十一月の出来事・⑧
昼下がり。薮の中。
ゆっくりと右手を得物から外した。顔には迷彩色を塗りたくった面をしているので、それをくぐらせるようにして、右の人差し指を口元に運んだ。
そして時間をかけて歯を立てた。指先の神経まで脳髄に繋がっている事を確認するように、ゆっくりと。
填めている軍手の人差し指の部分だけ切り飛ばしてあるのは、構えている得物を確実に体の一部とするためだ。
口元に運んでいた右手を握りに戻して、肩づけの位置を修正する。頬づけした銃床にはすでに自分の体温が移っており、ほんのりと温かった。
そして集中。邪魔するように耳元で虫の羽音がするが、それもじきに遠くなっていった。
右眼でスコープによって切り取られた円い視界を、そして左眼で全体を観察した。
伏せているのは周囲よりも笹が集まるようにして小高くなった場所。銃身にはカモフラージュとして葉が二、三枚差し込んであった。
右手から意識しないとそこが坂になっていると認識できない程の緩い傾斜で草を分けた道が伸び、三〇メートル先にある同じような笹薮で左右二つに分かれていた。
この場所が、彼が死守を命令された自軍拠点の済河焼船である。
彼は向かい合っている笹薮の右側が風では無い力で揺れたのを見て取っていた。
おそらくそこから敵は姿を現すはずだ。
後は何十回と重ねた繰り返しと同じだ。おそらく現れるだろう目標と、草間に伏せている自分との間に、弾道をイメージした。横風もいまは凪いでいるので、余分な計算はいらないはずだ。
肩づけし右手で握り、左手を添えた黒い機械はWA二〇〇〇。ミュンヘンオリンピック事件を機に開発された闘犬式の狙撃銃だ。
常識では狙撃銃は操作の確実性のために鎖閂式の物が選ばれるのが普通であるが、連続して標的へ弾丸を送り込むために自動式を採用したという経緯のある銃だ。
だが鎖閂式だろうが自動式だろうが関係は無い。今は彼の殺意の増幅器となってくれればいいのだ。
彼のイメージが目標を捉えた時に、弾丸は確実に目標を貫くはずだ。
チラリと敵の姿が見えた気がした。秋も深まり周囲の草むらは緑色というよりも、白に近い枯草色になっていた。その枯草色が折り重なり日の光による陰影が波のように重なる向こう側に、三色迷彩のブッシュハットが見え隠れしていた。
敵に向かってトリガーを引くにはまだ早い。ブッシュハットだけを銃口に差して高く差し上げ、こちらの射撃を誘っている可能性があるからだ。むやみやたらに撃つのは現在位置を敵に教える事になる。さらに、たとえ葉の一枚、茎の一本だとしても、少しでも障害物があると確実性が失われることも経験上知っていた。せめて人型が見て取れるまで引き付けなければならない。スナイパーが他より有利な点は、どこから弾丸が飛んで来るか分からないという精神的なプレッシャーによるものが大きいからだ。
死人に口なし。彼がトリガーを絞った時には、発砲位置がバレてしまうだろう。だが、その時はもう標的は死亡しているのだから、相手に知られても問題は無かった。
そうやって彼は、戦闘が始まってからこの場所で二桁の戦果を上げていた。敵が必ず拠点を狙う時に通る場所であるし、彼の伏せている側がわずかばかり高いので狙撃には有利なポジションなのだ。
戦闘において敵より上に位置する事は基本中の基本だ。これが射撃でなく格闘だって同じことだ。
待ち伏せを「芋砂」などと悪しく言う者もいたが、そもそもスナイパーはこういう任務なのだ。彼だってチームリーダーが攻撃班に指名してくれたら別の戦い方をする準備はしていた。
風景を切り取ったような円い視界の中に枯草の間を彷徨うブッシュハットを入れる。全てが静止しているようでそうでない世界。息を潜め、地面と同化するように伏せていても、人間である以上は呼吸をして心拍があり、さらに肉体の筋電位差で完全に静止する事はできない。これが弾丸をばら撒くアサルトライフルなどでは問題にならないレベルの動揺だが、針の穴を抜くようなスナイパーにとって、一ミリの振動が震度七に感じられるほどになるのだ。
銃自体に備えられた二脚を立ててはいるが、肉体が触れている以上細かな振動は伝わってしまうのだ。
覗いているスコープの十字に目標を合わせて撃つなんて、敵が真正面から迫ってくるなどの特別な条件下でしか起きない。大抵は左右の動きが加わるので、それを見越した位置へと弾丸を放り込まなければ貫くことなどできないのである。
ガサリと一段と大きな音がした。チラチラと藪中に見えるブッシュハットの数がひとつからふたつ、みっつと増えた。
対してこちらは彼一人の防衛線だ。しかし発見されるまでスナイパーの圧倒的有利は変わらない。敵が複数という事で、こちらが次弾を放つ前に強引な突撃をされる可能性が出てきたが、彼は揺らぎもしなかった。
敵が無謀な突撃という戦法を選択した時のために、予備に短機関銃を携行していた。携行する時は左の太腿に装備したホルスターに入れるが、伏射姿勢の今は手に届く叢へ横たえてある。
複数人が犠牲と引き換えに駆け込んできたらWA二○○〇を捨て、そちらに切り替えて弾が尽きるまで弾幕を張ればいいだけだ。
弾が尽きた後は?
