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十一月の出来事B面  作者: 池田 和美
4/19

十一月の出来事・④



「遅くないか?」

 高等部校舎と中等部旧校舎を繋ぐ長い渡り廊下。そのあまりにも長い道程に、途中の休憩地点としての意味なのか、敷地の境目に小さな四阿(あずまや)が設けてあった。

 中等部が新校舎に移ってからは舗装された主通り(メインストリート)を回った方が遥かに近いし綺麗だし通りやすいしと比較にならない程なので、最近はこの渡り廊下を使用する者は少なかった。

 秋の侘しい風が吹き込む屋根の下で、制服に白衣を重ねている明実と、機嫌悪そうに腕組みをしているヒカルが、人待ち顔で立っていた。

「どれ?」

 先月、知り合いに借りてから返すタイミングが来ないために、そのまま使い続けている腕時計の盤面を明実が確認した。

「いちおう、まだ時間前じゃな」

「待ち合わせには五分前についてろって、習わないのかねえ」

 ヒカルは制服の後ろ腰に回したウエストポーチ風のホルスターの位置を直しながら言った。

「時間ピッタリに着けば文句は言われないじゃろ?」

「だから最近の若い者はダメなんだ」

 眉を顰めてヒカルは言った。

「最低でも待ち合わせの時間前に場所を確認しないと、周囲に罠を仕掛けられていたらどうするんだ」

「いちおうサトミとは休戦状態のはずじゃろ?」

 身長差から明実が見おろすと、腕を組み直しながらヒカルは言い返した。

「今はな。だが五分後にゃどうなっているか分からない」

 ヒカルは鋭い視線を明実ではなく中等部旧校舎の方へと向けていた。明実はその視線の先を追った。コンクリート製の三和土とトタン屋根を支える簡単な骨組みしかない渡り廊下には、周囲の古き武蔵野の風景を残した雑木林から、落ち葉が吹きこんでいた。

 消失点すらある長い渡り廊下、そこに積もった落ち葉を踏みしめて、身長の高い人物が二人歩いてくるのが見えた。

 一人は紺色のスラックス、そしてもう一人は同色のプリーツスカートを履いている。そのシルエットで一組の男女であることがわかった。

 片方は誰でも無い。先ほどまで槇夫の手伝いをしていた空楽である。そしてプリーツスカートを履いているのは、作業用エプロンと手袋を外して、制服の上着に袖を通したサトミであった。

「待たせたかしら」

 淡い色の長い髪をしたサトミが、まだ離れている位置から声をかけてきた。横の空楽はとても不満そうに見えた。

「時間ピッタリじゃな」

 もう一度、腕時計を確認した明実が相手を褒めるように頷いた。

 明実の横にヒカル、そしてやってきた二人が相対した。

「ね、言った通りでしょ。女の子連れて来た」

 ニッコリ笑ったサトミが、まるで空楽の機嫌を取るように言った。

「これで男の子と女の子が一人ずつ。バランスいいでしょ?」

「ケッ」

 馬鹿らしくて付き合っていられるかという態度の空楽。四月からの付き合いである。その間にもちろん体育の授業があって、更衣室で体操着に着替えた事もあったし、さらに夏には水泳の授業もあった。夏休みには一緒に海水浴にも行った。つまりサトミがどれだけ外側を装おうと、中身は知っているのである。

「なによぅ。こんな美人と一緒に居られて、幸せでしょ?」

「無駄口は嫌いだ」

 ギロリとどちらが敵でどちらが味方か分からない勢いで睨みつけた。

「やっぱり岡さんじゃないとトキメかないの?」

「ハナちゃんは、いま関係ないだろ」

 もう一歩で怒鳴りつけるという態度の空楽。サトミはいい加減からかうのに飽きたのか、明実の方を向いた。

「で。先月の事とか、色々説明してくれるっていう話しだけど?」

 先月にあった学園祭では図書委員会の名義で自主製作映画を上映した。しかし中身は出演者から制作陣まで『常連組』で占めるという内容であった。

 まあ映画の方は『学園のマドンナ』である恵美子が出演しているという事もあり、客の入りは映研などの他が上映した作品より頭一つ抜けて大盛況であった。

 その製作途中に『常連組』が反社会的勢力と思われる者たちや、明らかにプロの傭兵と思われる集団に襲われる事件があったのだ。

 図書委員会の自主製作映画という事で、名目上は由美子が制作の指揮を執っている形であったが、実質裏方を回していたのはサトミであった。

 そんなサトミにも、詳しく事件の概要は説明せずに今日まで来たのであった。

 いちおう襲われた理由については「どうやら明実のやっているヤバい研究が関わっているらしい」程度のことは、サトミも空楽も掴んでいたが、それ以上の事を本人から聞き出そうとはしていなかった。

 サトミは明実に対してアドバンテージになると思っている節があったし、空楽はこの春からの付き合いからとは言え、友人を信じる心があったからである。

「まず、先月の事件については、こうして謝罪させていただこう」

 明実は二人に頭を下げた。

「俺たちに謝らなくったっていい。あのぐらいの障害ならば自分でなんとかできるからな。謝るなら恐い思いをした彼女たちにだろう」

 空楽が機嫌の悪い声のままに告げると、口元を軽く握った拳で隠したサトミがチャチャを入れた。

「彼女たちなんて言わずに、素直に岡さんって言えばいいのに」

「コロス!」

 抜く手を見せずに空楽はサトミに斬りかかった。それまで何も持っていなかったはずだが、見事な赤樫の木刀が真剣白刃取りのごとく重ね合わされたサトミの掌で受け止められた。

