第二幕ー弐
ニルウェルは帝都から馬で一週間ほどの距離にある。地理的には国境に一番近いから、隣国と戦争になったら前線基地に早変わりする。そのため街全体が分厚い城壁に囲まれており、日夜隣国の変化に目を光らせているそうだ。
……もっとも、それは報告書や各地の様子を記した旅行記などで得た情報だ。前線基地にもなりえる場所から連絡が途絶え、それを一ヵ月も放置するなど正気の沙汰ではない。
「あんまり考えたくないんですけど、これ、やっぱりおかしいですよね?」
道のりを半ばも過ぎたころ、夕食中にラルフがおずおずと言い出した。同じように携帯食糧を食べていた二人が彼を見る。
「ニルウェルから連絡が途絶えるって……。普通に考えても魔剣士じゃなくて、もっと諜報役に適した部隊が捜査に向かいますよね?」
儂が最初から懸念していたことを口にする。ここに来てそれを言い出したということは、誰の目も耳も気にしない距離まで来たからだろうか。
「シュタイナー伍長」
硬い声でクレアが言った。
「ギルマン大佐も何か考えがあるはずよ。まずはアリシアを派遣して牽制したり、私たちが先遣隊となって探らせるつもりかもしれない」
あの大佐、ギルマンというのか。覚えておこう。
「それだったらそうだと言ってくれればいいじゃないですか」
「言葉が足りないのは事実よ。代わりに報告書に“魔剣士の派遣を要請した”って書いてあったじゃない」
「そこも腑に落ちないんです。ここ一年の特異事件もそうだし、ずっと違和感がぬぐえないんですよ」
「特異事件の頻発は私だって頭を抱えているわよ。犯人が全員身元不明、手掛かりが一切ないだなんて前代未聞よ」
もともと特異事件の黒幕は手掛かりが少ない。が、まったくないわけでもなかった。そのかすかな手掛かりをもとに必死になって黒幕を捕まえたこともある。たしかに、ここまで手掛かりを完璧に消されたのは初めてだった。
そしてラルフの言い分ももっともだ。軍の体質上、あまり表立って意見すると疎まれる。だが上官が必要最低限の説明も厭うようであれば部下に不信が生まれる。微妙な匙加減を求められるのはわかるが、あの大佐はその匙加減を最初から放棄している。クレアもそれをわかっている。でなければあんな苦い顔をしないだろう。自分の中で無理やり納得させたことを蒸し返したラルフへの苛立ちも感じる。
あの大佐がアリシア――正確には儂を疎んじるのもわかるが、真意が見えない。
たまに、最初から捨て駒のつもりで配下に置いているようにも感じるのだが……
「できた!」
横から飛び込んできたアリシアの声に思考が中断された。
顕現してそちらを見ると、彼女は焚き火に木枠をかざして満足げに頷いていた。食事もそこそこに何をやっているんだこいつは。
「……何をやっているんだ、お前さん」
思わず声をかけると、アリシアはふにゃりと幸せそうな笑顔を向けてきた。
「お父さんにあげるお守り! やっと完成したんだー」
ずい、と押し付けられるように見せられたのは、軍の紋章だ。鷲の翼を広げた獅子を描いたものだが、細かいところまで丁寧に縫われている。
――って、今は感心している場合じゃない。
「こんな時でも刺繍か! お前はもうちょっと危機感を持て!」
素早く後ろに回り込んで、こめかみに拳を押し当てる。
「やー! 痛い! 痛いってばー!」
じたばたと抵抗するがお構いなしだ。ラルフが仲裁に入るべきかおろおろし、クレアは呆れたと言わんばかりに手で額を押さえている。
ちゃんと木枠を脇に置いてから暴れるあたり、アリシアはやはり生粋のお針子なのだと思い知らされる。そして実感するたびに、ないはずの心臓が痛む。
本当なら、剣の代わりに針を、魔法の代わりに誰かの服を仕立て、感謝されながらゆっくりと人生を歩むはずだったろうに。
「……ムラマサ?」
アリシアがそっと儂を見上げる。いつの間にか手を止めてしまったらしい。
「何でもない」
もう一度ぐりぐりする気のない儂は、こいつの頭をぐしゃりと撫でて隣に座り直した。
「しかし、そのお守りを渡してどうするつもりだ?」
一応、互いに軍属の身だ。頼めば会えるだろうし、積もる話だってあるはずだ。わざわざ手縫いのお守りを渡すまでもなく、給金でちょっと上等な護符を買ってやった方が良いと思うのだが。
「えへへー、これね、魔法を組み込んでみたんだ」
自慢げに木枠を引っ繰り返すアリシア。
なんか今、さらっと凄いことを言わなかったか?
