ずかしがってるみたいじゃないか、気持ち悪い。ヒロイン気取りかよ。
そうだよ。上を向こう。ちゃんと上を向かなきゃ。誰かだって涙がこぼれないように上を向こうって歌ってたじゃないか! いや、あれは歩いてたけどさ。俺は席に座ってるけどさ。ちゃんと目と顔を見よう。
……いや。でも恥ずかしいな。うん、恥ずかしい。なんか窮鼠猫を噛むの窮鼠状態だな。完全に部屋の隅っこに追い詰められているネズミだよ、俺は。じゃあちょっとずつ上を向こう。ちょっとずつ。あごから口から鼻から……。
「あっ」
「ん? どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。試験前日だから俺も最後の追い込みしなきゃと思ってね」
「そうだね」
なんでちょっと苦笑いなんだよ。俺、悪いこと言ったか。いや……そんなことより……。言っていいものかな。彼女の鼻から。その……鼻毛が一本出てる……。見透かされたのか? まさかわざとこうやって鼻毛を出して俺を試しているというのか? だからこんな風に苦笑いを。
でもちょっと待てよ。そんなことわざわざ俺に対して何の意味があるんだ。学年末テストと鼻毛に一体全体何の関係があるっていうんだ!
気になる。気になってしまう。ただ単純に目を見て話したいのに。どうしても目線が鼻の方にいってしまう。やっぱり好きな子を目の前にしてドキドキしてちゃんと顔を見られない少女漫画のヒロインじゃないか。なんで俺がそんなことを。というか今時そんなヒロインなんているのか?
いかん。ちゃんと目を見ないと。バレないようにしっかり目を見据えて。
「ごめん、呼ばれちゃった」
なんのこっちゃと思ったが、どうやら女友達に呼ばれてるらしい。彼女の後ろの方で手招いている。俺と違って皆から好かれてるんだな。
「しっかり国語の勉強もしてね。じゃあまた」
ああ。行ってしまった。国語の勉強か……。ちゃんとしないと点数が……。
いやそんなことより、まずいじゃないか! あんな鼻毛一本こんにちは状態で女友達と喋ってしまったら気づかれてしまう! ダメだダメだ。なんとかして彼女に伝えないと。
いやでもどうやって伝えるんだよ。ええい、この際試験に関してはどうでもいい。鼻毛をどうにかして抜かせるか切らせないと、彼女の立ち位置が崩れてしまう。皆の人気者の立ち位置が。下手したら人間の尊厳にだって関わるゆゆしき事態ではないか!
とんとん。
なんだよ。こんな時に肩を叩きやがって! 振り返ると、
「あの子と何喋ってたの?」
なんだ吉田か。
「何だ吉田か」
「あと、おはよう」
「うん、おはよう」
吉田め。この大事な時に。なんでお前が俺の後ろの席なんだよ。別に嫌ではないさ。むしろいい位だ。中学に入学して初めて出来た友達が後ろにいるのは案外心強い。別にこいつは何か害をなす生き物じゃないからな。
「だから何喋ってたの?」
別に今更気にすることでもないじゃないか。お前だって普段から彼女に話しかけてるじゃないか。なんでいちいち俺のことを気にするんだ。小っ恥ずかしい。
「いや教科書返してもらったんだ。試験前に勉強するとかなんとかで。別におかしなことは何も喋ってないぞ」
「無駄な情報いらねえよ。誰もお前がおかしなこと話すなんて聞いてないよ」
うるせえ。だからなんで俺に訊くんだよ。その上、嫌なところ突きやがって。
「あの子。人気者だからな」
そりゃそうさ。これは直接言ってもいいだろう。
「そりゃそうだろうよ。誰にだって人当たりいいし。彼女のことを嫌いになる人なんていないんじゃないの?」
「ふーん。そういえばお前、昔知り合いだったんだよなあの子と」
もう半分忘れかけていたことを掘り返すなよ、吉田。確かに俺は彼女とは知り合いだった。同じ保育園に通っていた。でもな。
「昔、同じ保育園に通ってたんだよ」
吉田には分からないかもしれないが俺は彼女と距離を取らないといけないんだよ。彼女は昔から誰からも好かれる人だった。八方美人って訳じゃない。本当に誰に対しても平等な立場をとっていた。そういう子だったんだよ。ただ……。
「なんだよそんな顔して」
いかんいかん。気づかれてしまう。平静に。表情を戻して。落ち着いて。
「いや、明日の試験のこと考えてた」
「どうでもいいよ、試験なんて」
よくねえよ。お前にとってはいいかもしれないが俺にとっては重要なんだよ。
「それより同じ保育園に通ってたんだろ? だったらお前とあの子って仲良しじゃないか」
いやいや。幼い頃から知り合いだったからっていって仲良しとは限らないだろう。短絡思考にもほどがある。それにそんなに仲良しに見えるかよ、俺と彼女が。
「そんなことないよ。実際再会したのは中学入ってからだったから」
当たり障りのないことを言うしかないな。
「でも知り合いなんだろ。要するに幼なじみじゃないか」
それも語弊がある気がするが……。単純に同級生とは思わないのか、吉田。別に近所に住んでいて親同士も付き合いがあったとかそんなんじゃないんだから。
「違うよ。別に近所に住んでいた訳でもないし。単純に同じ保育園に通っていた同級生だよ。ただそれだけの関係だって」
「幼なじみじゃないんだったら昔、どんな関係だったんだよ。同級生って言ったって色々あるじゃないか」
全く面倒臭い奴だな。あんまり昔の話を掘り返してほしくないんだよ。それがなんで伝わらないかなあ。誤魔化すのも嫌になってくるな。
「普通の同級生だよ。たまに話す。たまに遊ぶ。それだけさ」
「ふーん。何だ、今と変わらないじゃん」
それでいいよ。今と変わらない。それでいいんだよ。そう思ってくれればありがたいんだよ。俺もいちいち追求されたくないし、言いたくもないし。そのまんまでいてくれよ。そのまんまで。
「しっかしあの子。男女問わず喋るんだな。今は男か」
そうだな。彼女は誰とでも話す――しまった! 吉田なんかと喋ってる場合じゃないんだよ! 彼女のことについてだよ。そうだよ、俺の今の議題は明日の学年末テストでも吉田に対して色々誤魔化すことじゃなくて、彼女の鼻毛だよ!
今度は男子諸君と話してるのか。どうにかして彼女に伝えないと。今伝えるか? だが今伝えたらいけないじゃないか。どうしよう。なんとかバレないように伝えるか? いや、そもそも男子諸君が気づかないといいだけだろ。それでいいんだろ。ほら、顔を近づけてるわけじゃない。それ相応の距離がある。なら大丈夫だ。安心だ。
いやでも待てよ。さっきの女子集団とは顔を近づけてたか? それはまずいぞ! だって女子なんて男子なんかよりよっぽど他人を見てるって言うじゃないか。観察眼は男の約七倍ってテレビで言ってたぞ。そんなことされてたら。くそぉ。どうやって知らせたら、いや、どうやって隠す? こんな俺に何が出来るってんだ!
