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十一月の出来事B面  作者: 池田 和美
17/19

十一月の出来事・⑰



「なんで余計な事を言うのかねえ」

 丸テーブルに肘をついたヒカルが呆れた声を漏らした。心底呆れている証拠に、口元のキャンディの柄がダランと垂れ下がっていた。

 周囲の地面には『常連組』の男子(だんし)どもが全員倒れ伏していた。

 その中心に雄々しく(いや女子だから「雌々しく」か?)立つ人影があった。

 マイクロバスの中で私服からサバイバルゲーム用の衣装へ着替えた由美子である。

 迷彩服などでなくカーキグリーン単色の上下に、同色のベルトである。ウエストを絞っているかのように締めているので、こんな野暮ったい服なのに体のラインが浮き出ていた。おそらくサトミの物なのだろうが、だいぶオーバーサイズなので袖も裾も折って長さを調整している。ダブダブの襟元などから中が覗き放題なのだが、そこは同色のTシャツで余計な視線をシャットアウトしていた。

 とどめに同じ色かつオーバーサイズの米軍制式の戦闘用ヘルメットを頭の上に乗せていた。顎紐をちゃんとかけているのに、油断すると顔へと落ちてくるようだ。

 もちろん女子と言う事で後ろから『常連組』に指示を出す司令官としてふんぞり返っていてもいいはずだ。しかし自分が決闘者本人であるから、責任感から己が好まなくとも戦場へ立つつもりなのだ。

 まあ、いま現在、戦場の中心に立っているような構図なのだが。

「ははは」

 横の都市迷彩服を着た恵美子が渇いた笑いをしていた。胸元を押さえてちょっと頬を染めているという、なかなか艶っぽい表情である。

 彼女の着ている服もサトミの物なのか、裾や袖を一回ずつ捲ってあった。由美子のようにヘルメットなどの保護具を着用していないという事は、彼女自身は戦闘へ参加するつもりは無いようだ。

 地面に横たわる『常連組』の中にいると、まるで戦いの終わった戦場へ、終末戦争(ラグナロク)戦士(エインヘリアル)となるべき魂を迎えに来た戦乙女(ワルキューレ)のようにも見えた。

 まあこうなった原因は、サトミが用意した戦闘服のサイズが恵美子の恵まれたボディに合わなかったことなのだが。並みの女子高生より豊かな恵美子の「ある一部」が、迷彩服からまるで零れ落ちそうになっている。そして由美子のように迷彩服の下に余計な視線をシャットアウトするために選んだのは、Yシャツなどでなく同じ迷彩柄をしたビキニトップという、いかにも狙った服装なのであった。

 その様子を男子(だんし)どもがスマートフォンで撮影しようとし、良俗に照らし合わせて「悪」と由美子が断罪した結果が、この惨状なのであった。

 丸テーブルの席で事の顛末を見ていたヒカルが呆れて呟いた。

「バカばっか」

「まさしく死屍ルリルリ」

 顔を出血で赤く染めた空楽が立ち上がって言った。ちなみに見るからに致死量に至っている出血量であるが、安心して大丈夫だ。ほとんどが隠し持っていた演出用の血糊である。

「どうして、そういう…」

 由美子が恵美子に詰め寄った。わざと見せびらかすような態度を諫める口調であったが、恵美子の方はあっけらかんとしていた。

「女の子だもん。写メはヤだけど、少しは意識して見られると、嬉しいでしょ」

 指で勝利のサインまで出してみせる恵美子へ、由美子は深い溜息をついた。

「はい、姐さん」

 スマートフォンは構えなかったがついでに殴られていたサトミが、二人にオレンジ色をした物を差し出していた。不織布の中に鉄粉を閉じ込め空気中の酸素による酸化作用による発熱作用で…、つまりシャカシャカ振るとほんわか発熱する使い捨てカイロであった。

「あによ?」

 だが差し出す人物がサトミとなると、まず疑うのは爆発物の可能性のようだ。由美子は明らかに訝しんだ顔になっていた。

「戦闘服って結構冷えるのよ。しかも今日はコンクリート製の建物でしょ。もうこの季節で底冷えするよ」

 サトミは気にしていないようで由美子の手の上にカイロを乗せた。どうやらすでに発熱が始まっているようである。由美子は思い直したような顔をして、襟元からそのカイロを戦闘服の中へと放り込んだ。

「それに姐さん、冷やすと腰が痛くなるタイプでしょ。その予防にもう一個いる?」

 恵美子にもカイロを渡しながらサトミが訊いた。

「ンな年寄り扱い! まだオバサンじゃないわよ!」

 キーッと由美子が牙を剥いた。大人な女性に見られたいお年頃ではあるが、それを行き過ぎて中年(オバサン)扱いは我慢ならないようだ。

「今は平気でも、お勤めの時期はいつも辛そうじゃない」

「おつとめ?」

 何を言っているのだろうと由美子がキョトンとした。教室などで盛り上がる女子トーク等からの情報を元にすると、由美子と恵美子はアルバイトはやっていないようである。アキラとヒカルはもちろんアルバイトはしていないと明かしてあった。(春にヒカル基準でのアルバイトは経験したが)

