第二幕ー肆
周囲の温度が下がる。クレアとラルフが息を呑んだ。
「……マイルズ?」
アリシアが鸚鵡返しにその名を口にする。
背中をぎゅっと掴まれた。おそらく無意識だろう。
それはこの国でもっとも忌むべき名。
歴史に残る最悪の化身。
誰も子どもに名付けようとは思わない、呪いの代名詞。
「…………なん、で。生きて……」
「違う」
震えるアリシアを隠すようにしながら儂は遮った。
「教わったはずだ。こいつは“十二番目の魔剣にされた”と」
そう。十一番目である儂を創った直後、こいつは周囲によって十二番目の魔剣になった。輸送中に散り散りになり、国としても一番行方を案じていた奴だったが、まさかこんなところにいようとは!
「そうそう。あれはびっくりしたよ」
ダグラス――マイルズがくつくつと肩を揺らす。
「いきなり後ろからぶすーって刺されてさ。あれよあれよと魔方陣の中に放り込まれたんだもん。創られたばかりの君が顕現できたのもびっくりだったけどね。結果として君の声が聞けたのは収穫だったけど」
どこまでも前向きなこいつの思考に思わずため息が出る。
嗚呼、だんだん思い出してきた。こいつ魔剣になってもお構いなしにしゃべり倒していたんだった。あまりにもしゃべり続けるから、言葉を封じる魔法がないか本気で考えていたんだっけ。
「ムラマサ、未契約でもこの姿になれたの?」
小声でアリシアが問う。
「かなり不安定だったがな。あの時顕現できたのは奇跡といってもいい」
儂も小声で返しながらマイルズの様子をうかがう。
今でこそ自由に顕現できるが、未契約の状態ではそれを維持するのがとてつもなく難しかった。たとえるなら細い糸の上で綱渡りをするような感覚だ。魔剣にされた直後に顕現してマイルズを拘束したが、一刻と経たずに刀に戻ってしまった。その間に周りの連中がせっせと治療や拘束を進めてくれたから、奴を逃がすことはなかったが。未契約の状態で姿を見せられたのは、後にも先にもあの一回きりだ。
「こいつを見るために寄越したってんなら、そろそろ帰らせてもらえないか? 貴様の茶番にはこれ以上付き合えん」
ため息をこらえながら投げかける。
こいつが一筋縄ではいかない性格なのは百も承知だった。
「あはは。相変わらず冗談が下手だね、君は」
マイルズがさっと手を挙げる。
「うおおおあああああ!!」
背後で雄叫びが上がった。振り返れば、男がアリシアめがけて鉈を振り下ろすところだった。
「ひっ」
アリシアが咄嗟に腕で顔をかばい目をつむる。
その向こうで金属同士がぶつかる甲高い音が響いた。
「っは!」
裂帛の気合と共にクレアが男を弾き飛ばす。訓練を積んだ軍人と素人では、その差は歴然だった。
「ラルフ、道を作れ!」
指示を出しながら儂は地面を踏む。一瞬で広げられるだけ広げた魔力が熱を帯びる。力を込めれば、人の背よりも高い炎が一帯を飲み込んだ。
「きゃああああ!!」
「熱い、熱いよ!」
「おかあさーん!」
阿鼻叫喚の巷と化した大通りの中、儂はマイルズとの距離を詰める。
「ムラマサ!」
「逃げろ!」
アリシアへ背中越しに叫びながら火を練り上げる。
「おっと!」
火で作られた刀がマイルズの剣に受け止められた。
「やはりそうか」
剣の表面に刻まれた文様を見て確信する。
「他人の体を乗っ取るとは、発案者は考えることが違うな」
「さすが、良い観察眼を持っているよ!」
マイルズが儂の刀を押し返す。
「埋もれさせるには惜しい。軍師や参謀だったら右に出る者はいないんじゃないかい?」
「買いかぶりすぎだ」
刀を構え直して対峙する。
炎で飲み込みはしたが、実際のところただのハッタリだ。だが視覚情報というのは侮れない。熱波しか感じずとも、目の前で巨大な炎が上がれば冷静でいられないのが人の常だ。
片目だけアリシアと視覚を繋げば、クレアとラルフに手を引かれて城門まで駆け抜けていっている。模擬戦でよく形だけの炎を見ているからか、あるいは儂の炎を見慣れているのか、こいつらはわき目もふらずに門を目指す。いつもなら「人を傷付けるな」とぎゃあぎゃあ煩いアリシアも、魔力の流れで人を傷付けるものではないと気付いているのだろう。ただ、しょっちゅう後ろを振り返るのは見ているこっちがひやひやするからやめてほしい。
こっちははっきり言ってそれどころではない。
「そうかい?」
マイルズも剣を構え直す。
「どのみち、逃がす気はないけどね!」
下段から切り上げるマイルズの剣を受け止める。
横の炎から飛び出してきた住人が、儂に向けて武器を振り上げた。それを後ろに飛んで躱し、さらに背後から来る攻撃を回し蹴りで迎え撃つ。住人は声もなく吹っ飛び、だがゆっくりと起き上がった。
「嘘だろ?」
思わず声が出た。殺しこそしていないが、しばらく起き上がれなくなるくらいには強力な蹴りを見舞ったはず。
「余所見をしている場合かい?」
マイルズの声が近い。我に返って刀を構えれば、息がかかる距離に奴がいた。