「俺もあの子と話してくるか」
「待て!」
あ。口から出ちゃった。本音。ぽろっと。
「ん? 何だ?」
「いや、その……」
どう誤魔化す? どうやって誤魔化せばいいんだ!
「俺と話そう」
「何の話?」
だから、その、あれだよあれ。
「む、昔の話するよ。彼女と俺との」
完全なバカだ、俺は。罵ってくれよ。俺をバカだって罵ってくれよ!
「なんだ、最初から話せよバカ」
罵るなよ! 何お前人に向かってバカとか言ってるんだよ、バーカ!
……もう完全にダメだ。鼻毛に気を取られてる。空回り過ぎるだろ……。
諦めよう。素直に認めよう。明らかに俺がいけなかった。冷静になれずに適当なことを言ってしまった俺が悪いんだ。ここで否定しようにもアイディアが浮かばない。浮かぶ訳がない。このまま白状してしまおう。吉田がこの話を誰かに言ったところで誰も気にしないだろう。
いや。彼女に言ったらどうなる? 彼女はどう思ってるんだ? それにクラスメイトの奴らにどう思われるんだろうか。本当に誰も気にしないか? 実際面倒臭いことになりそうで嫌だな。やっぱり変でもいいから言い訳を言っておくべきだった。全く本当にどうしたらいいんだか――
「早く言えよ」
全く。分かったよ。ため息つくしかないよ。
「同じ保育園に通っていたんだが、正直仲良しとは正反対なんだよ」
「なんだそれ」
「あの子にいじめられて、よく泣かされていたんだよ」
「なんだそれ」
だよなあ。なんだそれ、だよな。二回も言っちゃうくらいだよなあ。俺だって今の彼女を見たらなんだそれって言ってしまう。昔の彼女と全く違うんだから。
「まあお前はいじめられっ子体質だからな」
うるせえよ。いちいち痛いところ突くな。何か害をなす生き物じゃないって思ったが前言撤回だな。俺にとって害しかなさないじゃないか。
「あの子に小さい頃、何されたんだよ」
「あまり思い出したくないが喧嘩して殴られて泣いたり、俺のお昼のおやつを勝手に食べちゃったりしてたな。そのくせ俺と遊んでほしいって言って色々連れ回されて、気にくわないことが起きるとすぐ文句言われたりして」
「ふーん。そんなことがね。それにしてもよくそんな昔のこと覚えてるな。よっぽどお前は根に持ってるんだな」
そりゃ根に持つに決まってるだろう。誰だって隠したいことや言いたくないことはあるさ。俺にとってそれは彼女についてなんだよ。
「別に気にしなくてもいいんじゃないのか、そんなこと。お前にとっては大事なのかもしれないけど他人の俺から聞いたらただのお遊びレベルだと思うけどな。実際そんな悪いことしてないと思うけど」
「そうは言っても……」
そうは言っても俺にとってはきついんだよ。保育園の中のことだからしょっちゅうあいつは先生に怒られていたさ。小さい頃のことと思えばそれで終わりかもしれない。だけど明らかに俺の性格が歪んだのは彼女のせいだな。
「だから気にしなくてもいいんだって。自意識過剰じゃないのか?」
俺だってそう思ってるさ。こんなことを延々思い続けてるし、ぐちぐち心の中で吉田に対して文句は言わないさ。
「お前が何を言おうと今のあの子はそうは見えないけどな。みんなと仲良くしてるし。お前とは大違いじゃないか」
だからいちいち文句を挟んでくるなよ。
「それが怖いんだよ」
「なんで」
だって考えてもみろよ。幼い頃は俺に対して横暴な態度をとっていた彼女と久しぶりに会ったら百八十度変わってたんだぞ。八方美人みたいに批判的な態度ではなく、本当に誰に対しても平等なんだから。
「びっくりするじゃないか。今と昔の態度の違いが」
一体彼女に何があったのか分からない。俺と会った時も「久しぶりだね」なんて言ってきたんだ。あの彼女がだぞ? あり得ない。
「実際俺にとっての彼女のイメージは今のそれじゃないんだよ。昔の横暴な感じなんだよ。それなのに俺にも普通に話しかけてくる。あり得ない。なんか裏があるんじゃないかって勘ぐってしまうだろ」
「そんなもの気にするなよ。気にするだけ負けだろ」
それはそうかもしれないが……。実際何も答えは得られていない。彼女は何を思っているのか。どうしてそんなことをしたのか。そして今、何故こんなにも態度が変わったのか。
「だけどなあ」
「お前は腑に落ちないんだろ? だったら今、聞けばいいじゃないか」
「いや、やめろって」
座ってる俺を引っ張ろうとしないでくれよ、吉田。そういう問題じゃないんだよ。
「どうして? 今、そのまま聞いたほうが早いじゃないか」
「いや……俺と彼女には微妙な距離があるんだよ。なんというか触れちゃいけない場所っていうかさ。なんかこの問題を掘り返しちゃいけない空気みたいな」
彼女は好かれている。入学当初から色んな人に話しかけていた。男も女も生徒も先生も関係なく、皆に話しかけて皆に好かれている。今は教室の外から微かに彼女の話し声が聞こえる。他のクラスの子と話しているのだろう。だけど俺はそんなこと出来ない。認めたくはないが彼女のせいでこんな歪んだ性格になったんだ。
そして認めたくはないが俺はスクールカーストで言えば下のランクだ。たまたま誰とでも話す彼女と吉田という友達がいるだけだ。吉田はそうやって何も気にするなと俺に対して言うだろう。そして実際に行動に移せと言うだろう。それは吉田だから出来るんだ。俺みたいにクラスで勉強が多少出来るくらいしか取り柄のない人にとってその行動はある意味自殺と一緒なんだ。
大体彼女の姿や吉田の姿を見てみろよ。制服のボタンは開けてるわ、教師に隠れてネックレスしたり、髪の毛をセットしてきたり、スカートの長さをわざと短くしたり。俺はと言えば制服のボタンは全部閉じて、髪の毛はしっかりと短く切っている。校則を守るために携帯すら持ち込んでいない。吉田は授業中に隠れてスマホをいじってる。俺はガラケー。そこからして何か違うじゃないか。
どちらが正しいと言えば多分俺の方が正しいはずだ。ルールをしっかり守っているわけだから。でもこの学校においてはルールを守っていない奴の方が人気がある。その矛盾には中学に入学したときから何となく気づいていた。だからといって自分がルールを破るかと言われたらそういうことは出来ない。内申点が下がってしまいそうだって思う。
それでも彼ら彼女らは人気者で、教師からもある程度気に入られていることだろう。校則を破ってるぞと言われてもへこへこ頭を下げて笑いながらすいません、と言えばなんとなくそれでおしまいなんだ。
そういう世界に生きている人と、自分とは交わることはまずないんだ。
だからその世界と交わることが出来る彼女や吉田は貴重な存在だ。
そんな彼女が昔のことを掘り返したせいで傷ついてしまったなら。俺の貴重な話し相手を失う。彼女とのもやもやは残っているかもしれない。だが俺は彼女が話しかけてくれるおかげでクラスの一員として認められている気がするんだ。だから彼女との関係を壊したくない。いや壊せない。打算で生きていると言われてもしょうがないが、それでも今の微妙な関係を続けていくしかないんだ。
なんて吉田には言えない。だから適当なことを言って誤魔化すしかない。