 アキラたちは身体の事と、明実のボディガードという任務があるため時間が無かった。

 同じように由美子は図書委員長としての責務が大きかったし、恵美子は『学園のマドンナ』などと持ち上げられているが、実は剣道小町が本性である。いつも『常連組』に混じって明るく過ごしているかのような印象であるが、授業以外では剣道の鍛錬にだいぶ時間を割いていた。

 つまりここにいる女子全員がアルバイト未経験なのに「お勤め」とはこれ如何に? と話しが分かっていないようなのでサトミが苦笑のような表情を作った。

「ほら。女の子にある月に一度のアレ」


 バキッ。


 電光石火の一撃であった。

「お、お、お、おま、オマエなあっ」

「まあサトミくんに、そんな事まで心配してもらうなんて。最初は女の子だと育てやすいって聞いたわよ」

「コジロー!!」

 真っ赤になってサトミを殴り倒したその顔で振り返り、口元に八重歯を覗かして微笑んでいる恵美子を怒鳴りつけた。しかし恵美子にはどこ吹く風といった物のようで、平然としていた。

「ま、サトミくんの配慮も行きすぎだと思うけど、後で辛くなるよりは貰っておいたら」

「~っ」

 由美子は煮詰まった顔になっていた。どうやら理性では恵美子の意見にも一理あると理解はしているようだ。

「コジローには、あっちに席を用意したからね」

 さすが普段から殴られ慣れているからと称賛すべきか、すぐに復活したサトミは由美子へもう一つ使い捨てカイロを渡しながら、三つ並んだパイプテントの真ん中を指差した。

 待っていましたとアキラとヒカルは席を立って並んで恵美子の到着を待った。

「それなりに暖かいと思うんだけど」

 真ん中のパイプテントではキャンプ用のストーブがコンコンと焚かれていた。またテントごとに三方を垂れ幕で仕切ってあるので、風が通り抜けにくく暖気も留まりやすかった。よって晩秋の冷気が忍び寄って来る気配は無かった。

 立派な設営を見回して恵美子は感心した声を漏らした。

「すごいわね、コレどうしたの?」

「槇夫先輩に頼んで、理学部の野外実習用を借りたんだ」

「もちろんオイラの口添えもあってだ」

 胸を張っているのは白衣を風になびかせた明実だ。まあ大人からの評価が「明日のノーベル賞受賞者のその候補」の彼が口添えしたからだとしても不思議では無かった。それに大学付属の研究所に所属しているのだから、こういう時には使えるツテは使ってもらわないと勿体ないとも言えた。

「もちろん殺風景なのは自覚しておる」

 レディファーストが徹底されている家庭で育ったからか、明実はまるでコンシェルジュのように胸に手を当てて一礼してみせた。

「ささ、姫はこちらに」

 洗練された所作で明実はアンティークチェアを引いた。恵美子の方もこうした場面に慣れているのか、ちょこっ(カー)と膝()を折って(シー)礼をしてから浅めに椅子へ腰を下ろした。