その時はその時で考えればいい。
敵は視界を邪魔する笹の葉があと数枚という位置に来た。
息をすることすら忘れて、じっとりと掌にかいた汗を自覚する。
次の瞬間、笹藪から凶悪な物が突き出された。六本の銃身を束ねたそれは、回転式重機関銃の筒先であった。
「Murphy's Head!」
その正体に気が付き、避退しようと背筋を撥ねるように動かしたところで、ガトリングガンは一帯の掃射を開始した。
まるで水撒きホースのような勢いで、銃口からBB弾が吐き出された。笹薮の穂先が切り飛ばされ、地面からは土煙が上がった。
敵も考えたものである。潜んでいるスナイパーに苦しめられているなら、潜んでいそうな全ての茂みを力業で掃射してしまえばいいのだ。
「ヒット~」
戦術も戦略もあったものではなかった。その物量戦で今日初めて彼は被弾を記録した。
戦闘はGAU一七を戦場に持ち込んだ青軍の勝利で終わった。
休日の今日は、東京都内にあるこのサバイバルゲームフィールドにおいて、ここを運営している会社主催で「五〇〇対五〇〇の大決戦」と銘打って、大規模なイベントが行われていた。
東京都内と言ってもビルが立ち並ぶ摩天楼ばかりではない。二三区へ勤める労働力を提供する多摩地区には、山も川もあった。この運営会社はその山を一つ丸ごと所有しており、サバイバルゲーム用のフィールドとして有料開放しているのだ。
いつもならば個人や小さな愛好団体が、自らの所有する突撃小銃等のエアソフトガンを持ち寄り、一時間幾らの場所代を払って戦争を模したサバイバルゲームを楽しむ場所だ。
ここの運営会社は良心的なことで有名で、装備を所有していない客のために銃や服のレンタルまで行っているし、七名以上で予約すると最寄りの駅まで送迎のバスまで出してくれるという親切さであった。別料金にはなるが男女別に分けられたロッカールームには、ちゃんとお湯が出るシャワーもあった。
普段は多くても二十人ほどの利用客しかおらず、広いフィールドの一部しか使用しないので、黒字経営のはずでも閑古鳥が鳴いているように見えた。
しかし今回は、都内にある模型店に配ったチラシや、ネット広告まで使って参加者を大々的に募ったため、都内の愛好家たちが全部集まったのではないかというぐらい賑わっていた。
よって運営会社が保有する山を挟んで青と赤の両軍が激突するという、いつもと違ってスケールの大きなゲームになっていた。
大型車すら停められる駐車場には、近くのコンビニエンス・ストアが飲み物などの出店を出しており、またどう見ても本職が営業しているヤキソバやタコヤキの露店が出る程の盛況ぶりだ。
こういった派手で大きなイベントであるから、露店まで出ている駐車場とイベントが行われるフィールドとは別に、パドックスペースも広く用意されていた。団体でまとめて参加しているところなどは、そのパドックスペースに持ち込んだテントやタープを使って陣を張っていた。
運営側も慣れたもので、地面へ石灰でラインを引いて土地区分をはっきりさせ、どんなに混雑しようとも通路は確保されるようにしていた。
ひとつのゲームがいったん終了して休憩時間となったため、白線で決められた通路は群衆で埋まっていた。
なにせゲーム参加者だけでも赤と青の二つに分けられた両軍合わせて一〇〇〇人いるのだ。それに加えて運営スタッフ、宣伝用のスチールや動画を撮影するためのカメラスタッフ。取材に来た報道関係者もいた。万が一に備えて臨時で開設した医療テントの関係者、さらに見物客やら冷やかし、ゲーム参加者の付き添いなどを含めれば、五桁に近い人数が集まっていると思われた。
行き交う人が肩をぶつけずに済む程度に設けられた通路は、先月末のお祭りとは毛並みの違う者たちでいっぱいだった。
まあ簡単に言ってしまえば基本は迷彩服である。もちろんベトナム戦仕様だったり、ソマリア内戦介入仕様だったり、色のバリエーションだけでもすごい数になった。
色だけではない。迷彩柄も現行のアメリカ軍やイギリス軍、自衛隊からロシア軍や人民解放軍の物が入り混じっているという具合だ。
脛のゲートルを綺麗に巻いた日本兵や、鏡のように磨き上げたブーツを履いた国民社会主義独逸労働党の武装親衛隊も指折り数えるほど混ざっていた。