「面倒臭いな。お前だって何か彼女に言いたいことくらいあるだろう? 今お前が彼女に言いたいことが」
今、言いたいこと。何だろう。確か。
「ああっ!」
また本音が。ぽろっと。忘れてたよ! 彼女の鼻毛がこんにちはしてるんだよ! どうするんだよ。何しんみりした気持ちで「彼女は他のクラスの子と話しているのだろう」だよ。そんなことしたら他のクラスの子に鼻毛が出てることがバレてしまう! いかんいかん。冷静沈着とした態度で改めて誤魔化そう。落ち着いて。そうだ。
「言いたいことがあるなら、今言えよ。そうすりゃ楽じゃないか」
「違うんだよ。その話じゃなくて」
「なんだよ」
「今日って国語の教科書いるんだっけ?」
何言ってるんだ俺は。
「何言ってるんだよ。お前、教科書なんて机の上にあるじゃん。あの子に渡してもらったんだろ? 見てたよ。それに時間割通りだから今日は国語はないだろ。いちいち話を逸らすなよ。言い訳下手くそだな」
逸らさないとやってられないんだよ。吉田には分からないかもしれないが。あとやっぱり最後にひどいこと言うなよ。
「お前が言わないんだったら俺が言っちゃうぞ」
「いや、それはやめてくれ! 本当やめてくれ!」
本当やめてほしい。俺のことなんて関係ないじゃないか。それとも、もしかして鼻毛のことか? 吉田も気づいていたのか。これは利用すべきか。
「お前のことじゃないよ。俺が言いたいことがあるんだよ」
やっぱり鼻毛か!
「なんだよそれ」
「秘密」
やっぱり鼻毛だな! お前も気づいていたんだな!
そんな状況で始業のチャイムが鳴った。皆それぞれ自分の席に戻ってくる。吉田は結局彼女に話しかけなかった。
彼女は教室左前の席に着いた。担任の話をしっかりと聞いている。
そして俺は教室のちょうど真ん中の席で彼女をちらちらと見る。ああ。気になる。気になってしまう! 彼女の鼻毛が担任にバレてしまったら笑われてしまう。先生だからといって皆信頼できると思ったら大間違いだ。実際保育園に通ってた時だって先生は助けてくれなかった。そりゃしっかりと彼女に向かって怒ってたさ。何で叩いたりするの、そういうことをしちゃダメでしょ、ちゃんと謝りなさいって。だからといって何も解決しなかった。一切謝らなかったしずっと叩かれた。
あの時からやっぱり俺は相当性格が変わってしまったんだな。全く。先生不信になる奴はいくらでもいるだろうけど、保育園児の頃から先生不信だったのはこの学校ではさすがに俺だけだろう。
というか! なんで今日に限って日直が彼女なんだよ! やめてくれよ。これ以上目立つことはしないでくれよ。なんで朝の会なんて不毛な会議を作ってしまったんだ。
日直ならわざわざ教壇に立って一日の報告をしたり、起立・礼・着席を毎回言わなくちゃならないんだろ? たとえば失敗してごらんよ。いや、そんなこと彼女はしないとは分かってるけどさ。そこで号令誰だ? って先生に言われた途端、注目が一気に集まるじゃないか。そんなことになったら完全にダメだ。頼む、日直を今日一日でいいから俺に変わってくれよ。俺だって皆の注目を集めるのは嫌だけど、それでもいいよ。辱めを受けるより全然マシだ。
「今日は時間割通りです。学年末テスト前なので部活はありません。またテスト前日なので授業は午前中で終わります。給食、清掃を済ませたら帰りの会を行います」
教壇の前に立って。つまり教室の一番前で彼女は今日の予定についてはっきりとした口調でクラスメイトに話している。
律儀に言う彼女を皆が見てるじゃないか。そんなことしたら本当気づかれてしまう。俺は分かってるからまだいいんだ。だけど前列の奴なんかメチャクチャ見えるんじゃないのか? もう思いっ切り鼻毛がぴろっと出てることに気づいているんじゃないか?
今日の授業なんかどうでもいいんだよ。時間割通りなんていつものことじゃないか。昨日の帰りの会でも散々日直や担任が言ってたじゃないか。わざわざそんなことを確認してどうするつもりなんだよ。大体今、この場で時間割通りだからと言って教科書を忘れた奴がどうこう出来る話じゃないだろ。あっ、いけね。俺、教科書忘れたから取りに帰るわなんてことが出来ないのが中学生なんだから。まあ、リア充なら出来るかもしれないけれど。
そんなことしなくても隣のクラスの人から教科書借りたり、そこまでしなくても隣の席の人に見せてもらえるだろう。俺には出来ないだろうな。帰ったら怒られるし、教科書を借してくれる友達もいない。全く。
「はーい、じゃあそういう風だから今日は午前中で帰れます。ちゃんと家で勉強するように。このテストは一番大事だからな。しっかりと覚えてこないと内申点に響くからな」
まさしく今自分が考えてたことを言ってくる担任。内申点に響く。いつもテストになると同じことを言って脅してくる。まあ俺は脅しに屈服してる人間だけどさ。教科書がないだけでヤバいなって考えてる人間だよ。そうやって何度も何度も「一番大事」って言うだけの人間だからなあ、教師ってのは。
いやいやそんなことよりも。とにかく彼女が席に戻ってよかった。担任のありがたいお話をここまで本当に「ありがたい」と思ったのは初めてかもしれないな。担任様々だぜ。これで注目は逃れられる。教室の左前に消えていった彼女を見るとちゃんと担任の話を聞いている。それでいいんだ。下手に隣の男子に話しかけられたりしない方がいい。
さて。今日は短縮授業だ。俺だって一応テストでいい点を取らないといけないからな。ちゃんと授業は受けさせてもらう。勿論彼女を気にしながらだけど。
言いたいけど言えない。陳腐な歌詞みたいな言葉が頭に浮かぶ。そんな状況が今、この教室で俺だけに起きている。おかしいものだな。
さあ授業だ授業。チャイムが鳴る直前に社会科のおばさんの教師が教室に入ってきた。そうか。一時間目は社会か。テスト前ぎりぎりなのに範囲が終わってない社会か。そろそろ第二次大戦も終わりにしたいんだよなあ。そこまで難しい訳じゃないからいいんだけどな。ドキュメンタリー映画なんか見てたら一発で分かるから。
「起立」
彼女の声がうるさい教室にツーと響く。鶴の一声って感じ。素晴らしい。
「礼。……着席」
「はい、おはようございます」
おはようございます、と声を出す生徒たち。明らかに全員ではない。まばら。なんというか教師の挨拶よりも日直の一声の方が効果があるなんて皮肉だな。俺は一応挨拶はしてる。吉田の声も後ろから聞こえる。でも舐められた教師ほど恥ずかしいものはないな。というかこういう生徒たちばかりだから内申点に響くと言われても反応が薄いのかもしれない。反抗期ばかりだからな、この教室の奴らは。俺もだけど。
「じゃあ今日はテスト範囲の最後。第二次大戦の終結を勉強します。最後の授業だからといって別に自習にするってことはないからね」
だからそれは進行を考えないあんたが悪いんじゃないか。心の中で悪態つきまくりだけど表情は変えない。目線だけでちらちらと彼女を見る。彼女も変化はないな。
「じゃあいつも通り、グループを作って」
何の疑いもなく机を引きずって四人グループで固まった。俺と吉田と女子二人。そして彼女も――彼女も!
