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第7話:分析過剰の予約ミスと、焼肉のブルドーザー

近藤こんどうめぐみによる強引な「合コン・リハビリ」から数日後。

 長谷川康太はせがわ こうたは、オフィスの自席で頭を抱え、文字通り顔面を土気色に染めていた。パソコンのモニターには、飲食店の予約サイトが虚しく表示されている。

(……終わった。俺のサラリーマン人生、完全に終わった)

 事の発端は、今日の夜に予定されている「超・重要取引先」との接待ディナーだった。

 相手は、業界でも気難しいことで有名な老舗メーカーのワンマン社長。その接待の幹事および店選びを、なんと課長から直々に康太が任されていたのだ。

『長谷川、お前最近ちょっと顔つきがシャキッとしてきたからな。この重要な接待、お前に任せるぞ。社長の好みをしっかりリサーチして、完璧な店を押さえておけよ』

 課長からの期待の言葉。普段なら張り切るところだが、康太の「自意識過剰」と「無駄に考えすぎる思考回路」は、ここでも最悪の方向にフル回転してしまった。

(気難しいワンマン社長……。フレンチのフルコース? いや、気取っていると思われて嫌われるかもしれない。じゃあ、老舗の高級割烹? いやいや、堅苦しすぎて話が弾まないリスクがある。そもそも相手の胃袋のキャパシティは? お酒の好みは日本酒か、それともワインか? どっちが正しい判断なのか、社長の思考が読めない……!)

 相手にどう思われるか、嫌われないか。

 元カノの莉奈りなの機嫌を窺っていた時と全く同じ「女々しい分析モード」に陥った康太は、A店、B店、C店と候補を絞りきれず、何日も予約を先延ばしにしてしまっていた。

 そして本日、接待当日の午後二時。

「よし、やっぱり一番無難な個室の高級すき焼き店にしよう!」とようやく決断し、電話をかけた結果がこれである。

『申し訳ございません。本日は大安の金曜日ということもあり、数日前から満席を頂戴しておりまして……』

 慌てて第2候補、第3候補に電話をかけるも、全滅。

 金曜の夜のビジネス街で、当日いきなりVIP対応の個室を押さえるなど、物理的に不可能だった。

「……どうしよう。どうして俺はいつもこうなんだ。無駄に考えすぎて、一番大事な決断のタイミングを逃す……」

 康太は両手で顔を覆い、デスクに突っ伏した。

 課長に「店、取れませんでした」なんて言ったら、確実に激怒される。出世コースからは外れ、窓際族へと追いやられるだろう。頭の中ではすでに、段ボール箱を抱えて会社を去る自分の姿が鮮明に再生されていた。

「ちょっと長谷川! アンタ何やってんのよ! 課長が探してたわよ!」

 バシィィィンッ!!

 康太の背中に、見慣れた、いや「食らい慣れた」凄まじい衝撃が走った。

「痛あああっ!! だから叩くなって言ってんだろ!!」

 跳ね起きて振り返ると、そこにはショッキングピンクのカーディガンを羽織り、ド派手な花柄のスカートを履いためぐみが仁王立ちしていた。

「アンタのその背中が『叩いてください』って言ってんのよ! で? 何をこの世の終わりみたいな顔してんのよ。また莉奈ちゃんのSNSでも見て、新しい彼氏と自分を比較して落ち込んでたわけ?」

「違うよ! 今日はマジで笑い事じゃないんだよ……俺、クビになるかもしれない……」

 康太は涙目で、めぐみに事の顛末を白状した。

 過剰に相手の好みを分析しすぎて予約を取り損ねたこと。今夜の接待の店が、どこも全く確保できていないこと。

 それを聞いためぐみは、呆れ果てたように特大の溜め息をついた。

「……アンタねぇ。ほんっっっとに、学習能力ゼロね!!」

「うっ……」

「恋愛でも仕事でも、相手の顔色ばっかり窺って、頭の中で勝手にシミュレーションして自滅する! それが一番の悪癖だって、こないだの合コンの時に言ったばっかりでしょ!! 嫌われるかもってビクビクして判断を遅らせるくらいなら、最初から『俺はここが美味いと思うんで、ぜひ食べてください!』って堂々とエスコートすればいいのよ!!」