 明実が目線で合図を送って来たので、二人は前に出た。

「い、いらっしゃいませ」

 なにせアルバイト経験皆無である。だいぶ引き攣った声でアキラは恵美子を出迎えた。横でヒカルが遠慮なく言った。

「こういう時は『おかえりなさいませ』じゃないのか?」

「海城さんに新命さんまで…」

 呆れているというより、ちょっと羨望が混じった声をかけられた。都市迷彩の戦闘服といい、もしかしたら恵美子は、こういうコスプレもしてみたいのであろうか。

「そこのバカに頼まれてな」

 ヒカルが適当に親指でそこら辺を指差した。ほぼ偶然その直線上にいた明実が、何でもない事のように言った。

「一人で待っているのは、つまらなかろう」

「だからってウエイトレス? 変な強制でもしたんじゃないの?」

 剣道有段者にしか出せない気迫の目線が明実に向けられた。後について来た由美子も似たような表情になっていた。

「そんなことは、ちょっとばかりあったりなかったりした」

 アキラの言葉に由美子は拳を握り直して振り返った。慌てて明実が弁解を口にした。

「た、楽しいひと時を提供しようと、だな」

「はいはい」

 まったく信じていない声でこたえながら恵美子は椅子の位置を修正した。

「で? 何か飲む?」

 アキラが恵美子に訊いた。彼女は小さなモニターしか乗っていない丸テーブルの上を見回した。メニューのような物はなに一つ置いていなかった。

「何があるの?」

 恵美子の質問に、ヒカルがテント奥にある長テーブルを親指で差した。透明なペットボトルが並んでおり、中身は色で判断できた。

「あったかい日本茶か、あったかいウーロン」

「じゃウーロン」

「畏まりました、お嬢さま」

 二人して一礼すると、後ろの長テーブルまで行こうとした。

「ちょいちょい」

 その途中で由美子に手招きをされた。

「?」

 一瞬だけ顔を見合わせた二人は、なぜか中腰になっている由美子へと近づいた。

「背中。直してくんない?」

 中腰で自分の背中を指差してみせる。だが服が変に乱れているという感じでは無かった。

「?」

「あ~、カイロ?」

 すぐに意を汲んだヒカルは、由美子の背中側に回り込んだ。

「じゃあ失礼するよ」

 ちょっとだけ迷彩服のズボンから上着をたくし上げ、背中へと手を突っ込んだ。

「ひゃあ」

「…変な声出すなよ」

 思っていたよりも艶っぽい声を上げる由美子。どうやらヒカルの手が冷え切っていたようだ。

「どこらへん?」

「もうちょい右」

「ここ?」

「そ、そこじゃなく…」

「もっと下かな?」

「あ~、そこそこ、そこらへん。ありがとう」

「どういたしまして」

 ズポッと手を由美子の服から抜いたヒカルは、アキラを一回睨みつけた。

「な、なに?」

「変な想像とかしてねーだろーな」

 言われてからアキラの顔が赤くなった。

「そんなことあるわけないだろ」

「…」

 腕組みをしたヒカルが三秒だけ睨み続け、イライラと口元のキャンディの柄を揺らし、それからさっと長テーブルに並べられている飲み物の方へ振り返った。

「王子もなかなかいい声を上げるようで、キシシ」

 恵美子がわざとらしく歯を見せて笑ってみせた。

「バカ」

 服を直しながら小さい声で言い返すと、髪の毛を風に靡かせて由美子は隣のパイプテントへと行ってしまった。

 ヒカルはとっとと恵美子の分のウーロン茶を紙コップへ注いでレンジに入れ、適当に三〇秒ほど温め始めた。自分の仕事を思い出したアキラも電子レンジへと寄った。

「おまえは何飲むよ」

 ヒカルの声はいつもの調子に戻っていた。

「日本茶かなぁ」

「じゃあ一緒だな」

 紙コップ二つと入れ換えに温まったウーロン茶を取り出すと、用意されていたお盆へと乗せる。ヒカルがキャンディの柄で合図して来たので、アキラが丸テーブルへと運んだ。

 飲み物を待っていたはずの恵美子は、丸テーブルに両肘をつくと、その上に形のいい顎を乗せてそっぽを向いていた。

「はい、どうぞ」

「…」

「?」

 普段ならありがとうの一言もあるのに、今は無かった。いつもと違う様子にアキラの口が勝手に動いていた。

「どうした?」

「いいなあ」

 羨望の眼差しを隣のパイプテントへと送っている。視線を追わなくとも彼女が見ているものがなにか分かった。

「なにが?」

 対面になる椅子へと腰かけアキラが水を向けると、恵美子は顔を横に向けたまま告白した。

「王子とサトミくん。仲が良くていいなあ」

(あれが、仲が良い?)

 なにせ先ほどは殴り倒していた間柄である。だが恵美子の視線を追って顔を向けると、そこに電動エアガンの説明を受けている由美子の横顔があった。

 万年変わらない微笑みを顔に貼り付けているサトミはともかく、由美子の勝気な表情が、今日はなんだか緩んでいるような気がした。

 サトミが由美子に渡しているのはM四系の電動ガンである。だがアスリートが余分な肉を削ぎ落して理想的な躯体を手に入れるように、黒い本体にパールピンクの部品を使った特注らしいその電動ガンは、サブマシンガンよりも小さくなるように改造されていた。

 元は税金対策でアメリカの銃愛好家たちがM四系を切り詰めて改造した銃である。初期はパトリオットピストルなどと呼ばれていたが最近ではARピストルと呼ばれるようになった分類の銃だ。日本ではダンボールに隠れて敵兵から身を隠す某ゲームで、ボスが使用する事で有名になった銃だ。

 実銃は無理に小型化するために銃身を短く切りすぎて、発射した銃弾が銃口から飛び出た後に縦回転をしてしまって威力も射程もあてにならない物になってしまった。(これを倒弾と言う)が、エアソフトガンならそれもない。なにせ発射するのは縦も横も無い球形のBB弾なのだから。

「へえ」

 丸テーブルに二人分のお茶を置きながらヒカルが感心する声を漏らした。

「フジワラでもあんな顔をするんだな」

「でしょでしょ。あれは恋する乙女よね」

 恵美子が断言した。

「ササキだって男の一人や二人、不自由はしないだろ?」

 ヒカルが椅子に座りながら当たり前のように訊くと、恵美子は口を尖らせた。

「どうだろ。クラスの男子とは、あまり話さないし。部活の男子は叩きのめす相手だし…」

 一年一組では同じ班として行動する事が多かったので、教室での様子は知っていた。同じクラスの男子(だんし)たちで恵美子を嫌っている者は居ないように見えた。それどころか息をして動いている女神像ばりの扱いだ。たしかに(かしず)かれる分には悪い気分はしないだろうが、友人とかましてや恋人とかいう対象からは遠い存在である。女子からは嫉妬の対象になりそうであるが、恵美子に染みついている体育会系のノリとも言うべきさっぱりした印象で、そんなに酷い陰口などを聞いたことは無かった。

 部活の方はまったく分からない。ただ春に入学して直後に、上級生からの「かわいがり」を竹刀一本で退け、部活で最強の地位にあることは間違いない。惜しくも一回戦で敗退してしまったが、今月頭にあった全国大会に剣道部から唯一個人枠で出場を果たしているのだから間違いない。

