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電話対応恐怖症

作者: 雉白書屋

 昨今の若い連中は電話対応が苦手だ。オフィスの電話が鳴っても、取ろうとする素振りを見せないどころか席を立ったり、顔を伏せたりする。いや、苦手どころか恐怖の象徴のようだ。顔を伏せるというのも、本当は一刻も早くその場から離れたいが、足がすくんで動けないのだ。

 まあ、気持ちはわからないでもない。おれも入社したてはそうだった。あの音を聞くとビクッと体が硬直し、憂鬱な気持ちになったものだ。おれは慣れたが、あまりに苦手で会社を辞めた同期もいる。尤も、電話対応の他に理由があったかもしれないが、うちの新人連中を見ているとそれだけだったとしても不思議ではない。

 他の仕事は普通にできるので、いつまでも慣れないのがわからないものだが、まあそれならそれで、と鳴った。よしよし。


「ちょっと、出てくれるかな」


「え、いや、あ、え、ぼ、僕がですか? 僕、僕?」


「他にいないからな。まあ、頼むよ。さあさあ」


 おれは新人の手を引き、電話の前に立たせた。新人は「なんで僕がなんで僕が」「どうしてだよぉ」と、先輩であるおれの前にもかかわらず、しきりにそう呟き、挙句恨みがましい目でおれを睨んだ。

 恨まれても困る。別に彼に狙いをつけていたわけじゃない。他の新人は電話が鳴り出した瞬間か、あるいはその前に逃げ出したようだ。どうも、そういった危機察知能力が高いようで感心すらするが、しかしそれが電話対応の苦手意識をさらに強めているように思えてならない。また、少子高齢化の影響で若者の数が少ないせいか、この世代の連中は仲間意識が強く、共鳴とでもいうのか右に倣えで他にも苦手なものが共通するらしかった。そういうわけで、電話対応が苦手な連中は、まるでオセロの色が塗り替えられるように今では一色。電話対応に対する恐怖の色に染まっている。

 新人の彼は恐竜か死んだ昆虫のように腕を曲げ手を前に出すだけで受話器を取ろうとしないので、仕方なくおれが取って渡してやり、彼が集中できるよう、そっと傍から離れた。


「あ、は、は、は、は、は、は、は」


 笑っているわけではない。『はい』と言おうとしているのだ。

 できれば、さっと会社名を言って欲しいのだが、そうもいかないようだ。足が小刻みに震えており、スーツの裾が熱帯魚の尾びれのように揺れられている。

 

「ご、ご、ご、ご、ご、ご、ご、ご」


『ご用件はなんでしょうか』と聞きたいのだろう。しかし、中々言葉が続かない。彼は極度のあがり症でも、何か他に病名がついているわけでもない。まあ、電話対応恐怖症とは言えるが……と、おれはニヤつく同僚の肩を拳で小突いた。気づかれなかったからいいが、お前が煽ってどうする。彼が今、電話を切ったらえらいことだ。馬鹿め、とおれは目で言う。


「ご、ご、お、ご、ご、ご、ご、ご、ご」


 彼は受話器をにぎにぎと、どこで持ったら一番しっくりくるか手探りしているようだ。うちの会社の電話は未だにコード付きのもので、スマートフォンしか手にしたことがないあの世代にとって、大変重く感じるのだろう。下がる腕に頭を合わせている。おまけに、ぐるぐるくねくねしているコードは彼らにとって目を回す作用があるらしく嫌悪感を露に、嗚咽までした。


「ご、ご、ご、ご、ご、ご、ごぉぉぉぉぉぉ」


 ゴー。行けということだろうか。こちらとしても同じ気持ちだ。一段目から躓くどころか階段の手前で膝をついているのだから。


「ご、ご、ご、ご、ご、ご、ほ、ほぉぉぉぉぉぉむ」


 ゴーホーム。家に帰りたいということだろうか。ただ息を漏らしただけだろうが、感情がこもっていた。

 おれは、ぶふっ、と笑いを漏らした同僚の脛を蹴ってやった。


「ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬぅ? ぬ、ぬ、ぬ、ぬま、ぬま、ぬま」


 そう、今の現状はまさしく沼で、彼も徐々に床に沈んで行っているが、電話相手が沼部という社員に用があると言っているのだろう。だが、あいにく今ここに沼部はいない。外に出ている。


