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十一月の出来事B面  作者: 池田 和美
3/19

十一月の出来事・➂



「不景気? まあ、色々とあるのじゃろう」

 翌日の昼休み、二人が通う清隆学園高等部のC棟一階の非常口脇にあるという狭い部屋で背の高い少年が振り返った。

 もとは教材倉庫として設けられた部屋であるが、現在は別の用途で使用されていた。

 ドアクロージャーの力で閉まろうとする扉を、少し壊れて現役引退となった生徒用の机がストッパーとなって、開けっ放しを維持していた。

 その机にはダンボールが一枚貼り付けてあり、どうやらそれが看板の代わりのようだ。ダンボールにはマジックで「科学部事務局」と大書してあった。

 そうなのである。ここが清隆学園高等部文化会系クラブをひとつに纏める「科学部」の中枢であった。

 倉庫として使われていた名残に、少々埃っぽいガラクタが散らかった室内には、三人の生徒がいた。

 どこから調達して来たか分からないノートパソコンを置いた机に座るのは、紺色のブレザーにプリーツスカートという女子用制服を少し崩して身に着けている海城アキラである。新命ヒカルは、アキラとは机を挟んで反対側に置いた椅子に腰をおろしていた。

過剰相場(バブル)やら通貨下落やら、不安定な話題しかないからの。こんな時には投機筋でも(きん)相場ぐらいにしか手を出そうとはしないはずだ」

 座った二人が見上げているのは、滔々(とうとう)と変なイントネーションで経済学の端っこを語っている三人目の男子生徒であった。紺色のブレザーという男子用制服の上から白衣を羽織っていた。それにしても身長が高い。清隆学園高等部において平均的な男子生徒の身長である一七〇センチ前後を優に一〇センチは超えていた。

 それも当たり前なのかもしれない。平均的な日本人とは違って、色素の薄い髪色に、同じような瞳の色。彫の深い顔は目鼻立ちだってクッキリしていた。

 それには理由があって、彼…、清隆学園高等部科学部総帥である御門(みかど)明実(あきざね)は、父親が日本人であるが、母親はスロバキア人であった。つまり混血児(ハーフ)というやつだ。

 自称「道産子とスロバキアの混血でチャキチャキの江戸っ子」である。深く考えてはいけない、明実は一事が万事こういった調子なのである。

 だが彼が大人たちから受けている「明日のノーベル賞受賞者のその候補」という評価は本物であった。

 そして重要な事は、彼が大事故に遭って死にかけたアキラを『施術』と呼ばれる方法で救った天才であり、幼馴染であり、そして変態である事だ。

 入学してからすぐに予算不足にあえぐ文化会系クラブを統合し、部材の共同購入から始まって、いざというときの人員の融通やら、様々な新手法を取り入れて、一気に科学部総帥として学内では無視する事が出来ない存在となっていた。

 今では「困りごとがあったら科学部事務局へ」みたいな風潮が生徒たちの間に広まっており、単純な定期試験の予想問題から、気になるアノ娘の動向まで、取り扱っていない案件は無いぐらいだ。

 文化会系クラブが予算不足に喘いでいたことが端緒である。清隆学園高等部の運動会系部活は、それぞれの競技の都大会レベルに顔を出す程度に実力があった。トロフィやら賞状など目に見える成果を得るそれら部活動の方が優遇されるというのは、簡単な話しだ。よって活動に際して限られた予算を運動会系部活に取られがちであった。

 それに対抗するために弱小の文化会系クラブが集まって作った組織が「科学部」である。

 その科学部の成立経緯からして、総帥の彼が経済的な事には敏感になるのであろう。

 ちなみに予算関係で逆襲を食らった形の運動会系の部活だが、こちらも科学部に対抗した組織を作ろうと画策した。しかし運動会系の部活同士だとグラウンドなどの練習場所の取り合いなどの事情があり、完璧に足並みが揃えることができないようだ。

「それで、宝くじが一回ぐらいは当たらないかなあって話しになったんだ」

 昨日のおさらいをするように、自宅のダイニングで上がった話題をアキラが口にした。

「なにぃ? 宝くじとな? それが『当籤金(とうせんきん)(つき)証票(しょうひょう)』の事を差しているなら、一回どころか、複数回当たったことがあるぞい」

「ええっ」

 かわいいお尻を机に置いていたアキラの背がシャンと伸びた。

「すっご…」

「おまえよ…」

 話しのオチが見えているのか、開いているノートパソコン越しに、ヒカルが残念そうな顔をしてみせた。それが聞こえていなかったのか、キラキラした目でアキラは明実に言った。

「じゃあ、金持ちじゃん!」

「一五〇〇円程度で金持ちとは…。アキラよ、オマエの経済感覚は幼稚園児か?」

「は?」

「誰も一等が当たったとは言っておらん。七等が、たしか五回ほどだったはずだ」

「なんだよ」

 空気が抜けて萎む風船のように、アキラの姿勢が元に戻った。机の向こうに見えるヒカルの顔に「そんなトコだろうと思った」と書いてあった。

「だいたい未成年がそういうの買っていいのかよ」

 アキラが口を尖らせると明実は平然と言った。

「購入に年齢制限は無かったと記憶しておる。賞金の換金時には保護者同伴が求められるが、三〇〇円程度なら売り場のおばちゃんが平気で渡してくれるぞい」

「昨日から思っていたが、宝くじなんて、よく買う気が起きるな」

 ヒカルが少々馬鹿にした声を上げた。

「まあ、そう言うな。ど~んと大金を手にする夢を買っているものだと思えば、高い買い物ではあるまい?」

「おまえは買ったこと無いのか?」

 アキラに訊かれて馬鹿にしたような態度のままヒカルは肩を竦めた。

「まずハガキで申し込むのが面倒だろ」

「ハガキ?」

 意外な単語が出て来てアキラはキョトンとした。

「ねえ、ハガキって?」

「昔はな、往復ハガキで予約せんと買えなかったのだ」

 何でも知りたがりの妹に答えを授ける兄のような態度で明実が教えてくれた。

「へ~」

 感心しているアキラを放っておいて、明実はヒカルに告げた。

「ヒカルよ。購入が予約制だったのは二〇世紀までじゃぞ。いまは不要じゃ」

「え?」

 ヒカルの顔があからさまに赤くなった。

「そ、そうなのか? ほら、日本にいない時もあったから、知らなかったぜ」

 慌てて取り繕うとしていた。アキラから見て、ちょっと可愛い表情になっていた。

 まあ制服を着たいまの見た目は現役の女子高生であるが、ヒカルはとっくに成人していた。普通の人間と違って「女の子のようなもの」であるから外見の老化が極端に遅いのだ。春から付き合ってきて、こうして端々に出て来る会話の食い違いから察するに、実際のところは平成どころか昭和生まれに間違いないはずだ。

「で、かあさんが言ったんだよ」

 恥ずかしがっているヒカルの援護射撃というわけでは無いが、昨日の話しのオチをアキラは口にした。

「これまで買って来たんだから、一度ぐらい一等前後賞を当ててくれても罰は当たらないんじゃないかって」

 普段から「科学者たるものいかなる時も冷静であるべし」と森羅万象に対しての心構えを金科玉条のごとく守っている明実も、これには笑った。

「ハハハ香苗さんらしい」

 腕を組んでうんうんと頷いていた明実はさらに付け足した。

「さすが将来の我が伴侶。かわいらしい事をおっしゃる」

「おまえ、それいい加減にやめろよな」

 明実が口にした妄言に釘を差すアキラ。大人たちが「天才」ともてはやすだけあって、明実の頭脳は幼稚園児の時にはすでに成熟していた。そこに幼馴染(アキラ)の美人な母親(かなえ)の存在である。「オイラ、おばちゃんのおムコさんになる」と告白したのは、たしか年長組だったはず。だが考えてみて欲しい、幼稚園に通う息子の友だちにそんな事を言われた女性の反応を。普通だったらこう言うのではないだろうか「じゃあ、大きくなったらね」と。