さらに現実ではありえないような服で身を固めている層も一定数いた。
やはり銃器と聞いて連想するのはハリウッド映画ということなのだろうか。通路に立ち止まって何やら熱く語っているのは、クリスマスの夜にロサンゼルスの日系企業ビルから脱出して来たような薄汚れたタンクトップを着たマッチョであった。ついでのように首からMP五を肩紐で提げて咥えタバコというスタイルだ。ちなみに喫煙は隔離された喫煙スペースでお願いしますと運営側からお達しが出ていて、彼も咥えているタバコには火を点けていなかった。
その立ち話の相手というのが、ベトナム迷彩のズボンにジャングルブーツという下半身はまとも服装だが、上半身は素肌に汎用機関銃の弾帯を巻きつけているという、オレゴン州はホープの町を一人で廃墟にした男のような格好であった。
そんな格好をしていても敵味方の識別のために上腕へ赤か青の識別帯を巻かなければならない。
他の参加者は服の袖に赤か青のガムテープを巻いて識別帯としているが、この二人は素肌に赤いバンダナを巻いていた。素肌にガムテープでは感触が悪いからというより、映画の登場人物がやりそうな識別方法であるからであろう。
こういうアクション映画の登場人物ならまだ現実に近い装備をしているが、これが日本の動画作品ともなると、また変わって来るようだ。
全身をデザートピンクの迷彩服に固めて、手にした個人防衛火器すらピンク色に塗っている女の子が膨れっ面を見せていた。
どうやら並んで歩いているブラウスにチョコレート色のコルセット、淡いオレンジ色のスカートという格好をした少女と言い争いをしているようだ。
頭にコルセットと同じ色をしたベレー帽を乗せ、長い髪は二つに結ってクルクルと巻くように癖をつけているが、日本人では有り得ないような色であるから、ウィッグなどの類であることは間違いない。胴をコルセットが引き締めているので、身長の割になかなかのモノを持っている事が強調されていた。
手にしているのは古風なマスケット銃である。それを白と黒と印象的なカラーリングにし、要所に唐草模様のようなエングレーブを入れていた。
そんな単発銃がサバイバルゲームで役立つのだろうか心配になるが、自分の姿を見せることの方がゲームよりも重要なのかもしれないし、もしかしたらイタリア語で呪文を唱えると何も無い空間から大砲が出現するのかもしれなかった。
その横を黒の背広に白いネクタイとソフト帽を合わせた痩せた男が通りかかった。
顎髭を生やした口元にシケモクを咥えていたが、彼もマナーを守って火を点けていなかった。肩に乗せるようにしてバカ長いPTRS一九四一を抱えて運んでいた。武器はそれだけでないようで背広の尻に挟んだM一九が上着の裾から見え隠れしていた。右腕だけに巻いた青色の喪章がそのまま識別帯になっていた。
さらにゲームには参加せずに、自分が作った服を自慢しに来ている者もたくさんいた。
向こうでは、極秘機関の治安維持組織に所属する少女構成員が、高校の制服のようなデザインのワンピースで身を固めており、お互いの尻を蹴り合っていた。それとは反対の位置には、喪服のようなモノトーン調の服装で身を固めたヨルハ部隊の精鋭たちが並んでいた。
もちろん、そんな本格的な服装を全員がしているわけもなく、向こうのヤキソバの露店に並んでいる参加者が着ているのは、どう見てもどこかの工務店の作業着であるし、反対側で需要を見込んだ模型店が開いている出店でフロンガスを購入している少年は、まったくの普段着であった。
各団体がテントやタープを広げて前線基地のようにしているパドックスペースも、そんなお祭り騒ぎの一部と化していた。
それら各団体の基地の前には、所属するチームメイトが雑踏で迷子にならないように、その団体のシンボルが飾られている事が多かった。
シンボルと言っても様々だ。
ある団体はデッキチェアに等身大の骨格標本を座らせていた。何の冗談か、茶色がかったオリーブドラブ色の通称「チノ」と呼ばれる大戦時の米陸軍制服を着させて、同色の制帽にレイバンをかけコーンパイプを咥えていた。
その向かいの団体は街角から攫ってきたような郵便差出箱一号(丸型)を迫力満点にドーンと置いているといった具合だ。
組み立て式の板ベンチを置き、右眼にアイパッチをしたマネキンに軟式潜水服を着せて座らせて、水中酸素破壊剤の銀色をしたカプセルを抱えさせている団体もあった。
