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十一月の出来事B面  作者: 池田 和美
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十一月の出来事・⑮



 アキラとヒカルの二人は、学食の駐車場で大雑把に道順を教わっただけで、この時間も開いているシャワールームがある建物へと辿り着けた。まあ親切にも途中からは道案内の看板があり、その示す方向に従っただけでもあるが。

 そして遠くから見て、そのシャワールームがあるというコンクリート造りの建物が、異様な姿をしていたから間違えようがなかった。

 大雑把に言えばコンクリート製のピラミッドのような外観である。ただ二枚の大きな板がピラミッドと組み合わされて双尾翼のようにそそり立ち、その先が尖がっていた。そして二枚の間に、まるで戦艦の艦橋のような出っ張りがあった。

 正体は清隆大学化学物理工学科と同応用化学科、そして同システム理化学科が合同で資金を出して建設した水再処理施設の実物モデルである。

 国内はもちろん、下水道の整備がこれからという興新(こうしん)国向けに、低予算で高機能な施設の開発を目指して、日夜研究開発、そして施設の改良が為されていた。

 周囲には水の再利用施設らしく、まるでプールのように水を溜める設備が多くあり、それらの間は綺麗に刈り込まれた芝生で覆われていた。

 その緑色の絨毯であるかのような芝生に、幾何学模様のアートであるかのように、コンクリート製の歩道が設けられていた。

 とても管理が行き届いている公園のようにも見える。だが、何も知らない素人が見ると別の印象を与える形でもあった。

「秘密基地?」

 ヒカルが第一印象で呟いた言葉が全てを物語っていた。咥えているキャンディの柄が不安そうに揺れていた。だがアキラには違う意見があるようだ。呆然として首を横に振った。

「オレはこの建物を知ってる…」

「来た事あんのか?」

 アキラが呆れた顔でピラミッドの頂上を見上げている意味が分からなくて、ヒカルが顔を曇らせて訊ねた。

「そうじゃない。ゲームの中でだ」

「は?」

 なぜここでゲームの話しになるのか分からずにヒカルの顔がポカンとなった。

「割れるバリヤとかアフ□ダイとかビューナ△とかボ□ットとかダイオ▲とか…」

 呆然としたまま、なにか怪しげな呪文のような物を唱え始めた。

「おい、帰ってこい」

 湯桶を抱えている右手ではなく、空いている左手だけでアキラの肩を掴むと、ガクガクと揺らした。

「ハッ、オレは何を…」

「何をじゃねえ。いったい、コレが何だって言うんだ?」

 咥えているキャンディの柄で水再生施設の建物を指差すと、アキラはあっさりと種明かしをした。

「ゲームに出て来る建物そっくりだったんで、ちょっとビックリしただけだ」

「ゲーム?」

 キョトンとしたヒカルは、もう一度建物を見上げた。

「ゲームがコレを真似たって事か?」

 なにせコンクリートの様子が最近建てられたようには見えなかった。木造ならばもっとはっきりとするのだろうが、それでも落成から半世紀ぐらい経っていそうな雰囲気であった。

「えっと、たぶん違くて…」

 なんと説明してよいか分からずに困っていると、ヒカルが「もう、どうでもいいや」という風に言った。

「とにかくシャワー。浴びようぜ」

 二人で湯桶を抱えて歩道を歩いて行くと、早朝のトレーニングを終えたらしい大学生と思わしき人影がアチコチにあった。向かって右にある「巨大な人型ロボットが隠されているような」反応槽らしきプール側に女性が、反対の円形をした沈殿槽がいくつかある側に男性が分かれていく。どうやら建物の入り口は左右別にあるようだ。

 ゲームに出て来る建物は大きさが曖昧であったが、いま向かっている建物は地上三階建てほどの高さであった。それに余分な飾りがついていて、全高は一六メートルといったところだろうか。ピラミッドの両脇に地上から入る事の出来る出入口が設けてあった。