「そ、そんなこと言ったって、もう手遅れだよ……。今からじゃ、チェーン店の居酒屋くらいしか空いてない……」

 康太が絶望のどん底でうめいていると、めぐみは「チッ」と舌打ちをし、自分のスマートフォンを取り出した。

「貸しなさい。接待の時間は十八時半ね? 六人? わかったわ」

「え? お前、何する気……」

「いいから黙ってなさい!!」

 めぐみはスマホを耳に当て、どこかへ電話をかけ始めた。

『あ、大将? 私私、めぐみ! うん、元気元気ー! っていうかさ、今日の夜なんだけど……奥のVIP個室、空いてない? うん、わかってる、急だってことは。でもそこをなんとか! え、無理? ふーん……じゃあ、この前私が更新したあの店の『特大ギガ盛りチャレンジメニューの最短完食記録』、明日テレビ局の取材が来るらしいけど、私出ないでおこうかなー?』

 康太は耳を疑った。

 こいつ、今、飲食店の大将を脅迫しているのか? しかも「ギガ盛りチャレンジメニューの最短完食記録」って何だ。

『あ、いける? さすが大将、話が分かるわー! うん、六名ね! お肉、最高のやつ見繕っといて! じゃあ後で!』

 ピッ、と通話を切っためぐみは、ドヤ顔で康太を見下ろした。

「はい、解決。ここからタクシーで十分のところにある、超高級・隠れ家焼肉店の個室、押さえてやったわよ」

「マ、マジで……!? お前、あの店どういうコネだよ!」

「あそこの大将、私が大学時代から通い詰めて、店の裏メニューの『牛一頭食い尽くしコース』を一人で平らげた時から、私を師匠って呼んでんのよ。私の頼みなら断れないわ」

 どんなコネクションだ。

 康太は呆然としながらも、地獄から仏(いや、見た目は完全に仁王像だが)が現れたことに、思わず手を合わせて拝みそうになった。

「めぐみ……お前、マジで命の恩人だ。ありがとう……!」

「感謝するのはまだ早いわよ。アンタのそのビクビクした態度じゃ、高級焼肉店に行っても社長の機嫌を損ねるに決まってるわ。……仕方ないわね」

 めぐみは腕をまくり上げ、ニヤリと笑った。

「私も『接待のサポート役』として、特別に同行してあげるわ!」

「はあ!?」

 ***

 午後六時半。

 タクシーで乗り付けた超高級焼肉店。黒塗りの壁に囲まれたシックな完全個室で、康太は滝のような冷や汗を流していた。

 目の前の上座にドッカリと座っているのは、取引先のワンマン社長・大豪寺だいごうじだ。白髪交じりのオールバックに、鋭い眼光。見るからに気難しく、機嫌を損ねれば一瞬で契約を切られそうな威圧感を放っている。

 その隣には、康太の直属の課長が、愛想笑いを浮かべながら座っている。

「……ほう。焼肉かね。ワシはてっきり、静かな料亭でも用意しているのかと思っていたが」

 大豪寺社長が、低くドスの効いた声で言った。

 康太の心臓が、ヒュッと縮み上がった。

(ほら見ろ! やっぱり焼肉なんて、ご年配の社長にはカジュアルすぎたんだ! 終わった……!)

「も、申し訳ございません! もしお口に合わなければ、すぐに別の……」

 康太がパニックになりかけて立ち上がろうとした、その時だった。

「社長!! 何をおっしゃいますか!!」

 康太の隣に座っていためぐみが、突然、メガジョッキのビールをドンッ! とテーブルに置いて大声を上げた。

「ここの肉はね、その辺の気取った料亭のふにゃふにゃした肉とはレベルが違うんですよ! 四の五の言わずに、まずはこの『極上厚切り特上タン塩』を食ってみてくださいよ!!」

 めぐみは、大皿に盛られた分厚いタン塩をトングで鷲掴みにし、網の上に豪快に叩きつけた。ジュワァァァッ!! と、食欲をそそるすさまじい音と煙が個室に立ち込める。

「お、おい! 近藤! お前、社長に向かってなんて口の利き方を……!」

 課長が真っ青になってめぐみを制止しようとしたが、大豪寺社長はピクリと眉を動かしただけで、黙ってめぐみの動きを見ていた。

「はい、焼けました! レモンなんかつけなくていいです! 塩とニンニクの特製ダレが一番美味いんですから! ほら、熱いうちにガツンといってください!!」

 めぐみは、焼きたての分厚い肉を社長の取り皿にドンッ! と乗せた。

 社長は、しばらく肉と、めぐみの顔を交互に見つめていたが、やがて無言で箸を取り、その肉を口に運んだ。

 ……沈黙が、個室を支配する。

 康太は息をするのも忘れ、最悪の事態(社長が激怒して帰る)を覚悟して目をギュッと瞑った。

「…………美味いな」

 大豪寺社長の口から、ポツリと低い声が漏れた。

「表面はカリッと焼けておるのに、中は驚くほど柔らかい。……ニンニクのパンチも絶妙だ」

「でしょーーーッ!!?」

 めぐみが、ドカーンとテーブルを叩いて立ち上がった。

「そうなんですよ社長! 気取った店でチマチマ食うより、美味い肉はこうやって豪快に食うのが一番なんですよ! すいませーん!! 特上カルビとハラミ、あとホルモン全種類、五人前ずつ持ってきて!! あと大盛りライス三つ!!」