「とどめを手伝ってやろうか?」

 ヒカルの申し出に、空楽は歯を食いしばって力の込めた声でこたえた。

「その必要はない!」

「まてまて」

 ぐいと押し込まれたサトミは慌てた声を上げた。

「決着がつけたいなら後で! いまは御門の話しを聞きに来たんだろ」

「…」

 こんな態勢になっても、のほほんとした笑みを崩さないサトミを睨みつけてから、相手の言う事に一理あると考えたのか、空楽は木刀を引いた。

「さてと」

 ちょっと乱れたスカートの裾の辺りを直しながら、サトミはいつも貼り付けている笑顔を一層強くした。

「説明、してくれるんでしょ」

「うむ。その上でサトミには頼みがある」

「まだ学生だからヌード写真はダメよ。水着撮影までならオッケー」

「なにも写真を撮りたいと申しているわけではないのだが」

 マイペースを崩さないサトミに、明実が眉を顰めた。

「あらあ? 私の写真が欲しいんじゃないの? こんなにたくさん周りにドローンを飛ばしているから、そうなのかと思った」

 ニマニマと嗤いながら周囲の林を見回す振りをするサトミ。視界の範囲には一台もドローンは入らないようにしていたが、飛ばしているのは事実だ。しかし明実の表情にはヒビひとつも入らなかった。

「たしかに周囲を警戒するためにドローンを飛ばしている事は認めるが、サトミの姿を映すためではない。無粋に聞き耳を立てている輩がおらんか警戒しておるのだ」

「ふーん」

 明実の言葉をちっとも信用していないような調子でサトミが鼻を鳴らした。

「まあ、突っぱねてばかりじゃ話しも進まないわね。いちおうこちらも対抗措置を取らせてもらってよろしい?」

 制服の内ポケットに手を突っ込んだところで、ヒカルが重心を移動させた。その証拠に靴の裏とコンクリートとの間に挟まっていた砂がジャリっと音を立てた。いつの間にかヒカルの右手が後ろ腰に回したホルスターへとかかっていた。

「おっとっと」

 慌てて小さくバンザイするサトミ。一瞬だけ驚いた顔をして見せたが、すぐに微笑みを取り戻した。

「いちおうウツラには護衛を頼んでいるからね。忘れないで」

 ヒカルが取った臨戦態勢に、空楽も背中に左手を回していた。さきほどの木刀は制服の背中に仕込んであるようだ。

「やっぱり双方一人ずつ連れてくるという条件で正しかったみたいね」

 サトミは改めて制服の内ポケットに手を入れると、そこから自分のスマートフォンを取り出した。

「まったく人を連れてこないのは、相手の伏兵が気になる。だが二人以上連れて来ると、一人が護衛で、残りが攻め手になる」

 明実が古文の復習のような声を出した。

「こちらはヒカルも当事者だから構わないが、フワは秘密を守れるのか?」

 明実は本人ではなくサトミに訊いた。

「大丈夫よ。なにせ忍者だものね」

 サトミはスマートフォンを操作しながらニッコリと空楽へ微笑みかけた。

「情報の大切さは理解しているはずですもの」

「ふん」

 貴様になんて信頼されても、ちっとも嬉しくないとばかりに空楽はそっぽを向いた。

「これでよし。さ、どんな話しを聞かせてくれるのかしら?」

 スマートフォンでなにやらアプリケーションを作動させたサトミは四阿から周囲を確認した。途端に明実の懐から派手な警告音が鳴り始めた。

「見る限りでは猫の子一匹もいないようだし、遠慮なくどうぞ」

「貴様、なにをした」

 今度は明実が不満の声を出す番だった。白衣の内ポケットから明実お手製の「象が踏んでも壊れない」スマートフォンを取り出すと、なにやら警告を発している画面を黙らせた。

「ちょっと妨害電波(ジャミング)をね。早くしないと影響は大学の方にまで広がっちゃうわよ」

「こんな強力な妨害電波なぞ、そんな携帯端末で作れるわけなかろう。在日米軍(しんちゅうぐん)の第一四一電子攻撃飛行隊(シャドー・ホークス)あたりに所属する電子戦用戦闘機(グラウラー)でも呼び寄せたのか?」

「ナイショ」

 立てた人差し指を唇に当てて微笑んだ。

「まあ、これで国家レベルの極秘事項だろうが話して外に漏れる心配は無くなったのだが…」

 ヒントだけでも欲しいと言うようにしばらくスマートフォンを弄っていた明実だったが、相手の変わらない微笑みの前にはこれ以上の情報開示はされないと悟ったのだろう。白衣の内側へスマートフォンをしまった。

「いちおう強調しておくぞい。これから話す内容は、その国家機密レベルの内容じゃ」

「じゃあ丁度いいじゃない。これなら話しは外に漏れないでしょ」

 サトミはウインクをしてみせた。

「もしかして、次の宝くじの当選番号でも教えてくれるのかしら?」

「さて、先月の事件の事なんだが…」

 サトミの軽口を聞かなかったかのように流した明実は、二人を見比べながら口を開いた。

「それにはオイラが取り掛かっている研究の話しから始めないといけなくなる」

 明実は四阿に設けられた木製のベンチを指差した。

「まあ長い話になるから、お互い座って話そうではないか」



「では四月の合宿ホームルームでの事故も、お前たちが原因だったというのか?」

 サトミの横に座っている空楽が機嫌悪そうに言った。

 今年入学した一年生は、毎年入学式直後の恒例となっている学校行事「合宿ホームルーム」に向かう途中で、クラスどころか学年全体でトンネル崩落事故に巻き込まれた。

 トンネルの崩落については、公式には原因不明という事になっていたが、いま聴いた内容では、事故全体が明実たち三人を狙った破壊工作(テロリズム)ということになるようだ。