隣同士なら別に問題はないけど、そんな風にグループ作ったら明らかに顔を正面に見る奴が出てくるじゃないか! なんでこんなにいつもの授業なのに妨害されてるような感覚になってしまうんだ。やめてくれよ。本当日常がいかに危険性があるか分かってしまったな。
彼女の方に向かって思わず顔を向けて見てしまう。彼女はしっかりした表情で教科書を読み込もうとしている。そうだ、皆も何も言うなよ。
と思っていたら俺と目があった。慌てて俺は顔を伏せる。なんだよ、これ完全にストーカーじゃないか。じーっと見てるなんて。ダメだよ。気にしすぎなんだよ。
……そんなこと思ったって気になるじゃないかあ! 気にしちゃうんだよ。鼻毛が出てる女の子なんて普通考えたらすごい微妙なラインじゃないか。別に男だったらいいんだよ。おいお前鼻毛出てるぞで済むんだから。女の子だよ。ガールだよ。色々言いづらいことだってあるじゃないかよ、もう……。
でも言わなきゃ。これは俺の使命なんだ。これを言えるのは俺しかいないんだ。別に吉田に言ってもらってもまあいい気はするけど、吉田に直接「彼女、鼻毛出てるよね。気づいてたでしょ。へへへ」なんては言えないからな。そんんな恥ずかしいことを言って実は気づいていなかったとしたら? 地獄じゃないか。俺の立ち位置がこの教室から完全に無くなるじゃん。
「おーい」
はい、何ですか?
「どこ向いてるんだよ。さっさと第二次大戦のことについて学ぼうぜー」
吉田め。お前が気づいているか否かを延々と考えてるのに、どうでもいい第二次大戦のことについてなんで学ばないといけないのかと。勉強するけどさ。仕方ないから。
「吉田くーん。日本が負けた海での戦いってなんだっけ?」
隣の席の女子が吉田に問いかける。そう。これは吉田に問いかけているんだ。紛れもない事実だ。なのに、
「何だったっけ? お前なら知ってるだろ?」
毎回俺に振るんだから。しかも変な質問だな。それってもう大体答えを言ってるようなもんじゃないか。海戦で負けたのなんていくらでもありそうなものだけど。多分これを言ってほしいんだろってのは分かるじゃん。
「多分……ミッドウェー海戦」
「そうそう。ミッドウェー海戦だよ!」
「なるほどねー」
簡単な知識を教えると吉田は自分の手柄にしてしまう。そういうことを自然とやってしまうのが吉田のいいところであり悪いところだ。というよりも。吉田に期待してる女子二人が悪いんだ。完全にテストの点数では吉田より俺の方が上なんだ。じゃあ俺に聞けばいいのに女子二人は俺に対して直接話しかけてくれない。
ここは日本だぜ? 日本のどこにでもある中学二年生の教室だぜ? 最近は留学生も中学校に入学してくるらしいけど、俺は純粋な日本人だぜえ? 吉田という「通訳」を介入しないと話せないような人間じゃないはずなんだけどなあ。
こんな人間だから余計に吉田や彼女の存在が貴重に思えるんだぜええ? 悪態ばかりついてしまう俺だけど、こんな性格が悪くなってるせいなのか、見た目がダメなせいなのかは知らないけど、話してくれる人は貴重だよ。まあ通訳でも会話できるんだから甘んじるしかないか。なんか間違ってる気はするけど。
とりあえずノートに「ミッドウェー海戦」と書いてから彼女をもう一度見る。また目が合ってしまう。なんでだよ。あれ? もしかして? ……俺も鼻毛出てるとか? ミイラ取りがミイラになるって感じか! いやこれは例えが違う気はするが。
そうか。よくあるミステリー小説のどんでん返しだな! 自分が追いかけていたものの正体が自分自身だったみたいな! この例えもなんか違う気がするけど。
ええい。この状況になると鏡が見たくなるな。俺みたいに見た目を全く気にしない男が手鏡なんか持ってるわけもないし、そもそも授業中に手鏡で鼻毛を確認するってどうなんだよっていう。
彼女もそうかもしれないな。授業中はさすがにない。それを教えることは出来ない。実際ある程度離れた席を移動して「鼻毛出てるよ、おほほ」って言ってみろよ。変態じゃないか。俺の立ち位置とかそういう問題じゃないじゃん。完全にいじめの対象じゃないか。
まあ今も似たようなもんだけどさ。
やっぱり誰もいない状況で話すしかないんじゃないか。せめて休み時間か。でも休み時間に話すって彼女は人気者だからな。他のクラスの子と話すレベルなんだから二人きりになる機会なんてそうそう無いよな。周りが色々うるさいだろうし。やっぱりそこで言ったら誰かに聞かれていじめの対象になるだろうし。
じゃあ放課後か。教室に残らせるか。
しかしそれをどうやって伝えるものか。そう簡単に残ってくれるものか?
でも日直だろ。最後は職員室に今日の報告書みたいな奴を持って行くんじゃなかったっけ? 確かそうだ。じゃあその時に。自分の荷物も一緒に持って行かれたら完全にアウトだけど。んーどうしたものか。彼女を食い止めるものが何かあればいいんだけども。正直言葉に出すのは恥ずかしいな。
だが俺の使命は何だ! そうだとも。彼女の為に鼻毛がぴろーんしていることをちゃんと言葉に出すことじゃないか! そうしなければ。その為には多少の自己犠牲は必要だ。……勿論自分を守ることも必要だ。じゃあ彼女が教室から出るタイミングで何か教室に戻らせることを言えばいいか。
忘れ物があったよ、とか? なんだそりゃ。こういうときに臨機応変にアイディアを出すことが出来たらいいんだけどな。そんな人間じゃないから。
「おーい」
はい、何ですか?