「あいつらは?」

 一緒になって遊ぶ相手となると、たしかにヒカルがキャンディの柄で指差した『常連組』となるだろう。十人前後のグループとして学内に認知されている集団であるが、ほとんどが男子である。数少ない女子メンバーは、たまに混ざる数名の不正規メンバーと恵美子自身を除けば、委員長の由美子と、副委員長の花子の二人だけだ。

 しかも『常連組』に含まれる男子(だんし)どもは、誰もが高身長でルックスも並み以上であることは間違いない。ただ圭太郎のように幅も並み以上の者や、明実のように性格が並み以上(いや以下か?)の者ばかりだ。その極めつけがサトミということになる。

 負けん気の強い由美子は平気な顔で『常連組』男子と話すが、普通の女子である花子はおずおずと言葉をかける。彼女の性格もあるだろうが、やはり見上げるような高身長(でんしんばしら)揃いの連中であるから、気後れするのが当たり前であろう。

 その中にあって恵美子は普通に過ごせるようだ。なにせ彼女は高校生男子の平均身長ほどの恵まれた体格をしているのだ。これが普通の男子相手だと、相手の身長が低い可能性も出てくるが、高身長揃いの『常連組』の中では、普通の男女差ほどの身長差しかなかった。

 ちなみに『常連組』で一番背の低いのは権藤正美で、恵美子とほぼ同じくらいであった。

「ササキは誰が気になってんだよ」

 いちおう声を潜めてヒカルがからかう声で訊いた。

「う~ん…」

 真面目な顔をして腕組みをした彼女は、恨み言を言うような顔でヒカルを見た。

「それを聞くなら、まずは自分から…」

 まるでハードボイルドで「見知らぬ相手に名前を訪ねるなら、まずは自分が名乗れ」と言う主人公のような感じで言葉を紡いだ恵美子は、途中で失敗したとばかりに口へ手を当てた。

「って、無粋な事きいちゃったね。ヒカルちゃんはアキラちゃんとラブラブだもんね」

「なっ」

「うっ」

 並んだ二人して同時に赤くなっていれば言い訳の必要も無いのであった。

 ヒカルの視線とキャンディの柄が彷徨い、アキラが自分を見ている事に気が付いた。着ているベストのボタンを握りしめてから、足先でアキラの膝小僧を蹴った。

「いて」

「なに見てやがる」

「いや…」

「あらあら」

 恵美子が目を丸くした。

「何かあったの?」

 どうやら女の嗅覚というやつで、昨日と今日とで二人の関係に変化があったことを察したようだ。

「なんもねえ」

 ヒカルが断言した。ついでに、すっかり冷めてしまったお茶を、キャンディを咥えたままガブ飲みした。

「う、ううん」

 不自然なほどガクガクと頷いたアキラも真似るようにコップへ口をつけた。

「いいなあ。私も王子とそういう関係になっちゃおうかなあ」

 また両肘を丸テーブルにつくと、ちょっと膨れた頬を包みようにして顎を乗せる。その様子がまた小学生のようなあどけなさを感じさせた。

 そこへ遠くからサトミの声が聞こえて来た。

「『学園のマドンナ』を守るために、火の中だって飛び込む勇気を持った連中を集めたんだぜ」

 どうやら勝負の行く末が気になった由美子が、サトミに勝てるのか訊ねたようだ。

「ありがと」

 背筋をしゃんと伸ばして恵美子は振り返ると声を飛ばした。

「アタシにゃ、ただテッポーをぶっぱなしたいだけに見えるンだけど」

疑い深く『常連組』を睨め回す由美子。

「何回も言うけど」

 サトミの人差し指が立てられた。

「こっちが負けたら、コジローはあのスケベ面の大学生に、一回はつき合わなきゃいけなくなるんだからね」

 言外に遊びじゃないのだとサトミは言っていた。もちろん『常連組』も本気であった。

 一歩下がった由美子は、被っていた米軍が制式採用している戦闘ヘルメットを顔面にズリ落とした。サイズが欧米人の男性用なので日本人女子である由美子には大きすぎるのだ。

「王子…」

 胸の前で手を組んだ恵美子が、湖の桟橋で聖母へ祈りを捧げる乙女のような顔で言った。

「私のために戦ってくれるだなんて…」

 そこでニッコリ。

「必ず帰って来てね」

「あ、バカ」

 慌ててヒカルが止めようとした。

「?」

 意味が分からずキョトンとする恵美子。その彼女へ少々早口でヒカルは言った。

「これからって時に、そんな(げん)の悪い言葉をかける奴があるか」

 だがヒカルの静止は遅かったようだ。『常連組』たちが口々に勝手な事を言い始めた。すべてよくある場面を示唆するような物ばかりであった。

「俺が結婚してやんよ!」

「勝ったッ! 第三部完!」

「このヌイグルミ()、目つき悪…。なんかアイツに似てるかも」

「おや? コレがアレだということは、あのトリックは…」

「14に行け」

「ちょっと田んぼの様子を見て来る」

「三分間待ってやる」

「殺人犯となんて一緒にいられるか。私は部屋に戻らせてもらう」

「ゾンビなんているわけがないだろう。バカバカしい」

「圧倒的じゃないか、我が軍は」

「なんだ猫か。ビビらせやがって」

「私にいい考えがある」

「冥土の土産に教えてやろう」

「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」

「Alchemy? こんな序盤で?」

「おお、綺麗に一周したな」

 なぜかハイタッチしている『常連組』の前で、由美子が顔を伏して肩を小刻みに揺らしていた。もちろん由美子には『常連組』が「死亡フラグ」という物を話題にしていたことが分かっていた。