「間違えるでない。オイラたちが直接手を下したのではなく…」

「貴様らを狙って起こされたテロなのだから、貴様らに原因があると言ってもよいではないか」

 訂正しようと口を開いた明実に、有無を言わせずに空楽が断言した。

「まあまあ」

 二人をとりなすようにサトミが軽薄な微笑みで間に入った。

「あの事故では犠牲者どころか怪我人も居なかったんだから、水に流しましょ」

「それは運が良かっただけだ。下手をすると我々全員が犠牲になっていた」

 怒った声でぷいっとソッポを向いてしまう空楽。なにせそのトンネル崩落事故というのは、クラスごとに分乗したバスの列が全て崩落したトンネルに閉じ込められるという大きなものだったのだ。最悪の場合、学年全員が犠牲になっていた可能性すらある。犠牲者が出なかったのは、空楽の言う通り運が良かっただけと言えた。

「んもう。ちょっと大人になりましょうよ」

 サトミはツンと空楽の頬を指先でつついた。

「やめんか。汚らわしい」

 体全体を捩って嫌がる空楽を、相変わらずの微笑みで眺めているサトミ。もしかしなくても面白がっているのは間違いなかった。

「で? 『施術』だって?」

 興味深そうにサトミは明実の方を向いた。

「サトミはあまり拘らないようだな」

 あっけらかんとしているサトミに半ば感心する様子の明実。サトミはいつも貼り付けている微笑みを、ちょっと歪めてみせた。

「そんなことよりも不老不死なんて夢の技術の話しの方が、オレは興味を惹かれるね」

「その一端を、キミはその手に持ったこともあるはずだ」

「?」

 首を捻るサトミを明実は指差した。

「研究所の岸田博士から、オイラの研究室から盗み出した物を運んでくれと依頼されたのだろ?」

「…そんなことがあったか?」

 サトミは曖昧な微笑みを浮かべるばかりだ。

「そのせいでオイラと岸田博士との間に波風が立ってしまっての。それで苦労が増えて困っておるのじゃ」

「たとえば。例えばの話しだが」

 ニコッと笑顔を作り直してサトミが訊いた。

「オレが岸田博士からの依頼を、どんな非合法な物でも断れると思うか?」

 岸田博士は日本全国から才能ある生徒を集めて保護している立場の人間だ。その立場の人間に、生徒であるサトミが逆らえるとは思えなかった。いや、サトミだと「どちらがより面白いか」で行動を決めている節があるので、断る時はあっさり断りそうでもあるが。

「男言葉になっておるぞ」

 せめてもの反撃とばかり明実はサトミに指摘しながら、白衣の内ポケットからUSBメモリーを取り出した。

「あらやだ、私としたことが」

 笑顔を作り直したサトミは口元に手を当てて「おほほほ」と、わざとらしく笑ってから明実の指が挟んで差し出したUSBメモリーを受け取った。

「これは?」

「オイラが今日まで研究した『施術』の成果が入力してある。おそらくオイラと同レベルの頭脳を持つキミなら『施術』の完全な再現も出来るのではないか?」

「へ~」

 量産品であるUSBメモリーの裏表を眺めてから、サトミはスカートのポケットへとソレをしまった。

「自然の摂理に挑もうというのか?」

 面白くない顔のまま空楽はUSBメモリーが仕舞われたサトミのポケットへ鋭い視線を向けた。

「不老不死なんていうものは害悪でしかないぞ」

「まあ仏教徒のウツラならそう言うよねぇ」

 大抵の人が間違えているが、仏教が目指すのは極楽ではない。もちろん地獄でもない。目指しているのは「解脱(げだつ)」。それは永遠の魂の牢獄たる六道(りくどう)輪廻(りんね)からの脱出である。現世にしがみつくような不老不死とは対極にある思考だ。

「生まれて来た者は、伴侶を得て子を成す。親となった者は、子を育て送り出す。そして使命を終えた者は死の床につく…」

「そういった説教は聞き飽きてんだ」

 ヒカルが苦々しく顔を歪めながら空楽に言い返した。説明が足りないとばかりに明実が言葉を繋いだ。

「同じような事を言ってオイラたちを襲ってくる存在…、便宜上『天使』と呼んでいる超常的な存在もいる」

「ええ?」

 サトミは美しい眉を顰めた。

「大人たちの妨害だけじゃなく、研究費も足りなくて、さらにそんな奴らもいんの?」

「前途多難じゃろ」

 それが陸上競技のハードル程度の障害でしかないとでも言うような調子で明実はウインクをした。

「そこまで追い詰められたからこそ、キミに手を貸して欲しいと思っておる」

「私に何ができるかしら」

 サトミはクシュッと目を細めるような笑顔を見せた。

「まあ色々とな」

「超常的な存在?」

 空楽が歯に物が挟まったような顔をしてサトミを見た。そういえば校内で西洋の絵画に登場するような存在を二人は目撃したことがあった。サトミも彼と顔を見合わせると、黙っていろという意味だろう、人差し指を自分の唇に当てた。

 まるで幼い女の子が二人だけの秘密だよと言っているような仕草を鼻で嗤った空楽は、見下すような目を明実へ向けた。

「やはり自然の摂理などという大きな物から外れようとするから、その反動も大きくなるのだろう。超自然的な技術には超自然的な存在ということだ」

「知った口をきくな」

 ヒカルは不快そうに空楽に声を浴びせた。

「あたしたちが生きるには、他に方法が無かったんだ」

「あたしたち?」

 空楽が渋い顔をした。

「言い忘れておったが、このヒカルも『施術』で『構築』された『創造物』じゃぞ」

「へえ」

 目を丸くしたサトミが、ヒカルの爪先から髪の毛の先まで眺めた。スケベ心満載の脂ぎった中年男性が年頃の花のような少女を値踏み(セクハラ)するような視線ではなく、どちらかというと、この肉塊はキロ単価が幾らになるだろうかと見定めるような目であった。

