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 結局、待てど暮らせど清一郎は現れなかった。

 点灯夫と黒猫に促されて百鬼屋に戻ると、清一郎の部屋の灯りがついているではないか。

「もう……何やの!」

 スズが思わずそう怒鳴ると、びっくりしたのか、黒猫が逃げ出した。一目散に、清一郎の部屋へと逃げ込もうとしている。

「あ、猫さん!」

 声をかけると、黒猫はピタリと立ち止まった。

「あの……ガス灯は綺麗でしたって、旦さんに言うといて」

 黒猫は、了承の返事とばかりに一声鳴き、また優雅に廊下を歩いて行った。

 黒猫に頼んだけれど、明日こそは自分で清一郎を見つけ出し、そして自分の口でお礼を言おうと、そう思ったのだった。

 だが、その予定は変更せざるを得なかった。

 寿子から急な訪問客の応対があると聞いたからだ。

「狸のご隠居はん……ですか?」

「そうや。幽世でも名のある御方でな、ほんの百年ほど前まで何百何千ものあやかしを従えてはった御大(おんたい)なんや。この百鬼屋も、先祖代々お付き合いさせてもろてて、清一郎なんぞはまるで頭が上がらへんのや」

「はぁ……ご隠居ということは、今はもう?」

「頭の座は息子はんに譲らはったらしいけど、今でも、あのお方の一声で幽世が動くいうんは、変わらへんと思うで。ちゃんとご挨拶せな」

 なんだか、とんでもない人のようだ。清一郎を捕まえるよりもずっと重い役目なのではないかと、スズは思ったのだった。

 そう、思ったのだが……

「いやぁ百鬼屋はん、この度はどうも、おめでとうさんどす。祝言の席は来られんで、申し訳ないことをしました。蝦夷の方まで呼ばれとりましてな。遅ればせながら、お祝いさせてもらいにはせ参じた次第です」

 そう言って恭しく頭を下げた巨漢は、まさしく狸で、その顔も狸そのもので、なんだか愛嬌があった。『何百何千のあやかしを従えた御大』『一声で幽世を動かす』と聞いていた人物像からはかけ離れた好々爺だった。ただ、客間に入りきるかどうかわからないほど大きな巨体であるということ以外は。

「わざわざのお越し、痛み入ります。こちら、うちの嫁のスズどす」

 寿子に促され、スズが深く頭を垂れる。

「お初にお目にかかります。百鬼屋八代目当主清一郎のつ……妻の、スズと申します」

 一応、まだ妻ではないのでそう名乗っていいのか迷ったが、寿子からは「ええから、そう言いよし」と言われている。

 そんな逡巡まで見抜かれたように、狸のご隠居は、ほんわか笑った。

「ええなぁ。思慮深くて遠慮深い、気持ちの優しいお人のようでんな。怖がりの清坊とは似合いの夫婦(めおと)になりますやろな」

「ご隠居はんも、そう思わはりますか?」

「もちろんや。清坊はちっちゃい頃からずーっと狸のおっちゃん、狸のおっちゃん言うて遊びに来てくれたんやで。倅よりもずぅっと可愛がっとったんや。ええ嫁はんが来てくれて、これほど嬉しいことはないわ」

「いややわぁ、おっちゃんやなんて……息子が失礼しました」

「まあまあ、ええがな。それで、可愛らしい若ご寮さんはお目にかかったけんど、その旦那はどこ行ったんでっか?」

 狸のご隠居は、きょろきょろと見回す。

 寿子もスズも、首を横に振るほかない。

「ありゃ。清坊、また(・・)でっか?」

また(・・)なんどす」

 清一郎を呼ぶよう言われると、必ずこの会話が聞こえる。それほどに、清一郎の逃げ癖は皆の知るところらしい。

 ご隠居は、カラカラと愉快そうに笑った。

「困ったもんやなぁ、あの坊は。まぁ見つけたら首根っこ捕まえて説教しとくさかい、安心しとくれやす」

 寿子とスズ、二人揃って深々とお辞儀をした。

 その時、ご隠居以外の足が見えた。部屋の端に座る、人と同じほどの身の丈のあやかしだ。人とほぼ同じような姿に見えるが、その額には角があった。左右二本あるうち、片方が折れている。

 その角のある男が、じっとスズの方を見つめている。

「なんや、善丸。若ご寮さんになんぞあるんか?」

「いえ、その……」

 善丸と呼ばれたその男は、僅かに戸惑ったようだが、静かにスズの方を指さした。

「若ご寮さまがお持ちのものが、わてにはほんの少し変な感じがしますので」


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