第三幕ー参
次の日、儂らは全員で軍内部の図書室に入り浸っていた。
「ほい、七番の棚の最上段にある魔法全集一覧だ」
「ありがとー」
十人分の椅子を備えた長机には、大量の本が所狭しと積まれている。
そのすべてが魔方陣の記された本で、アリシアはその図案がある頁を探しては閉じ、別の本を開いては閉じて脇に積んでいく。不要になった本は儂ら三人が手分けして元の場所に戻している。
事の発端はアリシアの一言だった。
「なんか、気持ち悪い」
上層部に用意させたニルウェルの地図を全員で睨んでいた時だ。城塞都市として発展したニルウェルは、防壁で街をぐるりと囲んでいる。出入りできるのは北と南に設置された二つの関所だけで、他から侵入しようものなら見張りの矢が飛んでくる。
街の中も貴族街や商業街など区分けされている。だがどこも複雑に入り組んでいて、下手をすれば地元住人も迷子になりそうだ。ちなみにマイルズの根城である市長の屋敷は貴族街の少し奥にある。
たしかに妙なところに建物を配置していて、もっと上手い区画整理ができるだろうにと思ったが、アリシアの視点は違った。
「ほら、これって魔方陣みたいじゃん。ここだけ空白地帯なの」
そう言って紙に描き出されたのは、簡略化されたニルウェルの街。余計な記号を取り払い、防壁の中に描かれたのは複雑に絡み合う道。浮かび上がったものを見れば、なるほど魔方陣に見えなくもない。アリシアが示した空白地帯も鮮明になった。
「たしかにそれっぽいけど……。ここに何が入るの?」
ラルフが問う。
「わからない」
アリシアの即答に膝から崩れ落ちそうになった。
「でも、たぶん探したら見付かると思う」
……というわけで、アリシアは朝からずっと魔方陣を眺め――もとい、探している。元の図案は頭に入っているらしく、およそ読んでいるとは言い難い速度で頁を繰っていく。その集中力は刺繍の時とほぼ変わらない。本の山が順調に消えていき、また新しい本の山が積まれていく。
食事などで席を離れなければならない時は、感覚を繋いだ儂が代わりに本を読んだ。頁をぱらぱらとめくっていくだけの単調な作業は欠伸が出そうだったが、アリシアが頁に振られた番号まで覚えているから読み飛ばしもできず、たまに手が止まっていると小声で注意された。
時間がかかると踏んだラルフが夜間利用の申請を出し、同時に特別閲覧室の利用も申請した。
特別閲覧室とは、名前の通り特別な場合においてのみ利用できる書架だ。主に禁忌の魔法を記した魔導書や古代の危ない儀式などについて記された本が置かれている。蔵書の内容が内容なだけに、申請から許可が下りるまで時間がかかってしまうのが今はもどかしい。儂ら魔剣の製造方法を記した本もこの中に入っているが、残念ながら壊し方までは載っていない。まあ壊せるならとっくの昔に壊しているが。
そうして丸一日かけて普通閲覧室の魔導書をほとんど読破したアリシアだったが、空白地帯を埋める魔法は見付からなかった。
「さすがに今日はもう遅いわ」
クレアが懐中時計を見た。時刻は午前一時を回っている。見回りの兵以外は寝静まっている頃だ。
「引き上げましょう」
「うん……」
眉間にしわを寄せたアリシアが頷く。眠いのを我慢している時の癖だ。根を詰めすぎた自覚はあったらしい。
「儂が全部戻しておく。お前さんたちはアリシアを送ってくれ」
「わかりました」
棚に戻していない本がまだ十数冊とある。何度も欠伸をするアリシアを連れた二人を見送って、儂は本を手に取った。
明るいうちから積んでは戻してを繰り返してきたが、その作業が終わるとほっと一息つく。このまま戻るのも面白くないから、気晴らしがてら見回り当番を驚かせに行こうか。
どんな方法で驚かせようかと考えを巡らせる中、近付く靴音を聞いた。さっそく来たか? いや、それにしては足取りに迷いがないし、靴音が重い。
立ち止まってやり過ごそうとしていたが、なんと靴音の主はこちらにやって来た。
「ああ、ここにいたか」
灯りを手にこちらを見やったのは、ワイズ元帥だった。
「……なんでここに?」
軍の頭であるこいつが、こんな夜中に来るなんて。しかもあの口ぶりだと、目的は儂なのか?