「いつまで一人でグループ作ってるつもりなんだー? そろそろ机を戻さないとまずいと思うからなー」
吉田に言われて隣の女子をまっすぐ見つめていることに気づいた。先生は気づいてない。というか気づいた方がいいと思うよ、先生。
俺は慌てて机を戻す。ちらりと見えた訝しげな表情の女子。そして真っ直ぐ黒板を見つめている彼女。なんだよこの差は。
「起立」
やはり教室に響く声が心地いい。
この授業で「ミッドウェー海戦」しか言ってない。グループで授業を受けるのに。なんだか悲しくなってくるな。
休み時間といえども油断は出来ない。そう思っていたが案外事情が違う。次の授業は音楽だからだ。たった十分の休み時間。さっさと音楽室に行かないと間に合わなくなる。
さすがに彼女も誰かと話すことはない。そう思っていたが案外事情が違う。女友達と一緒に音楽室に向かっているからだ。
なるべく近づかず、なるべく離れずの距離で廊下を歩く彼女を見つめている。女の子同士五人で固まっている。俺の隣の席の女子までいる始末。性差とは関係ない何かしらの壁を感じるが今は観察するしかないんだ。何かあったら出来ることはないかと臨戦態勢で挑む。
それをあざ笑うかのように後ろからチャルメラの曲が聞こえる。アルトリコーダーを廊下で吹く吉田。本当お前はリア充なのか? と疑いたくなる。今日はほとんど俺としか話していないし、俺の近くに常にいる。いっそ聞いてみるか。何で俺としか話さないのかって。どうせたいした理由ではないとは思うが。
「そもそも、なんでチャルメラなんだよ」
「いいじゃないか、チャルメラ。面白いぞ」
そんなことはやっぱり俺の口からは言えない。それにしてもなんでそんな曲を知ってるんだか。そんな馬鹿みたいなことを考えていたらピロピロ鳴らしている吉田の周りに群がるように男友達が集まってきた。俺は自然と避けて彼女の観察を続ける。男同士でも何も出来ないってことは、俺にとっては性差はないんだろうな。ため息。はあ。吉田たちは大笑いで音楽室に向かっている。いっそ俺もチャルメラ吹いたら集まってくるだろうか。ピロピロと。犬笛か何かかよ。リア充を集めるチャルメラ。
音楽室に着くといつもならある机と椅子が全く無かった。どういう意味か考えてすぐに理解した。そうか、卒業生を送る会の練習か。とうとう机も椅子も消して本格的な練習をすることになったんだ。いつもなら体育館で合同練習をするのだがテスト前だという無駄な配慮なのかもしれない。音楽室で卒業生を送る合唱曲を歌う練習をするわけだ。
吉田のリコーダーは完全にネタだったんだな。合唱曲しかやらないはずだから。本当リア充を集めるための犬笛だったとは。恐れ入る、吉田。
じゃ、な、く、て!
彼女の、鼻毛、だろ!
全く。何で俺はこういう時に限って集中力が足りないんだろう。勉強するときは別に数時間くらい机に向かい続けても何ともないのに。彼女のことに関してすぐに興味を失ってしまうなんて。使命を持つものとして失格じゃないか!
彼女はやはり号令をする。一番隅に居座っているので目立つことはないだろう。号令で注目を集めることもなさそう。これでいい。これでいいんだ。よろしい。
音楽の先生はまだ新任の若い女性教師だ。男たちにはちょっと年上の綺麗な先生ってことで人気は高いらしい。らしいというのは直接聞いた訳じゃないから。又聞きだよ。どうせ俺に直接話しかけてくる男子は吉田しかいないし。その吉田が興味ないって言うんだからしょうがない。
「テスト前なので合同練習は出来ません。ですが音楽室である程度の練習を今日はしてもらうからね」
予想通り。俺と同じことを言ってる。そりゃそうか。
「じゃあ指揮者と伴奏者は準備して。合唱の精度を上げていきましょう」
その言葉に従い皆の前に出た指揮者は彼女でした。
なんで神様は俺に対して悪戯をし続けるんだろう。何で彼女が指揮者なんだよ。一段高い所から両手を優雅に振っているけどそんなことしたら思い切り注目集めるのは間違いないじゃないか!
俺も吉田も女子も男子も皆、歌い出す。ただ歌うだけならよかった。
「ほらほら、ちゃんと前を向いて! 卒業生に歌声が届かないよ!」
余計なこと言うなよ先生! 前を向くってことは彼女を見ろってことじゃないか! なんで彼女はピアノが弾けなかったんだろう。何で彼女はこんなに積極的な人生を歩んでいるんだろう。誰を恨んでいいか分からないよ。
彼女もすごく真面目に指揮をしている。すごく誠意が伝わってくる。真剣にやっている彼女を見るとこちらも真剣になってしまう。やっぱり彼女は皆を動かす力を持っているんだなと感動してしまう。鼻毛が出ているんだけど。
鼻毛と昔の出来事がなかったら完璧なんだけどなあ! なんで鼻毛はおはようございますしてるのかなあ!
この距離からは鼻毛が見えるか見えないかぎりぎりって感じがするんだよな。というか俺は教室の真ん前にいるからな。男子の一番端に席を陣取ったら真ん真ん中になってしまった。しまったなあ。教室の端に行きたかったのに。でもやっぱり正義感だろうな。鼻毛をどうにかして伝えないとという正義感からだ。たとえ女子が嫌がろうか気にならないさ。
そうなると大丈夫。鼻毛は見えない、かな。
いやここでもしかしたら隠しているだけで視力がアフリカのサバンナの原住民くらいある生徒がいるのかもしれない。確か何キロも先のライオンやチーターが確認できるんだよな、原住民。その視力を駆使してあいつ鼻毛出てやがる、ぷぷぷ! ってなんて思ってる女子や男子がいるのかもしれない。
うわあ。そんな奴いたらもう俺、完全に勝てないよ。分からない。そういう奴がいるかもしれないと思うと目の前にいるのに安心できない。不安でたまらないじゃないか!
