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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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向こうへの切手

作者: ト部泰史

 この世の中はつまらない。そしてその世の中は、つまらない人間で満ち溢れいている。これが俺の二つの確信だった。

 俺は子どもの頃から普通な生活をしてきた。普通な友達と付き合い、普通な学校に通い、普通に就職した。これまで何かに対して心から楽しめたこともなく、ただ感じるのはつまらないということ。

 いまでも日々の生活は俺にとって作業でしかなく、そこには喜怒哀楽もない。周りの人間にはそれなりに愛想よくしているが、本心では何も感じちゃいない。

 俺は周りの人間に迎合し、自己をなびかせ、その場の楽しさに心奪われるような奴らが大っ嫌いだった。あんな奴らは俺から言わせれば自分というものを持っていず、ただ周囲の色と自分の色を合わせていれば満足しているようにしか見えない。

 そうした考えを昔から抱えてきたため、いつの頃からか、ここではない違う世界への憧れというものが次第に大きくなっていった。そういった世界というものがありえないとは思いつつも、普段の日常を省みれば夢想せずにはいられなかった。

 

 そんなある時、会社を定時に終わり、寄り道をしながら帰っていたときのことだ。ふといつもは通らない路地に入ってみると、奥に中学生くらいの少年がいた。少年はこそこそと辺りを気にして、人気のない道へと入っていく。

 俺は何かしら怪しげな雰囲気を感じたので、後をつけてみることにした。別に正義感なんかじゃない。ただ単に何をしているのかが気になっただけだ。

 少年は誰もいない暗い路地に入ると、きょろきょろと人がいないことを確認していた。どうやら路地の角に隠れている俺には気づいていないらしい。少年はポケットから小さな正方形の紙切れのようなものを出すと口へと運んだ。

 そのまま食べるのかと思ったが、少年は紙切れをそのまま口に入れるのではなく、表面を舐めてそれを左手の手の甲に貼り付けた。その時ふいに少年がこちらを向いたので、急いで体を隠した。


 一体何をやっているのだろう? 俺はさらに興味が湧き、ふたたび様子を見てみる。少年は紙切れが入っていたのとは反対のポケットから、何か短い棒のようなものをとりだした。それを左手の手の甲にぽんと押す。

 すると左手を中心に少年の体がぼやけ始めた。俺自身の目がぼやけたのかと思ったが周りの風景はそのままで、少年だけがピントがボケたようになっている。俺は驚きで目を離すことが出来なかった。このときに感じていたのは、今までに感じたことのない興奮だった。

 

 それから少年の体は一分もしないうちにどんどんとぼやけ、ついには見えなくなった。消えた。跡形もなく。

 俺はただただ立ち尽くし、少年が消えた辺りを見つめていた。動悸は激しくなり、体中が震えている。今見た光景に感動を覚えているのだ。あれこそが俺の追い求めてものなんじゃないだろうか。ああ。なんとかしてあの少年を探し出そう。そして今の光景が何だったのかを聞き出そう。

 「おじさんなにしてんの?」

 急に後ろから声がしたので飛び上がってしまった。後ろを振り向くと、さっき消えた少年が立っていた。いきなりのことで声も出なかった。つけていた事がバレていたのだろうか?

 俺はなんとかごまかそうと口を開きかけたが、少年はポケットをごそごそと探ると、切手を一枚とハンコ取り出した。さっきの紙切れと棒は、この切手とハンコだったようだ。

 「これのことが知りたいんじゃないの?」

 「……教えてくれるのか?」

 「いいけど、その代わりにしてもらいたいことがあるんだ」

 少年はにっこりと笑った。俺は少年の無邪気な顔に逆に恐怖を覚えた。いったい何をさせられるのだろうか?

 

 「お待たせしました。ビッグアメリカンパフェでございます」

 カフェの店員が少年の前に大きなパフェを置いて、他の客の所へと向かった。

 「わー。これずっと前から食べたかったんだ! ありがとう!」

 「ああ、いや、どういたしまして」

 少年の頼みというのは甘いものを奢って欲しいというものだった。拍子抜けしたが、こんなことであの不思議な光景のことを教えてくれるとは、やはり子どもといったところか。

 そんな俺の考えもよそに少年はパフェをおいしそうに食べている。そのあどけない様子からは、とてもさきほどの光景を見せたとは思えない。

 「それで、さっきのことなんだが」

 「ごめん。食べ終わるまで待ってて」

 有無を言わさぬ少年の言い方に、俺は待つほかなかった。見ず知らずの子供がパフェを食べているところを、黙ってみているという奇妙な状況に、時間の流れが遅く感じる。


 ようやく少年が食べ終わると、ポケットからさきほどの切手を取り出した。切手はなんの変哲もないデザインで、どこかの草原が描かれた絵に『80』と数字が書かれている。八十円ということなんだろうか? 見たところ普通の切手にしか見えない。