こういうように団体ごとに特色を出そうと工夫がこらされていた。もちろん仲間を増やすための勧誘も兼ねているのだろう。
そういったシンボルの中でも一番多いのは、各団体が所有する大型火器であった。エアソフトガンとは言え、大抵の大型火器は値段がそれなりの物となるはずだ。高価な銃を所属する団員たちで金を出し合って購入して共有財産としていたりするので、シンボルとしやすいのだろう。
先ほどフィールドを掃射したガトリングガンもそういった物の一つであった。他にも国内や海外のメーカーが販売している各種機関銃だったり、榴弾投射器などが看板の代わりに飾られていた。
実はそれらはまだ大人しい方で、おそらく自作したと思われる迫撃砲やら対戦車砲、果ては王立国教騎士団某機関製三〇ミリ対化物用砲なんていう代物まで見ることができた。
一番注目を集めていたのは、砲塔に黒森峰女学院の校章を描いたⅥ号戦車E型であった。装甲を含む上回りはベニヤ板で再現しているが、足回りは建設機械を流用しているので、ちゃんと履帯で走行も可能という本格派だ。もちろん公道を走行できないので、駐車場には大型の車両輸送車が場所を取って停められていた。
その団体のマスコットガールが黒いブレザー風のコスチュームを着て、戦車長用ハッチの縁に座っていた。声をかけると愛想よく手を振ってくれるので、通りかかる者は必ずと言っていいほど写真を撮っていた。
もちろんゲーム自体はルールに則った物であるから、たとえ重戦車の八八ミリ砲だろうとも、発射されるのは厳格に初速が計測されて怪我が無いようにと配慮されたBB弾である。
さらに蛇足ではあるが、ゲームに使用しないのであれば、運営側が設定したレギュレーションよりも強い銃ならびに砲を持ち込んでいても咎められることは無かった。まあさすがに密造銃やらパイプ爆弾をこれ見よがしに飾っていると、運営から注意されているようだが。
屋外の広い会場だというのに、大人数がそれぞれ話し相手を見つけて勝手に騒いでいるものだから、ワーンと話し声が重なって一種の騒音と化していた。
「まったく、戦術もなにもあった物じゃない」
そんな中でブツクサ呟いて膨れているのは、先ほどライフルを抱えて拠点防衛の任に就いていたスナイパーであった。ギリースーツを着て枯れた笹と同じ色のドーランを塗りたくった面をつけているので、人間というより四つ足の獣が後ろ足で立ち上がっているように見えた。
「まあ、あんな物を持ち込まれちゃね」
おそらく彼と同じくこのチームに所属しているらしい自衛隊の迷彩服で身を固めた青年が慰めるように言った。手にしていた二つの紙コップの内、一方を差し出した。中身はスポーツドリンクのようである。
ギリースーツの男は事故防止のためにゲーム中は装着を義務づけられているゴーグルと一体化した面を上にずらして紙コップへ口をつけた。
彼らのチームは青いタープを張って日差しを弱め、自分たちの装備を纏めて置いていた。綺麗に揃えて置いてあるのは、足りなくなった補充品がすぐに見つけられるようにするためだ。
もちろんこの団体も看板の代わりにシンボルを飾っていた。通路際に写真用の三脚を立てて、その上に全長一メートルにはなる複葉機の模型が空を向いていた。機種は戦前に「あかとんぼ」と国民に親しまれた、橙色に塗られた九五式一型練習機(キ九)である。機首にある二翅プロペラが秋風にゆるゆると回っていた。
機体後部から吹き流しを牽引しているように模型化されており、その吹き流しに彼らの団体名である「セイリュウ・ミリタリ・コーポレーション」のロゴとマークが描かれていた。
それはSMCとも略される団体である。知る人ぞ知る、清隆大学で数ある公認サークルの中で唯一の、エアソフトガンを使用するサバイバルゲームを愛好する団体の名前であった。
今回は参加者側であるが、こういった企画はSMCでも年に二回は開催していた。今年の夏は一〇〇対一〇〇という、今日のイベントには五倍ほど張り合えないが、大学のサークルとしては都内で一番プレイヤーたちを集めた企画を成功させていた。その時などは他校の学生だけでなく高等部の有志も参加したくらいだ。
「ウチも持ち込めばよかったじゃないか」