「いや何、君と話をしたくてな」
そう言いながら、こちらの承諾もなしに手近な椅子にどっかりと腰を下ろす。手で向かい側の席を勧められ、仕方なく座る。拒否権はないようだ。
「……で? 用件は何だ?」
ただのお喋りをしに来たわけじゃないはず。長ったらしい前置きを挟ませずに促せば、元帥はゆっくりと頷いた。
「…………マイルズについて、知りえるすべてを伝えに来た」
儂は目を見開いた。欲しいと思っていたものが目の前に現れたのだ。願ってもいないことだが、すぐに飛び付けるほど甘くないのもわかっている。
「なぜだ? 何が目的だ?」
あくまでも儂は魔剣だ。実際に動くのが儂だとしても、儂に話して一体何の利益があるのか。そしてマイルズの傀儡になっているこいつがこの情報を漏らしても構わないと思えるほどの魅力がどこにある?
「マイルズから連絡がきた」
元帥の言葉に息を呑む。
「奴は当初、君たちを仲間に引き入れようとしていた。だがそれが失敗に終わり、反撃に転じてくるだろうから、その準備を整えておくとのことだった」
「――――」
言葉を失う。こちらの動きがすべて読まれている。
いや、奴は昔から頭の回転が速く、賢かった。自分にとって不利になる要素は徹底的に排除し、自らお膳立てして本番に臨む。刀鍛冶の反撃だって、儂が魔剣として完成した直後でなければ成功しなかった。それくらい隙がないのだ。
「日程はこちらが指定していいと。住人を傷つけたくないから、当日は理由をつけて軍を派遣するようにとも言っていた」
白々しい。あれだけ脅しておいて何を言うのか。いや、待て。それはつまり。
「全力で儂らとぶつかるつもりか?」
元帥が首肯した。
奴の能力は死霊術。戦力をすべて投入してくる気だろう。そうなると操れない生身の人間は邪魔でしかない。適当に軍に保護してもらって、心置きなく戦いたいということか。
「できれば君たちに勝ってもらいたい。いや、勝ってくれ。奴が動き出した今を逃せば、この国は永遠に奴の手の中だ」
がたりと椅子を押しのけ、元帥が頭を下げる。なるほど、この時間に儂を訪ねてきたのはそういうことだったのか。たしかにこんな光景は見られたくないだろう。
「……座ってくれ、元帥」
とはいえ、儂もそれに愉悦を感じるほど腐ってはいない。
「前も言ったが、奴と戦って勝てる見込みは薄い。もちろんあっさり負けてやる気はないがな」
だが、と儂は言葉を重ねる。
「知りえるすべてを教えると言ったな。マイルズに関すること、奴が握っているお前さんたちの弱みも含めてすべて聞かせてもらうぞ」
元帥は重々しく頷いた。
「もちろんだ」
◆ ◆ ◆
目の前で開く扉を、アリシアたちが呆然と見上げていた。
「本当に開いた……」
「普通、許可が下りるのって最短でも一カ月かかるのよ……?」
禁忌の魔導書を収めた特別閲覧室。その扉を開けさせたものを手に儂は笑った。
「いいじゃないか。これで調べ物もはかどるだろう?」
「いやそうなんですけどね? なんだろう、この理解はしているけど納得できない感じ……」
頭を抱える三人を置いて、儂はさっさと室内に入る。
アリシアたちが戻ってくるまでの数時間をかけて、儂は元帥からマイルズの情報を引き出した。儂が知っている部分は省いてもらったが、それにしても膨大な量だった。
加えて特別閲覧室の申請を出していることを話すと、「これを見せるといい」と言って徽章を一つ貸してくれた。まさかこれ一つであっさり申請が通るとは思わなかったが。元帥の権限って恐ろしい。
元帥から得た情報を活かすにはもう少し時間をかけなければならない。その間はアリシアの探し物のために体を動かした。
国が閲覧制限をかけた本だ。禁忌の魔導書のみならず、国にとって不都合だが処分できない“訳アリ”の本も多数所蔵されている。その中から魔導書を選び出すのは儂にとって一苦労だった。達筆の表題なんか読めん。
「ムラマサ、貴方は片付けに専念して」
何度か関係のない本を持ってきてしまい、ついにクレアにそう言い渡された。
もっとも、特別閲覧室の蔵書数は図書室に比べて少ない。出る幕がほとんどなくなった儂は刀の姿に戻った。
二人が忙しなく動く音や、アリシアがひたすら頁をめくる音を聞きながら、儂は考える。
元帥が昨夜儂を訪ねてきたことは、徽章をみせるついでに話した。だが内容はまだ詳しく話していない。魔方陣を見付けるのが先決だったし、情報を詰め込みすぎて混乱してほしくなかった。儂自身、まだ整理できていなかったというのもある。
元帥の話によれば、マイルズがニルウェルにいるとわかったのはおよそ三十年前。状況は今とほとんど同じ、駐留軍の定期連絡が途切れたのがきっかけだった。