 明実はその約束をいまだに信じており、こうして事あるごとに口にするのであった。

 もちろん香苗の息子であるアキラにとっては気持ちの良い話題ではない。だいたい出張で家を空けがちであるが、父である(つよし)は健在なのである。

「まあまあ」

 今度はヒカルが助け舟を出す番だった。

「あれで下手に夜這いなどをかけない真面目さを、おまえも見習え。純愛と言ってもいいぐらいだぞ」

「う、ぐ」

 たしかにその通りである。明実は、口ではこのように変な事を言っているが、香苗の事を尾行()け回したり、夜中に侵入しようとしたり等は決してしない。純愛と言って良いかは分からぬが、紳士的であることは間違いなかった。

「よっぽど、おまえの方が不健全だろ」

「あれは、おまえが!」

 机から飛び降りるようにして立ち上がってから、明実の不思議そうな視線に気が付いたアキラは、顔を真っ赤にした。

「ふがふが」

 まるで入れ歯がずれた老人のように口ごもると、元の位置にお尻を戻した。

「どうかしたかの?」

「「なんでもねえよ」」

 一方は愉し気に、一方は怒気を孕ませて、二人の「女の子のようなもの」は異口同音に言った。

 キョトンとしていた明実は、話題を変えようというのだろう、一回だけ出入口の方を確認してから元の位置まで戻って来た。

「まあ、不景気なのは変わらんな。実は研究費が底をつき始めておる」

「はあ?」

 アキラの口からオクターブ高い声が出た。

「あれだけ最新の設備に囲まれているのにか?」

 明実は、清隆学園高等部に一年生として在籍しているが、高等部入学と時を同じにして清隆大学科学研究所にも正式に籍を置くことになった。

 本来ならば彼に高等部の教育は、もう必要ないのである。小学生の時にはすでに高等数学をオモチャにして遊んでいたぐらいだ。中学校在籍時にはすでに清隆大学科学研究所の様々な研究にオブザーバーとして参加をし、現在に至っていた。

 彼の明晰な頭脳を知っている大人たちは、一刻も早く大学に所属して専門的な分野で才能を咲かせて欲しいと考えていた。

 だがそれを許さないものがあった。日本の学校制度である。

 海外ならば小学生ぐらいの子供でも大学へ入学させることもできるが、日本では十六歳になるまで飛び級は認められていないのであった。

 いまの明実は無事に清隆学園高等部に入学し、年齢も基準を上回るようになったが、大学への飛び級はしていなかった。高等部の生徒とはいえ、事実上研究所の所員でもあるから、わざわざ飛び級までして駒を進めなくても良かろうという事のようだ。

 その清隆大学科学研究所にある明実の研究室に、アキラが入ったことはもちろんあった。というか大怪我をして『施術』を施されて『再調整』された身体が安定するまで暮らしていたほどだ。

「その揃った最新設備を動かすのにも金がいるし、また研究を手助けしてくれる人たちの人件費だってある。実験のために必要な高価で貴重な材料が、シンの荒野に降り注いだマナのごとく手元にやってくるわけでもない。もっと言えば蛇口を捻って出て来る水だって有料なのだぞ」

 明実が当たり前のことを言った。

「だって、いままで…」

「今までは、な」

 アキラの言葉を遮って、あくまでも冷静な明実は言った。

「だが、ここにきて環境が変わった」

「かんきょう?」

「ハカセと対立してしまったからの」

「はあ」

 分かっていない声でアキラは生返事をした。時計の秒を刻む針が一周してから頭頂から抜けたような声を出した。

「たいりつ?」

「もう忘れたのか?」

 後ろからヒカルが呆れた声を出した。

「あれで対立?」

 腕を組んだアキラは首を捻った。

 ハカセというのは、明実を清隆大学科学研究所に招き入れた岸田(きしだ)美亜(みあ)博士のことである。本来ならば大学にて数学科で教鞭をとっていればじゅうぶんに給料分働いている事になるが、彼女はそれだけで満足はしなかった。

 自身も子供の頃から数字を扱うのが得意で、五桁同士の掛け算を含む暗算を瞬時にこなせるほどだった。だが既述の通り、飛び級制度が無い日本の教育体制の前に才能が無駄にされ、彼女自身はマスコミに「天才数学少女現る」みたいに扱われて(彼女にとっては簡単な)数学の問題をカメラの前で解かされるなんて事を何度も経験した。

 自身のそういった経験を次世代の天才たちが被らないように、彼女は積極的に明実のような若い才能を手元に集めて、それぞれの個性が伸びるように保護しているのであった。

 つまり明実にとって恩師のような人物である。

 だが最近、明実が研究している『施術』に関する事で意見が対立し、二人の関係に小波(さざなみ)のようなものが立ってしまった。

「あれは、ハカセが悪いんじゃないか」

 口を尖らせるアキラに、ちょっと柔らかい微笑みをしてみせる二人。

「まあ向こうに言わせたら『飼い犬に手を噛まれた』というところだな」

 ヒカルが教えを諭すように言った。

「アキラもわかるじゃろ? 言う事を素直に聞く部下の方が可愛いという事だ」

 いちおう芯の部分では、いまだ恩師と教え子の関係は維持されていた。しかし二人が対立する原因となった『施術』を明実が研究している間は、いっさいの支援が受けられなくなったようだ。

「つまり、自分に気に入らないことをしたから、もう金は出さないってこと?」

アキラが口を尖らせたまま訊いた。

「そういうことじゃな」

 うんうんと明実が頷いた。

「大人ってきたない」

「まあ、そう言うな。人間社会の構図というヤツだ」

 三分ほど経ってからアキラは気が付いた。

「…じゃあ『生命の水』は?」

 アキラとヒカルの身体には『生命の水』と呼ばれる薬液を定期的に接種しないと身体は維持できなくなり、死んでしまうと説明を受けていた。その『生命の水』は自己で青い色に発光しているという、いかにも怪しげな薬液なのだが、アキラも死にたくはないので素直に毎月注射を受けていた。

 その『生命の水』を製造していたのが(まさ)しく明実の研究室だったのだ。

「そうなのだ」

 やっと気が付いたのかと明実が声を改めた。

「オイラに回される予算のほとんどを『生命の水』の生産に当てておる」

 アキラ自身は『生命の水』がどうやって生産されているかは知らなかったが、材料は特殊な物らしい程度は知っていた。作る人件費の方は明実がひとりで頑張るとして、材料が購入できなくなればお終いである。

「なんだ…」

 アキラは胸を撫でおろした。

「無くなって、あと一月(ひとつき)で死ぬとかじゃないんだな」

「まあ、さすがにそれでは寝覚めが悪かろう」

 明実はうんと頷いてみせた。

「だが、他に回せるだけの予算はバッサリカットされた」

「それのドコがいけないんだ?」

 逆に湧いて来た疑問を口にした。それに対して明実とヒカルが揃って残念なモノを見るような顔をしてみせた。ヒカルに至っては溜息までついてみせた。

「オマイを男に戻す『再々構築』をしなくてよいなら、このままハカセの機嫌が良くなるまで待つのじゃが? それでいいのかの?」

「ええっ!」

 文字通りアキラは飛び上がった。その勢いのまま幼馴染に詰め寄った。

「そ、それは困る」

 明実が制服の上から着ている白衣にしがみつくようにして、アキラは明実の胸倉を掴んだ。

「オイラも、ここで『施術』の研究が止まるのは、なんとも惜しい」

 分かっているぞという態度でアキラの手を解き、腕を組んでみせる明実。

「だがの。先立つ物が無いとの~」

「じゃあ…」

 口を開きかけたヒカルに向けて、明実は掌を差し出して押しとどめた。

「オイラはヒカルに『生命の水』を提供する」

「そして、あたしは二人の身を守る」

「そういうことだ。それでじゅうぶん」

 三月に交わした口約束を確認するような二人を、なんにも分かっていない顔をしているアキラは見比べた。

「でも、無いんだろ? 金」

「ん~」

 腕を組み直した明実は唸り出した。

「オイラが抱えているパテントの幾つかを売るか…」

 明実は、その天才的頭脳により発明発見した、いくつかの工業的な特許権(パテント)を有していた。いまは保護者を通じて大手数社に「貸し出して」いる状態のようである。よって座って待っているだけでも幾ばくかの収入が彼には約束されていた。