「くっ!」
大剣を受け止める。ぎりぎりと鍔迫り合いをしている間も、周囲の炎から続々と人が飛び出してきた。
熱波の絡繰りに気付いたか? ……いや、違う。そうか。
「相変わらず、趣味が悪いな!!」
叫ぶと同時に剣を押し返し、背を向けて走り出す。同時に今度は本物の火をあたり一帯に撒いてやった。
「うわ、あっつ!」
後ろでマイルズの悲鳴が聞こえる。アリシアには後でしこたま文句を言われそうだが、これくらいやったところでさしたる痛痒にもなるまい。実際、しっかり追いかけるよう指示を出している。本当に、あの性格がどうにかなっていればそれなりの地位を築けただろうに。
アリシアたちの方へ意識を向ければ、城門の前まで来ていた。開いていたはずの城門は固く閉ざされている。マイルズの命を受けた門番たちが意地でも通さないと言っているのだろう。
だが、こっちにもまだ手札は残っている。
「神話の語り部、自然の代弁者。汝の道は我の道!」
朗々とラルフの声が響く。
「精霊の行進、道を開けろ!」
城門が鈍い音を上げながら開いていく。ラルフが扱えるのは物体移動の魔法。その系統であれば、数は撃てないが強力なものも使えるのだ。
勝手に動き出す城門を前に慌てふためく兵士たち。それを横目に、クレアが厩舎に繋がれていた馬たちを片っ端から解放する。
「行きなさい!」
自由の身となった馬たちが続々と街中へ放たれる。二人の連携に兵士たちはてんやわんやだ。城壁の上の弓兵たちも狙いが定まらない。
うん、さすがだ。自分たちのやるべきことをわかっている。
あとはこの街を抜ければいい。三人だけ先に脱出して、儂が夜にでも合流できるのが最適か。
「アリシア、先に三人で脱出しろ! 儂はあとで追い付く!」
「う、うん」
一人狼狽えているアリシアに呼びかける。自分たちの馬を見つけたのか、二人がそれぞれ馬を引いて戻ってくる。
その顔色が、アリシアを――正確には彼女の後方を見て変わった。
「アリシア特務一等兵、こっちへ!」
「アリシアちゃん、こっちに!」
二人の切羽詰まった声に、何を見たのだろう、と思ったのか。
振り返った視線の先にいる人物に、儂も足が止まりかけた。
「……お父さん?」
そこに立っていたのは、アリシアと同じ色の髪を短く刈り上げた若い男。厳しい表情で見つめる姿は、儂の記憶にあるハロルド・フェルベールその人だった。
「……はは」
引き攣った笑いが漏れた。
市長がマイルズだと気付いてからずっと最悪な状況だとは思っていたが、さらに上を行く最悪があったか。
畜生。マイルズの奴、やってくれるじゃないか!!
「お父さん、無事だったの!?」
アリシアが駆け寄っていく。
拙い。儂は足を速めた。
「戻りなさい、アリシア特務一等兵!」
「アリシアちゃん! 逃げろ、こっちに!」
クレアとラルフの声が遠い。繋いでいない方の目にアリシアたちの姿が映る。くそ、間に合うか!?
「お父さん、一緒に逃げよう! ここ、マイルズがいるんだよ!?」
「よせアリシア! それ以上近付くな!」
叫ぶが、アリシアの反応が返ってこない。あいつ、耳を塞ぎやがった!
アリシアが腰の袋から何かを取り出す。この旅程の中でせっせと縫い上げた、結界の魔方陣が縫われたお守りだった。
ハロルドを見上げ、得意そうにお守りを掲げて見せる。奴の視線がわずかに動いた。
クレアがアリシアの襟を掴む。後ろへ大きく引っ張られ、
ばきんっ!!
剣が折れた。剣先が鈍い光を反射しながら地面に落ちる。
お守りが落ちる。ハロルドの足がそれを踏みつける。
折れた剣をものともせず、突き出すように踏み込む。折れていようと剣は剣。当たれば骨折だけで済むかどうか。
アリシアまであと数歩。間に合わない。儂は手を伸ばした。
ハロルドが紅蓮に飲み込まれる。後ろへ下がろうとしたクレアが足をひねり、アリシアとともに引っ繰り返る。
「ブラント曹長! アリシアちゃん!」
ラルフが二人を助け起こす。そこでようやく儂も追い付いた。燃えてなお動き回るハロルドの体を両断し、ようやく狙いをつけた弓隊の矢をことごとく燃やしていく。
「三人とも馬に乗れ! 殿は儂がやる!」
「し、しかし……!」
「早くしろ!」
いつになく鋭い儂の声に、二人はそれ以上反論しなかった。呆然としているアリシアを前に乗せ、クレアが先頭を切って走り出す。
二頭の馬が城門をくぐる。弓隊の追撃は儂がすべて撃ち落とし、炎の壁で視界を塞ぐ。
「……っはあ」
ため息が出る。いや、息が苦しい。
なぜ、と浮かんだ疑問はすぐに消える。くそ、魔力を使いすぎたか。
ここで追い打ちをかけられたら堪らない。しばらく後ろへ下がりながら城壁の様子を見ていたが、さらに追撃してこないのを確認し、儂はようやくニルウェルを後にした。
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