第三幕ー弐
あてがわれた部屋に戻ると、アリシアは寝台に座り込んだ。二週間もほったらかしにしていたから、勢いよく埃が舞い上がる。
「窓、開けるぞ」
一言断ってから窓を開け放つ。新鮮な空気が入り込んできた。
空はすでに夕暮れの赤に染まっている。じきに真っ暗になるだろう。
「…………」
アリシアは無言で布団を叩き始めた。それに合わせて新しく埃が舞う。
やがて両の拳だけでは満足せず、枕を叩き始める。次第に力は強くなり、枕そのものを使って叩き始めた。
枕がばふばふと音を鳴らし、埃と一緒に中の羽根も撒き散らす。片付けが面倒なことになりそうだと思いつつ、彼女の気が済むまでずっと手も口も出さなかった。
いつになく荒れている理由。それはワイズ元帥が放った「ハロルドはマイルズが殺した」という発言に他ならない。
マイルズがいつから活動していたのかは不明だが、少なくとも十年以上前にはいたはずだ。仮にハロルドが自ら志願してニルウェルに向かおうとしても、何かしらの理由をつけて別の地方へ異動できる力がまだあったはずだ。
それができないほどマイルズの影響が強かったのであれば、軍の脆弱性が浮き彫りになる。逆にまだ歯止めがきいたのにわざと放置したというのなら、ハロルドは生贄としてニルウェルに向かわされたことになる。
直接手をかけたのがマイルズであったとしても、そう仕向けたのは上層部だ。彼らも同罪だと、糾弾しようと思えばできた。
しかしアリシアはただ「そうですか」と返事をするに留めた。言語化できない感情を持て余しているのか、枕だけでは飽き足らず衣装掛けも引き倒す。
「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……」
もう息が上がっている。体力的なものではなく、まだ燻っている怒りが呼吸に乗って吐き出されてく。そのままふらふらと寝台へ移動してうつぶせに倒れた。埃と羽根が舞い上がり、くしゃみを誘った。
「……ねえ、ムラマサ」
まだ息の荒いアリシアが呼ぶ。
「ムラマサは、なんでお父さんを殺そうって思ったの?」
「…………」
返答に詰まる。
この質問はまだアリシアの本心ではない。知りたいことの一つであっても、本当に知りたいこと、言いたいことは別のものだ。十年も一緒にいると、そういうのがおのずとわかってきてしまう。
「…………どう言えばいいか」
腕を組む。作戦を考えたり、情報を引き出すための言葉はするすると出てくるのに、こういう時の言葉というのはなかなか出てこない。
「……儂は、ハロルドを一目見て、こいつは違うと思った」
毛布に顔をうずめていたアリシアがこちらを見る。
「あいつは、十年前に出会ったあの時の姿のままだった」
十年前、儂がアリシアと契約し、安定してこの世に顕現できた時。
人質にもなると思い、こいつを抱えて外に出た儂は、帝都を巡回中だった軍にあっさりと見つかった。
せっかく自由の身になったのに、みすみすそれを手放すわけにはいかない。不安と恐怖で泣き叫ぶアリシアを盾にしながら逃げ回り、火で威嚇しながら街の外を目指した。
だがそう上手く行くわけがなかった。契約したてで勝手がわからない中、闇雲に火を放ったのが拙かった。膨大だったはずの魔力はあっという間に底をつき、この姿を維持するのも難しくなってしまった。
剣を突き付けられ、二人そろって殺される――いや、アリシアを殺して契約を解かれるのだと歯ぎしりした時、城の方から伝令が飛んできた。
適合者と魔剣を城へ連れてこい、と。
途中で力尽きて刀に戻ってしまったが、儂らは“使える”と見込まれて生かされることとなった。
ハロルドとはそれきり会っていなかったが、なるほど親子だと逃げながら感心したのを覚えている。娘と同じ色の髪と目、そして雰囲気が、嫌でも二人の繋がりを示していた。
「マイルズの能力は大方見当が付いている。だから、たとえお前さんの父親であっても、あれは違うと判断できた」
「……能力?」
「ああ」
儂は頷いた。
「奴の能力は“死霊術”だ」
アリシアが目を見開いた。
魔剣にはそれぞれ固有の能力がある。というか、生前の罪や犯行の道具に由来したものしか使えない。