「それはもったいない」

 御門家の収入に少し知識があるアキラは慌てて両腕を振り回した。

「オレよりも、そっちの方が大事だろ」

 なにせ特許権が切れる二〇年間は、アキラから見たら大きな金額が懐に入ることになるのだから。今から二〇年後と言えば、明実は三〇代。もしかしたら(もちろん香苗とは他の)恋人を得ている可能性だってある。そろそろ身を固めようという時に財産となる物が有るのと無いのとでは、人生の選択レベルからして変わってきてしまう。

 人生設計すら揺らがせかねないほど、彼に出費を強要するわけにはいかなかった。

「そんな事をさせるぐらいなら、このままでもいい」

 本当は今すぐにでも男に戻りたいが、そこは友情を優先させるアキラなのであった。

「お! こういうトコは男だねえ」

 ヒカルがクスクスと笑った。

「ふむ。だが、いつまでも『創造物』のままでは『生命の水』が必要になり続けることを忘れるでない。かえってここで一気に『人間の男』に戻れるなら、その方が経済的にも得かもしれんぞ」

「む」

 一回に注射する量の『生命の水』に幾らかかっているのか分からないアキラは、グッと唇を噛み締めた。

「とりあえず話を纏めよう」

 明実は人差し指を立てた。

「まず第一に、二人の身体を維持するために『生命の水』は、オイラの受け取る研究費と、なけなしの私財によって生産を維持する」

 ヒカルは素直に、アキラは不承不承といった態で、それぞれ頷いた。

「第二として」

 指がもう一本立てられた。

「オイラはさらなる『施術』の研究を進めたいが、研究を安心して進められる場所が無いということ」

 すでに一回、明実の研究室から成果の一部を岸田博士の手によって持ち出された事があった。条件が変わっていない、いや悪化している現在では同じ事が起きると考えて間違いは無かった。

「ウチでやるってのは?」

 アキラは室内を見回した。

「ベーキングパウダーをこねてレンジでチンというわけにはいかぬ。ご家庭でできる簡単クッキングとはわけが違うのだぞ」

 ちょっと機嫌悪そうに明実が言った。

「思考実験やら簡単な科学実験なら机上で行えるが、そろそろしっかりした場所が必要だ」

 残念そうに明実も科学部の事務局となっている狭い空間を見回した。

「オマイの予備の腕を作るだけでも、ここの隣にある化学実験室ぐらいの部屋が必要だったのに、人ひとりとなるとどうなることやら」

「人ひとり?」

「オマイは男に戻りたくなかったのか?」

 眉を顰めた明実の顔を見て、あっとばかりに今の自分を見おろすアキラ。女の子のような身体になって半年、最近はこの生活にも慣れてきてしまった自覚があった。

「場所か…」

 ノートパソコンの脇に頬杖をついたヒカルまで溜息をつく勢いだ。

「ちなみに学園の敷地内ならば、研究所と安全性はどっこいどっこいと考えておるぞ」

学校(ガッコ)以外で広いところ…」

 すぐにはピントが来なくてアキラは天井を見上げた。

「まあ、ハカセの機嫌が今日、急に良くなる可能性もある」

 明実はまるでドラマに出て来る登場人物のように肩を竦めてみせた。混血児(ハーフ)の彼がやると様になるポーズだ。

「だが時間は味方ではない。第三の問題としてオイラたちを狙う天使の存在がおる」

「ああ~」

 指差されてアキラは間抜けにも声を上げてしまった。

 現代科学を突き抜けた『施術』であるが、万能技術ではない。不老不死に限りなく近い技術であるが、やはり殺されたら死ぬのである。

 そして「どんな生命も、生まれてきて伴侶を見つけ、そして子を成す。親となった生命は、子を育て上げ送り出し、やがて老いて死んでいくモノ。この主が定めた生命の約束を『施術』は壊す物だから、秩序を取り戻さなければならない」という理由で、アキラたちの生命を奪いに来た存在があった。

 天使。

 自らそう名乗った存在は、戦いを一方的に進められるほど強かった。こちらの攻撃は神の奇跡か何だか知らないが、聖障壁(イコノスタシス)という見えない壁で全て防がれ、対して天使の攻撃は全てこちらに有効だった。

 もしアキラ一人だけだったら、手もなく滅ぼされていたはずだ。

 まあ本当に神の使徒たる天使ならば、そういった理由で襲ってくることを納得しないでもなかった。が、アキラたちの前に現れた天使というのが、口髭を生やしたムキムキのマッチョボディの成人男性という姿だったので、いまいち信じられなかった。天使と名乗るのなら、翼が生えているとか、地上の者とは思えない美しさとか、それなりの姿形をしていてほしかった。

 戦い自体は、同じ『施術』を使って肉体を『構築』している者で同盟を組み、集団で対抗する事によって、辛うじて天使を退(しりぞ)かせることができた。が、次も同じようにうまく事が運ぶとは思えなかった。

「おそらくアキラが『創造物』である限り、天使は何度も襲って来るであろうな。そして向こうの方が圧倒的に強い」

「つまり。時間は味方にならない」

 アキラの確認に明実がウンと頷いた。岸田博士の機嫌が直るのがいつになるのか分からない以上、時間経過はジリ貧と同義語であった。天使はこちらを倒せるが、こちらは天使を退かせるのが精一杯なのだから。

「まあ、そうじゃな」

 チラリとヒカルに視線を走らせた明実が、少し言葉に詰まって言った。

「?」

 その態度に違和感を持ったアキラはヒカルを振り返ったが、ヒカルはいつもの通り機嫌の悪そうな顔をして、口元のキャンディの柄を揺らしているだけであった。

「場所の方は、あー…」

 明実も天井を振り仰いだ。

「場所は、いまヒカルと探しておるが、いい物件は無くての」

「ヒカルと探す?」

 アキラは二人の顔を交互に見比べた。

「じゃあ最近、出かけているのは…」

「なんだ? 逢い引きとでも思ったか?」

 ヒカルがニヤリと嗤うので、アキラは頬を赤くしてそっぽを向いた。

「んなことねーし」

「そんな無粋な誤解をするな」

 明実が機嫌を損ねた声を出した。科学者である彼がこうして感情を出すことは珍しいことだ。

「オイラには香苗さんという存在が…」

「はいはいはいはい」

 慌てて明実の言葉を遮り、そして睨みつけながら訊いた。

「で? 解決策は?」

 いつもなら、こういった話題が上がる頃には次善策まで用意されている事が多かった。今回も明実の頭の中にはいくつもの策が用意されているはずである。

 と、思ったら明実が肩を竦めて両手を上に向けた。

「…え?」

 再度、表情だけで問い直しても、明実はもう一回肩を竦めただけだった。

「山積した問題に関して、オイラは鬼札(ジョーカー)を切るしかないと思う」

 覚悟を決めた目で二人に視線を戻した明実は言った。

「ジョーカーねえ」

 頭の後ろで腕を組みながらヒカルは仰け反るようにして、椅子の背もたれに体重を預けた。それなりに豊かな胸が強調されるようなポーズだ。

「毒にも薬にもならないなら問題は無いが、ありゃ全くの逆で劇薬だぜ。しかも戦略(かがく)兵器級の」

「しかしアレが最悪の劇薬(ノビチョク・ガス)だとしても、もうなりふり構ってられない面がある」

「毒というより…、自爆ボタンか…」

 なにか物騒な事を言い出した。

「それに、あいつ。ハカセに協力してなかったか? いまさら、コッチの言うとおりに動いてくれるとは思えねえ」

「確かにのう。ただ盗む手伝いはしたが、中身がなんだか分かっていなかったようではあるがな」

「どっちにしろ、信用できねえー」

 ヒカルは天井に向かって大声を上げた。

「金払いさえ滞らなければ、裏切らないと信じておる。メシを食ったらさっそく交渉に行くゾイ」

「金払いが良ければだろ」

 ヒカルは指鉄砲を明実に向けた。言外に支払えるのかと問うていた。

「どちらにせよ『生命の水』にも金を使うが、まとまった場所を借りるとなると敷金礼金など発生するからのう」

「そっちの問題も金だな」

 ヒカルの言葉でやっと理解できた。

 結局、話しは振り出しに戻るようだ。

「はぁ」

 アキラは肩を大きく上下させて溜息をついて言った。

「宝くじにでも当たらないかなあ」



「宝くじが当たったら?」

 同じ時間、同じ高等部のC棟である。二階にある司書室の大テーブルには、いつもの面子が顔を揃えていた。

「なぜそんなことを聞く?」

 購買部から買って来たクリームパンを手にした男子生徒が、質問をしてきた銀縁眼鏡がトレードマークの男子生徒へ訊き返した。

 一見してクリームパンを握る腕は程よく鍛えられていた。体格全体も普通の高校生に比べてガッシリとしており、動きやすいようにするためか髪も短く整えているし、司書室よりも運動場が似合うような少年だ。