「データだけでなく、実際の成功例があるなんて。凄いな御門」

 再び言葉遣いが素に戻っていたが、今度は明実も指摘しなかった。

「あ~、オイラはヒカルの『構築』には関わっておらん。オイラが行ったのは死にかけたアキラの『再構築』じゃ」

「なんか三人で居ることが多いと思ったら、そういうことか」

「まとまっていた方が守りやすいからな」

 ヒカルがさりげなく後ろ腰に回したホルスターに触れた。それに対応するかのように空楽も座ったまま重心を軸足へと移してみせた。

 秋風が平和に(そよ)ぐ中、二人は殺気の応酬という見えないやり取りをしているのであった。

「とりあえず私が出来る事は?」

 再度口にしたサトミの直球な質問に、明実は悪びれずにこたえた。

「まず欲しいのは、安心して研究できる環境じゃな。どこかに良い物件があればよいのじゃが」

 サトミにも責任があるのだぞと言外に込めて明実は言った。

「う~ん」

 眉を顰めたサトミは四阿の天井を見上げた。

 天才と名高い明実と同じレベルの頭脳が働いているのだろう。しばし思考に耽るサトミの次の台詞を三人は黙って待った。

 即席カップ麺がじゅうぶん食べごろになる程の時間を経てから、サトミの微笑みが戻って来た。

「いちおうコレの裏を取ってからでいい?」

 ポンとスカートのポケットを上から叩いた。

「いきなり『不老不死を信じろ』なんて言われても、ねえ。まるで宝くじにでも当たったような気分だわ」

 同意を求めるような笑顔に、明実は重々しく頷き返した。

「よい返事を期待しておるぞよ」



(まただ)

 玄関の扉が閉まる音が聞こえて来て、学習机に向かっていたアキラは天井を振り仰いだ。

 今日もヒカルは海城家に帰宅すると、着替えるどころか座る間も無く出て行った。おそらく一緒に下校した明実が出かけるので、その護衛のためだったのだろう。ちなみに明実の住む御門家は海城家の隣という立地である。以前は休みの日に両家合同で庭にてバーバキューなどを楽しんでいたほどだ。

 二人は小さな時から一緒だったし、この春からはヒカルも加えて三人での行動が多かった。それなのに今ではアキラだけ置いてきぼりだ。

 誰かが階段を上がって来る気配を感じ取ったアキラは、ペンを開いたノートの上に投げ出すと席を立った。

 帰宅してからずっと復習等に勤しんでいて、そろそろ集中力も続かなくなってきた自覚があった。

 廊下に顔を出すと、階段を昇って来たヒカルと目があった。

「おかえ…、なに? その荷物?」

 ぶっきらぼうに挨拶だけ交わそうと思っていたが、ヒカルが予想外の大荷物を抱えていてビックリしてしまった。

「ただいま」

 ヒカルは玄関で別れた時に着ていた制服のままだった。そのヒカルが、息が詰まったような声を上げた。

「おいおい」

 慌ててアキラは駆け寄った。

 ヒカルの大荷物というのは、女の子が抱えるには少々大き目のダンボール箱を二つ重ね、さらにその上にプラスチック製らしいケースを載せているというものだった。そのケースとダンボールとの摩擦係数に限界がきたのか、廊下へ滑り落ちそうになった。

 落下する前に空中でキャッチすることができた。

 これも『施術』で「女の子のようなもの」になったおかげで反射神経などの運動能力が底上げされている恩恵だ。男の子だったら何とか間に合っただろうが、普通の女の子では少々無理のあるタイミングだった。

「お、すまねえな」

 ダンボール箱の向こうから感謝の言葉が聞こえて来た。

「ついでだ、ドアも開けてくれ」

「まったく、なんだっていうんだ?」

 廊下でしたたかに打った膝の痛みに耐えながらアキラは立ち上がると、ヒカルが自室として使用している部屋の扉を開けてやった。

「よーいしょ」

 最後のひと踏ん張りといった声を上げながら、ダンボール箱を部屋の中のテーブルへと置いた。前からは見えなかったが荷物は他にもあって、肩にエレキのギグバッグのような物をかけていた。腰にはいつものウエストポーチ風の物を巻いているし、どこからこの大荷物で帰って来たのか知らないが、結構難儀したに違いない。

「ふー」

 アキラがダンボール箱の横に受け止めたケースを置くのを見ながら、わざとらしく腰を伸ばしたりした。

「こんな荷物、どうしたっていうんだ?」

「戦力アップのためってやつよ」

 制服のポケットから新しい柄付きキャンディを取り出しながらヒカルは言った。

「せんりょくあっぷ?」

「これで二倍、こっちで三倍。そしてコイツで四倍だな」

 肩から布製のケースを下ろしながらヒカルは言うと、さっそくそのジッパーを開いて中身を見せた。

「なにこれ? ライフル?」

 中から出てきたのは銀色と黒色にメッキされた穴だらけの六角柱といった物だった。プレス製品らしい六角柱の中心には間違いなく銃身のような物が顔を出している。最後部には間違いなくバトルライフルと同じ伸縮可能な銃床(リアクタブル・ストック)が取り付けられていた。しかし肝心の機関部に当たる物が入っていないようだ。突然透視する能力に目覚めたわけでは無い。規格化された横長の楕円形の穴がそこかしこに開けられているので、場所によっては向こう側が見えるほどになっているから分かりやすいのだ。

「新兵器って奴さ」

 ダンボール箱を避けながらテーブルの上にそのライフルもどきを置くと、ここ最近はこの部屋の椅子にかけられている事が多くなったホルスターから、銀色の銃を取り出した。

 それは大きい回転式拳銃であった。見た目が女子高生のヒカルが持っていると、冗談にしか思えない程だ。

 形状は西部劇によく出て来るコルト社のピースメーカーに似ている。それもそのはずで欧州にある会社で複製(コピー)生産された銃なのだ。

 だが、ただ模造した銃ではない。銃口の大きさ自体は元のピースメーカーの四五口径(約一一ミリ)と同じであるが、弾丸を納めるはずの弾倉(シリンダー)部分がやけに長いのだ。二倍で済む長さではない、三倍はあろうかという長さをしている。そのために銃の全長自体も長くなっており、さらにそこへ発射の反動で銃身が撥ねないように装着されたウエイト兼用のバレルガードがあるものだから、いっそう大きく感じさせるのだ。