ぼやいているスナイパーに向かって、デレクターチェアに座っていた山奥槇夫はつまらなそうに言った。今日の彼は上から下まで米国警察特殊部隊の都市迷彩服で固めていた。
彼がここに居る理由は至極簡単だ。SMCに所属する友人に誘われたのだ。
誘った理由は二つあると言われた。
ひとつは当日(つまり今日)フィールドまでの足としての期待だ。彼が愛車としている中古マイクロバスは大学では有名なのだ。言うまでも無い事だが、たとえ中古だとしてもマイクロバスならば並みの自家用車よりも大量に人員と荷物を運ぶことに優れていた。
もうひとつは槇夫を気遣っての物だという。見るからに落ち込んでいるのが分かると言われた。
まあ心当たりが無いわけでは無い。最近、他の有志と取り掛かっている機械の再生が、主に経済的な理由で頓挫しているからだ。
うっぷん晴らしにちょうどいいイベントであった。何も考えずにBB弾をばら撒くのは気持ちがよかった。もちろん敵に撃たれるのは面白くないが、討ち取った時の爽快さは胸がすくようだった。
ちなみに野山ではあまり効果が期待できない都市迷彩を着ているのは、本格的な装備を持っていない彼のために、誘ってくれた友人が短機関銃と一緒に貸してくれたからだ。
(あいつらを連れてきてもよかったな。あいつらなら喜んでデカブツを使うだろうに)
ふと、いつもお守をしている高校生どもに会いたくなるなんて、随分と連中に毒されたものだ。槇夫は誰にも見えないように苦笑した。
「ウチのアレかあ」
自衛隊の迷彩作業服三型の彼がつまらなそうに空を見上げた。その歯に物が挟まったような物言いに違和感があった。
「? 自慢なんだろ? MG四二」
SMCには団員がコツコツと集めた資金で購入した第二次世界大戦時の汎用機関銃があるはずだった。槇夫も用事で彼らのたまり場になっている部屋にお邪魔した時に、対空射撃用の三脚に取りつけて飾ってあるのを見かけたことがあった。
「あれを持ち出すとよ」
含みを持たせた口調でギリースーツと迷彩服三型が顔を見合わせた。
「アイツがうるせえからよ」
コップを持った手で、昆虫合成型オーグメントと、左右で形状が違う人造人間の、それぞれコスプレイヤーが仲良く話しながら歩いている通路を指差した。
露店のお好み焼きを両手にひとつずつ持った丸い体型の男がこちらに歩いてくるところだった。
「ああ、秋田か」
ソバカスの浮いた白い頬に、運動とは無縁を意味する体中の脂肪と、これほど典型的なオタクはいないのではないだろうかという外見をした青年である。
槇夫とはあまり付き合いは無いが、大学でいい噂を持っている人間では無いことぐらいは耳に入っていた。
彼が着こんでいるのはベトナム戦争後期の米国海兵隊装備であるリーフパターンの迷彩服であった。
しかし朝から何回かゲームが行われた割に、彼の迷彩服は膝も肘も土で汚れてなどいなかった。
まあ、そんな不思議な話ではない。彼は体のアチコチに貼り付けた徽章が自慢したいだけだ。ゲームに参加していると言ったって、最後尾をおっかなびっくりついてくるだけである。
彼曰く、あれら徽章類は今年の夏に語学習得の短期留学のために渡米した先で手に入れた本物であるそうだ。ミリタリーマニアならば一目で見分けることができるだろう。そして今この場所にはその筋の者はたくさん存在した。
「県議会議員の息子だか孫だか知らねえがよ」
最初のギリースーツの男が小さくした声でボヤくように言った。
「金払いだけはいいからな、あいつ」
SMCが共同購入という形で手に入れたMG四二であるが、全員が均等に金額を負担したわけでは無かった。それどころか秋田は首都警察特機隊が標準装備している銃と聞いて率先して人一倍負担をしてくれた。まあ彼がひとりで銃の所有権を主張する程も出してはいないが、やはり最大のスポンサーの意志という物は反映せねばならなかった。
「銃は撃つためにあるはずなのによ。もし傷ついたり汚れたりしたら大変なんだそうな」
半ば馬鹿にしている声でギリースーツが自分の意見を述べた。彼が持つスナイパーライフルは、歴戦の証というべき傷がアチコチに入っていた。
まあ彼の意見も極端と言える。同じゲームを楽しむにしても、彼のように敵を撃つことに特化する人間もいれば、秋田のように歴史考証をしっかりして当時の装備を再現して身に纏う事に特化する楽しみ方もあるはずだ。
