終幕
マイルズが三十年以上にわたって引き起こした一連の事件は、国にとってもかなり大きな不祥事だった。
揉み消すには大きすぎる事件で、だからと言ってそのまま公表すれば軍も国も信頼が大きく揺らぐ。審議を重ねた結果、
「魔剣の暴走で多数の犠牲者が出た。またニルウェルが狙われたものの、魔剣士が事前にそれを防いだ」
という、嘘とも本当とも言い難い内容が発表された。
いくらニルウェルが大きな街だと言っても、帝都からは遠く離れた場所だ。いずれこれが真実として語り継がれていくのだろう。
一方で、マイルズを倒すために奔走したアリシアたちはしばらく療養を余儀なくされた。
アリシアは外傷こそないものの、魔力を著しく消耗していた。緊張の糸が切れたのもあったのだろう。一度寝たらなかなか目覚めず、三日後にようやく覚醒したほどだ。儂もかなり暴れていたから、そのあたりは仕方がなかったのかもしれない。
ハロルドと斬り結んでいたクレアは、医師曰く「致命傷がないのが奇跡」と言われるような怪我だった。骨折やひどい出血はなかったものの、代わりに打撲や切り傷で血まみれだった。見た目で言えばこの中で一番の重傷者だったのだろう。ラルフの援護があったから死ななかったようなものだ。
そして身体的、魔力的に大怪我を負っていたのはラルフだった。目を覚ました彼が漠然とした不調を訴えてきたため、帝都に戻って医師に詳しく見てもらった。すると、体は治るものの魔力は完全に枯渇して戻らないと宣告を受けた。マイルズに魔力を流されてもなお抵抗していたのが仇になった。
もともと魔術師として軍に採用されていたのだ。魔法が使えなくなったら退役するしかない。しかし儂らの心配をよそにラルフ本人はけろっとしていた。
「最後に軍人らしいことが出来たし、悔いはないよ。それに軍を辞めても仕事がないわけじゃないし」
その言葉通り、退院と同時に退役して一月と経たないうちに新しい仕事を見付けてきた。
軍専属の郵便配達員として訪ねてきたこいつを見て、アリシアは泣いて喜び、クレアは照れ隠しなのか頭を思い切り叩いていた。ラルフも儂も、その目が潤んでいたのは見ないふりをしておいた。
◆ ◆ ◆
マイルズの事件による熱も下火になり、そろそろ季節が夏に差し掛かろうかという頃。
アリシアは自室でせっせと刺繍に励んでいた。
いつかと同じ完全な休日なため、涼し気な半袖の服に膝下まである“すかあと”と言ったか、そんな下衣を着ている。
この姿をぼんやりと眺めるようになったのはいつ頃からか。
集中していながらどこか楽しそうな、目を輝かせたこいつを見ていると、何とも言えない穏やかな気持ちになってくる。
「毎度毎度、よく飽きないな」
半分嫌味を込め、半分感心しながら言う。声をかけられたアリシアは手を止めると、屈託のない笑顔を儂に向けてきた。
「だって楽しいんだもん!」
「……たのしい?」
思わず呆けた声が出る。
「うん」
針を針山に挿してアリシアは頷いた。
「最初はお父さんの役に立ちたいって思ってたよ。でもそれ以上に、こうして少しずつ作品や魔法が出来上がっていくのが楽しくて、面白くて、嬉しいの」
作りかけの刺繍をアリシアが愛おしそうに眺める。
「……………………ぁ」
すとん、と。
最後に胸に詰まっていたものが落ちて溶けていく感覚を覚えた。
「ああ、そうか……」
声が震える。こんなに柔らかな感情に包まれたのは、きっと初めてだ。気が抜けて笑いがこみあげるのも初めてだ。
知らなかった。人間だった頃、どれだけ求めても手に入れられなかったものが、こんなにあっさり手に入るなんて。
「ムラマサ?」
アリシアが気遣わしげな声をかけてくる。
「ああ、いや。なんでもない」
刀のままでよかった。ヒトの形になっていたら、きっと酷い顔をしていたと思う。
「続けてくれ」
「え?」
「刺繍」
「あ、うん」
釈然としない顔をしていたが、針を持つとすぐに職人のものになる。
いつからかはわからない。
だが、儂はこいつのこの顔を守りたいと思うようになったのだ。
この身は血でまみれているし、これからも多くの血を浴びるのだろう。
それでも、隙間風に苦しめられてきたあの頃に比べると息がしやすかった。
しばらく針と糸が通る音だけが響き、鋏が鳴って糸を切る。
「うん、できた!」
満足げに頷いたアリシアの手には、新たに命を吹き込まれた絵が一つ。
「相変わらず凄い腕だな」
賞賛してやると、アリシアが嬉しそうに破顔した。
「えへへー、でしょー?」
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