 銃本体と同じ銀色をしたバレルガードには、まるで蔦植物のような流れる字体で「INNOCENCE」と彫刻されていた。

 ヒカルは取り出した銀色の銃(イノセンス)を、テーブルに置いた「新兵器」の上にあてがった。

「な」

 それで分かるだろうと言いたげにアキラを振り返った。だが、これで全てを察せられるほどアキラは銃に詳しくなかった。

「?」

 要領の得ない顔のままでいると、ヒカルの笑顔が曇った。

「わかんないのかよ」

「わかんないな」

 正直にこたえると、ヒカルは銃を持ったまま腕組みをしてみせた。

「ああ、おまえに説明なしで分かれって期待した方が間違いだったな」

「なんだよそれ」

 口を尖らせて不満を伝えると、その顔が面白かったのか、再びヒカルは笑顔を取り戻した。

 銀色の銃をテーブルに置き、新兵器の真ん中あたりに手をかける。どうやら簡単にそこは開くような作りになっているようだ。

 ヒカルは側面に当たるパネルを開けたまま、丁寧に新兵器を持ち上げた。右手が先ほど銀色の銃をあてがった辺りを持ち、左手が六角柱にかかった。

「ここを引くと、こうカムでここが動くようになってんだ」

 六角柱の六時方向(ました)についている二〇ミリ幅の凹凸がついた板(ピカティニーレール)を引くと、その板とシアで繋がれたカムが作動して、何かを倒すような動きに変換されるようだ。

 ヒカルの説明を聞いたアキラは、テーブルに置かれた銀色の銃と、いま空いている新兵器内部とを見比べた。

「あ!」

「そう」

 なにかアキラが言う前に、右の小脇と左手で新兵器を支えたヒカルは、テーブルから銀色の銃を取り上げた。そのまま側面から中へと落とし込むようにして嵌め込むと、ピッタリとカムと銃のハンマーが噛み合った。

 側面のパネルを閉めて、六角柱の先端に顔を覗かせている銃身を半周だけ回すと、しっかりと固定されたようだ。

 まるでポンプアクションのショットガンを近代化(マグプルナイズ)したような銃がそこに出現した。

「あ~、なんていうんだっけ、こういうの…」

「リボルバーカービン」

「そうそう、それ」

 ポンとアキラは手を打った。

「これで、こいつもまた活躍できるって寸法さ」

 ウインクしているつもりなのか、ヒカルは右眼を閉じてみせた。

 シリンダーの大きさから分かる通り、この銀色の銃は一発で暴走(スタンピード)した象を止められるほどの威力がある弾丸が発射できる。ついたアダナが「手持ち大砲(ハンド・キャノン)」だ。

 しかし本物の大砲には駐退機という反動を受け止める装置がついているが、拳銃であるコレにはもちろんそんな物は無い。本来ならば大型猛獣が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているサバンナを行く冒険家か、大物(ビック・ゲーム)狙いの狩人が持つ予備武器(セカンド・アーム)として使用される銃なのだ。もちろんか弱い少女が撃つことは想定しておらず、ゴリゴリに鍛えたマッチョな筋肉男向けである。性差別がどうこうという前に、反動を受け止めることができないからだ。

 今までヒカルは『創造物』として備わった人外の膂力で、その馬鹿みたいに強い反動を抑え付けてきたが、最近はそうはいかなくなっていた。

 全能に思える『施術』であるが、不老不死でいられるのには色々な条件がある。既述の通り『生命の水』の定期的な接種もそのひとつだ。『施術者』を失ったヒカルは、本来ならばその『生命の水』の供給を断たれて滅びる運命だった。そうなっていないのは明実との協定が成立し、彼から『生命の水』の供給を受けられるようになったからだ。

 だが、どうやら明実が製造する『生命の水』と、ヒカルの『施術者』が製造していた『生命の水』では、成分に若干の違いがあるようなのだ。

 その影響か、ヒカルは人外の象徴とも言える異常なほどの膂力を失い始めており、それまでは片手で精密射撃できる程だった銀色の銃だが、最近は撃つことすら怪しくなっていた。大きすぎる銃の反動を抑えつけられなくなっていたのだ。

 そのせいで銀色の銃の大威力が宝の持ち腐れになっていた。

 だがこうして新しいフレームに銀色の銃を組み込めば、両手で構えられることから、反動を体全体で捌けるために射撃は可能であると思われた。

 ヒカルは左手で掴んだピカティニーレールのフォアエンドを、改めてガシャコンと前後させた。これで中のカムが作動して、嵌め込まれた銀色の銃がコッキングされたはずだ。

 それからフォアエンドを前へと押し出した。すると繋がれたシアが銀色の銃の弾倉を支えるシリンダーピンを引っかけて一緒に前進した。

 軸を失ったシリンダー部分がコロンと出て来るのを簡単に受け止めると、ヒカルはテーブルの上に立てるようにして置いた。

 六発装填できるレンコンのようなシリンダーには、鈍く(あかがね)色に光を反射する弾頭が五つ見えた。

 シリンダー部分を外したピストルカービンを胸の高さで構えるとフォアエンドを元の位置へと戻した。

 まだ何も装備されていない銃上面に右眼の視線を沿わせるように持ち上げて構えると、長年銃の専門家として生きて来た風格のような物が感じられた。

 窓の外からアキラの胸へと狙いを移して来た。シリンダーが外してあるとはいえ実銃を向けられるのはあまり気持ちのいい物ではなかった。

 渋い顔をするアキラの顔を、銃越しに見てニヤリと笑ってみせた。

「バーン」

 口で銃声を表現しながらトリガーを絞る。フォアエンドのアクションでコッキングされていた銀色の銃のハンマーがカチリと落ちる音が銃の中からした。

 これでシリンダーが定位置に組み込んであれば、ハンマーの先端が弾丸(カートリッジ)の底にある雷管(プライマー)を叩き、中に詰められた科学物質(トリシネート)が爆轟し、薬莢に詰められた無煙(ダブルベース)火薬に着火、唯一圧力が抜ける方向を塞ぐ位置にある完全被甲弾(フルメタルジャケット)を押し出し、銃身に刻まれた六条のライフリングに食い込んで回転運動を加えられた弾頭は秒速六〇〇メートルほどで銃口を飛び出してアキラの身体を襲ったはずである。

