第四幕ー壱
マイルズ討伐の話が出ておよそ一ヵ月。
儂らは再びニルウェルにやって来ていた。
表向きはゲルマニア帝国軍の一個中隊がニルウェルのそばに駐留し、軍事訓練の準備を進めている。実際は一般市民の避難誘導と保護が役目で、避難が完了したら巻き込まれないように退避してくれる。
ちなみにここまで時間がかかった原因は、一応正規の手続きを踏んでおかないと周りが怪しむからとのことだった。組織というのは便利な一方で滅茶苦茶面倒くさい。まあ、そのおかげでこちらも思った以上の準備ができたのだが。
ニルウェルは前回と変わらない姿でそこにあった。派手に暴れたものの、実際の被害は馬が逃げ出したり市長の家がちょっと壊れた程度だったから、一ヵ月もあればだいたいは復旧するか。
その中で儂は一人、裏路地を進んでいた。
前日のうちに、街への報告で訪ねた軍人たちに儂を運ばせておいたのだ。刀は目立つが、袋に入った状態ではわかりにくい。頃合いを見て裏路地に放り投げてくれれば、あとは儂が勝手に動く。袋から出るのにちょっと苦労はしたが。
昼でも暗いここでは動いている奴の方が珍しい。が、人気のないここでは動いていようが固まっていようが誰も気に留めない。
隅でうずくまっている奴を見つけて、その脇にしゃがみ込む。首に触れてみるが反応はない。懐から布切れを一枚取り出して、そいつの胸元に押し込む。
それからまた立ち上がって歩き出す。こうした動きを何度か繰り返しながら、儂は裏路地に沿って街を一周した。
空を見やる。夜明け前から動き始めて、今は中天を少し過ぎたところか。
「アリシア。準備できたぞ」
小声でアリシアに呼びかける。今日のあいつは軍服の上に肩掛け鞄を提げていた。軍から支給されるそれは今ぱんぱんに膨らんでいる。掛けている紐をぎゅっと握りしめながらアリシアが頷いた。
「……うん」
魔力を込める。
爆発音が響いた。
傍にいた何人かが巻き込まれ、悲鳴を上げながら表通りに転がり出る。ざわざわとどよめきが広がる中、再び爆発音。今度は別のところから上がり、また悲鳴とどよめきが起こる。
三度目、四度目の爆発音。屋内にいただろう人々も外に出る。不安そうに身を寄せ合う中、兵が消火に駆けつける。
五度目の爆発音。消火と避難が始まった。
頃合いとみて、儂はさっと手を挙げる。
空中に現れる火の矢。その数は十本や二十本ではきかない。しかも範囲は街全体に広がっている。
住人たちが街の外、あるいは建物内へ逃げようと動き出したところで、一斉に矢を落とした。
緊張と恐怖が爆発し、街は一気に恐慌状態に陥った。一応、いつぞやと同じように矢は見せかけのものを使っている。撃たれる側としては関係ないだろうが。
街の外への避難を懸命に進める兵士たちの怒号と、住人たちの悲鳴が入り乱れる。騒ぎに気付いた軍が避難誘導に協力する。そこに爆発音が重なって、人々は落ち着く暇がない。それでも一個中隊がついていれば順調に避難は進んでいき、思いのほか早く街は静かになった。
倉庫の中で騒ぎが落ち着くのを待って、儂は表通りに出る。
「あ、いたいた」
人がいなくなると恐ろしいほど広く感じる大通りで、マイルズは待っていた。
「見事な手際だね。その気になればこの街ごと爆破できたんじゃないの?」
「するか。できたとしてもやらんわ」
吐き捨てるように答える。
「ふーん。その様子だと、また誘っても断られそうだね」
「当たり前だ」
それもあって今はアリシアと別行動をしている。二人一緒にいたら絶対にアリシアを狙ってくるだろうからな。
魔力を練り上げ、刀を作り出す。
「そっちこそ、そろそろ年貢の納め時だろう? 同じ魔剣の好だ。今なら手荒な真似をせず封印してやれるぞ」
「ふふっ、剣を向けているのにずいぶんと優しいんだね」
「契約者の気質が移ったらしい。さあ、どうする?」
くすくすと笑っていたマイルズの目が剣呑に光る。
「……わかっているんじゃないかな?」
腰に佩いていた大剣を抜き、構える。つられて儂もふっと息を吐いた。
「……ああ、そうだな」
こんな簡単な説得で済むなら誰も苦労なんてしていない。
儂も刀を構え直す。
走り出したのは同時だった。
マイルズの剣がうねりを上げる。儂は地面すれすれにまで身をかがめて躱すと、そのまま左へ跳んだ。直前まで儂がいた場所に大剣が振り下ろされる。
そのまま回り込んで刀を振れば、即座に体を駒のように回して剣をぶつけてくる。
「ぐっ!」
刀がそのままあらぬ方向へ飛んでいき、儂は新しく刀を作る。
「便利だよねえ、それ」
斬り結びながらマイルズがうらやましそうに呟く。
「魔力でいろんな武器が作れるんだろう?」
「相性はあるがな!」
形は作れるものの、実際に使ってみてしっくりくるのはこの形だけだった。
「ねえ、本当に協力してくれないの?」
「しつこいぞ!」
がきん、と刃がこすれる。
「だいたい協力とか何だ!? 百年前も戯言を吐いていた気がするが、貴様一体何をするつもりなんだ!」
たしか世界がどうたらと言っていたか。そんな大それたことを本気で実行する気か?
