表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

竜は蝶を追うシリーズ

隻眼の目が閉じる時

作者: 九藤 朋

 蝉の声がけたたましい。空には入道雲が君臨。

 外はうだるように暑いが、中学の図書室は夏休みでも冷房が入っていた。

 中学三年になる幼馴染の光瀬(みつせ)薫子(かおるこ)()原一(わらいっ)(しん)は、夏休みの課題と、来たる高校入試の為の勉強に勤しんでいる。二人とも成績優秀だが、薫子は理数がやや苦手だった。

「一芯。ここ、教えて」

 教科書を向かいに座る一芯の前に押し出し、シャーペンの頭で問題を指し示す。

 一芯は自分の勉強の手を休め、薫子から押し遣られた教科書とノートを見た。

「……因数分解のちょっとした応用。薫子、頭良いのに、変なとこでつまずくよね」

「嫌味言ってないで教えろ」

「はいはい」

 一芯は、青いフレームの眼鏡の向こう、細い左目を更に細くして、問題に見入る。右目は引き攣れた傷跡で閉ざされている。傷跡はともかく。

 薫子は幼馴染の風貌をつくづくと眺める。

「あんた、殊更に美化されて巷に出回ってるわよね」

「そうみたいだね」

 一芯は薫子のつまづいた問題を解き、且つ、解りやすい解説をノートに書き加えてやりながら、顔も上げずに答える。余り興味がない。

「実際に戦場で、……何だっけ、れっつ、パーティー? みたいなこと言ってたの?」

「言う訳ないでしょ。敵も味方もドン引きだって」

「じゃあ、刀をやたら何本も腰に差したりとか」

「それもないでしょ。非合理的。はい。出来たよ」

 ノートと教科書を薫子に返す。薫子は、それらを見て、成程、と頷く。

「有り難う。あの(かぶと)、バランス悪くなかったの?」

「あれは縁起物だからって父上のごり押しで。特に不自由はなかったけど。バランス感覚は右目を失くしてから鍛えられたから」

 薫子の目に罪悪感がよぎるのを見て、一芯はふ、と笑う。

「君は何も悪くないよ」

「…………この間、カツアゲされたって本当?」

「本当だけど」

「大丈夫だった? カツアゲして来た不良たちは」

「そこは僕を心配して欲しいところ」

「心配する要素がない。小十郎(こじゅうろう)がいたら殺すでしょうし、(しげ)(ざね)がいても殺すでしょうし、あんた一人でも半殺しくらいにするでしょ」

「まあ……。刀使わずに殺さずに、って難しいよね」

 一芯は一見、大人しい、真面目な学生だ。眼鏡も相乗効果となっている。

 猫を被ることが多いが、その本性は猛る灼熱(しゃくねつ)

 何となく、二人の手が止まり、意識が勉強から逸れた。

「……成実、泣いたらしいわよ。あんたが死んだ時」

「それが君の耳にまで届いたということは、あいつの失態だな。弱味は秘してこそなんぼだ」

 薫子が図書室の歴史コーナーに目を向ける。その中に、確実に以前の一芯の名はあるだろう。

「――――死ぬ時、どう思った?」

「んーーーー。家は残ったしやれることは全部、やったし。『ふう、やれやれ』?」

「じいさんか」

「いや、あの年齢はおじいさんでしょ。我ながら、よく生き永らえたほうだと思うよ。命の綱渡りにひやひやする人生だった」

「幸せだった?」

「そういう価値観念で生きることは難しかったよ。まず生き延びるのが大前提。次に家、血脈、領地の確保。課題が多いよねえ。(ひと)(とり)(ばし)で死ななかったから、よし、まだいける、と思った」

「猿に阿呆なパフォーマンスまでして」

「言わないで。羞恥プレイだから」

「側室たくさん持ちやがって」

 薫子が投げたシャーペンを、一芯は難なく受け留める。

「仕方ないって。家の為だったんだから。でも、君が産んでくれた子たちが、やっぱり一番可愛かったよ。五郎(いろ)()とか、君によく似てたから溺愛」

「……あの子も政略結婚だったわ」

「……ごめん」

 一芯が、身を乗り出した。

「薫子は、僕が死んだ時、泣いた?」

「教えない」

「ちぇ」

「弱味は秘してこそ、なんでしょ。あんたがさっさと死んだ後、八十五まで生きたあたしの身にもなってみなさいよ。家の行く末とか、子供たちの将来とか、見届ける責任感ですごく疲れたわ。あたしのほうこそ、『ふう、やれやれ』よ!」

「お互い大変だったねえ。――――――――君が、再婚しなくて良かった。今と同じ、栗色の髪は綺麗だったから、落飾(らくしょく)したのは勿体なかったけど」

 一芯の左目の柔和は、他の人間に向けられることはない。薫子は無意識に、自分のショートボブにした髪を触る。

「……今度は、前より長生きしてよ、一芯」

「薫子が僕のお嫁さんになってくれるなら」

 今度はペンケースが一芯に飛んで来た。パシッと一芯の左手に収まる。

「そういう駆け引きめいたことやめろ。悪習直せ、莫迦武将」

 昔の一芯を知り、そんなことを言ってのけるのは薫子くらいだ。

「薫子。物は大切にしないと。それに僕、文武両道って評判だったけど。もう少し、早く生まれてたら、会ってみたかった人もいたんだけどなあ」

 悪い予感を覚えながら、薫子は低い声で尋ねた。

「――――誰」

 一芯がにっこり笑った。

「織田信長公」

「……」

「信長公が死んだ時、僕はまだ家督も継いでない若造だったから、あちらとしては目もくれない存在だったろうけどね」

 一芯が昔、師事していた和尚は、彼に家臣の前で横になる姿を見せるなと説いた。一芯はその教えを死ぬ時まで忠実に守った。


『ふう、やれやれ』


 そう、思ったのは確かだが、薄れゆく意識の中、最後に彼の脳裏に浮かんだのは、数え年十二の幼さで嫁いできた、前の薫子の笑顔だった。また逢いたい、と思った。




落飾:貴人が髪を剃り落として仏門に入ること。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