 もちろんこんな大威力な弾丸が命中したら、普通の人間ならば胴が千切れるほどのダメージを被るはずだ。

「うっ、やられたー」

 ちょっと棒読みながら胸を押さえてやられた振りをするアキラ。ニマッと表情を戻したヒカルはリボルバーカービンをテーブルの上へと置いた。

「で? そっちは?」

 アキラは視線でプラスチックケースを指し示した。

「これは大したものじゃない」

 テーブルに寝かせて左右のロックを外して蓋を開けると、中にはギッシリと波型スポンジが詰められており、そこへ小型の回転式拳銃(スナブノーズ・リボルバー)が収められていた。

「また新しい銃かよ」

 こんなにポンポンと実銃が自宅へ届けられる状況に、日本の治安はどうなっているのだろうと不安になるアキラ。

「まあ『銃』ではあるな」

 ヒカルがケースから取り上げた物はS&W社のM三六「チーフスペシャル」と呼ばれる銃が原型のようだ。本体が銀色に輝いているので、そのステンレスバージョンのM六〇だということまでは分かる。ただ銃上部には前部から後部へかけて四角いバレルガードが被さっていた。銃後部にあるはずのハンマーまでバレルガードが覆っているので、同じM三六のバリエーションでも「ボディガード」と呼ばれるキャメルハンプタイプの銃に見えた。

 グリップもどうやら特注のようで、無垢の木材から削り出しの一体物だ。

 バレルガードにはアヤメの花が彫金されており、ピストルカービンに組み込まれた銀色の銃と合わせたかのような流れる書体で「IRIS」と刻まれていた。

「あ~、コレ。あのエアガンか?」

 本物を見た後なので構えてしまったが、何のことは無い二人が通う清隆学園高等部にいる愛好家たちから、ヒカルが初夏に譲り受けたエアソフトガンであるようだ。

 バレルガードとグリップは初めて見るが、銃自体は清隆学園の敷地内で行ったゲームで使用した物であるようだ。

 最初は愛好会から借りて使用したが、よほど気に入ったのかその後購入に切り替えた品である。

 ただ、元の持ち主が清隆学園の卒業生であった。強調するのも今更な気もするが、どんな事にも変な(あさっての)方向へ熱情を傾ける個性派が揃った清隆学園の関係者である。

 この銃も普段はゲームに使用できるBB弾を発射する普通のエアソフトガンと変わらないが、内部にあるガス弁を切り替えると、同径のボールベアリングが発射できるように改造されていた。

 最大圧力で発射されるステンレス球の威力は、馬鹿にできない程の破壊力があった。

「反動がほとんどないし、威力も大人を怯ませられるぐらいある。いまのあたしにゃピッタリさ」

 ケースから取り上げて、シリンダーをスイングアウトして見せる。金属製の爪で鋼球をホールドするように改造された内部が見えた。

「でも、前に見た時はそんなに豪華じゃなかったぞ」

「まあね」

 カチリと確実に音をさせてシリンダーを戻すと、クルクルと慣れた手つきでガンスピンを始めた。

「バレルガードとグリップは本物だからな」

「え?」

 目を丸くして見せるアキラの前でピタリと銃を止めてみせるヒカル。

「この上に被さっている奴は、本物のチーフスペシャル用の物なんだ。マイク・ファフナーってビアンキカップ優勝で有名になったガンスリンガーが、まず自分用にってプロデュースしたバレルガードシステムで、射撃の安定性と服などに引っかからないようにするためのシェラウドを兼ねている。グリップは、こいつとは別に胡桃材(ウォールナット)を職人に削ってもらった」

 シレッと言うヒカルの前で目眩のような物を感じたアキラは、自分の顔に手を当てた。

「その彫刻は?」

「アメリカの知り合いに頼んだ。普段はコルトガバメント(ナインティ・イレブン)に記念のエングレーブなんかやってる職人でさ。電話で相談したらモノを送れば仕事の片手間にやってやるって言うからよ」

「…。ただのエアガンに?」

「あたしに玩具(おもちゃ)そのままの銃を持てって言うのかよ」

 なにか問題があるのかと言いたげに、ヒカルはちょっと眉を寄せた。

「まあ、おまえの自由だがよ。ちなみにタダってわけじゃないだろ?」

「なんだ値段が聞きたいのか? その箱の中に領収書が入っているだろ?」

 銃をケースに戻すと、ケース自体が載っていたダンボール箱を開いた。

「いや、いい」

 慌てて両手を振るアキラ。アキラも見た目は可愛い美少女であるが、中身は男の子である。それなりにエアソフトガンに興味があって、銃本体からアクセサリーに至るまで、なんとはなくではあるが値段は把握していた。

(このところ、みんなで宝くじが当たればいいなって話してたのに)

 ヒカルと暮らして倹約家であることは知っていたし、また五月に行ったバイトでそういった仕事の相場も耳にした。そこから意外と貯め込んでいるのではないかなという予想は出来ていたが…。