かつてヒノモトにいた儂は、ある国をたった一人で滅ぼした。国のあちこちに火を放って混乱を誘い、手当たり次第に殺して回ったのだ。国主も殺し、燃え盛る城から火の海を見下ろして、ひどい虚しさに襲われたのを覚えている。
その後、騒ぎを聞きつけた隣国の兵に捕らえられ、儂は“国殺し”と呼ばれるようになった。マイルズの横やりがなければ、そのまま首を刎ねられていただろう。
魔剣に創り変えられてからは火の魔法を操るようになった。練習して火の形を変えられるようにはなったが、他の魔法はどう頑張っても使えなかった。
マイルズが扱う死霊術は禁忌の一つだ。それだけでも十分に厄介だし、同時にあいつらしいとも思った。
「禁忌の死霊術が使える、って……。やっぱり、魔剣の発案者だから?」
「だろうな」
それ以外に理由は考えられない。
「奴の使役範囲がどの程度かはまだ想像の範囲内だが、問題なく扱えるのはあの街の中くらいだろう」
「どうして?」
「これまでの特異事件を思い出してみろ。範囲こそ国全体に及んでいるが、それぞれの活動範囲は限定的だっただろう?」
村を一つ簡単に滅ぼせるほどの力を死体に宿せる。それだけでも十分に脅威だし、実際に苦戦を強いられた。だが三つの事件は同時多発的に起こったのではなく、期間をおいて発覚するよう仕組まれていた。
「街の外で動かすのは危険が伴う。できるだけ時期をかぶせないよう、奴も慎重に動かしていたはずだ」
ずっと掌の上で踊らされていたのは癪に障るが、事件の情報を紐解くだけでも奴の能力の限界を測れる。
「まああくまでもマイルズがニルウェルを離れなければ、という条件付きだ。あいつがニルウェルを放棄したらどれだけの規模を操れるのか想像がつかん」
あの調子だと十人くらい同時に操れるかもしれない。付き合いの短い儂でも悪趣味だと毒づけるくらい酷いのだ。もし魔剣創造に協力させられていた魔術師がこれを知ったら卒倒していたかもしれない。
「話が逸れたが、ハロルドの見た目は十年前とほとんど変わっていなかった。十年経っても見た目が変化しないなんてあり得ない。だから、マイルズの手に落ちたんだろうと儂は考えた」
「だからって、殺さなくても……」
「問答無用で斬りかかられてまだ言うか?」
枕を抱えてもごもごと文句を言うアリシアに儂も呆れる。
「というかお前さん、十年前も似たような状況だったよな?」
「う……」
アリシアが呻く。
まあ自分の娘が魔剣の適合者だったなんて醜聞以外の何物でもないから、消したいのは理解できる。が、だからって突進してくるとは思わなかった。儂がびびってアリシアを引き寄せなかったら間違いなく斬られていたぞ。
「あれは……ムラマサに唆されたわたしが悪かったし……」
「そして性懲りもなくまた今回も近付いていったよな?」
「だって!」
がばりと起き上がる。その目はどこか必死なように見えた。
「…………少しは、認めてくれるかなって」
「はぁっ?」
思わず変な声が出た。アリシアが恨めしそうな視線を寄越す。
「……何?」
「いや……。認めるって、何をだ?」
こいつの軍人としての才のなさは周知のこと。ハロルドがそれを生前知っていたかどうかは別として、一体何を認めてもらいたかったのだろうか。
「……わたし自身のこと」
「うん?」
ぼそりと零された答えに、儂は首をかしげる。
「お父さん、本当は男の子が欲しかったんだって。でもわたしを産む時に、お母さん死んじゃったから。他の男の子に混じって体を動かしたり、馬に乗せたり、いろいろと頑張ってたの」
「あー……」
なんか納得した。
あんな年端もいかない子どもが、そしていかにもお人形遊びが好きそうな女の子が何で武器屋に入り浸っているのかと思ったら。父親の理想に少しでも近付こうと努力していたのか。
子どものみならず、他人を思い通りに動かそうとする奴は山ほど見てきたが。こいつの父親もそうだったのか。
「つーか、そんなに男が欲しかったら、どっかから貰うなり新しい嫁さんに産んでもらった方が早くないか?」
「お母さんにゾッコンだったみたいだから、再婚はあり得ないと思うよ? それに夫婦ならともかく、養子を迎えるのはひとり親だと厳しいと思うな。ただでさえ軍人って忙しいし」
「あ、そう……」
たしかに昼夜逆転の仕事も珍しくないのに、養子を貰って実子とまとめて育てるなんて無茶がすぎる。