「ほらこれ。結界の魔方陣」
表面と違い、裏面は様々な色の糸が雑多に交わっていて見るに堪えない。その中でもじっと目を凝らし、彼女の指が示す糸を追っていく。
「……マジで?」
最初に気付いたのはラルフだった。普段は開いているのかどうかわからない目がカッと見開かれている。
「え、すごい……。これ、上級の結界魔法だ」
「なんですって?」
クレアがラルフを一瞬見やり、再び木枠に目を落とす。
しばらく見つめていると、やっとその模様が浮かび上がってきた。木枠の縁ぎりぎりの正円と、その内側にあるやや小さめな正円。その間には複雑な記号がびっしりと縫われており、さらに円の内側にも力の循環を示す星や記号がちりばめられていた。
「…………。ちょっと待て」
ふと儂は気付いた。
「お前さん、これを出立の頃から縫い続けていたのか?」
「うん」
こともなげに頷くアリシアに三人そろって目を剥く。
「なっ……! 冗談でしょう!?」
クレアが思わず声を上げる。なにしろ帝都を発って四日だ。表面を縫うだけでも大変なのに、裏面の魔方陣まで同時に縫い付ける離れ業をやってのけたのだ。陳腐な表現は苦手だが、こいつの刺繍技術に関してはもう神業と言ってもいいんじゃないか?
「嘘じゃないよ、ずっと練習していたもん」
アリシアが頬を膨らませる。
「部屋のあの作品、全部に魔方陣が入ってるよ」
「嘘ぉ!?」
「はあ!?」
「マジで!?」
クレア、儂、ラルフが再び驚愕の声を上げた。三人分の声に、近くで草を食んでいた馬たちがびくりと顔を上げる。
いや、たしかにぶっつけ本番にしては高い完成度だとは思っていたが、まさかあの出鱈目な縫い方が魔方陣だったとは……。毎日飽きることなく縫い続けていたと思っていたら、こいつ、いつか父親に渡すお守りのためにずっと練習してきたのか?
純粋というか、一途というか……。本当に儂とは真逆のものを持っているな。
「お父さんのことだから大丈夫だとは思うけど、やっぱり怪我とか心配だし。これがあれば大怪我もしないで済むと思うんだ!」
嬉しそうに、そして誇らしげに笑うアリシア。さっきまでのやるせない空気は霧散していた。クレアもちょっと助かったようなため息を吐いている。
「ふむ……」
儂はアリシアに手を差し出した。
「アリシア、ちょっとそれ試してみてもいいか?」
「うん」
アリシアがあっさりと木枠ごと刺繍を渡してきた。本当に効果が出るのか、本人も気になっていたのだろう。
魔法を使うには二通りの方法がある。力の流れを示す“陣”を魔力を込めて描くか、力ある言葉を組み合わせる“詠唱”をおこなう必要がある。魔剣はその膨大な魔力でこの二つを省略できるが、きちんと手順を踏めばそれこそ一夜どころか一瞬で国を消すほどの威力を発揮できる。
いくら刺繍で魔方陣を描いたとしても、効果がなければ意味がない。儂は紋章である奇怪な生物を、顔から尾にかけて指先の火であぶってみた。効果が出るならそれもよし、駄目なら――空へ放り投げられる以外で何か手を打とう。
ばぢんっ!!
「っ!」
稲妻のような音と衝撃に手が弾かれる。反射的に自分の指先を見れば、なんと第一関節がきれいに消し飛んでいた。
「ひぇっ!」
アリシアが悲鳴を上げる。
「だ、大丈夫!?」
「ああ、まあ……」
言葉を交わしている間に、指は元通りに修復される。
ちょっと弾かれる程度だと思っていたのだがなあ。魔力を込めすぎたのか? これ、儂じゃなかったら大惨事だったぞ……。
「うわあ……」
ラルフが呆然と声を漏らす。クレアに至っては完全に言葉を失っている。
「…………。まあ、取り扱いに関してはお前さんから親父さんにちょっと言っといてくれ」
「あ、うん……」
無傷の刺繍を受け取りながら、アリシアは曖昧に頷いた。
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