「いや…」

 対する眼鏡をかけた少年は、クリームパンの彼とは対照的であった。制服の上からも痩身であることが分かるし、顔に乗せた銀縁眼鏡の度もそれなりにある。彼は自分の弁当箱の蓋を開きながら、まるで言い訳のような口調であった。

「最近、パッとした話を聞かないからさぁ」

「パッとねえ」

 クリームパンをひと齧りした少年は、チラリと応接セットの方へと視線を走らせた。

 いつもの清隆学園高等部司書室で、毎日のように見られるお昼休みの風景が広がっていた。

 司書室に蔵書整理のために置かれた大テーブルを囲むように男子生徒たちが集まり思い思いに食事をしていた。数が少ない女子生徒たちはというと、応接セットの方に集まってお弁当を広げていた。

 ただ、この十人弱いる生徒の中で、本来司書室の主であるはずの図書委員会に籍を置く者はたったの二人しかいなかった。

 司書室と言えば一般生徒は立ち入り禁止のはずである。そこに堂々と入り込んでいるのは『常連組』と呼ばれる者どもだった。

 清隆学園高等部は進学校として近隣では有名な学校である。付属高校から清隆大学へエスカレーター式に進学するだけでなく、最高学府と呼ばれる有名大学への進学率も高い。だが、その高い学力に反して、図書委員会に協力的な生徒は少なかった。

 いちおう各クラスから図書委員が選出されているのだが、一般生徒にとって図書室という存在(もの)は利用する存在であって、運営する存在という意識はとても低い物のようだ。

 そのあまり活発的でない図書委員たちの穴を埋めるように、図書室を毎日のように利用する有志たちが色々と仕事を手伝うようになっていった。そのまま図書室だけでなく司書室でもデカイ顔をするようになり、いつの頃か『常連組』と呼ばれるようになっていた。

 いまも貸出カウンターに陣取っているのは、図書委員では無くて(色々と問題を起こす騒動屋ではあるが)『常連組』の一人であった。

 だが、まったく図書委員がいないわけでも無かった。

 実際、応接セットに陣取っている女子生徒の中に、数少ない図書委員が混じっていた。

 その中でも特に重要な人物が一人用ソファに腰かけていた。

 一目見ただけでは平均的な女子生徒である。背は高からず低からず、太っていると指摘するほどでもなく、かといって痩せていると言い切る事も出来ない。いい意味でも悪い意味でも中肉中背というやつだ。背中に流したセミロングといった黒髪が中途半端な長さなのは、仕事が忙しくて美容院などに行っている暇が無かったからだ。

 他の人よりは白い肌には夏の紫外線が大敵だったらしく、秋深まったいまは鼻の辺りにソバカスが散っていた。

 だが、そんな些細な減点も、彼女の印象的で意志の強そうな切れ長の目を見れば、どこかに吹き飛んでしまう。そしてその魅力的な瞳で彼女がそんじょそこらの女子高生とは同じではない事を察しない者はいないだろう。

 黙って座っていれば「そこそこの美人」で済まされてしまいそうな彼女こそが、図書委員会だけでなく、有象無象が集まった『常連組』をもその剛腕を持って仕切ることで名高い図書委員長、藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)女史なのであった。

 その剛腕と言うのは、誰が言ったか「立てばガ▲ダム、座ればジオ▲グ。殴る姿は東方不敗」と例えられた純粋な暴力を示している時もあるが、各委員会が権力争いで張り合っている生徒会において、仲裁機能としての役割を与えられた図書委員会という巨船(タイタニック)を座礁させない舵取りの手腕もそうであった。

 もう一人の図書委員(ふくいいんちょう)である和風美人と、由美子のクラスメイトであり『常連組』の中で貴重な女子でもある美少女と、由美子本人を合わせて計三人で囲んでいる昼食風景には、いつもと違ったところは無いように見えた。

 だが『常連組』にはわかっていた。

 いつもと同じ風を装っているが、巨大地震が起きる前に騒ぎ出すナマズのように、彼らは第六感(かんそくはんいがい)でソレをビリビリと察知していた。

 楕円形をしたお弁当箱に取り掛かっている彼女の機嫌は、南極大陸を取り巻く『絶叫する六〇度』と呼ばれる暴風圏並みに悪くなっていることは確実だ。

 視線をやれば、にこやかに三人で女子トークを交わしているだけに見えた。これと指摘できるような異常は見られない。が、四月から彼女に関わっ(シバかれ)て来た『常連組』にはビビビと伝わって来る緊張感のような物があるのだ。

「ツカチンはん、ツカチンはん」

 辛うじて隣に聞こえる音量で、地方から東京にある清隆学園高等部へ進学してきた男子生徒が、地元の言葉で声をかけた。彼は高等部付属の男子寮暮らしなので昼はもっぱら学食で済ましてくる。日替わりAランチを平らげていつもの席に戻ってきたらコレだったのである。

「なにかな? ユキちゃん」

 ツカチンと声をかけられたのは、図書委員会ではなく監査委員会に所属する、まるで相撲取りのような体格をした男子生徒であった。彼の方は清隆学園がある地方自治体と隣接する地域からの通学なので、昼は購買部で買ってくることが多かった。事実、彼の前の大テーブルには、かつての牛丼の成れの果てと、オニギリセットの包みが散らかしっぱなしだ。

「あら、どないしたことやろう…」

 ユキちゃんと呼ばれた彼は目線だけで由美子を指し示した。指先などを向けただけでも、高圧電流のように空気中を伝って尖端から感電の恐れがあるように思えたようだ。もちろん飛んで来るのは電気ではなく怒りの波動である。

「ほら。半年ごとの…」

 いつも浮かべているニコニコスマイルのままでツカチンが柔らかい口調でこたえた。

「脱皮でっしゃろか?」

「委員会の予算会議があったのよ」

 脱皮自体は否定をせずにツカチンは言った。

「あー、なるほど」ユキちゃんはポンと手を打ってから「よう分かったなあ」

「ほら、監査委員会も忙しくなってきているから」

 予算が動くとなると学内の不正を監視する本来の仕事で監査委員会も忙しくなるはずである。ツカチンも本当はここでのんびりできているはずがないはずだ。まあ生徒たちの間に流れている噂では、彼は監査委員会が図書委員会へ送り込んだスパイらしいから、どんなに本業が忙しくても、いつものニコニコ顔で司書室には顔を出さなければいけないのかもしれなかったが。

「予算会議で機嫌(わる)なる…。なにがあったんでっしゃろか」

「言うまでも無いでしょ」

 その時、カタンという音がしたので、慌てて口をつぐむ二人。目線を走らせれば、ただ由美子がお弁当箱を応接セットのガラステーブルに置いただけであった。沈黙は金。嵐の前に何も為す術がない小動物のように、それが通り過ぎるのを待つしか無かった。

「ね?」

 なにを勘違いしているのか、同じようにして応接セットの方の気配を探っていた銀縁眼鏡の少年は言いなおした。

「ここいらで宝くじでも当たらないかなあって」

「宝くじねえ」

 クリームパンを手早く片付けた話し相手は、包みに息を吹き込んで膨らませた。

 勢いよく両手で叩いて破裂させたと思いきや、そんな意思のないはずの物品すら空気を読んだのか、ボスッという鈍い音を立てて萎むだけだった。

「とりあえず俺はあれだ。お袋に部屋の整理だとか言われて勝手に捨てられた『松本久志マンガ全集』をネットオークションで取り返す」

「マンガ全集…」

 あまりにも身近な欲望で、相手の銀縁眼鏡が鼻の先へずり下がった。

「いや、もっと派手にパーッと使おうよ」

 おそらく漫画家個人の全集であるから、せいぜい五桁の金額であるはずだ。これが「マンガの神さま」と称された大作家の全集で、しかも絶版の初版本勢ぞろいとかであったら桁が違ってくるだろうが、それにしたって億に届くとは思えなかった。