 屋内には色々な配管が巡っているのか、低周波調の騒音が唸るようにして漏れ出していた。

「あたまの中が女であろうとなかろうと、ちょん切ってから来い!」

 出入口の脇の壁に、赤いペンキを使って暴力的な書体による注意事項が、殴り書きされていた。唖然として見ていると、通りかかった女子大生から声をかけられた。

「あらあ、あなたたちもお風呂?」

 聞いた事のある声に振り返れば、昨日の昼と夕を炊き出ししてくれた女子大生だった。

「あ…」

 顔は分かったが、咄嗟に名前が出て来なくて困っていると、彼女はニッコリと微笑んで自己紹介してくれた。

「理学部のオタケよ。みんな『オタケさん』って呼んでくれるから、あなたたちもそう呼んで」

「は、はい」

「ん~、もう」

 オタケさんは昨日の服装の上から白衣を着ていた。その姿で人通りのある出入り口付近で地団駄を踏んだ。足元は健康サンダルであった。

「?」

 何事だろうとアキラとヒカルが顔を見合わせていると、オタケさんが憤慨したように言った。

「こんな可愛い娘たちを、こんな砂だらけにして。槇夫(あのバカ)は、本当にデリカシーが無いんだから」

「はあ、まあ」

 事実は槇夫の仕業というより明実のせいなのだが、ここは話しを合わせておいた方がスムーズに行きそうだと、曖昧な返事をしておいた。

「あなたたちは、ここを使った事あるの?」

「いえ」

 まあ一目瞭然というやつだ。高等部の制服のまま湯桶を抱えて入り口で立ち止まっているのである。さらに二人の表情にも戸惑っている様子が浮かんでいるので確実だ。

 オタケさんがウンと頷いた。

「じゃあ使い方教えてあげるから、一緒しよ。私もこれからなんだ」

 慣れない場所で戸惑いながらアレコレするよりは、経験者が居る方が安心である。渡りに船とばかりに二人は頷いた。

「お願いします」

「まかせて」

 入り口脇にはシケモクが溢れたスタンド式の灰皿と、空き缶入れに使う鉄籠みたいなゴミ箱が置いてあった。

 ヒカルが器用にも咥えていたキャンディの柄を灰皿の上へと飛ばした。

赤い暖簾をくぐると、ニスを塗った木で押し縁よろい下見板張りに作った壁が、左右から目隠しとして互い違いに設置してあった。その向こうが広い化粧室であり、たしかにサトミに教わった通り三枚の鏡と対になった洗面台が並んでいた。

 床はコンクリートの打ちっぱなしである。さすがに殺風景なので木製のスノコが何枚か敷いてあった。

 洗面台の前にはそれぞれ椅子が置いてあるが、三脚とも形が違った。しかし、ドレもが場末の喫茶店から流れてきたような物ばかりだった。

 一枚の鏡につきドライヤーが一台設置されているが、左の物しか使用されていない。今は三人ほど髪の短い女子大生が、スポーツブラにスパッツといった開放的な服装で他愛のないお喋りをしながら使いまわしていた。

「おい」

 ヒカルがとても小さな声でアキラにドスを利かせた。高等部の体育でもそうであるが、女子が肌を露出する場所だと、ヒカルからアキラへ「指導」が入るのは度々だ。なにせ外見は「女の子のようなもの」であるが、精神(なかみ)は男子高校生なのだ。

 今回は下着同然の姿で居る彼女たちをジロジロ見ていたのでヒカルの怒りを買ったようだ。

「有料じゃないんですか?」

 アキラのもっともな質問に、スノコを健康サンダルで踏みしめて先を歩いていたオタケさんが、振り返って教えてくれた。

「ここは汚くなった水を綺麗にする研究をしている施設なのよ。研究に必要だからって、わざわざ汚れた水にお金を出して買っているぐらい。だから学生たちが汚れた水を作ってくれるのは歓迎なんだってさ」

「へえ」

 感心していると、ちょっとオタケさんは顔を曇らせた。

「でも利用する時間は気を付けて」

「え? 二十四時間って聞きましたけど」

 サトミの説明と違うようで驚きの声が出た。

「表向きはね。でも、ね」

 オタケさんの親指が壁掛けの扇風機の上に貼ってある紙を指し示した。貼り出されてからだいぶ時間が経っているのか、黄ばんだ紙面には「女同士でも罪は罪」とか「自己防衛が大事」とか標語のような注意が箇条書きに書かれていた。

「深夜だと、不審者が入り込んできて事件を起こした事があったらしいから、やめた方がいいわよ。朝は、これぐらいの時間からかな。夕方は深夜まで銭湯が開いているから、ソッチの方が安全」