 そこからの接待は、もはや「めぐみの独壇場」だった。

 気難しいはずの大豪寺社長は、めぐみの圧倒的な食欲と、肉に対する異様なまでの情熱、そして裏表の一切ないガサツだが痛快なトークに、完全にペースを巻き込まれていた。

「ガハハハ! 社長、その歳でカルビ五枚ペロリなんて、胃袋若いですねぇ! よし、次は私が一番おすすめする『壺漬けドラゴンハラミ』いきましょう!!」

「おおっ、いいぞ近藤君! ワシもまだまだ若い者には負けん! おい長谷川君、君ももっと食わんか! そんな細い体で、良い仕事ができるか!」

「は、はいぃぃっ!」

 康太は、完全に社長とめぐみの「肉の宴」の蚊帳の外だった。

 ただひたすらに肉を焼き、めぐみと社長の空いたグラスにビールを注ぎ続ける係と化していた。

(なんなんだよ、これ……)

 康太は、トングをカチカチと鳴らしながら、目の前で大ジョッキを煽り、カルビをご飯にバウンドさせて貪り食うめぐみの姿を呆然と見つめていた。

 オシャレさゼロ。上品さゼロ。デリカシー、当然ゼロ。

 ただの「食欲の権化」のようなブルドーザー女だ。

 だが、そのブルドーザーは、康太が何日も悩んで、嫌われるのを恐れてウジウジしていた「高い壁(社長)」を、一瞬にして笑顔に変え、強引に更地にしてしまったのだ。

「ぷっはぁぁぁーっ!! 食った食った!!」

 二時間後。

 テーブルの上には、何十枚もの空の肉皿と、空のジョッキがタワーのように積まれていた。

「いやぁ、今日は本当に楽しかった。近藤君のような豪快で気持ちのいい社員がいるとはな。長谷川君、君も良い店を選んでくれた。今回の新規プロジェクト、君たちの会社に前向きに検討させてもらおう!」

 大豪寺社長は、満面の笑みで上機嫌に帰っていった。接待は、大成功を収めたのだ。

 ***

 社長と課長をタクシーで見送った後。

 康太と、膨れ上がったお腹をさすっているめぐみは、夜風に吹かれながら駅へと向かって歩いていた。

「……なぁ、めぐみ」

「んー? なによ。あー、まだシメの冷麺食えたなー」

「お前、マジですごいわ。俺が何日も悩んで空回りしてたこと、一瞬で解決しやがって。……本当に、助かった。ありがとう」

 康太が素直に頭を下げると、めぐみは「ふん」と鼻を鳴らした。

「当たり前でしょ。アンタの『無駄に考えすぎる思考』が、すべての関係をこじらせてんのよ。いい? 嫌われたくないってビクビクしてる人間は、相手にも伝わるの。ドーンと胸張って、ありのままをぶつけた方が、よっぽど好かれるわよ」

「……ああ。そうだな。痛感したよ」

 康太は、心から反省して頷いた。

 やっぱりこいつには敵わない。俺の弱点も、女々しさも、すべてお見通しだ。

「わかったら、今回の接待の恩返し、キッチリ払ってもらうわよ」

「え?」

「私の働き、時給換算したら安くないわよ。とりあえず、向こう一ヶ月の土日のランチ、全部アンタの奢りだからね! 明日は駅前の食べ放題バイキングよ!」

「はあ!? 一ヶ月!? お前の食欲で一ヶ月奢ったら、俺のボーナス飛ぶぞ!!」

「文句言わない! 命の恩人に向かって女々しいこと言ってんじゃないわよ! ガハハハハ!!」

 夜の街に、めぐみの豪快な笑い声が響き渡る。

 康太は、財布の心配で青ざめながらも、隣を歩くこの巨大な悪友を見て、深い深いため息をついた。

(本当に、こいつは妖怪だ。絶対に恋愛対象になんてならない、ただの食欲モンスターだ)

 面食いの康太の心に、めぐみに対する恋愛感情など、依然として一ミリも存在していない。

 ただ、「こいつがいれば、俺はもう空回りせずに済むかもしれない」という、強烈な信頼感だけが、男同士の友情のように芽生え始めていたのだった。

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