調査隊が派遣され、戻ってきた彼らは青ざめた顔で報告した。
「マイルズ・アンカーソンにニルウェルを占拠された。駐留軍も乗っ取られた」
魔剣創造の発起人であり、自身も魔剣にされたマイルズ。奴がどういった経緯でニルウェルを手に入れられたかは不明だが、方法は予想がつく。誰かを乗っ取ってニルウェルの権力者に取り入り、自分の立場を盤石なものにしてから仮面を取ったのだろう。
あとはマイルズの独壇場だ。国防の重要拠点であるニルウェルそのものを人質に取り、軍の上層部も逆らえないように家族を取り上げた。刺激しなければ表面上の平和は保てる。常に命を握られながら、軍も反撃の機会をうかがっていた。
魔剣に対抗するには魔剣しかない。そういう意味では儂とアリシアの契約は反撃の糸口になった。だが、奴は魔剣士の到来を誰よりも待ち望んでいた。自分では成し得なかったことを成功させた存在に焦がれたのだ。
まだ幼いアリシアを戦場に立たせるわけにはいかない。そもそも戦えるかもわからない。上層部が必死に隠蔽していたようだが、結局はマイルズの耳に届いてしまった。
十年も隠し通せていたのだから、かなり持った方だと思う。契約直後に知られていたらさすがに太刀打ちできなかった。それこそ他の奴らと同じように、アリシアを人質に取られて奴の手先になっていただろう。
後手後手に回るのは想定の範囲内だ。あの切れ者のマイルズを出し抜ける奴なんてそうそういない。奴が不意打ちを受けたのだって数える程度だ。視界の外、一瞬の油断や傲りが見えた時。だがそれを意識して引き出すのは至難の業だ。
ニルウェルを壊滅させるのも承知の上でこちらを挑発しているあいつにどうしたら――
「アリシアちゃん、アリシアちゃん!」
ラルフが小声で、なるべく足音を立てずに駆け寄ってきた。
「これ、先に読んでもらってもいい?」
「うん」
読みかけだっただろう本を押しのけ、渡された本を開く。
……なんだ? 一度思考を中断して顕現する。
ぱらぱらとめくられていく内容は、一見すると他の魔導書と大差ない。だがその中に見覚えのある陣があった。
「魔剣創造の陣……!?」
十二本の魔剣がこの陣によって創られた。その頁を飛ばし、アリシアは記された魔方陣一つひとつを頭の中で照合する。
やがて。
「――あった」
頁を繰る手が止まった。
そこに記されている魔方陣と、アリシアが描いた魔方陣を見比べる。
空白地帯を除けばすべて一致する。そこに記されていたのは
「し……じゅ……?」
「死霊術。それも、複数の個体を一度に操れるとびっきりのだよ」
アリシアが簡潔に読み上げる。
納得した。
マイルズは街全体を死霊術の魔方陣として機能させていたのだ。さすがにこんな大規模な陣を動かしていれば、本人が街を離れるわけにはいかない。奴の方から攻めてこられない理由がわかっただけでなく、術の絡繰りも判明した。
空白地帯はちょうど市長の屋敷と重なる。そこが要か囮か。囮だとしたらまずいな。
それに街路そのものが陣として機能している以上、破壊だって容易ではない。
「アリシア」
沈黙を破ったのはクレアだった。
「あなた、阻害魔法の陣はどれくらい覚えている?」
阻害魔法。文字通り行く手を阻む妨害系の魔法だ。
「普通閲覧室のものはだいたい知ってるよ」
こともなげにアリシアが答える。こいつの図柄に関する記憶力は本当に底が見えない。
「なら、ここにあるものもついでに全部覚えてもらってもいい?」
「ブラント曹長、何をするんですか?」
たまらずラルフが声を上げた。儂も考えが見えない。
クレアが口を開く。
その内容に儂は驚き、そして失笑した。
「なるほど。やってみる価値はあるな」
「アリシアちゃん、できそう?」
ラルフの問いに、アリシアはぱらぱらと本をめくる。
「図案なら一日で覚えられるよ。そこから下書きと制作で……二週間ちょうだい」
他の針子が聞いたら引っ繰り返りそうな期限だ。だがこいつの腕前を知っている儂らは顔を見合わせて頷く。
「なら、儂は元帥のところで日程のすり合わせでもしてくるかな」
「えっ、元帥? なんで?」
特別閲覧室を出ていこうとした儂をアリシアが引き留める。
ああ、そうだ。言っていなかった。
「いや、元帥がマイルズの情報をくれたからな。あいつ儂らと戦うために軍を動員して住人を避難させるとか言い出したらしいから」
「「「そういうのは先に言え!!」」」
三人分の怒声が狭い部屋に反響する。司書が何事かと飛び込んできて
「図書室で大声を出すな」
と横一列に正座させられて説教までされた。
儂、大声出してないのに。解せぬ。
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