「深夜から早朝の六時間ぐらいは、お風呂はガマンってことですね」

 まあ『創造物』として、大の男の腕をへし折るのと、ワリバシをへし折るのと、同じぐらいの労力しか感じない膂力を持ってはいたが、事件が起きないことに越したことは無い。

「そういうこと」

 再び歩き出しトイレへの扉や機械室と銘板が掲げられたドアを過ぎると、両脇に安物のロッカーが並んでいる区画へ辿り着いた。駅にあるコインロッカーと同じ方式の物だが、年季を感じさせる物ばかりであった。酷い箇所だと扉が失われており、まともなところでも錆が浮いているのが当たり前と言った感じだ。もちろん凹んだり出っ張ったり、一つとしてまともな形が残っていそうな扉は無かった。

 狭くなった部屋の真ん中に、洗面台の所と同じスノコが縦に並べられていた。ところどころには、公園にある物を攫って来たようなベンチが置いてあった。

「あ~、いちおう盗難には気を付けてね」

 いつも使っている棚なのか、慣れた調子で一枚の扉を開きながらオタケさんが言った。その横にも、なんとか閉まる扉がついている棚を見つけることができた。

 同じ女同士という気楽さからか、オタケさんが躊躇せずに服を脱ぎ始めた。ヒカルが間に入って、アキラは扉の影に隠れるように制服を脱いだ。

「あらオタケ。今日は子供連れ?」

 声をかけて通り過ぎていく年上の女性がいる。どうやらオタケさんの知り合いのようだ。その女性は運動会系のサークルに所属しているらしく、髪は刈り上げ、化粧気も全くない。それどころか、これからシャワーだからということだろう、肩に手拭いをかけている以外は真っ裸であった。

「~~~~っ」

 アキラが声にならない悲鳴を上げて身体を縮こませていると、クスクスと笑った彼女は手を軽く振って行ってしまった。

「大変ねェ、保護者も」

 他にもショーツだけでうろついていたり、体を隠しきれていないサイズのタオル姿だったり、利用者の露出度は様々だ。

「この時間は朝練を終わらせたお姉さん方が多いから、ちょっと明け透けかな」

 幸いオタケさんはキッチリとバスタオルを巻く派であった。ヒカルも制服をさっさと脱ぐと、バスタオルを巻いた下から下着を抜き取っていた。

 他に参考になる相手がいないので、アキラも真似をして下着姿になってからバスタオルを巻いた。

「あら、意外」

 そんなアキラの所作を見ていたオタケさんが声を上げたので、ビックリしてしまった。

「そっちの娘は、バスタオル巻いてからスカート脱ぐタイプかと思ってた」

「え、えっと」

 なにか不味い事をやらかしてしまったのかとヒカルに目で助けを呼ぶ。ヒカルは平然と「こいつ、意外に大胆なんで」と取りなしてくれた。

 バスタオル姿となった三人はロッカーのカギを確認した。鍵自体は有料のプール等と同じで、輪ゴムが鍵についているタイプだ。手首に巻いて、そのままシャワーを浴びることができる。ロッカーは無料で利用できるように改造されているようで、鍵を戻せばそのまま開けられるそうだ。

 ロッカーが並んでいた区画と、掃き出し窓のようなアルミサッシのガラス戸を隔てて、シャワーブースが並んでいる区画へとやってきた。

 ムッとする梅雨時ぐらいの湿度が充満していた。

 おそらくアキラの方向感覚が正しければ、外壁側の壁には安っぽいベンチが並べられ、順番待ちができるようになっていた。

 床はコンクリートのままで、あからさまな傾斜がついていて排水を意識した造りになっていた。

 ブースは手前から埋まりやすいようで、三人は片側に並んだブースに空きが無いか確認しながら、区画の真ん中あたりまで歩くことになった。

 そこでやっと使えそうなブースへと辿り着いた。途中で空いているなと思ったブースは、扉が壊れていたり、シャワーの配管が壊れていたりしている所だったりした。

 もちろん使用中のブースを直に覗くことは避けた。だいたいタオルをブースの扉にかけて使用している人が多かったので、ジロジロ見ずとも使用中かそうでないかはすぐに分かった。