「ふむ」
機関銃に関する情報は槇夫にとって初耳の物だった。しばし思案顔でこちらへ戻って来る太鼓腹を眺めた。
「向こうにレーシング・ミクがいたぜ」
タープの日陰に入りながら秋田は口を開いた。三人の内、誰に話しかけたかはっきりしないが、立っていた二人が付き合うように「ああ」と返事をした。
こんな催し物がある日だからか、駐車場には推しのキャラクターを全面に描いた車(いわゆる痛車)が集まっていた。そちらにはサーキットの華の格好をした者たちが出没しているようだ。
「ふ~」
そんな微妙な相手の反応に気が付いているのかいないのか、秋田は遠慮のない様子で槇夫の横のデレクターチェアへ、でかい尻を下ろした。
頭部に熱が籠っているのを嫌がってか、被っていたヘルメットを脱いで、デレクターチェアの横に置いてあった自分の銃に被せるように置いた。
手の空いた秋田は二つ買って来たお好み焼きの内、一つを膝の上に置いて、もう一つへさっそく手を付け始めた。ゴフゴフと二重顎が鳴って食料を嚥下していくのが見えた。
隣に座ったおかげで槇夫は近くから彼を詳細に観察する事が出来た。
確かに徽章類はレプリカでは無いようで、海兵隊の物と思われるそれらには経年劣化による変色まで見られた。徽章類で唯一時代設定から外れているのは上腕に巻いた赤いガムテープである。それはサバイバルゲームに参加するなら必ず巻かなければいけない敵味方識別帯であるから、致し方ないところだろう。
迷彩服自体は実物ではなく国内でコピーした品のようであるが、足元までジャングルブーツを履いて本格的であることは間違いなかった。
こうして服装の方はベトナム戦争時の米海兵隊をしっかり考証して再現しているようだ。装備の方にも手を抜いている様子は無かった。
ベトナム戦争当時の個人用装備であるM一九五六装備のベルトは、本来なら緩く締めてサスペンダーに吊り下げられる物だが、秋田の腹囲では長さが足りないのか、キッチリ締めているように見えた。
その他、トレンチングツールケースやらマガジンケースなどもちゃんと装備しているが、重さを嫌ってか容れ物だけで中身は空っぽであった。
これだけ身に着ける物の考証に金をかけたから銃の方もそうかと思いきや、ちょっと毛色が違っていた。
銃自体は、それまで米軍が使用していたM一四が過酷なベトナムの密林では使いにくいということで急遽採用されたM一六である。まだ閉鎖不良に対応するためのボルトフォワードアシストがついていない初期型モデルだ。
そこまでは史実に則った装備であると言えよう。しかし秋田はさらに銃身の下に架台をつけて散弾銃であるモスバーグM五〇〇を吊っていた。さすがにストックは外して短縮してあるが、上下二段に並んだ銃口は、見た目において派手であった。
しかし槇夫の記憶では、海兵隊で採用された散弾銃はウィンチェスター社のM一九一二のはずで、M五〇〇は陸軍のはずだった。しかも開発時期などを考えると、前線に届いていたかどうかあやしいはずだ。
さらに秋田は銃の左側面に四分儀照準器を装備していた。これは散弾銃を架装した銃にはついていなくて、グレネードランチャーのための物のはずだ。
それだけではない。今は被されたヘルメットに隠されているが、キャリングハンドルを兼ねた銃の上部には倍率二倍の光学照準器を乗せ、右側面には粘着帯でグルグル巻きにして光線照準器を取り付けているのだ。
オマケに銃の下に短い二脚を装備し、銃口にはまるで飲み物のボトルのような銃口制退抑制器までつけていた。
ついでにマガジンは銃本体の左右に大きな円筒形が張り出す形の「ベータCマガジン」通称ダブルドラムマガジンを採用していた。
アニメのリアルロボットで例えてみれば「脚なんて飾りです」の正反対を行って、先行試作量産型高機動タイプフルアーマー装備増加試作型指揮官用エース機体ニュータイプ仕様といったところか。
ともかくゴテゴテと、てんこ盛りなのである。そこにメカニックの時代考証なんて存在しなかった。どれ一つ取っても重量を増やすだけのカスタムに見えた。まあドラムマガジンだけは、後ろからアテもなくBB弾をバラ撒くだけのチキンプレーをするならば、その装弾数が役に立つかもしれないが。
