前編「絶望の幕開け」
本日は、待ちに待った王立魔術学院の代表者たちによる魔術公演会の日。
国王・王妃両陛下もご臨席される、年に一度の大イベントだ。
すでに数名が魔術の演技を終え、会場は大いに盛り上がっていた。
そんな中、私ことユプフェルシュトゥルーデリア・フォン・ウィナークーゲルフップフは、広い会場のステージを前に緊張していた。
それは、このあと何番目かに自分の出番がひかえているから――だけではない。
「――次、中等部二年代表、アレッタ・ハウエル!」
「ひゃ、ひゃい!」
アレッタ・ハウエル。
この問題児がついに出場するからだ。
アレッタは、学院内で「落ちこぼれ」として悪名をとどろかせている。
たぐいまれな魔力量を持ち、将来を期待されながら、彼女はその潜在能力をまったく活かせずにいた。原因は、彼女の絶望的なまでの滑舌の悪さにある。
呪文の詠唱が極度に苦手で、以前は初等魔術さえまともに発動できなかった。あせって呪文を間違え、魔術を暴発させるのはアレッタにとって日常茶飯事だった。
「……落ち着いて。練習通りにやれば大丈夫よ」
明らかに私より緊張しているアレッタを見かねて、つい後ろから声を掛けた。
「ユピー先輩……」
アレッタが子犬のような顔でこちらを振り返る。
当然のことだが、彼女に私の長ったらしい名前を正確に発音することなど不可能だ。通り名の「ユプフェル」すら言えない彼女に、私は幼い頃のあだ名で呼ぶことを許さざるを得なかった。
さて、問題児だったアレッタが、なぜ学年代表として今この場にいるのか。
その経緯には、私も少なからず関わっている。
『素質はピカ一のはずじゃから、お主の力でなんとかしてみてくれんか?』
ひと月前、学院長であるダリウス・カーバイド様にそう依頼されたことはまだ記憶に新しい。
仕方なくアレッタの指導を引き受けた私は、彼女に徹底的な特訓をさせることにした。それによって、アレッタはどうにか初級の魔術ならば安定して発動させられるようになった。
すると、驚くべきことが起こった。なんと彼女はその規格外の魔力によって、初級魔術で学年代表の権利を勝ち取ってみせたのだ。
『全部、先輩のおかげです』
アレッタはそう言うが、私がやったのはただ、呪文の詠唱を何度もくり返しやらせただけのこと。代表を勝ち取ったのは、彼女の実力だ。
――今回の魔術演技、なんとか無難に乗り切ってほしい。
私は切実にそう願った。
††
そんなユプフェルの願いはいざ知らず、ステージ上に立ったアレッタの心臓はばくばくと高鳴っていた。
――――しぃん…………
アレッタが見渡すところ、観客席はどこを見ても人、人、人でいっぱいだった。
この一大イベントを楽しみにしていた王都の住民が、数万人の観衆となって会場に集まっていたのだ。
アレッタにとって、これほど多くの人々から注目を浴びるのは、人生で初めての経験だった。
(――やっぱりダメ! こんなかんたんな魔術じゃなくて、もっとちゃんとした高等魔術を見せなきゃ……!)
アレッタが放つはずだった魔術は、初級魔術の〈光の矢〉だ。それでも、彼女のけた外れの魔力量を考えれば、それなりの出来栄えになるはずだった。
しかし、アレッタは人生初の大舞台で舞い上がり、これまで試したことさえない大魔術の発動にぶっつけ本番で挑んでしまう。
「【――し、シンエンに眠りし、お、おおおいなるけけももののよ。い、今こそわ、我が呼び声にこここたえ、そ、その姿をケンゲンせしめしマシマシたまげよ……】」
アレッタは、しどろもどろの奇妙な呪文をつむぎ出す。このとき、彼女の規格外の魔力があやしげなゆらめきを見せていた。
††
アレッタの呪文が聞こえてきたとき、私の顔からさっと血の気が引いた。
「あの馬鹿……っ!」
めちゃくちゃな呪文だったが、なんとなくアレッタが使おうとしている魔術には察しがついた。――魔術師にとっては有名な、光の大精霊の召喚魔術だ。
しかし、ただでさえ難しい魔術なのだ。あんな噛み噛みの詠唱で成功するわけがない。魔術とは繊細なものなのだ。
その魔術の種類はともかく、アレッタの様子がおかしいことは周りの他の生徒にも伝わったようだ。
「……おいおい、なんだあれは? 落ちこぼれが、いっちょ前に大魔術か?」
「ププッ、あんな詠唱で魔術が発動するわけないじゃん。……あんなのが代表者なの?」
周囲からアレッタに対する失笑や、からかうような声が聞こえてきた。
彼彼女らの言い分は正しい。あんな詠唱では、普通なら魔力が暴発して終わるのが関の山だ。
しかし、私の中では悪い予感がどんどん大きくなっていた。
……あの子は何か、とんでもないことをやらかしてしまうのではないか――
「アレッタ……」
私は祈るような気持ちで、彼女の魔術の成否を見守った。
――後から考えれば、このときなりふりかまわずアレッタを止めていれば、この後のことは起こらなかったのだけど……。
「【……いいい偉大なる大しゅりょうよ、そそのちちからはふるいたまや! ……ゾンク・トゥルーゼブス!】」
アレッタが詠唱を終えたそのとき、ふっと空が暗くなった。
「な、なんだ……!」
「おい、見ろ! あそこ!」
一人の生徒が指差す先。
広い地面に、大きな六芒星の魔法陣が浮かび上がっていた。
その魔法陣が光を放ち、地面から巨大な影がずずず……とせり上がって来る。
「何か出て来たぞ!」
「大精霊……じゃない!! な、なんなんだアイツは!?」
周りの生徒の誰かが、悲鳴のような声を上げた。
一方、会場の観衆はどよめきつつも、これも演技の一部だとでも思っているのだろうか。恐怖やパニックを示す反応は意外なほど小さかった。
それどころか、拍手まで聴こえて来るほどだ。……どうなってるんだ、この国の人たちは。
私は大きな舌打ちをした。
悪い予感が的中してしまった。それも、最悪の形で。
「アレッタ……あなた、なんてモノを呼び出してしまったの……」
地面から現れたのは、人間の大人百人分はあろうかという巨大な凶々しい怪物だった。
三対の腕と角、二対の目を持ち、下半身はタコのような動きを見せる多数の触手で構成されていた。
そんな怪物が、大きく横に裂けた口からフシューッという呼吸音と共に声を響かせる。
『……深淵の大首領たるこの我〝ドン・クトゥルーゼプス〟を呼び出したのは貴様か……』
「――ひ、ひぇっ!!」
ステージ上のアレッタは、腰が抜けて座り込んでいるようだった。
(……いや、きっと始原の大精霊〝サンク・トゥルーゼウス〟を呼び出したかったんだろうなぁ……――って、)
思わず遠い目をした私だが、ここで怪物の名乗りに対して、記憶の中にぴったり合う名前があることに気がついた。
「……ウソでしょ……」
(――間違って呼び出したのが、よりにもよってあの〝ドン・クトゥルーゼプス〟!?)
その名前とは、
「かつて世界をほろぼしたっていう、伝説の邪神の名前じゃない!!」
(後編につづく)
後編は今夜(7/21)18:11に投稿します。