怪訝な表情で歌うなんていかんだろ。そう思う。指揮者をちゃんと見よう。やっぱりこちら見てるよ。目があったらお互い逸らしてるし。しまったなあ。音楽室行くことに夢中になりすぎて自分の鼻毛をちゃんと見ることを忘れてた。ちぇっ。
無意識のうちに歌いきっていた。やっぱりどうでもいい曲でもここまで練習したら歌詞を見ずに歌えるようになるんだな。鼻毛のことだけ考えてても歌うことはできた。
その後も先生の指示を聞きながら何度も歌わされた。学年末テストが終わればすぐに卒業生を送る会だからな。そして卒業式も。同じ曲だからわざわざ覚える必要はないんだが、やっぱり練習は必要なんだろう。
練習のたびにこっそりと顔を見る。いつも目が合うということはないが、二回歌うと一回は合う。これは多すぎないか? と思っていたが、なんのことはない。指揮者をちゃんとしているだけだ。皆がちゃんと歌えているかしっかりと見ているだけじゃないか。それで目が合ったら気まずいから逸らすだけ。単純単純。物事ってのはシンプルに考える必要があるんだよ。それだけのことじゃないか。
「みんな、ここまでよく出来ました。これで卒業生を送る会も卒業式もばっちりだと思う。いつものように歌えたら大丈夫だから。緊張しないで歌いきりましょう。それでは号令」
チャイムが鳴った瞬間に先生の言葉が終わった。計算だとしたら見事だ。多分偶然だけど。
音楽室からぞろぞろと出る。男子の塊の中からやっぱりチャルメラが聞こえてくる。まだ犬笛吹いてるのか、あいつは。
彼女は男女交えて話しながら歩いていた。別にべたべたしている訳でもない。だからといってもの凄く離れているわけでもないから常に臨戦態勢を取らないといけない距離だ。何かを言われて皆が笑うたびに彼女が笑われているのではないかと緊張してしまう。でもどうやら何もないようだ。よかったよかった。
次の授業は体育だ。もうこれはどうしようもない。女子は運動場で行い、男子は体育館で行う。どう頑張っても観察は出来ない。正義は無駄になる。観察しに行ったらただの変態。悪へと変わる。なんとも悲しい。
体操服に着替える。吉田はさっさと着替えて別の男子と行ってしまったらしい。嫌だな。毎回グループ分けのたびに緊張するんだから。別に吉田と組めばいいじゃないか思うが彼は人気者、リア充、勝ち組、エリートな訳で皆と仲がいい。だから結局自分と同じような冴えない感じの名前もよく分からない男子と組む訳だ。
でも今日は得した。体育教師が最後の授業だからそれぞれ好きなことをしろ! と大声で吠えた。勿論男子たち大喜び。俺もほっと胸をなで下ろす。皆、倉庫からバスケットボールだのバレーボールだのを持ち出しておのおの好きな集団と好きな遊びをする。それを体育館の隅っこから眺める。なんとも楽しいひとときだ。
「何やってるの?」
「何って分からないか。人間観察」
「ああ、友達がいないやつの言い訳な」
なんで今日はそんなに辛辣なんだよ。
「吉田は何やってるの?」
「人間観察」
「友達いるだろ、お前は」
「まあな。単純にお前に話したいこともあってわざわざバスケ組から抜け出してきたわけだ。ありがたく思え」
はいはい。ありがたやありがたや。
「それで、何だよ話って」
「お前、本当にあの子と仲悪いんだよな」
なんでまたその話を引っ張り出してくるのかな。やっぱりお前も気づいてたのか! 鼻毛について! そうやってわざと逸らしてるつもりで俺に言わせようとしてるのか。上等じゃないか。元から俺だってちゃんと言うつもりだったさ。俺が言わなきゃ誰がやるんだ。俺が進んで言えば彼女の立場は救われるじゃないか。
とは言わない。
「仲が悪かったが正しいな。今は普通のクラスメイトだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ふーん。そっか。ならいいんだ。それじゃあ俺はバスケに戻る。お前もやるか、バスケ」
「人間観察に忙しいからやめておく」
変な奴。俺も変な奴だけど。俺が変なのは多分いつものことだけど、あいつが変なのは珍しいな。喜び勇んでレイアップシュートを決めているあいつにしては珍しいってだけで。
俺は結局観察対象を見つけられないまま人間観察を終えた。
最後の授業は担任の計らいなのかは分からないが自習となった。どうやら理科の授業を受け持つ教師の奥さんがもうすぐ出産するらしくそのまま学校を飛び出していったらしい。まあ理由としてはまだ正当だからいいかもしれないが、いきなりいなくなるというのもなんか面白いな。
結果、テスト勉強が出来たからよかったけど。
最初は彼女に渡された国語をやろうかなと思ったがノートがない。手渡されても自宅じゃないと出来ないからやる意味はないなと思い、教科書とノートが手元にある社会や中止になった理科を中心に真面目に勉強した。吉田は席を離れて喋り込みを決めたらしい。男子とあまり声を上げずに話している。彼女は真剣に勉強している。さすがに真剣に勉強する彼女に話しかけようとする者はいなかった。
一時間もない授業時間で勉強するのは自分にとっては簡単な作業だ。一科目がちょうど終わるくらいの時間。まあ吉田はそう簡単にはいかないだろうけど、本当チャイムが鳴るまで時計を見ずに済んだくらい勉強に集中できた。鼻毛に集中できなかったことに後から悔やむ結果になるけど。
そのまま給食に流れ込む。彼女が配膳係ではないかと焦ったがそこまで神様は悪戯を仕掛けることはしなかった。ただ運ばれてくる給食を普通に受け取るだけ。目立ったことはしていない。その様子を見て安心する。俺も食べなきゃ。
ちらちらと彼女を見ながら給食を食べる。別に誰かが咎めることもしないから観察はいくらでも出来る。友達と仲良く食べてる姿を見ている。多分気づかれないとは思う。食べながら鼻毛を見つけるやつはいないと思うからな。
給食の時間は何事もなくあっけなく終わり、掃除の時間。俺と吉田は教室の掃除。彼女は体育館の掃除。勿論、体育館に行くことは出来ない。ようやく冷静になってきた。どうしようもないことに対して無理して挑もうという心はない。ただ勿論気にするところは気にする。なるべく言われないように。誰かが言わないように。可能ならば見続ける。ぞうきんを絞る振りをして窓の外の体育館を眺める。吉田と一緒に。
「なんでお前がここにいるんだよ」
「体育館の様子が気になってな」
やはりお前もか! お前も知っていたんだな! これもミステリー小説の常套手段だ。一番の味方だと思っていた奴が一番の裏切り者だったなんて。そんなあ! と思ったけどなんでお前が見ているんだよ。
「なんで体育館が気になるんだよ」
「秘密。ひーみーつー」
ぞうきんをぶんぶん振り回す吉田。汚い。そういえば今朝も秘密って言ってたな。何か胸に秘めているな。やっぱりお前もか!
