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第1話:未練タラタラの男と、唐揚げの女神

「……嘘だろ、莉奈りな。俺のどこがダメだったんだよ!」

 休日の午後、駅前のオシャレなオープンカフェ。

 長谷川康太はせがわ こうた、二十六歳。中堅の専門商社に勤めるごく普通のサラリーマンである彼は今、周囲の目も憚らずにテーブルに身を乗り出し、必死の形相で向かいの席に座る女性にすがりついていた。

「声が大きいってば、康太。……もう決めたことなの。私、他に好きな人ができたから」

 康太が一年間付き合ってきた彼女、莉奈は、冷めたコーヒーを見つめたまま、氷のように冷たい声で言い放った。

 ゆるふわの巻き髪に、華奢なスタイル。康太は自他共に認める「面食い」であり、合コンで一番可愛かった莉奈を必死に口説き落として付き合ったのだ。自慢の彼女だった。このまま二年、三年と付き合って、いつかはプロポーズを……と、勝手に未来を描いていた矢先の、突然の死刑宣告だった。

「好きな人って、誰だよ! そいつのどこが俺よりいいんだよ!? 俺のこと、あんなに好きだって言ってたじゃないか!」

「そういうところが疲れるのよ。すぐウジウジするし、決断力ないし……ごめんね、もう別れて」

「待ってくれよ! 俺、悪いところは全部直すから! 捨てないでくれよぉ……っ!」

 康太は、立ち上がって去ろうとする莉奈のトレンチコートの裾をガシッと掴み、文字通り半泣きで引き留めようとした。

 周囲の客たちが、哀れみとドン引きが混ざったような目でこちらを見ている。だが、パニックに陥った康太に世間体を気にする余裕などなかった。

「……っ、やめてよ、みっともない!」

 莉奈は、汚い虫でも振り払うかのように康太の手をバシッと叩き落とし、そのまま足早にカフェから逃げ去ってしまった。

 残された康太は、差し出した右手を宙に浮かせたまま、大勢の客の視線を一身に浴びて立ち尽くしていた。

 カッコ悪い。あまりにもカッコ悪い。

 男としてのプライドも尊厳もすべてへし折られた、人生最悪のフラれ方だった。

 ***

 それから、三週間後。

 康太は、職場のデスクのパソコンモニターを虚ろな目で見つめながら、今日で何百回目か分からない特大のため息を吐き出した。

「はぁぁぁぁぁ…………」

 失恋の傷は、癒えるどころか日を追うごとにジュクジュクと化膿していた。

 休日になれば、人がごった返す繁華街を一人で歩きながら「ああ、あの中で彼女と手を繋いで歩きたいな」と叶わぬ妄想に浸り、夜になれば「俺の何がいけなかったんだ」「あいつの気まぐれで戻ってきてくれないかな」と、終わった関係を一人で延々と分析しては枕を濡らしている。

 要するに、未練タラタラなのだ。

「ちょっと長谷川! アンタのその陰気なオーラ、フロア全体の風水が悪くなるからやめてくれない!?」

 背中を、バァァァンッ!! と凄まじい力で叩かれた。

「痛っ!! ゲホッ、ゴホッ……! な、何すんだよ、めぐみ……」

 康太が涙目で振り返ると、そこには、仁王立ちでこちらを見下ろす大柄な女性の姿があった。

 近藤こんどうめぐみ、二十六歳。

 康太とは大学時代からの友人で、ゼミも同じ、新卒で入ったこの会社も同じという、腐れ縁の同期である。

 めぐみの容姿を一言で表すなら、お笑い芸人の「渡辺直美」に瓜二つだった。

 ボリューミーでダイナミックな体型。原色を使った派手でポップなファッションを堂々と着こなし、メイクもバッチリ決めている。声がデカく、よく笑い、よく食べる。会社の飲み会では常に幹事と盛り上げ役を兼任し、男女問わず誰からも好かれる太陽のような存在だ。

 ただ、自他共に認める面食いである康太にとって、めぐみは「恋愛対象」としては完全に枠外の人間だった。大学時代からずっと、気の置けない「男友達」のような感覚で付き合ってきたのだ。

「もう三週間でしょ!? いつまでウジウジやってんのよ。莉奈ちゃんにこっぴどく振られたからって、仕事でミス連発されたらこっちが迷惑すんの! はい、今日の定時後、アンタの予定は私が押さえたからね!」

「えっ、いや、俺今日はまっすぐ帰って、莉奈とのLINEの履歴を読み返して反省会を……」

「キッッッモ!!」

 めぐみは心底ドン引きしたという顔で叫び、康太の首根っこを太く力強い腕でガシッと掴んだ。

「いいから行くわよ! アンタのその腐った性根を、アルコールで消毒してやる!」

 ***

 その日の夜。

 会社の近くにある、赤提灯が揺れる大衆居酒屋。

 サラリーマンたちの怒声のような笑い声と、焼き鳥の煙が充満する店内で、めぐみはジョッキの生ビールを水のように喉へ流し込んでいた。

「ぷっはぁぁぁーっ!! やっぱ仕事終わりのビールは最高ね!! すいませーん! 鶏の唐揚げ特大盛りと、ポテトフライ、あと焼き鳥盛り合わせタレで二十本追加!!」

 めぐみは、店員がドン引きするほどの量を軽快にオーダーし、すでにテーブルの半分を占拠している料理を豪快に口へと運んでいる。その食べっぷりは、見ているこちらが気持ちよくなるほど見事だった。