「それじゃあ何か? アタシに死ンで来いってか?」

「できれば、お願いする」

 遠慮なく言い返した空楽の言葉を聞いて、彼女のコメカミあたりから、ブチッと何かが切れる音がした。



「なんで余計な事を言うのかねえ」

 丸テーブルに肘をついたヒカルが呆れた声を漏らした。心底呆れている証拠に、口元のキャンディの柄がダランと垂れ下がっていた。

 周囲の地面には『常連組』の男子(だんし)どもが全員地面へ倒れ伏していた。

 その中心に雄々しく(いや、やっぱり女子だから「雌々しく」か?)立つのは由美子一人である。

 戦闘服に身を固め、拳を突き上げるようにして立つ様は、一子相伝の暗殺拳(ほくとしんけん)を伝承する者として育てられた義兄弟の長兄(ラオウ)といった雰囲気であった。

「ははは」

 オープンカフェ程度には設備が整えられたパイプテントの丸テーブルの席で、恵美子が渇いた笑いをしていた。

「バカばっか」

「まさしく死屍ルリルリ」

 ヒカルが先ほどの繰り返しとばかりに呆れた声を漏らし、空楽が同じことを言った。

 聞こえていた凄い連打音に、腰の引けた槇夫がゆっくりと顔を出した。

「そろそろ、いいか?」

「は~い」

 地面からむっくりと起き上がる血染めの集団。ポスト・アポカリプス映画によくあるような絵面であった。

「向こうもやりたくてウズウズしてるみたいだ…。どした?」

 槇夫は『常連組』を見回した。

「なんで揃って『誰かに殴られたようなタンコブ』があるんだ?」

 どうやら打撃音は聞いていたが、ここでどのような惨劇が起きていたのかは把握していなかったようである。

「まあ、あの…、ブフッ」

 恵美子が笑いをこらえきれずに吹き出してしまった。

「ほら、顔合わせ」

 槇夫は理解していないまま、みんなを急き立てた。

 冗談で撒き散らした血糊などをウェットティッシュ等で拭き取って『常連組』が一見やる気が無さそうに集合しつつ移動を開始する。

 それに加えて恵美子も席を立った。ウエイトレス役の二人は別に顔を売らなくてもいいのだが、なんとなく『学園のマドンナ』に従う専属メイドといった態でついていった。

 視線を移せば、SMCの控え場所と用意されたパイプテントから、黒づくめの一団が現れるところだった。

 上から、黒くてピッタリしたタイプの戦闘用ヘルメット、顔面を保護するサバゲ用のマスクも黒。ゴーグル部分は息が籠って曇らないように、マスクにパソコン用の物を流用しているのか直径一センチほどのサーキュレーターがついていた。

 喉元を覆うのは顔面から続いている目出し帽だ。これで隠さないと暗闇で首だけ異様に白く浮き出て目立ってしまうのだ。もちろん保護の意味合いもある。

 上下ともポケットの多い黒色をしたシステマチックな戦闘服は、アメリカのSWATが都市部の乱射事件などに出動する時に着用する制式の物だ。

 戦闘服の上にはさらに本物の防弾チョッキを重ねているのは、それだけ本格派と言う事なのだろう。足元は釘を踏んでも貫通しないと言われているジャングルブーツだ。膝と肘には転んでも怪我の無いようにプレートの入ったサポータが装着されていた。そういった装備品の色も黒で統一されていた。

 そして八人とも選択した武器はMP五であった。全長が短いわりに集弾率と連射性能を考えれば、取り回しも良いので当たり前の選択と言えた。

 しかもテレスコピック・ストックのバット・プレートが厚いフランス・タイプを採用したMP五Fであった。いや日本で使用するということは日本警察の警備部機動隊に置かれている銃器対策部隊を意識しているのであろうか。本物と違うのは日本警察では絶対に採用しないだろうドラムマガジンが差してあるところだ。

 徽章類は特殊部隊の装備と言う事で、左胸に黄色い字で書かれた「SHERIFF」の文字だけだ。

 今回参加する八人が、同じ装備で揃えているものだから、精鋭部隊という印象を強く感じた。

 ただしアキラの脳裏に先月にあった事件の記憶が蘇るので、どう見ても悪役にしか見えなかった。

 八人が同じ装備と言う事で、先ほどの珍妙な漢字コートを着ていた男以外は見分けがつかなかった。一人だけ戦闘服のボタンが弾けそうになっているため、彼だけは容易く見分けることができるのだ。