今日の吉田は全く行動が読めない。何をしでかすか分からない空気がある。本当どうしたんだか、こんな時期に。
俺も掃除に戻ろう。体育館をもう一度眺めてからぞうきんを絞りにトイレに向かった。
そんな感じで掃除は終わる。あとは帰りの会のみ。
日直の彼女が最後の挨拶を行う。最後の試練だ。ここで言わなきゃどうなる。俺。頑張れ、俺。頑張るんだ。
「起立、礼」
さようならと大声で叫ぶ吉田。皆もつられて叫んでいる。まあそうだよな。今年度の授業は今日でほとんど終わりみたいなものだからな。
日直の書類を持って一人で職員室へ向かおうとしている彼女が視界に入る。今だ。やるしかないんだ。俺は勇気を持ち、正義の決断をした。
「あの」
話しかける。俺を見て面食らう彼女。そうだろう。俺から話しかけるのはほとんどないからな。教科書を貸してくれと言ったのも彼女からだったし。
「なあに?」
「放課後、時間があったら教室でちょっと話がしたいんだ」
彼女はぽかんと口を開ける。
「いいよ。じゃあちょっと待っててね」
笑顔で返答をし、走り去る。生徒の波を縫うように走る彼女。よく目立っているな。
これでいい。これで全ては終わるはずだ。正義はもうすぐ行われる。もうすぐだ!
教室には誰もいなかった。よくある青春ドラマのようだと思う。テレビの向こうの教室は輝かしいものだ。現実でだってそうなるはずだ。ちゃんと伝える。言いたいことを言う。これが出来るというのは本当に素晴らしい。
ドアがもの凄い音をたてた。彼女が肩で息をしながら現れる。
「ごめんね……ちょっと慌てて来ちゃったから」
教室には彼女と俺だけ。それでいい。その為に選ばれた。最高のシチュエーションだ。
俺は彼女に近づいた。彼女は教室の後ろの何もない空間で言葉を待っているかの如く、緊張した面持ちで立っている。
「話があるんだ」
「……なあに」
笑顔だ。だけど目線があちらこちらに向かっている。あの時とは逆だ。今朝の自分が多分こうだったはずだ。それに決着をつける。
「……今朝から気づいてたんだけど、鼻毛出てるよ」
右の鼻の穴から。そこまでは言わずにおいた。最低限の配慮だ。
えっ、えーっ! と二度叫ぶ。そうだろう。それくらいの衝撃があるはずだ。彼女の鼻毛なんて誰にも知られたくないだろう。俺がそれを伝えるんだ。
「大丈夫。多分誰にも気づかれてないと思う――」
「ちょっと待ってて!」
慌てて通学鞄のリュックサックからポーチを取り出す。中からは可愛らしいキャラクターが描かれた手鏡。確認。そう。右の鼻の穴。うわうわうわ、と言いながらポーチから小さなハサミを出す。後ろにくるんと振り返る彼女はさりげない優しさを俺に見せてくれた。やはり俺みたいなダメ人間に鼻毛を切る様を見せたりはしない。配慮してるな。素晴らしい。
彼女の肩が震え出す。それはそうだろう。このような痛々しい事実と向き合うのは辛いはずだ。だがそれを俺が口に出さないと気づけなかったのだ。感謝をしてほしいとは言わない。でもそれ相応の何かをしてほしいと思う。
私に向き合った彼女は涙を流していた。右頬に一筋。流れ落ちたのだろう。目も赤く腫れている。
「……ありがとう。昔から変わらないね」
「それだけだから。じゃあ俺はこれで」
昔から変わらないという言葉の意味はよく分からないが、俺は紳士的な態度を見せて教室を後にする。
しばらく廊下を歩き、階段の前にたどり着く。ここまで来たら教室から声は聞こえないだろう。俺はガッツポーズをして叫ぶ。よっしゃー、と。
うまくいった。これで彼女の名誉は保たれた。俺の正義が勝ったのだ。もう何も思い残すことはない。大丈夫だ。
「何やってるの」
だーかーらー。なんでこのタイミングで出てくるんだよ、吉田。踊り場から問うのかよ。せめて目の前で話せよ。というかいつもベストだなお前は。逆の意味で。
もう隠す必要もないだろう。
「お前も同じことを思っていただろう。でも俺がちゃんと伝えたから問題ない」
「まさかお前!」
「そうとも。彼女の右の鼻の穴から鼻毛が出ていることをしっかりと彼女に伝えたのだ」
「はーっ?」
はーっ? って。そんな顔するなよ。何だよ。何が違うんだよ。お前だってきっと伝えたかったのだろう。いちいち誤魔化す必要はないんだよ。鼻毛が出ていることをうまく伝えられない。いいんだよ。大丈夫。俺が伝えたから。いいんだよ。
「お前、最低だな」
何が。え?
「彼女にそんなこと言ったのか。それで反応は?」
え。……泣いてたけど。
「お前、馬鹿か! そんなこと言うなんて。これだから女の扱いが分かってないやつは」
「え?」
え?
「え? じゃねーよ! そんなこと言ったら泣くに決まってるだろ!」
え? そうなの?
「え? ……じゃあ吉田、お前は何を言おうと」
「全く、変な障害を作るんじゃねえよ。まあこれで幼なじみじゃないってことは分かったからいいけどさ。俺がせっかくいいシチュエーションで告白しようと思っていたのに」
「え?」
え? 告白するの?
「まあ良い足がかりになったわ。ある意味ありがたかった。サンキュー。俺だったらきっと彼女も落ちてくれるだろうし。じゃあな。頑張るよ、俺」
階段を駆け上り教室へと向かう吉田を見続けた。
……。
俺は馬鹿だ……。
「バーカ! バーカ! うわああああああああああああああああ!」
バーカバーカバーカ!
何が鼻毛だよバーカ! 俺、本当ダメな奴じゃん。完全に噛ませ犬じゃないか。あいつはそもそも告白するつもりで、俺は鼻毛が出ていることを伝えたって。何だよ。これ。本当。全部無駄だったってこと。しかも吉田は告白するんだよ。うまくいくよな、絶対に。うまくいかないはずないもんな。リア充だもんな。俺は日陰者で鼻毛が出てるって言った奴だもんな。何考えてるんだよ俺は。本当。もうね、どうしたら。うわあ。もう……。
俺の頭の中は彼女と吉田と鼻毛だけ。人気のない学校をとぼとぼ歩く。もう俺はどうしたらいいんだろうか。どこに行ったらいいだろう。何かもう。ね。どうしよう。
俺はぼんやりと歩いて気がついたら図書室の中に入っていた。早く帰れと先生からお察しが出ているせいか、勉強している者はほとんどいない。いつも勉強するためにやってくる図書室が全然違った表情を見せている気がする。もう世界は真っ黒だ。図書室も真っ黒。本も真っ黒で、司書教諭も真っ黒け。
席に着くがここでぼけーっとしていたら怒られるかな。怒られてもいいかな。いや、もうこの時点でダメージ大きいのに怒られたくないよ。やだよ。適当に教科書だけでも出そうか。
がさごそ音を出して鞄から適当に出した教科書は皮肉にも今朝彼女から返ってきた国語の教科書だった。
もう神様。悪戯が過ぎますよ。というか全部俺がいけないんだけどね。はっはっは。
文豪の皆さんはこんな悩み、分からないですよね、きっと。教科書に鼻毛が出ている女の子に言おうとする話なんて書いてないんですよね。でもそんな話、万が一書いてあったら答えを出してほしいですよ。一応ですよ。一応書いてあるかもしれないので読みますよ。
夏目漱石。森鴎外。太宰治。
鼻毛なんてどこにもない。
落書き一つされていない教科書に可愛いピンク色の文字。それだけ――それだけ? いや、今の何?