じっさいチームメイトであるギリースーツの男からは、彼はゲームに参加しても安全な後方から棒立ちでただBB弾をばら撒くだけだと教わっていた。
そんなプレイスタイルだから、他の団体に所属する味方を誤射して問題になったことがあるとまで教えてくれていた。槇夫は「弾は前からだけじゃないって事か」と思ったほどだ。
見た目が派手な秋田の銃ではあるが、一歩譲ってこの仕様をM一四に施しているなら話しが変わるかもしれない。ちょっと苦しいが、アメリカ各軍がM一四の良いところを見直して選抜射手用小銃として復活させたM一四EBRと言えないことも無い。さらに十歩譲って、M一六の後期バージョンに施すなら、一九九〇年の湾岸戦争あたりで海兵隊の斬り込み隊が、もしかするともしかして使っていたかもしれない。
ともかく槇夫ならば絶対にしないカスタム具合なのである。エアソフトガンといえども戦場で抱えて走る事になる物には変わりない。実戦との違いは撃たれて本当に死ぬ可能性があるかないかだけで、転倒などすれば怪我をする可能性は同じと言えた。そんな場所で要求されるのは基本中の基本、怪我無く無事に帰って来る事だ。それには装備が軽いに越したことは無いはずである。
まあ運動神経の方に問題があるような体形もしているし、仲間に棒立ちと言われるぐらいだ。自分が至らない分、強さを銃に求めて色んな物をつけ加えていった成れの果てなのだろう。
他人の趣味にケチをつけるほど、この趣味にのめり込んでいるわけでも無いから、槙夫は流すことにした。
ちなみに槇夫が借りているエアソフトガンはMP五であり、それこそ弾幕を張るためにあるような銃であった。ドラムマガジンの貸し出しもできると打診されたが、重いのが嫌で普通のストレートマガジンにしてもらっていた。
秋田は、槇夫が座っている椅子の背もたれにスリングで引っかけているその銃を見て、鼻息をフンとひとつ噴いた。どうやら自分の銃の方が強そうだろうと言いたいようだ。まあ見かけだけを比較すれば確かにそうであると槇夫も同意見ではあった。
銃に被せるように置いたヘルメットは、服装や装備品に含まれるようで考証は手を抜いていなかった。
やはりヘルメット自体は迷彩服と同じく国内で作られたレプリカのようだが、そこに被せられた布製のカモフラージュカバーはおそらく当時使われていた本物のようだ。
ボールペンで何度もなぞったような字体で「Charlie Don't Surf」と左側頭部へ落書きがしてあった。
また当時の若者が好んでやっていたように、鉢周りの右側にはラッキーストライクの箱とピンナップをバンドに挟んでとめていた。
しかも陸軍ならば専用のヘルメットバンドが支給されていたので兵士たちはソレに挟んでいたが、支給されなかった海兵隊ではそうはいかず、自転車のゴムチューブをバンドにして留めていた。それをわざわざ再現しているという凝ったものだ。服につけた徽章類の考証に沿った装備と言えた。
まあタバコ自体は飾りのようで、封は切ってあるが中身は詰まったままだ。どうやら秋田には喫煙の習慣は無いようだ。
碌に洗髪をしていないのか、少々巻いている長めの髪には油が浮いていた。汗を掻いたのか男同士でもちょっと顔を曇らせるぐらいの体臭もあった。それらがお好み焼きソースの匂いと混じり合って、槇夫の周囲に漂って来た。
あっという間にひとつ目のお好み焼きを、ろくに噛まずに嚥下した彼は、二つ目に取り掛かる前に、少々挙動不審な様子で槇夫へ目を向けた。
「なにかな?」
知性を感じさせる話し方であるが、語尾が少し震えていた。
「うんにゃ。よくナム戦で揃えたなって。しかも第三海兵師団だろ?」
徽章類の知識は槇夫も持ち合わせていた。もちろん本格的に研究している趣味人には一歩も二歩も遅れる事は承知していた。それでも三つの三角形を組み合わせた徽章の意味ぐらいは知っていた。
「お、よく知ってるねえ」
ニヤリと青のりのついた歯茎を見せて笑う。どこか東京スカイツリーの展望台からお台場ふ頭を見おろすような鼻につく口調であった。少なくともお金持ちのお坊ちゃまというのは嘘では無いようだ。
「タバコ、くれよ」
目線でヘルメットに固定してある赤い箱を指差すが秋田は首を横に振った。