 運動会系女子なのか、二人ほど扉が壊れていて開けっ放しだというのに、構わずシャワーを浴びている剛の者までいた。

「じゃあ、私はココ使うね」

 オタケさんがブースへと入って行った。ヒカルに眼力だけで背中を押されて、横のブースへアキラは追い込まれた。

 広さは女子トイレの個室より、少し広いといった印象だ。

 横の壁は床から天井まであるので覗かれる事は無さそうだ。代わりに扉の方は上も下も空間が空いていた。他の利用者を真似て扉にバスタオルをかけて使用中の合図とした。

 床は通路と同じでコンクリートのままで、傾斜は扉を境に逆へ設けられ、奥の壁側に溝が切ってあり、そこへ排水口の蓋が銀色に光っていた。

 小脇に抱えて来た湯桶をドコに置こうかと思ったら、奥の壁は下半分が張り出しており、そこを棚のように使う事ができた。下半分はコンクリートではなく何かの骨組みを鉄製の化粧板で覆ったようだ。

 張り出しの上には、二つのハンドポンプ式のノズルがついたボトルが置いてあった。片方の中身は空っぽのようで、もう片方には緑色をしたゲル状の物が詰められていた。

 サトミに教わったことを思い出して、湯桶の中から新品のボディタオルの封を切った。

 どうやら張り出しの中を配管が走っているようで、そこから二本のパイプが立ち上がって上部で合流し、うな垂れるようなシャワーヘッドで終わっていた。

 何回か修理したのか、配管同士の変色具合が違い、さらにシャワーヘッドはピカピカであった。後から交換したのは間違いない。

 青いバルブと赤いバルブがそれぞれ左右の配管にある。常識的に考えて青色が水で、赤色がお湯であろうと、まず青いバルブを緩めてみた。

 案の定、冷たいシャワーが降り始める。その後は適度な温度になるまで、左右のバルブを調整していった。

 温かいお湯に疲労が抜けていくような感じがした。



「やられたっ」

 髪の水分を吸ってもらうためフェイスタオルで頭を包むようにしていたヒカルが、ロッカーを覗き込みながら悔しそうな声を上げた。

「そっちはどうだ?」

 シャワーを終わらせて、いったん身体を拭いてから化粧台の所に再集合した。それからオールインワンジェルをオタケさんにもお裾分けしながら、スキンケアを終わらせたところである。

 ドライヤーの順番はまだまだ巡ってきそうも無かったので、とりあえず服を着ようという事になったのだ。

「え?」

 意味が分からずフェイスタオルを頭に乗せただけのアキラが戸惑っていると、ヒカルがアキラを押しのけて、アキラが荷物を入れたロッカー内部を探った。

「ちっ。こっちもか」

「大丈夫? 何か盗まれた?」

 オタケさんが心配そうな顔をしてくれる。彼女の荷物には異常は無いようだ。

「いや大丈夫。大丈夫だ」

 ここまで親切にしてくれた女子大生に当たるわけにもいかず、ヒカルが声を抑え込んだ。

「どうしたっていうんだ?」

 意味がまだ分かっていないアキラはキョトンとしている。ロッカーには、シャワーに必要ない荷物を突っ込んで、鍵をかけたはずだ。そして鍵はずっと手首に填めてあった。

 その鍵を使って、さっき扉を開けたばかりである。

 シャワーブースに持ち込んで濡れた湯桶などは、扉の壊れたロッカーを棚代わりにして置いておいた。中身に異常があるはずがないと思えるのだが…。

「どうしたもこうしたもねーだろ」

 バンッと物に当たるように、ロッカーの扉を乱暴に閉めた。

「? 壊すなよ」

 そういいつつ中身がだいぶ減ったスキンケアのボトルを湯桶に突っ込んだ。

普段、家では香苗が主婦目線で買ってくる化粧水で済ますアキラであった。しかし今回は母が特別な日にしか使わないオールインワンジェルと同じ銘柄の物を存分に使ってしまった。香苗の悔しがる表情がチラついたりして、優越感に浸れそうだ。

 もちろん男だった頃にはスキンケアなど意識すらしたことが無かった。

 いつまでもバスタオルのみだと落ち着かないので、服を着ようとヒカルが乱暴に閉めた扉を開いて、中に納めておいた衣類に手をかけた。

 先に大学生協のロゴが入ったパッケージを破って、灰色一色という、お洒落とは程遠い下着を身に着けた。

「よし」

 バスタオルの下で下着をつけるという高等技術もだいぶ慣れたものである。男の頃だったら考えられない。あの頃なんかプールの授業などでも面倒だから、隠さずにそのままサッと着替えることが多かったのだ。もちろん半年程度で普通の女子のレベルまで器用になれなかったアキラは、下はともかく上を着ける時は、前でホックをしてから回して定位置に収めるやり方である。