とはいえ、ハロルドもこいつが軍人に向いていないのは薄々感付いていたのかもしれない。儂と契約した時、娘が呪われたという大義名分のもとに斬り捨てるつもりだったのだろう。今となっては知りようもないが。
「軍属になったけど、入れ違いにお父さんは出ていっちゃったし。何か力になれればって考えて、お守りとか作ってみたけど……」
寝台の上でアリシアが膝を抱える。
「お父さん、死んじゃって……何のために頑張ってきたのかなって……」
膝に顔をうずめる。今まで刺繍の腕を上げてきたのも、軍人とは別の方向から自分のことを認めてもらいたいという感情があったのか。
こういう時、どうやったらこいつを慰められるのかわからない。
物心ついた時には一人だった。たまに徒党を組んでも、すぐに裏切り裏切られて一人に戻る。心を許した人物はただの一人もいなかった。
そんな儂が何をしてやれるのか。
つまらない話なら聞かせてやれるし、聞くこともできる。だがそれだけだ。励まし方も慰め方もわからない。立ち直らせる方法なんて皆目見当も付かなかった。
「アリシア」
だから、儂は思ったことを口にした。
「お前さん、親父さんのために生きていたのか?」
「…………」
返答はない。だがわずかに上げられたその顔は驚愕に震えていた。
「今までの話を聞いているとそう感じるんだ」
子ども時代から男の子にまぎれて行動させられていた。たまたま武器屋で興味のあるものがあったからよかったものの、刺繍が好きなこいつに外遊びは酷だったろう。
「なあアリシア、答えてくれ」
儂は呼び掛ける。
「お前さんは今何がしたい? 何ができる?」
「……わたしは」
ほとんど吐息のような言葉が出る。だがそれ以上は続かず、アリシアは頭を抱えた。
「わたしは……魔剣士だから……。役に立たないと……力にならないと……」
「軍はお前さんに何も期待しちゃいない」
断言する。
あの会議室でのやりとりでわかった。奴らが欲し、恐れているのは儂の力であって、アリシア個人には興味がない。むしろ儂をここに置いておくための人質でしかないのだ。
「お前さんは儂の契約者で、主だ。それ以上でもそれ以下でもない。お前さんの気持ち一つで儂はこの国からとんずらできるし、マイルズに喧嘩も売れる」
アリシアの肩がびくりと揺れた。
「それって」
ゆっくりと顔が上がる。
「逃げるってこと?」
――そう。
時間をもらった本当の目的はこれだ。
奴らはアリシアの才能のなさに見切りをつけ、籍こそ軍に置かせたが権限も制約も与えていなかった。
普段はそれでよかった。特に行く当てのない儂も無闇に動いてアリシアを危険に晒したくなかった。下手に動いて「謀反」の名目で追われるよりは、ひとまずの安全を保障してくれるここに居座っていただけだった。
だがマイルズが動き出した今、混乱に乗じて姿をくらますことが出来る。数年は地下に潜る必要があるが、自由を手に入れられると考えれば安いものだ。
「あくまでも儂の主はお前さんであって軍でも国でもない。さあどうするアリシア? 道は二つに一つだ」
逃げるか、戦うか。
アリシアが息を吸う。
その答えは、ばんっ! と音を立てて開かれた扉に遮られた。
「ムラマサ! 貴方なんてこと吹き込んでんのよ!」
突入してきたのはクレアだった。不意打ちで硬直している儂の胸倉を掴む。
「百歩譲って少佐の件は同意よ。平原の獅子と謳われたゲルマニア帝国軍人として恥ずべき行為よ。でも貴方、今アリシアに逃亡を唆したわよね? この国の一大事に逃げるですって? 正気じゃないわ!」
「ちょ、ちょ、ブラント曹長、落ち着いて……」
「落ち着いていられないわよ!」
追いかけてきたラルフが止めようとしたが、振り払われた。肘が良い場所に入ってしまったらしく、その場に力なくうずくまる。
アリシアが彼に駆け寄ったのを横目に見ながら、儂は肩をすくめた。
「儂は選択肢を示したまでだ。決めるのはアリシアで、儂はそれに従うまでだ」
「それこそ逃げじゃないの! マイルズの言う“国殺し”がどの程度かは知らないけど、貴方だって相応の力を持っているんじゃないの!? それを今ここで使わなくてどうするの!」
「っはっはっはっは!」
笑いが勝手に口をついて出た。