「あ、これ、中で全部接着してあるから無理なんだ。そうじゃないと歩いただけで中身がどっかに行っちゃうから。なに? オタクは税金を燃やす趣味でもあるの?」
「は?」
槇夫は目を点にした。
「タバコなんてほとんど税金だぞ」
改めてそんな事を言われなくても槙夫は分かっていた。どうやら彼は槇夫が言外にこめた意味には気がついてないようだ。
「オタクは昼を取らないのかい?」
早くも二つ目の半分以上を食道に流し込んだ秋田が、クチャクチャやりながら訊いて来た。槇夫は正面を向いて流れていく通行人へ視線をやった。
「いちおう食ったさ」
槇夫は露店で購入したヤキソバを一皿平らげていた。露店のオヤジは商業主義に侵されているのか、平均的な青年男性の胃袋を満たすには少々足りない量ではあった。
「あまり腹が膨れると、動きが鈍るからな」
「そうか?」
やはり積極的に動きまわるプレイスタイルではなさそうだ。槇夫は風向きが変わることを期待して、再び通路を眺めた。
目の前を、撮影機材を持った作業服姿の団体が通過していく。彼らはこのイベントを企画した運営会社より撮影を委託されたカメラマンたちだ。スチール撮影は後に宣材としてホームページにでも貼り付けるのだろう。もしかしたらサバイバルゲームを取り扱う雑誌で特集が組まれるかもしれない。また動画は編集の後にサイトへアップして、さらなる集客の促進剤とすることは間違いなしだ。
ふと何か引っかかって槇夫は隣に振り返った。秋田は二つ目のお好み焼きを食べ終わり、ぶっといボトルからスポーツドリンクをガブ飲みして水分を補給しているところだった。
槇夫の視線が下へと移動した。
秋田の見た目は派手なM一六が二脚で自立していた。だが槇夫が見たかったのは、それではなかった。
ヘルメットは銃に被せるように置かれていた。先ほど確認した通りバンドで煙草の箱と、ピンナップが止めてあった。考証をより正確にするならラッキーストライクの赤い箱よりも、MCIレーションに付属した不愛想な緑色の箱にするべきだろう。
いや、いま見るのはそこでもない。その赤い箱の隣には、当時の若者たちがやっていたようにピンナップが一枚挟まれていた。六〇年代という考証なのだから翰林院主演女優賞受賞者あたりの写真にしておけばいい物を、槇夫がよく見る紺色の制服に身を包んだ女子高生の写真であった。
実物の魅力を一パーセントも写し取っていないソレは、どうやら清隆学園高等部の写真部が授業中に盗撮した一枚のようだ。
変な方向にバイタリティのある面々が揃った清隆学園高等部であるから、写真部も校内にいる美少女たちの色々な表情を収集していた。
いやソレだけなら可愛げがある程度で済むが、写真部は収集どころか販売までしていた。特に今年は歴代の『学園のマドンナ』が束になってかかっても敵わない程の美少女が入学したため、その経済活動は異例と言うべき程にヒートアップしていた。
彼女を盗撮した写真は十枚幾らという単位で、生徒会の非公認活動のひとつである裏サイトで取引されていた。もちろん画像データのみの取り扱いもあり、そちらは現像などの諸経費がかからない分だけ割安になっていた。
清隆学園高等部では夏季の体育はプールを使った水泳の授業となる。彼女が所属する一年一組が年度初の水泳の授業を受けた日などは、午前中に盗撮された水着姿が、昼休みにはワンセット五〇〇〇円で売られていたほどだ。いちおう水着姿はネットへ拡散する事に問題を感じたのか、画像データのみの販売は無く、もちろん写真のSNSなどへのアップは禁止とされていた。
噂では更衣室に仕掛けたカメラで決定的な瞬間を納めた物もあるらしいが、さすがに犯罪行為なので巷に流出した様子は無かった。(いや盗撮時点ですでに犯罪だけども)
秋田がヘルメットに挟んでいるのは、その当代の『学園のマドンナ』が真面目に教室の机に向かっているところを切り取った一葉で、長い髪は窓から入り込んだ風のせいだろうか、わずかに戦いでいた。
ここのところ高等部の後輩と色々と遊ぶ事が多かったので、彼女の名前を槇夫は知っていた。それどころか愛車に乗せたことも、言葉を交わしたこともあった。
「?」
秋田は不審がる様子でこちらを見たが、そんなことは気にならなかった。槇夫は目の前を通り過ぎていく撮影隊と、秋田のヘルメットを見比べるようにして視線を忙しく動かした。