 上下無事に着けることができて、人心地着いたところで気がついた。

「んん?」

 綺麗に畳んでロッカーに収めておいた服が無いのである。

アキラがここまで着て来た服は、清隆学園高等部の冬用制服、もちろん女子用であった。それは紺色のブレザーの上着に、同色のプリーツスカート。それに加えて三つのボタンがある同じ色のベストというセットだ。

 強者は、あまりのダサさに対抗してカラーブラウスを組み合わせたりするが、アキラは真面目に白いブラウスを選択していた。その胸元に、これも学校指定の臙脂色をしたネクタイを締めれば一通り完成である。

 後は校章を含む徽章類さえ規定通りにすれば、生徒手帳にある見本と同じ制服姿の出来上がりだ。

 いちおう正式に認められているバリエーションとして、女子用にもスラックスも用意されていた。ただアキラは高等部内でスラックスを選択している娘を見たことが無かった。というか積極的に脚線美を男子(オオカミ)どもに見せびらかしている感じすらした。

 また第二種制服という謎な分類でセーラー服も認められていた。これは学園創立時に制定された制服で、ブレザータイプの制服に切り替わる時に「わが青春よ永遠に」とばかりに同窓会の圧力によって残された物と聞く。こちらの制服は、各学年に一人か二人ほど着ている娘がいた。まあ大抵は親が清隆学園高等部の卒業生だとかの理由みたいだ。

 ただし始業式や入学式、終業式に卒業式など、公式な場所ではブレザータイプの着用が求められるから、セーラー服を選択した生徒は、両方所持している事になる。

 まあ、そういった認められている例外の他に、厳密に服飾規定を適用するならば違反となるお洒落をしてくる猛者もいた。カラーブラウスもそうだが、例えば味気ない臙脂色で男物であるネクタイを嫌がってリボンタイにしてみたり、紺色ベストをニットのカーディガンに替えたりと、あの手この手で清隆学園高等部の女子たちは、没個性の制服に工夫を凝らしていた。

 が、ほとんどの清隆学園高等部に通う女子生徒は、アキラと同じように真面目な制服姿で登校して来ていた。なにせ一応は進学校である。お洒落に余分な労力をかけるよりも学力向上に能力を割く娘が多かった。襟に大き目のヘアクリップを挟んでいるとか、ネクタイの結び方をちょっと工夫するとか、その程度の工夫で個性を演出している娘の方が圧倒的に多かった。

 さて長々と説明したが、つまりアキラのロッカーの中には、ブレザーの紺色とブラウスの白色、そしてネクタイの臙脂色の布地が収められていなければならないはずだ。

 それが無いのである。

 辛うじて白色の布地はある。あとはピンク色と黒の布地が綺麗に畳まれて置かれていた。

 とりあえず手に取ってみると制服らしき服であることは間違いない。ただ制服は制服でも、清隆学園高等部の制服では絶対ありえないデザインの服であった。

 長袖の白いブラウスは袖口が一旦絞られた後にフレアになっているし、黒いロングスカートは膝下まである厚手の物だ。

 そしてピンク色をしている布地は、制服の物とは違うベストだった。肩やら四つあるボタン、ポケットの縁取りや胸元などの要所に珈琲色が入っていて、なかなかお洒落であった。

 後はベストと同じ色のリボンタイと、そして…。

「う~む」

 女性のオヘソから下が脱皮したような形をした薄手の黒い布を摘まみ上げたアキラは唸り声を上げた。

 一般的にパンティストッキングと呼ばれる物だという知識はあったが、まだアキラが一人で挑戦した事のない衣料であった。たしか春に香苗に手伝ってもらって、一回だけ履いたような記憶があったりはした。