「ならば貴様は何に使うのだ? 正美(まさよし)

 平均よりは恵まれた体格をしている少年が訊き返すと、正美と呼ばれた彼は銀縁眼鏡を定位置に押し戻しながら言った。

「だって億っていうお金が手に入るんでしょ。いま手に入ったとしたら、定年退職する六十五歳まであと四十九年だから…、一等五億円だとして…、一年あたり一〇二〇万円の収入ってことじゃない。月給にしたら八五万円! この先のインフレーションを考慮したって、慎ましく生活していれば就職に失敗したって…」

 かけている銀縁眼鏡は伊達では無いらしく、あっという間に行った暗算の結果を口にする正美。

「かー」

 その答えを聞いた彼は、頭頂部分から抜けて出るような声を上げた。

「それのドコが『派手にパーッ』となのだ」

「じゃ、じゃあ空楽(うつら)なら何に使うよ」

 正美に空楽と呼ばれた少年は、何を当たり前のことを訊くという態度で言い返した。

「言ったであろう『松本久志のマンガ全集』を取り返すのが第一であると」

 よっぽど、お気に入りのマンガ家であるようだ。

「それから?」

「『それから?』?」

 続けて訊かれた空楽は意外そうな顔をした。重ねて質問されたことで、やっと気が付いたようだ。億という金額の前では、マンガ全集はあまりにも安い物だった。

「とりあえず…」

 人差し指を立てて答えようとした横から、先ほど囁き声で会話していたツカチンとユキちゃんが口を挟んだ。

「肝臓は大事にしないとね、不破(ふわ)

「そうそう。体は資本言うやろ」

「なんだとう」

 マッハで振り返った。

「いつ俺が『日本中の地酒を取り寄せて呑み比べる』と言った」

「「「いま」」」

 予想されていた彼の思考に三人が同時にツッコミを入れた。

 そうである。この均整の取れた鍛えられし体を持つ少年、不破(ふわ)空楽(うつら)は三度の飯よりも読書と睡眠、そしてアルコールを愛していた。(未成年の飲酒はいけません!)

 その証拠に、今日の昼がクリームパン一個というのも、好きな作家の新作が近く発売されるから、そのためのお小遣いの節約である。もちろん図書室の常連になる程であるから電子書籍ではなく文庫本を本屋で購入する派であった。

 彼が一学期をそれなりの成績で乗り切れたことは、今年の清隆学園高等部七不思議の一つとされているほどだ。

 なにせ授業中だろうが学活だろうが、起きて席に座っている彼を見た者はいない。普通なら赤点で補習だろうが、不思議な事にそんな目にあっていないのだ。そして迫りくる二学期の中間考査を前に、彼の態度は少しも変わっていなかった。

「俺のことを何だと思っている!」

「酒呑みでしょ」

 二メートル近い身長と、胴の直径とが同じ数字という奇跡の体格をしたツカチンが、ニコニコ顔で言い切った。後ろにいる身長の高い中性的なイケメン風のユキちゃんがブツブツと呟き出した。

他人(ひと)は言うのさ、『酒呑み(アルちゅう)ども』は悪魔の肝臓を持ってるって…。血も涙もあらへん()み出し者の集まりだって…。ほな教えたるよ、知ってるかい? あいつらには胃袋二つあって、飲酒検問避けの魔法を使(つこ)う。血管にはアルコール流れとって、心臓は撹拌器(カクテルシェイカー)かてことさ…」

 それを聞いた空楽は何とも言えない顔をした。

「…。その砂漠の基地にはマッコリ爺さんとかいう守銭奴が居そうだな」

「マッコイじゃなくマッコリ…」

 思わず顔を見合わせるツカチンとユキちゃん。

「じゃあ十塚(とつか)だったら何に使うんだよ」

 ちょっと逆上気味に空楽はツカチンを指差した。もちろんツカチンというのはアダナで、十塚(とつか)圭太郎(けいたろう)というのが彼の本名だ。

「え? アタシですか?」

 指差されてちょっと首を竦めた圭太郎は、ニコニコ顔のまま柔らかい物腰でこたえた。

「アタシには、調査隊(アークス)として系外惑星(ハルファ)を探索するという使命がありますんで」

「は?」

 一瞬だけだが話しが分からずに、その場にいた全員が目を点にして顔を見合わせた。

 それで自分の言葉の至らなさに気が付いたのであろう、圭太郎は説明を付け足した。

「最近、映像基板(グラボ)高価(たか)くなってきたし、椅子(ゲーミング・チェア)も新しいのが欲しくなったし…、贅沢言うなら冷暖房完備で外界から隔絶され、回線速度が最速の部屋が欲しい」

オンラインゲーム(ネトゲ)か…」

 圭太郎の部屋にお邪魔してゲーミングパソコンを弄らせてもらったことがある空楽は納得するように頷いた。

「全額、課金に突っ込むよりは経済に貢献している…、のかなぁ」

 ネットと言われても、せいぜいスマートフォンを介して動画を見る程度の正美が納得のいっていない声を出した。

「他にも(たち)ゲー用の筐体丸ごと一台欲しいかな。初代『ストリートファイター』の基板はもう持っているからさ」

「そのままレトロゲームのゲームセンターになりそうだな」

「一億や二億じゃ足り無さそうだね」

 空楽の感想に正美が横から付け足した。

「ユキちゃんは?」

「ウチどすか?」

 話しを振られた背の高いイケメンが自分自身を指差した。ユキちゃんと何やら純和風の少女のような呼び方をされているが、そこに立っているのは、たおやかな乙女ではない。むしろ正反対のパーソナリティを持つ男子生徒である。身長は一八〇センチぐらいあるし、空楽に負けず劣らず体つきもガッシリしている。あと特徴的なところと言えば、左手の小指の付け根という変な位置が変形していることだ。

 本名が松田(まつだ)有紀(ありよし)なのだが、『常連組』からは名前を読み替えてユキちゃんと呼ばれているのだった。

「そうどすなぁ…、M一三四『無痛(オールド・ペインレス)ガン』が発表されたさかい、それか…。バレットXM一〇九『ペイロード』、八九式重擲弾筒(ニーモーター)もほかしがたい…」

 有紀が上げているのは全て個人携行兵器の重装備に当たる物だ。だが、もちろん普通の高校生である彼がそれらを買おうと言う事でないことは、聞いている者はみんな重々承知していた。

「ユキちゃんの場合は、いっそのこと山の一つでも買って、そこをフィールドにするのがいいんじゃないの? サバゲの」

「あ~、そのアイディアもええどすな」

 正美に指摘されて頷く有紀。そうである。普通の高校生に重兵器など手に入らないが、それを模したエアソフトガンなら(金銭面などは別にして)手に入れても不思議では無かった。