 振り返って見てみれば、『常連組』で一番戦闘向き(そういう)格好をしているのは、単色の戦闘服を着てヘルメットを被っている由美子だけである。

 七人の男たちの内、三人が「ちょっとそこのコンビニへ」といった雰囲気の長袖シャツにジーンズであり、三人が草臥れた霜降りのコートを着ており、明実に至っては清隆学園高等部の男子用制服の上から白衣を着ている始末である。

 もう一人だけ迷彩服を着ている人物が居るなと見れば、この決闘の原因となった恵美子であるし、その両脇を固めているアキラたちはウエイトレス姿だ。

 最低でも「紛争地帯で集められた地元のゲリラ部隊」か「学生闘争の過激派集団」にしか見えなかった。

「おはよう」

 黒い戦闘服集団から、唯一見分けがつく男が、顔面を覆っていた保護用のマスクをずらして素顔を晒した。

「オタクたちには悪いが、我がSMCの精鋭たちを集めさせてもらった」

 その言葉を聞いて、圭太郎が横の有紀に囁いたのをアキラは聞き逃さなかった。

「『よくぞ集まった我が精鋭たちよ』って、谷隊長ですか?」

「そないな古い番組知ってるあんたは何歳どすか?」

「いや、ほらCSで再放送見たから」

 そんな小声の会話は耳に入らなかったのか、尊大な態度で男は言葉を続けた。

「人望が溢れすぎて困っちまうぜ」

 それを聞いてSMCの男たちは顔を見合わせたりしていた。言いたい事があるようだが、大学生となると物事の分別がつくようになるようだ。

「右から堀越、中島、川崎、川西、愛知、渡辺に石川島だ」

 名前を呼ばれた者が挨拶のつもりなのか頭を下げるが、同じ格好で同じマスクをしたままなので、量産型機動歩兵(ザクやジム)よりも区別が出来なそうであった。せめて指揮官には(ツノ)がついているなどの違いが欲しかった。

「こっちの『高等部図書室防衛隊』は…」

 喋りは任せろとサトミが一歩出て、訪問販売員よりも軽薄な調子で喋り出した。戦闘に参加する予定の『常連組』を簡単に紹介していく。

「おい」

 ヒカルが前に立つ明実の背中に声をかけた。

「こうとうぶとしょしつぼうえいたいって何だよ」

 ヒカルの質問に半分だけ振り返った明実は、下唇を突き出して肩を竦めてみせた。つまり「オイラがそんなこと知るか」という意味であり「いつものサトミのヨタであろう」ということなのだろう。

「おいおい秋田」

 そのやり取りをしている間に、SMCの量産型(くろづくめ)の一人が声を上げた。川崎だか川西だか呼ばれた男だ。

「相手に女の子が入ってんなら、こっちはその分減らしてもよかったんじゃねえの」

「そう言うな。向こうが八対八って言ったんだから」

 まあまあと取りなすような声を出していた。だが彼らは知らない。この場にいる中で一番銃の取り扱いに慣れているのが「女の子のようなもの」のヒカルであることを。まあゲームには参加しない予定だが。

 という事を考えて目を向けたら、そんな事を考えているのはお見通しだぞと睨み返された。

「いいけどさ。女の子が”三人“もいるのに、機関銃(マシンガン)は要らなかったんじゃね?」

(三人?)

 はてとアキラは首を捻った。この場に居る中で清隆学園高等部に女子生徒として在籍するのは、アキラ本人に加えてヒカル、由美子、恵美子の四人のはずだ。

 この内、アキラとヒカルはウエイトレスの格好をしているし、恵美子はサイズの関係で胸元がより強調されている姿となっている。全身を戦闘服に包んだ由美子だって、ベルトで絞っているので間違いなく女子に見えたはずだ。

 なぜ四人ではなく三人とカウントしたのかと首を捻ってしまった。

「あ」

 場の空気が変わった気がして、ついアキラは声が出てしまった。どうやら彼は戦闘に参加できそうな女子を三人とカウントしたようだ。

 この中で女子ながら戦闘に参加できそうなのは、由美子と恵美子の二人である。なにせアキラとヒカルはスカート姿で運動には向いては居ない。そして恵美子は参加する予定は無いはずだ。

 だがもう一人、アキラたちとは違った意味で女子に間違えられそうな人物が一人いた。

 身長は女子としては高すぎるだろうが、体の細さはおそらく理想的な範囲である。胸はAAAAAサイズ(トップとアンダーの差がまったく無い)であるが、腰のくびれなどは内臓をいくつか抜いてあるのではないかと思えるほどだ。

 今は、その細身の体を柿色の長袖シャツにストレートジーンズに包んで、腰に三つもピストルホルスターを提げていた。ヒップがホルスターの嵩でより大きく見える効果もあるようだ。

 そうして瓢箪(ひょうたん)型のシルエットラインを見る限り、女性と間違えられても当たり前と言えよう。しかも声の質はボーイソプラノという物なのだろうか、由美子のドスが利いているちょっといがらっぽいような声とは比べ物にならないような、高音で透明感のある声なのだ。