「およよ?」

 下着にセーターだけを着たオタケさんが、パンストを睨みつけるように見ているアキラに気がついた。

「どうしたの?」

「どうしたも、こうしたも、ねぇ」

 機嫌が悪そうなヒカルの声に振り返って見れば、アキラのロッカーに入っていた物と同じ系統の服をすでに身に着けていた。

「わお」

 一目見るなりオタケさんが声を上げた。

「そんな服だったっけ?」

「すり替えられたんだ」

 とても悔しそうにヒカルは言った。アキラのロッカーに入っていた物と同系統の制服であるが、ベストの色がピンクではなくライトパープルといった色合いである。

「着るんだ…」

 アキラが呆然と呟くと、ヒカルは機嫌悪そうに答えた。

「湯冷めして風邪をひくよりかはマシだ。おまえも着ちまえ」

「え? う~ん」

「あ、そうか」

 まだパンストを持って悩んでいたアキラに履き方を教えてくれる。ベンチに座って腰を落ち着けてから、シワシワに手繰り爪先から順に履きながら伸ばしていくようにする。最後に立ち上がってお尻を納めれば完成だ。爪先が少し余ってしまったが、初めてにしては上出来であった。

 後は制服でも慣れた服装だったので、抵抗は低かったのだが…。

「それって、アレだよね?」

「?」

 アキラのピンク色をした服と、ヒカルのライトパープルの服を見比べて、オタケさんはノドまで出かかっているのに答えが分からない顔になった。

「ほら、あれ。きらきらファンタジーとかいう、ゲームの…」

「?」

 分からなかったアキラとヒカルは顔を見合わせるばかりだ。

「どうやってスリ替えたんだろ」

 おかしいところが無いか自分の身体を見おろし、背中の方までチェックしながら、アキラは独り言のように言った。

「ふん」

 ヒカルは機嫌の悪いまま、扉を一旦閉めてロッカーの鍵を抜いて見せた。鍵自体を観察し、次に鍵穴を見る。

「まあ、こんなモン。ヘヤピン一本で開けられるだろ。鍵穴に傷がついてる」

「う~」

 たしかにヒカルが指差したロッカーの鍵穴には、真新しい傷がついていた。しかも傷は一つではなく、複数ある。ロッカーの中身がスリ替えられた件については納得できた。だが犯人が、どうやって脱衣所(ココ)まで侵入できたのかという謎があった。

 いつも『常連組』には二、三人の女子が混じっているが、今回はまだその娘たちと合流していない。とは言ってもトリックにすらならない解決策で、女子更衣室に入って来る輩を二人は知っているのだが。

「まあ盗難も多いトコだしね~」

 オタケさんも鍵穴を確認して頷いた。

「よかったじゃん。お金とか盗られてないんでしょ?」

「…」

 アキラはヒカルに目で訊いた。たしか貴重品はパイプテントに置きっぱなしの通学用バッグへ入れたままだ。そして、お財布以外で盗まれたら困る物と言えば…。

 ヒカルは妙に膨らんだベストのポケットを、上から軽く叩いてみせた。どうやら大丈夫だったようだ。

 頷きあっている二人を確認したオタケさんは、自分の荷物からヘアブラシとヘアゴムを取り出した。

「とりあえず髪のセットをしましょう」



「おお~」

 迎えに来てくれた槇夫のマイクロバスから降りると、『常連組』たちが出迎えてくれた。

「良う似合うてますで。可愛おすなぁ」

 学食で別れた時のままの霜降りコート姿の有紀が、いまの二人の格好を無条件で褒めてくれた。目を細めて微笑みを強めてくれるのはいいが、小脇に闘犬(ブルパップ)短機関銃(サブマシンガン)を抱えたままだったのは減点である。

「やっぱ女の子がいると花になりますねえ」

 微笑んでくれた球体も、霜降りコート姿だ。彼は逆に古臭い鎖閂(ボルトアクション)小銃(ライフル)を手にしている。本来ならば取り回しが大変な長さの得物のはずだが、体の大きい圭太郎が持つと玩具のように見えた。まあ、本当に玩具(エアソフトガン)なんだが。

「神のお導きを~」

 平手をかざすようにして祈りの言葉を口にしてくれたのは、優だ。彼も霜降りコートを着用したままの格好である。だが、手には金属探知機にまったく世話にならないで済むような銃のような物が握られていた。どうみても機械部品ではなく、小動物の骨と軟骨を組み合わせて作ったような銃なのである。一言で言えばグロい。

「ええと、そのコスプレは、アレだ…」

 銀縁眼鏡を光らせるのは正美である。手には安さが売りのエアコッキング式のピストルがある。他の『常連組』は値段が張りそうな銃を持っているのに、とても見劣りがした。もしかしたらお小遣いが少ないのだろうか?