 彼は清隆学園高等部付属の男子寮、その名も『銅志寮(どうしりょう)』の有志で結成されたサバイバルゲーム(いわゆるサバゲ)チームの一員であった。

「最近は行ってるの? 八王子だか青梅だかにあるっていう有料フィールド?」

「ボチボチでんな」

 首を竦めてみせる有紀。親の仕送りだけで暮らしている寮生には、金のかかる趣味なのであった。

「平日の昼間安いんどすけど、そないな時間には行けしまへんさかい」

 いちおう確認しておくが、彼らはココ清隆学園高等部の生徒である。平日の昼間には勉学という本業をこなさなければならないはずだ。

「今度、五〇〇人対五〇〇人っていう大規模イベントがあるって、ホント?」

「そうみたいですわ」

「ねえねえ、なんの話し?」

 そこへ宇宙船の中央コンピュータが網膜へ投影する会話型アバターのような存在が乱入して来た。男子生徒四人は眩しそうに瞬いていたりする。

 完璧なシルエットをしたボディに、完璧に調和のとれた目鼻立ち。最近のコンピューターグラフィックは凄いと感心してはいけない。

 没個性が「まるで勤続二十年のお局レベル」と、実際に身に着けている女子生徒たちから悪口を言われているのが清隆学園高等部の制服である。

 その紺色ブレザーという地味な制服を身に着けていても、なお輝くような美しさをもっている彼女は、なんと息をしてそこに立っている存在なのだ。

 現に、先ほどまで由美子と一緒に応接セットの方でお弁当を囲んでいたし、いまも食後のデンタルケアのためか、歯ブラシを右手に握りしめていた。

 彼女こそ毎月一回、生徒会主催(裏)投票で選出される『学園のマドンナ』において連続在位記録を入学以来更新中という美少女、佐々木(ささき)恵美子(えみこ)であった。

「宝くじが当たったらどうするって話し」

 まだ眼鏡の向こうで瞼をパチパチさせている正美が、今までの流れを簡単に説明した。

「宝くじ?」

「そう。一等賞当たったらどうする? コジローは」

 恵美子には『学園のマドンナ』という面の他にもう一つ、剣道小町という側面があった。しかも一年ながら剣道部で彼女に敵う者はいないようだ。

よって苗字と、剣道部のエースという腕前から、大昔の剣豪になぞらえてコジローと呼ばれていた。

「う~ん」

 ポイッと歯ブラシを口の中に放り込んだ恵美子は、豊かな胸の下で腕を組むと、唸り出した。

()なみに、権藤くんは?」

「僕は…」正美は再び、彼の持論では「派手にパーッと使う内容」の堅実な夢物語を語った。

 内容を聞いて目を点にしてコシコシと歯ブラシを動かしはじめる恵美子。

「ちなみに俺が『地酒の呑み比べ』で、ツカチンが『ゲーム』。ユキちゃんが『高価(たか)いエアガン』だそうだ」

「男の子ら()い」

 歯ブラシを咥えたことにより怪しげな発音になった恵美子が頷いた。

「私は、お(ウチ)()あ…」

 ちょっと首を傾げてはいるが、どうやら不動産に興味があるようだ。

「コジローが家を買う?」

 キョトンとした空楽と圭太郎が顔を見合わせた。

「やっぱり道場は併設なのか?」

「滝行をするために、わざと高低差をつけた庭に、川を引きこんだりして」

「真剣で滝を切るちゅうのもおました」

 なにせ、今度の祝日に行われる剣道の全国大会に出場が決まっている身である。周りがそう勝手に誤解するのも致し方ないと言えた。

「ああ、やっぱしちゃいます」

 有紀が人差し指を立てた。

「おっきな窓と小さなドアがある家に決まってます」

「なんだ? それで部屋には古い暖炉があるって言うんじゃないだろうな?」

 有紀の意見に空楽が乗った。

「青い絨毯に、真っ赤なバラ。そして白いパンジーですか?」

 圭太郎までノリノリであった。

「「???」」

 昭和時代の歌謡曲なんて知らない正美と恵美子が、なんの話しだろうと顔を見合わせた。

「ま、コジローの横に男がいたら、学園の男子総出でタコ殴りだろうけど」

 圭太郎がニコニコ顔を恵美子に向けて言った。『学園のマドンナ』と祭り上げられているのだから彼女を神聖視している男子生徒はもちろん多かった。もし彼氏なんて存在が出来たら、学園の敷地内で殺人事件が発生するかもしれなかった。なにせただの『学園のマドンナ』が相手だとしても羨望の的なのに、彼女はその在位記録からして歴代の中でも一位なのは確実であるからだ。

「だが、コジローがレースを編んでいるなんてイメージが…」

「ま」

 わざわざ整えなくても美しい曲線を描いている眉を顰めた恵美子は、起きている時は本と酒にしか興味のない男を睨みつけた。

 恵美子は大テーブルの上に置いてあるペン差しにささったモノサシを手に取ると、その先を空楽に向けた。

「そこへなおりなさい」

 ピタリと青眼に構え、相手の正中線を正確に狙っているのは、さすが全国大会レベルの剣道家である。

 対する空楽は右眉を額の方へと上げて不満げな表情を示した。自然体で立つままであるが、打ち込まれたらどうかわしてどう反撃するかのイメージはできているようだ。

 この二人、道場で対峙したことがあるが、その時は空楽の方が一枚上であった。なにせ彼は忍者の家系である石見氏の末裔(ただし自称)であった。

「酷いよ空楽」

 一触即発という二人の間に正美が入った。

「コレでもコジローは乙女なんだから、尊重しないと」

「ん、あ? う、うむ…、そ、そうだな」

 彼女から発せられる威圧感が倍増した気がして空楽の目が泳いだ。

「『コレでも』?…」

 恵美子はモノサシを下ろした。

「いくら鍛えて引き締まった『筋肉』をしていて、余分な『脂肪』は無いとはいえ…」

 段々と剣呑になっていく恵美子の雰囲気を察していないのか、正美の口は止まらなかった。ちなみに、とある人物からの情報によるとある部分はDであるらしい。清隆学園女子の平均がA寄りのBであるから、素で男子の視線が集まったりする。

「全身が『殺人マシーン』のようになっていて『容赦のなさは鬼』でも、コジロー『だって』女の子なんだから、言葉には気をつけないと」


 バキッ


「な、なぜだ…」

 床に叩き伏せられた正美が苦悶の声を漏らした。

「あれだけ言えばじゅうぶんでしょ」

 上から圭太郎が見おろしながら言った。

「本人に自覚があらへんのが何ともね」

 横の有紀も同意見のようだ。

 モノサシを元の位置へと戻し、少々乱暴気味に歯をブラッシングしながら恵美子は司書室にある給湯器の方へと歩いて行った。そこにある流しで口を漱ぐつもりなのだろう。代わりと言ってはなんだが、そこから別の女子生徒がやってきた。

 機嫌が悪くなった恵美子の背中を指差して、彼女は空楽に訊いた。

「どうしたの?」

「正美が怒らせたのだ」

「そうだ。今度はハナちゃんに訊こう」

 圭太郎が声をかけると、彼女…、清隆学園高等部図書委員会の副委員長である(おか)花子(はなこ)は一歩後退(あとさじ)った。

 彼女は剣道小町として鍛えている恵美子とは違い、身長は女子の平均ぐらいしか無く、体の線も細い。ここにいる男子(だんし)どもが、無駄に背だけは高い電信柱揃いもあって、受ける威圧感が違うのであろう。というか通常の反応である。

 体格の代わりと言ってはなんだが、色素沈着が一切無い白い肌は、まるで剝きたてのゆで玉子ようだ。誰よりも青い髪は頬の高さで切りそろえられており、それがいっそう日本人形を連想させた。

「わ、私?」

 食後のケアに使っていただろう歯ブラシをケースごと胸の前に抱えている姿は、恵美子を「動の美」と表現するならば、正反対の「静の美」を持っていた。事実、彼女の事を『図書室の女神』として憧れる男子どもが居るとか居ないとか。ちなみに清隆学園高等部の図書室には女神だけでなく鬼神まで居ると言われているが、誰の事を差しているのかは推して知るべし。

「いま、宝くじで一等が当たったらどうするという話をしていたのだ」

 そんなに警戒しなくてもいいよとばかりに空楽が声をかけた。その言葉で緊張が目に見えて解けた花子は、彼女に似合う仕草で小首を傾げた。

「え、一等賞?」

「そ。ハナちゃんなら何に使う?」

「ええと。そうだなあ」

 もったいぶった言い方をしているが「いま考えてます」という事は丸わかりであった。

「私、飛青磁花生(とびせいじはないけ)一瓶(いっぺい)、活けてみたいと思っていました。それぐらいあれば手が届くかな?」

「とびせいじはないけ?」

 空楽が平仮名で訊き返した。

「はい。あの鶴首の美しさに見惚れていて…」

 花子は少し照れたのか、頬を薄く染めていた。

「とびはな…、なんだって?」

 圭太郎が横の有紀に訊いたが、彼は黙ったまま肩を竦めてみせた。

 なんとなく一人で照れて身を捩っている花子の前で顔を見合わせる男子(だんし)ども。床から復活した正美は、ポンと空楽の肩を叩いた。

「とんびせいじはないきだって、頑張って稼ぐんだよ」

「なんだ、そのトンビとやらは。名前を間違えるでない」

 正美の手を肩から振り払って言う空楽だが、もう一回正確に名前を言える自信は無かった。

「だいたい、そのトンビとやらは何ですか?」

 圭太郎が花子を見おろして訊いた。彼女が目に見えて動揺したので圭太郎は答えを先回りした。

「あ~、なんか青磁の花瓶なのね。それで一回でいいから作品を一点作ってみたいと…」

 花子は清隆学園高等部図書委員会で副委員長を務めているが、華道部にも所属していることは周知の事実だった。日本人形みたいな外見に沿った嗜みを修めていると思いきや、実は家が華道の家元なのであった。将来、家を継ぐことになるのであれば、芸道に時間を割くのは当たり前であろう。

