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第5話:暴かれる黒歴史と、ミント味の悲劇

めぐみによる強制的な「外見改造計画」から数日後。

 長谷川康太はせがわ こうたが新しい服――体にジャストフィットしたネイビーのシャツとチノパン――を着て出社すると、オフィスの反応は思いのほか良好だった。

「あれ、長谷川くん。今日なんか雰囲気違うね。爽やかじゃん」

 給湯室で会った先輩の女性社員にそう声をかけられ、康太の調子に乗りやすい心は一瞬にして有頂天になった。

(マジか。俺、今の格好イケてるのか……!?)

 康太はトイレの鏡の前で、自分の前髪をいじりながらニヤニヤと笑った。

 これならいけるかもしれない。この新しく生まれ変わった爽やかな俺の姿をSNSにアップすれば、莉奈りなも「あれ、康太かっこよくなってる」と見直して、あのチェック柄のダサい新彼氏を捨てて戻ってくるのでは……。

「キィィィーッモイ!!!」

 背後から、鼓膜が破れるかと思うほどの爆声が響いた。

「うわぁっ!?」

 康太が飛び上がって振り返ると、男子トイレの入り口のギリギリ外側に、腕組みをした近藤こんどうめぐみが仁王立ちしていた。本日はショッキングピンクのブラウスにヒョウ柄のスカートという、目がチカチカする猛獣スタイルだ。

「ちょっと褒められたくらいで、すぐに元カノとの復縁妄想に走る! その女々しい思考回路が顔面からダダ漏れなのよ! 服が爽やかになっても、中身がネットリしてたら意味ないでしょ!」

「お前、なんで人の考えてることが分かるんだよ! ていうか男子トイレ覗くな!」

「アンタの浅い脳みそなんて、スライムより透明だっつーの! ほら、定時よ! 今日は駅前の居酒屋で、アンタのその腐った自意識を解体してやるからね!」

 康太のささやかな自信は開始三分で粉砕され、彼はそのままめぐみに首根っこを掴まれて夜の繁華街へと連行された。

 ***

「すいませーーん!! とりあえず生メガジョッキ二つと、ポテトフライ山盛り! あと、もつ煮込み、豚平焼き、唐揚げ大、だし巻き卵、串カツの盛り合わせを二つ!!」

 駅前の大衆居酒屋。

 めぐみは席に着くなり、メニューも見ずに怒涛の勢いで注文をまくし立てた。

 ドカッ、とテーブルに運ばれてきた1リットルサイズのメガジョッキを片手で軽々と持ち上げると、めぐみは「カンパーイ!!」と叫んで、ジョッキの半分を一気に飲み干した。

「ぷっはぁぁーっ!! 今日もビールが美味い!! ほら長谷川、アンタも飲みなさいよ!」

「俺、メガジョッキなんて頼んでないんだけど……」

 康太は両手でプルプルと巨大なジョッキを持ち上げながら、恨めしそうにめぐみを睨んだ。

「だいたいお前な、さっきの『自意識を解体する』ってどういう意味だよ。俺はただ、少し自信がついただけだろ」

「はっ、自信? アンタのそれは自信じゃなくて、見栄っぱりなだけよ。だいたいアンタ、大学時代からずーっと、女の子の前で背伸びしてカッコつけては自爆して、勝手に落ち込んでるじゃないの」

 めぐみは、運ばれてきた唐揚げに大量のマヨネーズを親の仇のようにぶっかけながら、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。

「覚えてる? 大学一年の新歓コンパ。アンタが、一個上の超可愛い美穂先輩の前で、無駄に大人ぶってやらかしたあの事件を」

 ビクッ!!

 康太の背筋に、冷たい汗がツーッと流れた。

「や、やめろ……! その話は今関係ないだろ!」

「関係大アリよ! あの時アンタ、お酒の知識なんて微塵もないくせに、美穂先輩が『私、オシャレなカクテル好きなんだよね』って言った瞬間に、知ったかぶってバーテンダーに『とりあえず、モヒートで』ってドヤ顔で頼んだのよねぇ!」

 めぐみの声はデカい。周囲のサラリーマンたちがチラチラとこちらを見ているが、めぐみは全くお構いなしだった。

「だ、だから声がデカいってば!」

「しかもアンタ、歯磨き粉みたいなミントの味が死ぬほど嫌いなくせに! 美穂先輩の手前、カッコつけて涼しい顔で『これ、スッキリしてて美味いっすね』とか言って一気飲みした結果! 五分後に顔面真っ青になって、トイレの便器と熱いくちづけを交わしてたじゃない!!」

「うわああああっ! 言うな!!」

 康太は両手で顔を覆い、テーブルに突っ伏した。

 思い出すだけでも死にたくなる黒歴史だ。あの時、トイレの鏡で見た自分の青白い無様な顔を、康太は一生忘れないだろう。当然、美穂先輩からは完全にドン引きされ、恋は始まる前に終わった。

「ギャハハハハ!! あの時のアンタの顔、マジで傑作だったわー!!」

 めぐみは腹を抱えて大爆笑し、その勢いのまま串カツを二本同時に口に放り込んだ。ボリボリと凄まじい音を立てて咀嚼する姿は、ロマンチックの『ロ』の字もない、ただの豪快な捕食者である。