「何、って……」
マイルズは一瞬きょとんと瞬きをして、それから子どものような笑顔を浮かべた。
「世界を救うんだよ」
「…………は?」
刀を持つ手から力が抜けかけた。押し負けそうになり、慌てて持ち直す。
「世界を救う。それが僕の昔からの夢なんだ」
「……………………」
「この世界はまだまだ苦しんでいる人、悲しんでいる人が多い。そんな人たちを僕らが救うんだ。いつか誰も苦しまず、悲しまない、平和な世界を作るために!」
……………………。
あー……。
じわじわと意味が浸透してくる。
最初に聞いた時からそんな気はしていた。
狂気と純粋。相反するはずのそれが同居した、子どものような悪魔。
本気で実現させるつもりでいるのだろう。こいつの目には迷いも疑いもない。その目的を達成させるためならば、どれほど犠牲を払っても構わないと。
なぜ、と聞くのはあまりにも野暮だった。
いくら努力しても、こいつのことは理解できないと本能が告げていた。
「どうしたの?」
マイルズが心配そうにこちらを覗き込む。
「いや……」
儂はゆっくりとかぶりを振る。
「お前さんとは絶対にわかりあえないなと再認識しただけだ」
「……そっか」
刹那、ないはずの臓腑が冷えていくのがわかった。
「じゃあもういらないや」
「っ!」
刀を放棄して直感的に右へ跳べば、後ろから何かが振り下ろされるところだった。転がりながら起き上がってみれば、斧を持った男がゆっくりとそれを持ち上げるところだった。
「あー……」
呆れればいいのか感心すればいいのか。どちらともつかない声を漏らしながら周囲に目を向ければ、武器を持った男女がぞろぞろと出てきた。十人どころの数ではない。
「おい。一体どれだけの“在庫”を抱えていたんだ」
「五十人くらいはいるよ」
こともなげにマイルズは答えた。
「もっとも、疲れちゃうから普段は眠ってもらっているけどね。君が燃やしてくれたおかげでちょっと人数が減っちゃったし」
「そりゃどうも」
もう少し燃やしてもよかったなと内心で毒づく。
死霊術は常に発動できるほど燃費のいいものではない。有事に備えてある程度の数は確保していても、普段はどこかに隠しているはずだ。そこにあっても不自然じゃない場所というのは限られてくる。そして儂が動いていても怪しまれない場所といえば、あの裏路地あたりしか見当がつかなかった。
一応、死体かどうかを確認してから、儂の合図で爆発する魔方陣をねじ込んでおいた。ちょっとは戦力を減らせればと思ったが、五十人に対して数人では焼け石に水か。
「住人は避難してくれたからね。心置きなく戦えるのさ!」
マイルズが指揮者のように剣を振り上げる。それを合図に死体が躍りかかって来た。
儂は舌打ち一つすると、
「アリシア、ちょっとこいつら燃やすぞ」
「えっ」
アリシアの声を無視して、刀の代わりに炎を両手にまとわせる。
襲ってくる死体の胸に掌底や手刀を打ち込み、魔力を流して発火させる。内側から一気に火の手が回り、追いすがっているうちに灰になって朽ちていく。
ひゅう、とマイルズが口笛を吹いた。
「う……」
「アリシアちゃん、大丈夫?」
ラルフがアリシアを気遣う。あ、こいつ耳だけじゃなくて目も繋いでいたな?
叱り飛ばしたい衝動を抑え、儂はマイルズに向き直る。
「こちとら四十年以上も身一つで生きてきた経験があるんだ。我流だが剣術も体術も覚えがある。そうそうやられてたまるか!」
「えっ、ムラマサって四十超えてるの!?」
飛び出たアリシアの叫びが、耳の奥とは別の場所から聞こえてきた。
あんの莫迦……!