「む…」

 空楽が眉を顰めた。

「むむむむ」

 そのまま変な声で唸り出した。

「どうしたの空楽?」

 正美がビックリして振り返った。

「いや。こういう小難しい単語が出た時には『そんな事も知らないのかあい』とばかりに顔を出して、無駄に知識を垂れ流す奴が現れないなと思ってな」

「もしかしてサトミのことかい?」

 空楽の意外と似ている某氏の物真似を混ぜたセリフに、新たな人物が反応した。

 花子の横に腕組みをした阿修羅が現れた、かと思ったらそれは眉間に皺を寄せた由美子であった。

「あいつはバツゲームで今日は貸出当番の日」

 視線だけで司書室と図書室を区切る壁にある大きなガラス窓を指差した。カウンターの中には『常連組』で一番の問題児が、真面目に利用者の相手をしている様子が見て取れた。

 いまは両手に花ではないが、秘書役の女子二人を(はべ)らせている科学部総帥となにやら言葉を交わしているようだ。

「ほな、サトミはんの宝くじが当たったらちゅう話しは聞けしまへんなあ」

「ど~せサトミなら『動く巨大ロボォ』とか、『空飛ぶ秘密基地ぃ』とか、馬鹿な事しか言わないに決まってンわよ」

 由美子が、意外に似ている未来から来たネコ型ロボットの声真似までして、一刀両断にすると、男子(だんし)どもは顔を見合わせた。花子も口を漱いで戻って来た恵美子とゆっくり顔を見合わせた。

「これで仲が悪いって言われても…」

「誰よりも理解しあっていると言うしか…」

「ほんまに付き合うてへんのどすなぁ?」

「馬鹿らしくなるでしょ」

「ああ? くらぁ、なンか言ったか? おめーら」

 ドスの利いた問いかけに、一同はそれぞれ天井や窓の外へ視線を逃がした。

「いえ、なにも…」

 完全に腰が引けた声で空楽がこたえると、その横から正美が口を開いた。

「じゃあ、藤原さんだったら何に使うの? 宝くじが当たったら?」

「はあ?」

 面倒な質問をするンじゃないわよという雰囲気を漂わせつつ、由美子はそれでも答えてくれた。

「どこかのマッカッカな委員会予算の補填にでも使おうかねえ」

「残念、藤原さん」

 これだけは言っておかなければと圭太郎が口を挟んだ。

「個人の資産を委員会の予算に組み込むことは禁止されているんだ」

 かつて委員会に必要だからと生徒から集金した金を持ち逃げした委員長がいたらしい。まあ生徒の個人資産で委員会の活動を賄うのも変な話しでもあるので、そんな過去の事件を引っ張り出すまでもなく理解はできた。

「はあ。どーして、こう不景気なのかしら」

「やっぱり宝くじでも買いますか?」

 花子の問いかけに由美子は溜息でこたえた。



「ちなみに、東京都と千葉県に住んでいる全員…、お婆ちゃんからアカチャンまで全ての人間が一枚ずつ買うと、その中の誰か一人が当たるらしいわよ」

 時は進んで放課後。高等部と中等部の境目にある空き地で、微笑みを顔に貼りつけたスカート姿のシルエットが振り返って言った。

 赤茶色の瞳が印象的な人物である。背中まで伸ばした栗色の髪は緩くウェーブを描き、白い肌に目鼻立ちがはっきりとしていた。

 清隆学園高等部の女子用制服である紺色ブレザーの上着だけ脱ぎ、ベストの上から作業用の野暮ったいカーキ色のエプロンを着けていた。

 古き良き武蔵野の風景を保存しているような地面に、秋の木漏れ陽がゆらゆらと揺れていた。その空き地には傷だらけの木製の作業台が置いてあり、その上に置かれたプラスチックケースには真っ黒な液体が満たされて湯気を立てていた。躊躇する気配も無く肘まである掃除用のゴム手袋をした腕を、その真っ黒なお湯の中へ探るように入れていった。

「都民全員でなくて?」

 訊き返したのは銀縁眼鏡をかけた少年…、権藤正美である。

「全国で二十二人だけですもの。当選するの」

 長い髪を後ろで束ねて垂らした背中が作業を続けながら当然のように言うのを、正美と並んで地面にしゃがんでいた空楽も聞いた。

 二人の前の地面には足場板が二枚置かれていた。一枚の上には九個の金属の塊のような物が整然と並べられていた。隣の足場板には同じ物が八個並べられていた。

 手探りで探し当てたのであろう、黒い液体の中からも、金属の塊が顔を出した。形は足場板に並べられている他の物と同じである。二、三回振って水分をきってから持ってきて、当然のように列に加えた。

 これで十八個のパーツが二列に並んだことになる。

「ウツラ、お願い」

「ん、ああ」

 うららかな小春日和に眠気を催していた空楽は、声をかけられたことにより意識を取り戻したようだ。空楽が手にしていたシャワーヘッドのトリガーを絞ると、繋がれたホースから供給された水流が、細かな粒となって金属塊へと浴びせられていった。

 空楽に漱がれた物から、黒い汚れが流れ落ち、元の金属の輝きを取り戻していった。

 空楽にしても正美にしても、同世代の綺麗どころと一緒に作業をしているのだから、もっと楽しそうにしていてもおかしくはないだろうに、全然その気配は無かった。まあ、それには理由があるのだが。

「ほら、しっかり洗って」

「サトミよ」

 つまらなそうに空楽は言った。

「エンジンを洗うのは分かるが、この作業に、その格好は不適切ではないか?」

 じゃかじゃか水をかけるだけという楽な仕事をしている割には、空楽が不満げに言った。汚れと一緒に流れ落ちた水が、関東ローム層独特の赤土の上に水たまりを作り始めていた。

「あら?」

 言われた方はキョトンとかわいらしい目を丸くして作業台から振り返った。清隆学園高等部女子用制服である紺色のプリーツスカートに同色のベスト、白いブラウスの胸元には臙脂色のネクタイをきっちり締めているという模範的な姿だ。既述した通り、今はその上から大きな作業用エプロンを身に着けており、袖を捲り上げて肘まであるゴム手袋を嵌めていた。

 足元はハイネックのバスケットシューズという、ちょっと普通の娘では選択しない履物であったが、細くて折れそうな足は黒いニーハイで覆われており、脚線美という言葉が似あうラインであった。

 昼休みに司書室で言葉を交わした『学園のマドンナ』である恵美子と比べてはいけないだろうが、じゅうぶん「美少女」の範疇に入る見姿である。

「どこか変なところ、ある?」

 自分の姿を見おろしてサトミと呼ばれた人物は空楽に訊き返した。

「全部だ」

 空楽は断言した。

「やっぱり作業着に着替えた方が良かったかしら?」

「違うと思うよ」

 一通り空楽が水を浴びせたパーツをひっくり返しながら正美は言った。裏側までまんべんなく漱ぐようだ。

「まず言いたいことは、なぜにその制服(ふく)なのだ?」

 百言あるように空楽は訊いた。その質問に、再びキョトンと驚いた顔をしてみせたサトミは、当然のように言った。

「ちゃんと清隆学園高等部の制服でしょ。生徒なんだから制服を着るのは当たり前じゃない」

「いや、そうではなくて…」

 ホースノズルを持っていない方の右手を額に当てた空楽は、頭痛を感じているかのように言った。

「なぜに男の貴様が、女子用の制服を着用しているのかと訊いておるのだ」

「あら」

 プクッと頬を膨らませたサトミは、そこで一回転してみせた。遠心力でスカートとエプロンが広がり、ニーハイに包まれたかわいい膝小僧まで見えた。

「似合うでしょ」

 空楽と正美は顔を見合わせると、大きな溜息をついた。

 そうなのである。この、どこを切っても美少女に見える存在が、実は男で、しかも中身は「事件ある所にその姿あり」と言われる程の騒動屋であるのだ。しかも下ネタと科学実験…、特に爆発が伴う実験は大好物であった。誰が呼んだか「爆発炎上火気厳禁」とは、このサトミのことである。