 一方の康太は、ちびちびと梅サワーを舐めながら、死んだ魚のような目で箸の先を弄っていた。

「……俺さぁ、本気で結婚も考えてたんだよ。あんなに好きって言ってくれてたのに、他の男になびくなんて信じられない。もしかして、俺の気を引くための嘘だったのかな……」

「アンタねぇ……」

 めぐみは、揚げたての唐揚げを二個同時に口に放り込み、ガリッ、ジュワッと豪快な音を立てて咀嚼してから、ビールでそれを流し込んだ。

 そして、バンッ! とジョッキをテーブルに置き、呆れ果てた顔で康太を指差した。

「ガハハハハッ!! アンタ、ほんっとーーーーーに『女々しい』わね!!」

 店内に響き渡るほどの豪快な笑い声。

 康太はビクッと肩を跳ねさせ、顔を真っ赤にして反論した。

「め、女々しいって言うなよ! 男だって失恋くらい引きずるだろ! お前には分かんないんだよ、あの絶望感が!」

「引きずるにしても限度ってもんがあるでしょ。みっともなくすがって、挙げ句の果てに三週間もネチネチ引きずって。あのねぇ、そんなウジウジしてる男のところに、一度愛想尽かした女が戻ってくるわけないでしょ! 莉奈ちゃんが新しい彼氏と楽しくやってる時に、アンタは一人で部屋で過去のLINE見て泣いてんの? バカみたい」

 めぐみの言葉は、切れ味鋭い刃物のように康太の胸をグサグサと刺した。

 正論すぎる。正論すぎるからこそ、反論できない自分が情けなかった。

「……じゃあ、どうすればいいんだよ。俺、自信なんてこれっぽっちもないんだ。イケメンでもないし、給料だって普通だし。また次の恋なんて、できる気がしない……」

 康太がテーブルに突っ伏して泣き言を漏らすと、めぐみは「はぁ」と特大の溜め息をついた。

「要するに、自分に自信がないから、過去の栄光(莉奈)にしがみついてるんでしょ。……よし、決めた」

「何を……?」

「アンタのその情けない体と心を、私が叩き直してあげる」

 めぐみは、焼き鳥の串をビシッと康太の鼻先に突きつけた。

「自信がないなら、物理的につければいいのよ。汗かいて、筋肉つけて、美味しいものいっぱい食べて! そうすれば、ウジウジ悩んでる暇なんてなくなるから!」

「はぁ!? 筋肉って……俺、運動なんか全然……」

「問答無用! 明日の朝七時、会社の近くの公園集合ね! 私と一緒にランニングよ!」

「朝七時!? いや無理無理! お前、絶対起きられないだろ!」

「舐めんじゃないわよ。私、これでも大学時代は砲丸投げの選手だったんだから。……いいこと、長谷川。フラれた過去を振り返って嘆く暇があったら、前向いて走んなさい。男なら、一回フラれたくらいでメソメソしてんじゃないわよ!」

 めぐみの、ドスが効いているがどこか温かい叱咤激励。

 康太は、その圧倒的なエネルギーと迫力に完全に気圧され、「……はい」と蚊の鳴くような声で返事をするしかなかった。

「よろしい! じゃあ、景気付けにもう一杯飲むわよ! すいませーん、生中おかわり! あと、この男には特大ジョッキで!」

 ガハハと笑いながらジョッキを掲げるめぐみの笑顔は、店のどの照明よりも明るく輝いていた。

 康太は、運ばれてきた特大のビールジョッキを両手で持ち上げながら、ふと、めぐみの丸くて大きな顔をまじまじと見つめた。

(……なんで俺、フラれた元カノのことじゃなくて、こいつと一緒に走る心配してんだろ)

 面食いの康太にとって、めぐみとの「トレーニング」など苦行でしかないはずだ。

 しかし、彼女の底抜けの明るさと、強引だが裏表のない優しさに触れているうちに、康太の胸の中に渦巻いていたドロドロとした失恋の痛みが、ほんの少しだけ、アルコールと唐揚げの油に中和されて溶けていくような気がした。

 今日くらいは、昨日の古い悩みは忘れて、この豪快な女友達と酒を酌み交わそう。

 康太は、「乾杯!」と力強くジョッキをぶつけてきためぐみにつられるように、この三週間で初めて、小さく声を出して笑った。

 最高に女々しくてカッコ悪い男の失恋は、唐揚げの匂いを漂わせた規格外の女神によって、強制的に新たなスタートラインへと引きずり出されたのである。

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