「勘違いするなクレア。儂の力をどこで使うかは儂自身が決めることだ。お前さんに指図される謂れはない」
「なっ……」
絶句したクレアだが、今度はすぐに復活した。
「ふざけないで頂戴! 帝国の管理下にある貴方たち魔剣に決定権なんてないのよ? 何のために先人たちが危険を冒して回収してきたと思っているの。国の危機に立ち向かわせるためよ!」
「それはお前さんたちが勝手に決めたことだ。儂らには関係ない」
「……っ!」
クレアの指先が白くなるほど握りしめられる。まだ言い足りないとわかるほど顔は真っ赤だが、言葉が感情に追いついていないのだろう。
「それと、いいことを教えてやる」
儂は前へ進み出る。クレアが慌てて後ろへ下がろうとしたが、それよりも先に儂が彼女をすり抜けていってしまった。呆然とその様子を見ていたアリシアの脇に立って、儂は振り返る。
「儂の体は魔力の塊だ。濃淡を調節すればどこにだって行けるし、なんでも触れる」
禁忌の魔法で生み出されただけあって、魔剣自体に膨大な魔力が備わっている。魔力が少なくなると息切れに似た症状が出るが、それだって契約したての頃とニルウェルを脱出するときの二回しか経験していない。
「たとえば」
握手を求めるように右手を伸ばす。その先にあるクレアの左胸に手を突っ込み、脈打つ塊に触れる。うわ、これ意外と気持ち悪いな。
「こうして心臓にじかに触れることだってできる」
そんなことはおくびにも出さずに言い放つ。久しぶりに道具扱いされてむかついたのだ。これくらいの意趣返しはさせてもらいたい。
クレアの顔から血の気が失せ、呼吸が止まる。恐怖からか心臓が早鐘を打っている。
「だ、駄目、駄目だよムラマサ!」
アリシアが儂の羽織を掴んだ。
「殺しちゃ駄目! お願い、放して! 殺さないで!」
「…………」
儂はわざとアリシアを一瞥してから、クレアを解放する。ずるりと手を抜くと、クレアはその場にへたり込んだ。
「ブラント曹長!」
座り込んだクレアにラルフが寄り添う。呼吸の仕方を思い出そうとしている彼女の背を何度も撫でる。
嗚呼、気持ち悪かった。
「……で?」
感触を振り払うように手を振りながら、儂はアリシアを見た。
「どうする、アリシア? お前さんはどうしたいんだ?」
そう。まだ何も決まっていない。
今までは軍の命令に従っていた。アリシアはその中継地点に過ぎなかった。
だが今は違う。
マイルズに支配されている上層部からの命令は意味を成さない。儂自身、マイルズに一泡吹かせてやりたいと思っていなくもないから、挑むのはやぶさかではない。ただあまりにも危険なのだ。
アリシアの意見一つで儂は帝国の敵にも味方にもなる。
ここが分岐点だ。
どうする、アリシア。
「わたしは……」
アリシアが目を伏せる。羽織を掴む手が震えている。迷っているのか。
「わたしは、マイルズが許せない……。街の人たちをあんなに怖がらせて、お父さんや、いろんな人たちを酷い目に遭わせて……。でも、どうしたらいいのかわからないの。まともに戦えないわたしが足手まといになって、ムラマサたちを危険に晒したくない」
どうしたらいいの、と消え入るような声でアリシアは言った。
そういうことか。ちらとクレアとラルフを見やれば、二人も互いに目配せをしていた。
アリシアの髪をぐしゃぐしゃと撫でてやる。困惑した顔でこちらを見る彼女に儂は笑いかけた。
「つまり、マイルズを倒したいってことだろ?」
「そ、そうだけど……」
「十分だ」
腹が決まればこっちのものだ。
「さっきも言っただろう? お前さんは儂の主だ。主は後ろで構えていろ。実際に行動するのは儂だ」
「でも……」
「今までと同じだ。前線に出て力を発揮する儂と、後方で情報を集め、支援するアリシア」
しかもアリシアは儂の活動の要だ。戦いになったらマイルズは必ず狙ってくる。
「元帥たちから時間はもぎ取った。作戦を練る時間は十分にある」
「…………」
アリシアが目を閉じ、深呼吸する。
次に目を開けた時、まっすぐ儂を見据えて言った。
「マイルズを倒したい。ムラマサ、お願いできる?」
儂はアリシアの手を羽織から外すと、仰々しく片膝をついてこうべを垂れた。
「我が主の仰せのままに」
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