(こいつ……悪魔だ。マジでデリカシー皆無のモンスターだ……)

 康太は、涙目でメガジョッキのビールを喉に流し込んだ。面食いの俺が、なんでこんなガサツでうるさい女とサシ飲みして、過去の傷口に塩を塗り込まれなきゃならないんだ。

「笑い事じゃないだろ! あの時は若かったんだよ! 誰だって好きな子の前じゃカッコつけたいもんだろ!」

「カッコつけるベクトルがズレてんのよ! 自分を偽ってまで好かれようとするから、ボロが出た時にダメージがデカいんでしょ! 莉奈ちゃんとの時だって同じじゃない!」

「うっ……」

「それにアンタの女々しさといったら、モヒート事件だけじゃないわよ」

 めぐみは、豚平焼きを箸で豪快に切り分けながら、さらなる追撃の構えを見せた。

「大学二年の冬! アンタが、他大のイケメンにフラれたって泣いてるサークルの後輩の女の子を慰めようとして、完全に『俺が守ってやるよモード』に入ってた時のことよ!」

「ストップ! ストップ!! マジでそれ以上は……!」

 康太の制止を完全に無視し、めぐみはメガジョッキをバンッ! とテーブルに叩きつけた。

「あの時アンタ、『あいつのどこが良かったの? 俺じゃダメかな』なんて、ドラマの主人公気取りで告白したのよねぇ! そしたらその子に、『長谷川先輩は、いいお兄ちゃんって感じです。それに私、まだ彼のこと忘れられなくて……』って、見事に玉砕!」

「ああああああ!!」

「しかもタチが悪いのがその後よ! アンタ、フラれたくせに諦めきれなくて、その子がよく行くカフェの窓際の席に毎日入り浸って、通り過ぎるのをジーッと待ってたじゃない! 完全に未練タラタラのストーカー一歩手前だったわよ!!」

 店内に、めぐみの「ギャハハハハ!!」という豪快な笑い声が再び響き渡った。

 隣の席のサラリーマン三人組が、康太を見てプッと吹き出すのが見えた。

 康太のライフはもうゼロである。

「お前……ほんとに性格悪いな。人が一番触れられたくない恥ずかしい過去を、大声で笑い話にしやがって……」

 康太はテーブルに額を擦り付けるようにして、本気で泣きそうになっていた。

「バカね。笑い話にできるから言ってるんじゃない」

 めぐみは、だし巻き卵をパクリと食べながら、カラカラと笑った。

「アンタは昔から、どうでもいいプライドとか、変な見栄ばっかり気にしてるのよ。で、フラれるとこの世の終わりみたいにウジウジ引きずる。あのモヒートの時も、ストーカー一歩手前の時も、そして今回の莉奈ちゃんの時も、本質はぜーーーんぶ一緒!!」

 めぐみは割り箸の先を、康太の鼻先にビシッと突きつけた。

「いい!? カッコ悪い過去なんて、誰にだってあるの! それを一人でコソコソ隠して、SNS見て落ち込んでるのが一番女々しいのよ! こうやって大声で笑い飛ばして、酒のツマミにして消化しちゃいなさい!!」

「消化できるか! 今、現在進行形で恥ずかしさで死にそうなんだよ!」

「ガハハ! 死ぬ死ぬ詐欺はもう聞き飽きたわよ! ほら、飲んで! 食って! 明日は休肝日だから、今日はとことん付き合ってやるわよ!! すいませーーん!! 焼き鳥の盛り合わせ、今度は塩で二十本追加!!」

 めぐみの食欲と酒量は、底を知らなかった。

 目の前で、ジョッキのビールをゴクゴクと飲み干し、口の周りにマヨネーズをつけて大笑いしているこの女。

 康太は、ため息をつきながら自分のビールを飲んだ。

(絶対にない。この女を女として見ることなんて、天地がひっくり返っても絶対にない)

 康太は心の中で、改めて固く誓った。

 こいつは、俺の弱みも恥もすべて知っている、ただの天敵だ。いや、妖怪・黒歴史暴露ババアだ。

 可愛いとか、ドキッとするとか、そんな感情が入り込む隙間なんて一ミリも存在しない。ただひたすらにうるさくて、ガサツで、でも……不思議と、莉奈への執着を忘れさせてくれるほどの、強烈な台風のような存在。

「おい長谷川! アンタのジョッキ空よ! 次は何飲む!? またモヒートでも頼むか!? ギャハハハ!!」

「絶対に頼まねえよ! 普通にレモンサワーでいい!!」

 康太はヤケクソになって叫び、運ばれてきた焼き鳥を串から外さずにそのままかじりついた。

 フラれた未練。カッコつけて失敗した過去。

 それらを容赦なく暴き出し、大声で笑い飛ばすめぐみの前では、ちっぽけなプライドなど何の役にも立たなかった。

 二人の間に「恋愛感情」などという甘っちょろいものが入り込む余地は、今のところ皆無である。ただひたすらに、女々しい男と豪快な女の、果てしないドタバタな宴が夜更けまで続くのだった。

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