「あたしの金だ。なんに使おうと、あたしの勝手だろ?」

 どうやら表情に出ていたらしい。ヒカルはフンと鼻を鳴らすと、ケースの蓋を閉じた。

「こっちはなんだよ」

 慌ててアキラは、ヒカルが開けたダンボール箱を覗き込むふりをした。中にはボール紙製の箱が複数と、梱包材(プチプチ)に包まれた棒のような物が入っているようだ。

 ジロリと睨んできたがヒカルは黙って上のダンボール箱をどかして、下のダンボール箱の封をベリベリと剥がして蓋を開いた。

「なんじゃこりゃ」

 中から出てきたのはラップトップパソコンよりも小型の器械であった。機械の下半分は小学校でも使った顕微鏡に似ていて、重そうなスタンドに何かを置く台がある。だが上半分は違って、下を向いたドリルチャックにモーターが直結していた。

 どうやら金属加工に使用するボール盤の卓上モデルのようだ。

工場(こうば)でも始めるのか?」

「まあ、似たようなもんだな」

 テーブルの上に置いたボール盤を叩いてみせてから、ヒカルは脇に置いた方のダンボール箱に手を突っ込んだ。

「?」

 ヒカルがダンボール箱から取り出したのは、小さなボール箱であった。その中から出てきたのは薬莢がついていない弾頭である。しかもヒカルが愛用しているフルメタルジャケットでなく、先端の三分の一がギルティング・メタルに覆われておらず鉛が露出しているソフトポイントと呼ばれる弾頭であった。

 それとファストフード店でチキンナゲットを買った時についてくるソースの容れ物のような物も複数入っていた。

 ヒカルはケースのひとつを手に取り、ベリベリと蓋を剥がした。中には鈍い金色をした小粒のパーツが数個入っているようだ。

「これ、なんだか分かるか」

 大き目の砂金のような粒である。今までの話しの流れから銃の部品だろうと想像がつくが、こんな部品を見たことは無かった。

「ハイ、時間切れ。解答権は次の解答者に移ります。ピポーン、正解はプライマーでした」

 まるでクイズ番組のようにヒカルが教えてくれたが、アキラはプライマーが何かを知らなかった。

 まだキョトンとしているアキラの顔を見たヒカルは、金の粒をケースに戻すとテーブルに立てておいた銀色の銃のシリンダーを代わりに手に取った。

 左手の小指と薬指の間に挟むようにして持っていたキャンディの柄で、前方向から装填されていた銃弾を押し出して一発抜き取った。

 抜いた銃弾をクルリと引っ繰り返すと、ライフルの物を一発ずつ切断して手作りする薬莢の底をアキラに見せた。その中心に同心円状に凹凸があり、それに沿って刻印が刻まれていた。

「銃ってのは、引き金を引くとハンマーなりファイアリングピンが飛び出て、弾のここを叩くようになってんだ」

 ヒカルは同心円の中心を指し示した。

「で、ここから薬莢の中の火薬に爆発が広がっていくから弾が飛んでいくことになってる。この中心に嵌っているのがプライマーだ」

「へー」

 素直に感心する声を上げるアキラに、ヒカルは説明を続けた。

「で、撃ち終わった後に残った薬莢を取っておく。あとで洗ってから火薬と弾頭、プライマーを込めれば、また使えるからだ」

「あ、じゃあ、コレって」

「そう。四五ウルトラの弾を作るキットだ」

「へー。もう出来ている弾を買ってくるんじゃないんだ」

「普通の銃なら出来合いの弾も売ってるさ。グロックなんかの九ミリパラなんかは、工場で作った弾を売ってる」

 ヒカルの説明に、五月に連れられて行った裏の(ヤバイ)店を思い出した。ヒカルはそこで、いまはホルスターに入れている黒い自動拳銃用に、完成品の銃弾を箱単位で購入していた。

「だが、こいつは特別だから、一発ずつ手作りしてやらなきゃならねえんだ」

 例としてシリンダーから抜き出した一発を指で弄びながらヒカルは言った。

「手作りか。大変だな」

「まあ短機関銃(サブマシンガン)のようにバラ撒く銃でも無ェからよ。予備も考えて三〇発も内職すればいいだけだ」

「じゃあ詰め込む火薬の量なんかも?」

 ふと思いついた考えを口にすると、ヒカルはそうだと頷いた。

「いちおう火薬の量や種類は『推奨』される物が案内(インフォメーション)されてるが、まあ自分なりに調合したりしてる。底の方にはライフル用の火薬を入れたり、上の方は二二ショートの火薬にしたり」

 ニヤリと顔を歪めたヒカルは、ポンッとアキラの肩を叩いた。

「細かいレシピは秘密だ」

 まるで一子相伝の暗殺拳のようなことを言い出した。

「いいよ、どうせ覚えていられないし」

 ペイッと肩に乗せられたヒカルの手を払い、そして不思議そうに訊いた。

「で、弾頭の種類を変えるのか?」

 いまヒカルが手にしている銃弾にはフルメタルジャケットと呼ばれる弾頭がついていた。芯は鉛であるが、外側全体を真鍮で覆っている弾丸である。ヒカルはこの弾頭を選択する事が多く、いつも持ち歩いている黒い自動拳銃の弾もフルメタルジャケットだ。

 理由は単純だ。「鉛玉」という言葉がある通り、通常の弾丸は芯に鉛が入っている。鉛が選ばれるのは、単位当たりの重さがそれなりにあって、かつ値段が安いからだ。高校で習う物理の授業でやるが、運動エネルギーは物体の重さに比例して大きくなる。つまり同じ速度で撃ち出すとしたら、軽い弾丸よりも重い弾丸の方が、威力が大きくなるのだ。

 だが鉛も良い事ばかりではない。金属として柔らかいため、発射の段階で発射薬の燃焼による熱で溶けた表面が、銃の内部に張り付いて汚すのだ。もちろん、そのままにしていたら動作不良の原因となるし、暴発の危険も生まれる。

