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 清一郎の所在は、謎に包まれていた。朝夕は部屋にいるようだが、昼間はいない。部屋から出た姿を、誰一人として目にしていないのだ。いつの間にか出て行って、いつの間にか戻っている。

(幽霊みたいなお人や)

 などと暢気に言ってもいられない。肝心の昼間に、彼を捕まえなければならないのだから。

 聞けば清一郎は、いつの間にかどこからか、変化の術を身につけたのだとか。先代店主も寿子も、そのような術は使えないので、どこかであやかしに連なる者にでも教わったのだろうと皆は言うが、あやかしが怖くて逃げ回る人が、あやかしから術を教わるだろうか。

 だいたい変化したとしても、誰かが変化した後の姿を見ているはずだ。

 そういうことは一切なく、皆一様に、気がつけば姿を消していたと言う。

(いつ居なくなってはるんやろう?)

 そう思い、スズは昨晩からずっと清一郎の部屋の前にいた。部屋の灯りが消えたところからずっと見ていたから、まだ中にいるはずだ。

 だが先ほど女中が朝餉を運んできた時は、何も返事がなかった。まだ寝ているのだろうと思っていたが、一向に動きが見えない。

 日は既に高く上り、もう昼になろうとしている。今部屋を覗いたら、もぬけの殻となっているのだろうか。

 意を決して、スズは部屋の前まで行ってみた。

「旦さん、スズどす。お茶をお持ちしました」

 返事は、ない。捕まえようとしているスズが来たのだからそれも当然かと思ったが、意外にも、襖は簡単に開いた。てっきり心張り棒でもかけられているかと思っていたのだが……。

 だが次の瞬間、思い切り脱力する。

「ああ、やられた……!」

 部屋は、やっぱり空っぽだった。清一郎の羽織と面もない。既に出かけてしまった後だとわかる。

 主のいない部屋に、猫の退屈そうな泣き声だけが響いている。祝言の日、スズの隣の席を埋めてくれていた黒猫だ。部屋の主が座るべき座布団の上に優雅に鎮座している。

「また、あんたと二人やなぁ」

 スズが手を伸ばすと、黒猫は背中を撫でるのを許してくれた。次いで、喉をそっと撫でてやると、ゴロゴロと心地よさそうな音を立てる。

「……ん?」

 よく見ると、首につけていた飾り紐に、何かが結わえられている。紙のようだ。

 黒猫が取って欲しそうに首をこすりつけてくるので、スズは紙を外してやった。よく見ると墨で何か書いてある。

「……読んでもええんかな?」

 黒猫に尋ねると、頷いたように見えた。

 丁寧に折りたたまれた紙を開いてみると、そこには達筆な文字で「スズ江」と書かれていた。

「うち宛て?」

 思いも寄らぬ文字に驚き、スズは読み進めた。といっても、書いてあったことはとても簡潔だった

『夕刻、心斎橋まで来られたし』

 これだけだ。

「何やの、これ? 果たし状?」

 スズが読み終えたのを確認したというように、黒猫はするりと部屋から出て行ってしまった。静かで優雅な足さばきの後、黒猫は一声、短く鳴いた。

 まるで「忘れるべからず」と釘を刺すかのような鳴き声だった。


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