一瞬視界に入ったピンク色の文字を見つけ出した。教科書の最後の課題ページ。明日の試験範囲の太宰治の「走れメロス」の最後のページに書いてある。
「今日の放課後、教室で待っています」
俺の字ではない。明らかに女の子の文字。
そういえば彼女は今朝、言ってたな。しっかり国語の勉強もしてね、と。あれは単純に明日の試験について言ってたんじゃないのではないか。もしかしてこの文章を確認させるために言ったのか。
いや、出来すぎている。いくらなんでも。そんなミステリー小説みたいに伏線張るわけないじゃないか。
……でもさ。これが本当だったら? もし彼女が何か俺に対して言いたいことがあったとしたら?
やっぱり鼻毛出てたことについてかな?
直感だけどそれは違うな。うん。そんなはずはない。だって昨日のうちから鼻毛が出ていたことになるし。違うよ。
彼女は何を言いたかったんだ?
というか。俺は彼女に何を言いたかったんだ?
目に見えるのは彼女の文字とメロスがセリヌンティウスに再会する場面。つまり俺は、メロスってことか? 彼女がセリヌンティウス? 俺は走れってことか? そういうことか?
……多分何も周りは変わってないとは思うよ。元から図書室も本も司書教諭も何も変わらない。でも俺には真っ黒な図書室が段々と色づいていくのが見えた。少なくとも俺だけはそう感じたんだ。
やっぱり俺はメロスにならなくちゃいけない。かの邪知暴虐な吉田を除かねばならぬ。セリヌンティウス彼女に会わなくちゃいけないんだ。
でも何を言おう。でもどうやって言おう。もし彼女に色々また言われてしまったら。吉田と彼女が結ばれていたら。
――いや。もうやめよう。全てやめる。
だって今まであんなに考えてたのに全然違う。思い込みだったじゃないか。今回だって多分考えてもしょうがない。
俺がそう思った瞬間、右手に国語の教科書、左肩に鞄を持って、走り出していた。
教室がある二階まで走る。間に合え。間に合ってくれ!
「廊下は静かに! ちゃんと歩きなさい。早く帰りなさい」
「あ、すいません。忘れ物しちゃって。すぐ帰りますんで」
担任うぜぇ。歩いちゃったよ。歩くメロスとかかっこ悪いよ。担任こっち見てるし。階段もゆっくり登るよ。歩くよ。でもさすがに二階まで来たら走るよ。
もう一度やり直した。俺は二階にたどり着き、急いで教室に向かう。思い切りドアを開けると予想以上の音が鳴り響いてビビる。肩で息をして教室を見渡すと彼女がこちらを見つめていた。
まるで最初から分かってたみたいだな。
「やっと教科書見たんだね」
顔を近づけてくる彼女。左頬にも涙が流れた跡がある。彼女は何故泣いたのだろう。
「さっきは、変な、こと、言って、ごめん、ね」
息が荒くてうまく話せない。でも彼女は何も言わずに一言一言噛みしめるように受け止めてくれる。
「さあここで問題です。今日は大切な日です。さて、今日は何の日でしょうか」
「テスト前日」
はずれーと茶目っ気のある声を出す彼女。
「全く本当に覚えてないなんて。正解は……君の誕生日だよ」
……。そういえばそうか。二月二十日。俺の誕生日か。でもさ。
「なんでそんな日を覚えてるの?」
「だって。一番大切な人の誕生日だからね」
大切な人? 俺が? 何かの間違いだ。だって彼女はきっと――
「吉田から告白されたはずだから俺じゃないだろ。吉田の誕生日とかじゃないのか」
「疑わなくてもいいのに。吉田君の告白は丁重にお断りしました」
そんなはずはない。吉田は彼女にふさわしいじゃないか。それなのになんで。
「なんで? って顔してるね。やっぱり一から全部話さないとダメかな。全く、鼻毛のことを言い出したときはびっくりしたんだから。大体私の鼻毛が出てるなんて言う人はこの学校に君くらいだよ。考えてもみなよ。女の子が鼻毛出てるよって言われて「ありがとう」って答える子がどれだけいるか。多分私だけだよ」
それは……吉田に言われた時に気づいた。鼻毛が出てるなんて言っちゃいけないということを。でも確かに、ありがとうはおかしい。涙を流しながら。
「やっぱり昔と何にも変わらないんだから。私、涙が出ちゃうくらい嬉しかったなあ。昔を思い出しちゃった」
昔って。
「昔って一体何のこと……?」
「それも分からないか。私ね、あなたに保育園に通ってた頃に言われたの。「パンツ見えてるよ」って」
昔から何も変わらないどころか、逆に昔の方がひどくないですか、それ。さすがに今の俺はパンツ見えてるよって言えないよ。
「衝撃的だった。がんがん怒っちゃってね。色々とひどいことしちゃったんだけど、だけどあるときふと気づいたの。パンツ見えてるよって言われたのが親御参観の時で、みんなの目が私に注目される時だったの。舞台で演劇してたからね。そんなときにパンツが見えてたら恥ずかしいって気づいて。自分を犠牲にして言ってくれる人がいたんだって気づいたのが小学校に入学した頃で。何で早く気づかなかったんだろうって」
ごめん。全く覚えてない。なんて言えない。
「じゃあ、いじめてたのは」
「ごめんね……私の判断が間違ってた。女の子にとって一番嫌なことを言われてすごくショックでね。……でも小学生になってからずっとあなたのことを思ってた」
そんな。
色々考えてしまう。多分今までの俺だったら色々不安になったと思う。でも俺は彼女の言葉を信じようと思う。涙を流した彼女の言葉を。
俺はようやく初めて人の言葉を信じられるようになった。まあ彼女のおかげで信じられなくなったけど、彼女のおかげでまた信じられるようになったし。とんとんかな。
「彰くん」
「何?」
「私は彰くんのことが好き。大好きだよ」
じゃあもう一つ。俺が本当に伝えたいことはなんでしょうか。
もう明確に出てる。これを言っても何も嫌なことは起きないはずだ。心配する必要は全く無い。だから彼女の思いにちゃんと応えよう。
「俺も優子のこと好きだ」
彼女の――優子の言葉は何も考えずに受け入れよう。疑わないようにしよう。俺は――彰はそう思ったんだ。