 普段は本来の性である男の格好で授業を受けているのだが、こうしてたまに女の格好で現れることがある。さすがに三人まとめて図書室で『正義の三戦士(サンバカトリオ)』と呼ばれているだけあって、最近は空楽も正美も慣れてきた。

 ただ厄介な事に、こうして女の格好をしている時には、サトミを女として扱わないとヘソを曲げるという不思議な性癖がある。中身を知っているだけに、二人にはとても抵抗感があるのだが、なまじっか科学に秀でて爆発物の取り扱いに優れているだけに、ヘソを曲げたサトミの自称「かわいいイタズラ」を避けたい気持ちの方が強かった。

「前から聞きたかったんだけど。どこから制服を調達して来るの?」

 午後の授業までは確かに男子用の制服を着ていたはずであった。しかしいつも大荷物を持ち歩いている雰囲気ではない。登下校する時は青色をしたディパック一個のはずだ。

 そして制服一式を持ち歩くとなると、意外と嵩張る事を二人は知っていた。

「そりゃ、もちろん…」

 ニマアと嗤ったサトミは、ゴム手袋に包まれたままの細くて長い人差し指を立てて、桜色の唇に当てた。

 まさか通りすがりの女子を襲って制服を奪っているとは言わないが、どうやら公言できない方法ではあるようだ。

 笑顔をいつもの微笑みへ片付けたサトミは、プラスチックケースの中に放り込まれていた電気ヒーターを、コードを手繰って回収した。

「よっと」

 そのまま両手でプラスチックケースを抱え上げると、空楽が使っているホースの繋がれている先へと歩いて行った。水栓には排水桝が付属しており、そこへ汚水を捨てようというのだろう。黒い液体で満たされたプラスチックケースを抱えて持って行く姿は、間違ってもか弱き乙女ではない。やはり中身は膂力のある男だと分かる瞬間であった。

 黒い液体を廃水桝へと空ける。いちおう普通の下水に流してもよい洗浄液を選択していた。

「そっちは終わったか?」

 まるで冗談のように大きいモンキーレンチを肩にかけて、不精髭がチョボチョボと顎の辺りに生えた男が顔を出した。

 体格といい、身長といい、小男と呼んで差し支えない男だ。目は鋭く尖った鼻と合わせて、どこか齧歯類を思わせる顔立ちをしていた。

 ニヤリとやる笑顔がとても似合う男である。

 彼は清隆大学理学部学生の山奥(やまおく)槙夫(まきお)、高等部に通う三人から見て先輩に当たる人物だ。

 歳上の割には三人とはウマが合うようで、こうして放課後につるんでいる事が多かった。

 槙夫が出てきた建造物は、ちょっと普通とは違った形をしていた。

 まるで伝説の巨人族が焼いた瓦の一枚が伏せて置いてあるような、そんな大きな弧を描く建造物だ。両端は雑草が生い茂る地面に消えているが、中央は高さがそれなりにあった。

 最高四メートル近くの高さがある天井に沿って、半ば朽ちかけた木製の壁が設けられており、まるで丘の下に住むという御伽(おとぎ)話の小人妖精(マウシェン)の住処のようでもある。

 だが、その正体を知っている者からすると、そんな感想を抱けるのも平和な時代のおかげだと言うだろう。なにせ弧を描く天井は一目でコンクリート製だと分かるが、その厚みは六〇センチ以上もあるという頑丈な造りだ。

 頑丈な理由は単純だ。三〇〇〇メートル上空から落とされる一トン爆弾の直撃に耐えられるように設計されているからである。

 どうしてこんな物があるのかというと、清隆学園が今ある場所が、第二次世界大戦時に造成された帝都防衛を主任務とした陸海軍合同航空隊基地跡地であるからだ。

 この頑丈な建物は掩体壕と言って、航空隊に所属する戦闘機などを、敵の空襲から守るための設備だ。他にも高等部校舎の周囲を、まるで刑務所のような壁が取り囲んでいるが、それらも同じ空襲対策で設けられた掩体壕の一部であったりする。

 さすがに前世紀の遺物とあって、経年劣化がそこかしこに進み、コンクリートに含まれる砂利などが顔を出していたりするが、建造物としての強度はまだじゅうぶんあるようだ。

 三人と槙夫がいるのは、清隆学園の敷地内に残された掩体壕の前の空き地、ということになる。大戦中は滑走路に続く誘導路が設けられていたのかもしれないが、半世紀以上の時間経過で周囲はすっかり雑木林に戻っていた。

 その掩体壕の前に木製の架台が置かれ、見上げるような大きさの金属の塊が置いてあった。三人が洗浄していた物と質感が全く同じであることから、あれらがここから外した部品であることは容易に推察できた。

「いまウツラが漱いでいるトコ。他は?」

「ネジが固着して回らねーから、油をぶっかけたとこだ」

 二人してその金属塊を見上げた。

 アチコチの部品が外されている機械だという事は間違いない。そして九本の襞のついたヒトデを二つ前後に重ねた形から、航空機に詳しい者なら空冷の複列星型発動機(エンジン)だということに気が付いたかもしれない。前後に九本ずつある気筒(シリンダー)の上部はどれも外されており、中からピストンが顔を覗かせていた。

 全てのピストンが見えている事から、サトミたち三人が洗浄していたのは、シリンダーヘッドであることが分かった。

 だが空冷複列星型発動機にしては変な特徴があった。

 十八本の気筒から出力を取り出す中央軸が、他に見られない程長いのだ。

 まるでそれが肩たたき器であるかのようにモンキーレンチで自らの右肩を叩いた槙夫は、手にしていた小さな金属板を差し出した。

「これは?」

「これだけは簡単に取れた」

 それはエンジン本体につけられる銘板であった。空欄が多い中、製造会社と形式だけは刻まれており「ハ四三」と読めた。

「ただでさえ予算不足なのに、ひとつ作業する度にコレじゃ、嫌になるぜ」

「どこかからネ一三〇(ターボジェット)見つけて来て組み込んだ方が早いんじゃないんですか?」

「お、それもいいねえ。まだ使えるネ一三〇があれば、だけど」

 槙夫はチョボチョボ生える不精髭をまさぐった。うーんと背伸びをするように体を解してから、雑木林の隙間から見える富士山を眺めて不安そうに言った。

「だが、アレって風見安定するのか?」

「さあ? 大学の方に風洞シミュレーションを走らせるスパコンぐらいあるでしょ? それで検証してみては」

「どちらにせよ、また金がかかるなあ」

 溜息とともに槇夫が言っているところに、空楽もやってきた。

「機体の方はどうなんです?」

「そっちは別の班が取り掛かっている。厚板応力外皮構造が幸いして、そんなに難しいことになってはいないようだ。スポット溶接が二、三か所剝がれているので、そこを直せば問題無いらしい」

「じゃあ、やっぱり」

 正美までやってきて分解中のエンジンを見上げた。

「エンジンだよなあ」

 正美に釣られるように槇夫も金属の塊であるエンジンを見上げた。

「まあプラグなんかの電装系は現代(いま)の物を使うとして、ガソリンはハイオク、潤滑油もイイ物を用意して…」

 サトミが指折り数えると、さらに槇夫は肩を落とした。

精神(こころ)を殺しにかかるな」

 肩にかけていたモンキーレンチでサトミの後頭部を小突いた。

「あいた」

 大して痛そうもなくサトミは小突かれた頭を撫でた。

「でも、やっぱり…」

 サトミの視線を受けて槇夫がボヤキ声を漏らした。

「そうだなあ。どっかに札束が詰まったスーツケースでも落ちてねえかなあ」

「そこは宝くじでしょ?」

 正美がツッコミを入れた。



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