「……へえ」
マイルズがその方角へ目をやり、ふっと笑う。
「アリシア、気付かれた! 走れ!」
「えっ」
「お前が大声を出したせいだ!」
「うそっ!?」
ちっ、とアリシアの方で舌打ちが聞こえた。
「走るわよ!」
クレアの声とほぼ同時に儂も動いた。
襲ってくる死体に加え、まだ遠くにいた死体の方に火の玉を投げ入れる。どかんと爆発音がして何人か派手に吹き飛んだ。
「おお、やるね!」
どこか嬉しそうなマイルズに向けて、新たに生成した刀を振りかぶる。大剣に受け止められている間に何人かに後ろへ回られる。
斬り付けられた場所に向けて火柱を上げる。何人燃えてくれただろうか。
「別動隊でここに来させていたんだね」
鍔迫り合いをしながら、マイルズは余裕な表情を崩さない。
「てっきり帝都に置いてきたと思っていたよ」
「それができれば苦労はしない」
ぎり、と奥歯を噛む。
そう。今回の要はアリシアだ。あくまでも儂は囮であり、マイルズやこいつの操る死体を一手に引き受けているに過ぎない。
避難のどさくさに紛れて潜入したのはよかったが、気付かれては意味がないだろう!
マイルズがちらりと、アリシアの声がした方角を見やる。
「あっちには僕の家があるね。……なるほど、絡繰りに気付いたのかな?」
何度目かもわからない舌打ちをする。やっぱりこいつは食えん奴だ。
「アリシア、今どこだ?」
「市長の家に入ったとこ」
「慎重に行け」
「う、うん」
片目だけ繋ぐと、室内らしき場所が映った。
大剣を押し返して攻撃に転じる。こいつはあくまでも適性のない人間を乗っ取っているに過ぎない。だから剣が手から離れればマイルズは無力化されるのだが、何か術をかけているのか一向に離れる気配がない。
おまけに死体たちが邪魔をする。死角かどうかを問わず襲ってくる奴らを片っ端から燃やしているが、後から後から湧いてきて切りがない。
「おい、本当は何人在庫を抱えているんだ?」
「いやそれがさ、本当に覚えてないんだよ」
「おまっ……! 莫迦だろう!?」
なんで自分の使役できる駒を把握していないんだよ!? 致命傷だぞ!
「そう?」
だがマイルズはこてんと首をかしげるだけだ。
「森に何本の木があるかなんていちいち気にしていられないだろう?」
「は?」
いきなり何を言い出すんだこいつは。
「君の故郷の言葉にあったよね。“木を隠すなら森の中”って。いい言葉だよね」
「何を……」
「ぁ……」
言い募ろうとした儂の耳にアリシアの声が割り込む。
同時に、目に映ったのは人間……だったものか?
そいつの顔は半分以上が黒ずみ、左目が焼け落ちている。残った右目は白く濁って何も見ていない。首から下は真新しい服や手袋で覆い隠していて、それが余計に損傷の酷さを物語っている。
かろうじて残った茶色の頭髪だけが、その正体を示していた。
「お父さん……? なんで……」
かすれたアリシアの声は、儂の感情を代弁していた。
まさか。あり得ない。確かに斬ったはず。
……いや、まさか。そんな……。
「マイルズうううぅぅぅ!!」
頭に血が上る。絶叫して目の前の存在に斬りかかった。狙うは首。防御も忘れて驚いた顔をするマイルズに向けて振り抜く。
ばぢんっ!
稲妻のような音と共に刀が弾かれる。倒れるのだけは避けたが、たたらを踏んだ隙を突かれた。背後から体当たりを食らい、倒れたところへ何人ものしかかってきた。
繋いだ目の向こうでは、ハロルドだったものが剣を振りかぶっているのが見えた。
「逃げろアリシア!」
立ちすくんでいるアリシアに向けて叫ぶ。振り下ろされた剣は、割って入ったクレアによって受け止められた。
「くっ……あ……」
頭上にあった剣がじりじりとクレアに迫る。かつての将軍候補だったハロルドの体は、死体であってもその膂力を遺憾なく発揮していた。
「おお、すごいすごい」
マイルズは他人事のように拍手をしていた。
「うちの中でも一番強いんだよー。すぐに押し負けちゃうと思ったけど、意外とやるね」
そう言いながら胸元に手を突っ込み、何かを引っ張り出す。
「それに、これもけっこう便利だね」
それは紛れもなく、アリシアがハロルドのために作ったお守りだった。
そうか、くそっ、やられた!
死霊術は死体を操るだけでなく、任意の魂を呼び寄せたり、特定の場所への拘束、さらには死体の修復まである。死体や魂が絡むことはすべて死霊術に分類されるから、かなり幅の広い魔法だと知ってたまげた。
だが、まさか斬られた上に燃やされていたハロルドの体を修復しただなんて想定外だ!おまけに一緒に燃えたと思っていた防御魔法のお守りをマイルズが持っているとは。
囮なのはこいつも同じだったということか!
「悪いけど、仲間にできない魔剣士なんていらないから」
マイルズは買い物を頼むような口調で言った。
「死んで」
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