 肌も手入れを怠りがちなアキラに比べてスベスベだし、髪も丁寧に扱っているのかサラサラだ。

 しかも近づくとほのかにいい香りがしたりする。

 そう、サトミは少年の格好をしていてもどこか中性的な雰囲気を持っているため、少女または無性と間違えられてもおかしくは無いのであった。

「…あ」

 こちらの誰かが声を漏らしたが、誰も反応を返さなかった。なにせサトミの体からドス黒い何かが湧き出てくるのを幻視することができたからだ。

 しかし大学生たちはそう取らなかったようだ。八人が一斉に自分たちの荷物を置いたパイプテントの方へ振り向いたために見えるようになったアイテムに『常連組』が委縮したように取ったようだ。

 そこに専用の三脚によって立てられた重機関銃が鎮座していた。

 その優秀な性能から鹵獲したアメリカ軍がコピーを試みたという逸話を持つドイツ国防軍主力機関銃のMG四二である。戦後は北大西洋条約機構の標準弾とされた七・六二ミリに口径を変えてMG三として生産されたほど信頼と実績がある機関銃だ。

 さすがに高速小口径弾に移行している歩兵部隊では装備数が減っているが、いまでも主力戦車の副武装として採用されていた。

 その現代のMG三の元となったMG四二は、あまりに速い発射速度に発砲音が繋がって聞こえるため「ヒトラーの電動のこぎり」という名で、使用するドイツ兵のみならず対抗する連合軍兵士からも呼ばれていた。

 もちろんこれからサバイバルゲームをしようというのに、そんな物騒な実物であるわけがない。MG四二は現代のMG三と同じように中戦車パンターF型や重駆逐戦車ヤクトティガーに装備されていた機関銃として人気があり、あれは海外のエアソフトガンメーカーから発売されている電動ガンである。

 とは言っても一挺は一挺なのだ。どんなに見かけが厳つくともエアソフトガンであることには変わりはない。それどころか、こんな重い装備を持って野外を走り回れる者などそういないので、拠点防衛の役に立つかもしれないが、実際のゲームとなるとその威力に首を傾げる者も居るだろう。ただ装弾数は軽く四桁に届いているであろうから、弾幕を張られると近づくことすら不可能になることは間違いなかった。

「獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすという」

 太った男が尊大な態度のまま腕を組んだ。

「真正面から突っ込んで来たら、これでハチの巣になるんで、よろしく」

「…」

 それに対してサトミは何の反応を示さなかった。

「こりゃあ、アレか?」

 キャンディの柄を咥えたままの口に手を添えてヒカルが恵美子越しにアキラに話しかけて来た。

「普段は『かわいいでしょ』とか言っているクセに、いざ女と間違われると機嫌が悪くなるという…」

「じゃあ普段から男らしくしていればいいじゃん」

 アキラも囁き返した。

「そこは複雑な女心があるのよ」

 身長差から二人を代わり番こに見おろしながら恵美子まで会話に乗って来た。

「男なのか女なのか、どっちなんだよ」

 恵美子の言葉にヒカルが顔を顰める。

「サトミくんはねえ…」

 恵美子がキラキラと瞳を輝かしながら、両手を組み虚空を見上げながら言った。

「セメでもウケでもネコでもタチでもいける貴重なコよ」

(アッー)

 あまりの言葉にアキラは頭を抱えてしまった。

(まさか『学園のマドンナ』がそんなことを口にするなんて知ったら、学園の半分は絶望するだろうなあ…)

 そこまで思考が進んでからふと気が付いた。

(だからか。本当の自分とは違う理想の『学園のマドンナ』としての佐々木恵美子像が独り歩きしているから、彼女は自分の信奉者たちからの手紙すら読まないのか)

「ん?」

 口元から彼女のトレードマークでもある八重歯を覗かせて、恵美子は微笑んでいた。

「いや、なんでもない」

 自分が考えていたことを(さと)られないようにアキラは頭を振った。

(もしかして…)

 (おもて)では誤魔化しながらもアキラの脳髄は次の思考に移っていた。

(もしかして、そうだからこそ本当の自分を知っているサトミの事を…)

「恋人になれる権利ではないのか?」

 突然アキラの考えを邪魔するように槇夫から声がかけられた。ハッとして見返すと、大学生たちの視線が自分たちに集まっていた。

 どうやらルールの細かい打ち合わせが終わったようだ。その最後に本人の意思を確認するために話しを振って来たようだ。

 さすがに『決闘条項』があるとはいえ人身売買ごときの人権無視が横行しているわけではないのだ。こうして恋人を取り合うなどの条件の時は、景品扱いされる本人の意志だって確認されなければならない。

「まずは、お友だちから…」

恵美子はニッコリと微笑んで見せた。だがこの半年クラスメイトとして同じ教室に居たから分かる。これは「もし『常連組』が負けたら、今度は自分の手で決着を着けてやる」と決意している表情だ。

「ま、まあそうだな」

 だが彼女を女神のように信奉している男には、そういった裏の感情を読み取ることはできなかったようだ。

「他に質問は?」

 どうやら審判役に徹するつもりの槇夫が、一同を見回した。

「ええどすか?」

 有紀が発言の許可を求めた。

「やられはった人は、どないしたらいいんどす?」

 これから行うのは本物の戦闘では無いのである。戦場なら撃たれた者は骸を晒すか、または戦友によって野戦病院へと運ばれるのであろう。しかしサバイバルゲームではそのような事態にはならないはずだ。体や装備品にBB弾が当たった者は死んだものと認定されるが、健常者のままのはずだ。