 ヒカルがフルメタルジャケットを選択するのは、その鉛を完全に真鍮で覆っているので、そういった汚れが銃の内部に着かない事による。

 だが小箱の中の弾頭はドレも先端まで真鍮で覆われたフルメタルジャケットではなかった。

 途中までは真鍮に覆われているのでキラキラしているが、先端は芯である鉛が露出しており鈍い色をしていた。

 こんな同居人ができてから基礎知識だけはと覚えた中にあったソフトポイントと呼ばれる弾に間違いない。

「趣旨替えか?」

 アキラの質問ももっともであった。一般的にフルメタルジャケットは貫通力に優れ、ソフトポイントは衝撃力に優れるとされているからだ。先端まで真鍮に覆われているフルメタルジャケットは、人体に命中しても変形しにくく、そのまま柔らかい肉を貫通しやすい。対して先端に鉛が露出しているソフトポイントは、人体に命中するとすぐに潰れるように変形が始まり、運動エネルギーをそのまま衝撃力に変換する。他の物で例えるとしたら、フルメタルジャケットは貫通力に優れたレイピアのような刺突武器で、ソフトポイントはぶん殴るのに適した釘バットというところか。

 海外の警察で使用されるのも多くがソフトポイントだ。対人殺傷力がどうこうという話しではない。目標を外れた弾が壁などの硬いものに当たった時に、フルメタルジャケットだと跳弾して周囲に思いもよらない被害を出す事がある。しかしソフトポイントだと弾頭が潰れることでエネルギーが損失し、跳弾を防ぐことができるからだ。(日本の場合(おまわりさん)は跳弾の心配よりも保管性を優先してフルメタルジャケットのようだ。めったに撃たないしね)

「まあ戦術の変化ってヤツかな」

 ヒカルは小箱から弾頭をひとつ取り出した。もちろん薬莢に填められていないので、そんな大きさではない。筆柿を小さくしたような形の弾頭は一センチぐらいの大きさだ。先端が丸い形をしているラウンドノーズと呼ばれる種類である。

「コレに、コレで穴を開ける」

 どこからか出した五ミリ径ほどのドリルの刃を、ヒカルは摘まんでいた一発に当てた。

「頭を凹ますのか? ええとホローポイントってことか?」

 自習で覚えた専門用語を思い出しつつアキラは訊いた。ホローポイントも弾頭の種類である。先端をわざと凹ませた形状の弾頭で、そうすることで何かに当たった時に弾頭がより変形しやすくなるようだ。ソフトポイントよりもさらに衝撃力が強いため、主に狩猟に使用される事が多かった。

「でも、そんなに貫通力を下げたら、天使に効かないんじゃあ…」

 いまの主敵は天使と自称する存在だ。そして自称するだけでなく超常的な力で守られている存在でもある。普通の攻撃は聖障壁(イコノスタシス)と呼んでいる何物も排斥する力で防がれてしまう。前回戦った時も、ヒカルが至近で撃ち込んだ銃弾の全てがそれで止められてしまった。

 また日本刀などの刀剣類による攻撃も基本イコノスタシスで止められてしまう。唯一の死角は顔面付近のイコノスタシスに銃弾が着弾した時だけ、刀剣の「斬る」攻撃が通ることだ。

 同じ『施術』に関する事で狙われた五人で同盟を組んで戦った時、ヒカルは銃撃を担当し、斬撃は他の者が行った。

 それだって、せっかく届いた刃は人外の者でしか為しえない運動能力で避けられたりして、ダメージは入らなかった。

「まあ、そうだな」

 あっさりと貫通力低下を認めるヒカル。頷いたヒカルは、だがニヤリと嗤うとケースに手を伸ばし一粒のプライマーを摘まみ上げた。

「だがよ、その凹ませた穴に、こいつを詰め込んだらどうなると思う?」

「は?」

 飛んでいく銃弾の先にプライマーを詰め込むなんて考えもつかなかった。慌ててアキラは頭の中でシミュレートしてみた。

 銃の引き金が絞られてハンマーが落ちる。で、プライマーが発火して薬莢内の火薬へと爆発が広がり、銃弾が目標に向かって亜音速で飛翔。目標に命中した衝撃で…。

「あ…」

 ポカンと口を開けたアキラの前で、ヒカルは得意そうに言った。

「とっても御機嫌(ナイス)な弾の出来上がりだろ?」

「あ…、ああ」

 アキラの気の呑まれた返事を聞いて、顔を覗き込むようにしていたヒカルの笑顔が一層大きくなった。そのまま指の間に挟んでいた柄付きキャンディの包み紙を解き始めた。

「なにアホみたいな顔してんだ」

 口ではそう言っているが声は楽しそうであった。

「呆れてんだよ」

 つい口を尖らせてしまった。

「まあ、あいつのケツを蹴飛ばす準備は、あたしがやっておくから。おまえは中間テストに向けて、しっかり勉強しておけよ」

「それじゃあ、まるでオレがバカって言われてるみたいじゃねえか」

 周囲の大人が認める天才である明実はともかく、ヒカルの頭脳も優れており特に勉強らしいものをしなくても、それなりの結果を出すことができた。まあ明実は大学へ飛び級しないのかと言われる程の頭の出来だ。ヒカルはヒカルで、本分は学生ではなく護衛である。たとえ成績が悪かろうが問題は無いのだ。もし落第するような点数を取っても、明実が裏から手を回してもみ消してしまうに違いない。とは言ってもヒカルは頭脳も超一流なのでちゃんと優秀な成績を残していたが。

「そうじゃねえか」

 何を当たり前のことを言っているのだという態度で、そのまま新品のキャンディをアキラの口の中に突っ込んで来た。

「もが」

 口腔内に広がる甘味を感じる前に、喉まで突かれてえずきそうになった。

 目を白黒させているアキラを誤解したのか、ヒカルはクスクス笑うとチョンと鼻の頭をつついた。

「おまえは何の心配もせずに勉強してろ。厄介事はあたしが片付けてやるからよ」

 ヒカルがとっても魅力的なウインクをした。



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