 「この切手はね、『向こう』へと行ける切手なんだ」

 「『向こう』? 『向こう』ってどこだ?」

 「ここじゃない別の世界って言えばいいかな。僕にも詳しいことは知らないんだけどさ」

 「別世界ってことか」

 「まあそうだね」

 別世界。その言葉に胸が躍った。

 「なあ。教えてくれ。その『向こう』とやらには何があるんだ?」

 「悪いけど、それは教えられないんだよ。そういう決まりがあってさ」

 「じゃあなんで俺にその切手のことを教えてくれた? これじゃ生殺しだ」

 「おじさんに向こうへ送られるとこ見られちゃったしね。変に調べられたりするよりかは、いっそ教えちゃったほうがいいかなって」

 やはり俺が見ていたことは分かっていたようだ。だがそんなことは今はどうでもいい。

 「そんな理由でか。あと俺はおじさんじゃない」

 「それと、おじさんなら奢ってくれると思ったしね」

 「おじさんじゃないというのに」


 どうする。目の前にいままで夢見てきたものが置かれている。少年の言うと通りであればこれを使えば別世界に行くことができる。なんとかしてこの切手を手に入れなければいけない。

 「その切手、俺にも分けてくれないか」

 「別にいいよ」

 少年はあっさりと答える。てっきり断ると思っていたため拍子抜けした。

 「え? いいのか?」

 「うん。切手だけじゃ意味ないからね」

 さっきの少年が消えたときの事を思い出してみた。切手を貼り付けた後に、何かをやっていた。

 「もしかしてあのハンコが必要なのか」

 「ご名答。勘がいいね、おじさん」

 「だからおじさんじゃあ……まあいいやもう。それで、その切手を体に貼ってハンコを押せばいいわけか」

 「そうだね。自分を郵便物に見立てると分かりやすいかな。切手を貼って、消印を押して、『向こう』へと送られる」

 「じゃあ、そのハンコを貸してくれないか」

 「それはだめなんだ」

 「頼む。俺はいままで別世界ってものに憧れてきたんだ。ここじゃない別の世界に行けるんならどうなったっていいんだ。だから貸してくれ」

 「ふーん。そこまで言うんだったら、触らすくらいならいいよ。そのかわり絶対使わないでよ」


 少年から手渡されたハンコは一見普通のハンコとなんら変わりない。だが大きく違うところがひとつあった。本来なら字が彫られているところが何もなく、まっ平らになっていたことだ。これでハンコとして使えるのだろうか?

 そこで、ふと少年をみるともじもじと体を動かしている。

 「ちょっとトイレに行ってくるよ。パフェ食べ過ぎたみたい」

 「え? ああ。いってらっしゃい」

 少年はそそくさと喫茶店内のトイレへと駆け込んでいった。

 この切手とハンコがあれば、憧れの世界へと行くことができる。どう言って少年を説得しよう。あの様子だと戻ってくるまで時間がかかるだろうから、それまでになんと言うか考えておこう。――ん?


 そこで、ふと頭によからぬ考えが湧いた。手元には切手とハンコ。目の前には少年の姿はない。俺はその考えを振り払おうとしたが、あっという間に頭が満たされてしまった。

 そこからの俺の行動は早かった。切手とハンコを鞄につっこみ、会計を済ませ、急いで店を出て、そこから全速力で走った。

そして一息つき、後ろを振り返ったが当然ながら付いてきている様子はない。全身をどくどくと血が駆け巡っていたが、なんとか落ち着かせる。大丈夫だ。所詮子どもだ。

 人気のない道に入り、切手とハンコを取り出す。周りに人がいないことを確かめると、さっそく切手を舐め、手の甲に貼り付けた。

 あとはこのハンコを押せば、いままで夢見ていた世界へと行ける。俺は溢れる期待を胸にゆっくりとハンコを押した。



 人気のない道を少年が歩く。

 「つまんない人。予想通りの行動しかしないんだから」

 少年は落ちていたハンコを拾い上げ、ポケットにしまいこんだ。

 「バカだなー。大人一人がこの金額の切手で足りるわけないのに」

 てくてくと男のもとへと近づいていく。

「見られたときはどうしようかと思ったけど、これでなんとかなったかな」

歩くたびにぴちゃぴちゃと音が響く。

「かわいそうなことしたかな? でもある意味望み通りか」

 少年は子ども一人分体が引きちぎれた男を見下ろし、にっこりと笑った。

「パフェ、ごちそうさまでした」

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