「両手を上げて、中立地帯(ここ)まで帰って来るように。他は?」

 敵味方の区別なく顔を見合わせる一同。どうやら基本的なルールの確認は粗方終わったようだ。

「大丈夫なようだね。それと、このゲームは校舎内に設置された複数のカメラでネット中継されるから」

「き、きいてないわよ」

 槇夫がついでのように付け足した事項に、由美子が反応した。

「そうだろうね」

 槇夫は平気な顔で言った。

「いま初めて言っているんだから」

 どうやら由美子には中継の事や、生徒会が動いて賭けの対象となっている事は知らされていなかったようだ。

「多くの視聴者が見ているという事で、諸君はフェアプレイを心掛けるように願うものである」

 どうやらカメラにはBB弾に当たっても死体役にならない(いわゆるサバゲ用語で言うところのゾンビ)などのルール違反を防ぐ意味合いもあるようだ。

 だが、そんな事はお見通しと腕を組んだ由美子が槇夫に訊ねた。

「オッズは?」

「二三対一でSMCに…」

 言ってしまってから「あっ」と口を押えてももう遅い。由美子の迫力にタジタジと後退さろうとする槇夫。なんとか誤魔化そうと言葉を繋いだ。

「い、いやあ。ほら、君たちが勝てば贅沢に宴会を開いてあげられるな、と」

「ふーん」

 さすがに大学生相手に拳を振るうつもりは無いようだ。だが、とても軽蔑した様子で鼻を鳴らしてみせる。

「そ、それじゃあ、じゅっぷ…」

 慌てた声で腕時計を確認しつつ槇夫は宣言した。

「いや、きりのいい時間という事で、十五分後から開始だ。お互い準備に入ってくれ」

「それじゃあよろしく」

 スポーツマンシップということだろうか、リーダー役の大学生が差し出した右手を、正美が握り返した。

 大学生たちはパイプテントへ戻ると、MG四二が乗った三脚の脚を一人一本ずつ、三人で持って持ち上げた。さらに下見で足りないと感じたのか、追加の土嚢を残りの何人かが担いで旧校舎へと移動を開始した。

「どうしたの?」

 最初は調子よく喋っていたくせに、途中から黙り込んでしまったサトミの顔を、由美子は不思議そうに覗き込んだ。

「どうもしないさ」

 薄っぺらい笑顔を取り戻したサトミは、口元に零れるように見せた白い歯を光らせるほどのにこやかさで振り返った。

「うっ」

 槇夫を含めてこちらの人間が一歩下がってしまった。動かなかったのはヒカルと恵美子の二人だけであった。

「ん?」

 みんなの様子に、その笑顔のままで首を傾げてみせるサトミ。

「どうしたのさ? みんな?」

「その恐い笑顔をやめろ」

 空楽が注意する。そうサトミの顔には、まるでサイコホラーに出てくる連続殺人犯がよくするような、口を半月状に固定した笑みが浮かんでいるのであった。

「あれ? 笑顔の何がいけないのかな?」

 本人は笑顔と言い張っているが、頬から上が無表情なのは丸分かりだ。その頬へ自分の人差し指を当てて口角が上がっている事を強調してみせる。

「こんなサバゲ日和に、気温もそう低くないし、みんなで楽しくゲームできるなんて、最高だなあ」

 口では上っ面な事を言うが、とても平板な様子でそんな事を言われるので、全然そう感じることはできなかった。

「はあ、あれか」

 由美子は溜息を隠そうとしなかった。

「そンなに女の子呼ばわりされた事が頭に来たか。ンだったら、いつも気を付けて行動していればいいだろ」

 なにせ学内にスカートで現れる人物である。いつも翻弄されている由美子ならば発言権はあるだろう。

「頭に来たなんて、そんなことないよお」

 サトミは顔の前で手を左右に振った。ただし、まるでプログラミングされた機械が命じられたままに動かしているような無機質さがあった。

「ただ、向こうの人たちには少々『教育』が必要と思っただけさ。さ、準備しよ」

 その様子を見てアキラは悟った。

(SMC終わったな)

 なにせ学内で流れている噂からサトミが『爆発炎上火気厳禁』と呼ばれる由縁となった色々な「しでかした」事は耳に入っていた。科学実験が好きの変態を怒らせると大変な事になるのは、似たようなタイプが幼馴染であるアキラには骨身に染みるほど理解している事だった。

 視線を移せば大学生たちは昇降口に消えていくところだった。

(どうか怪我人が出ませんように)

 アキラには祈る事しかできなかった。もちろん菩薩のような慈愛から大学生たちを心配したのではない。大事件になった後の片付け(しりぬぐい)が自分に回って来ることも、経験上理解しているからであった。

(いま自分ができることをしよう)

 そう決心したアキラは、恵美子に振り返った。

「お茶のお代わり、いる?」



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