「ぬま、ぬま、ぬま、ぬま、ぬま、ぬま、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ」


 辺りを見回す彼。どうにかこの底なし沼から出られないか木の枝でも探しているようだった。


「がい、がい、がい、がい、がぁぁい! ガイガイ! ガァァァァァ! ガアアアァァァァァァ!」


『外出中です』が言えず、力で押し切る作戦にしたようだ。首を絞められている鴨のような声だった。


「カワ! カワ! カワカワカワ!」


 合言葉。相手は『山』とでも答えただろうか。


「ゴヨ! ゴヨ! ゴヨウ! ゴヨウ!」


 御用だ御用だ。相手は合言葉を言えなかったらしい。


「オリ、オリ、オリ、オリ!」


 逮捕はうまく行ったようだ。檻の中に入っているのは彼のほうに見えるが。


「で、では、し、しつれい、しつれい、い、い、い!」


 と、どうやら『代わりにご用件をお伺いしましょうか?』『折り返し連絡させていただきましょうか?』という意味だったらしい。相手がそれに対し、どう返したかまではわからないが、いよいよ終わりの時だ。相手より先に電話を切ってはならないと言い含めておいたが……。


「は、は、はぁー、はぁー、はぁー! フー! フー!」


 早く解放されたいという欲求と必死に戦っているようだ。


「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あー! あー! うぅぅぅぅぅぅ」


 しかし、今回の相手は手強そうだ。中々切らない。


「うぅぅぅぅ! うー! あう! アァァァァァァァイ! キイイイァァァ!」


 威嚇に出たな。頭を振り、汗を飛ばして声を張り上げている。


「うー、うー、うぅぅぅぅ……あ、あ、あ! はぁー!」


 と、勝ったか……? 勝った! まるで失禁したかのような恍惚な笑みを浮かべ、彼はそっと受話器を置いた。

 ……と、こっちに電話がきた。スマホの通話ボタンを押す。


『よぉ』


「おう。へへへ、またこっちが勝ったみたいだな」


『あー、クソッ。いい線いってると思ったんだがなぁ』


「まあ、攻めは難しいわな。電話掛けた側が先に切るもんだし」


『そうなんだよなぁ。次はそっちが攻めだぞ』


「あいよ。と、その前に前回の分の賭け金と今回のを纏めて振込みよろしくな」


『次! 次で大きく賭けよう!』


「ダメだ。ほら、同僚のやつが首振ってるよ。あいつ、今月金ないんだとさ」


『ちくしょう、わかったよ。うちの連中も金ないんだがなぁ。今度、あそこの会社のやつと大きく賭けるかなぁ』


 と、電話対応が苦手な新人同士を戦わせ、賭けをするのが我々中堅社員連中の間で大流行している。

 先に電話を切ったほうが負け。と言っても、あまり強すぎても弱すぎても駄目。賭けの誘いが来なくなってしまう。その辺のバランス感覚はサラリーマン故、お手の物。

 この賭けのお陰で新人どもが金のガチョウに見え、可愛くて仕方がないのだ。


「な、なあ、なあって」


「ん、なんだよ。まだ電話中だぞ」


「ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、部長が、あ、あ、あ、あ、あれを、そそそ、そう、操作、しししてくれって」


「え、え、え、え、え、え、え、し、し、新人に、任せ、よ、よ、わわ、れ、れんちゅ、若い、れ、連中はととと得意、だ、だろ」


「だ、だ、だ、だ、駄目だ。さ、さ、さっきので、み、みんな、逃げ出し、し、し、し」


「あ、あいつ、あいつ、は、は、は?」


「で、でんわ、わわ、き、き、き、緊張の糸、が、き、切れて、き、気絶、し、してる」


「お、お、お、お、おま、おま」


「い、い、い、い、い、い、いや」


「た、た、た、た、たの」


「や、や、や、や、や、や、や、」


「あ、あ、あ、あ、あ、あれ」


「あ、あ、あ、あ、しゃ、しゃ、しゃ、しゃ、しゃちょ、う、う、う、どう、どう、どどどどうし?」


「も、も、も、も、もう、む、む、むり、ここここ、こんな、だだから、う、う、う、うち、と、と、とう、とう、とうさん、す、すす、する……」

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