 シャツにジーンズという格好のままで寒く無いのだろうかと思ったが、意外にあのシャツは厚手のようだ。もちろん防寒の意味もあるが、怪我の予防と言う意味の方が大きそうである。

 彼は二人の服を見て、喉に物が(つか)えたような顔になった。どうやらコスプレの元ネタがすぐに出てこなかったようだ。

「うむ。胡桃沢(えびすざわ)恵比寿(くるみ)と、雛木(さくらぎ)さくら(ひな)子か。良く似合っておるぞ」

 黒い服の空楽が腕組みをしてうなずいていた。手には鎖閂式小銃と回転式拳銃(リボルバー)を組み合わせたような形をした銃が握られている。わざわざボルトレバーを引いてから、レンコン状の弾倉をスイングアウトしていた。あんなに手間がかかるのならば、装弾されている弾丸を撃ち尽くしたら、補給するのに手間がかかりすぎて、その間に敵に撃たれてしまうのではないだろうか。ただし彼は左で銃を持っていた。多くの鎖閂式小銃がそうであるように、ボルトレバーは右側についている。よって右利きならばレバーを引くためには銃を真横に倒して縦にした状態で引かなければならないが、そうしなくてもすぐに引けるようだ。だが時間がかかる装弾方式には変わりはない。もはや諦観して少ない弾丸で敵を確実に仕留める気で無ければ使いようが無い銃と言い切ってもおかしくないだろう。

 空楽はそうしてスイングアウトした弾倉に、実弾を模したカートリッジへBB弾を埋め込むように入れると、実銃の様に弾倉へと装填していた。その数はたったの五発。これで本当に戦えるのだろうか。

「やっぱ『こすぷれ』って奴なんだな」

 まさか裸でうろつくわけにもいかないし、風邪の予防という事で服をスリ替えられても我慢して着ていたヒカルが、額に青筋を浮かべた。

 なにせ、あの後にオタケさんが「その服だと、この髪型よね」と、ヒカルの髪をラビットスタイルのツインテールに、本人の意思とは関係なく結ったのだ。

「あのバカと、こっちのバカはどこだ?」

「あのバカ?」

「こっちのバカ?」

 威勢よく怒鳴り散らしたヒカルが地団駄を踏むと、マイクロバスからキャンプ用品を追加で降ろしている槇夫も含めて一同が顔を見合わせた。

「あの変態どもは、この裏だぞ」

 銃へBB弾を込め終わった空楽が、パイプテントを親指で示した。そういえば二人して何か長い物をそこへ隠していたような記憶があった。

「やっぱり一号は変身すると弱くなるんだって」

 ちょうどその時、雑談をしながら当の変態(ほんにん)たちが現れた。相変わらず制服の上に白衣という姿の明実に、珍しく私服姿のサトミである。

 柿色の長袖シャツにストレートジーンズという姿は新鮮であった。(おそらく)男のくせに、内臓がちゃんと入っているのだろうかと思えるぐらいの細いシルエットであった。

 明るく会話をしている二人の前にヒカルが腕組みをして立ちはだかった。

「さあ、三つ数えろ」

 待っていたとばかりにヒカルがベストのポケットからスナブノーズのリボルバーを取り出した。愉しげにキャンディの柄が唇で踊っていた。

「数え終わる前に、おまえは天国への門だかの鍵を持つ、石頭の漁師に赦しを請う事になるぜ」

「をいをい」

 真っすぐ狙われたサトミは胸の前で両手を開いてみせた。その横から明実がコソコソと逃亡を謀った。

「何をそんなに怒っているんだ?」

「あたしゃ着替えが欲しいとは言ったが、こんなもん頼んじゃいね~ぜ」

 ピッと左手で右袖を引っ張ってから銃を構え直した。だがサトミは悪びれる様子もなく言った。

「温かいでしょ?」

「…」

「下着とパンストを吸湿発熱繊維のやつにしといたから、寒さを感じなくなったはずだけど」

「あ、たしかに…」

 アキラが感心したようにスカートの上から膝の辺りを叩いた。制服の時は底冷えするなと思っていたが、いまはホカホカと温かかった。

「あたしらの服はどうした」

 銃口とキャンディの柄を小揺るがせもせずにヒカルは訊ねた。

「もちろんクリーニング中だよ。空楽じゃあるまいし、女子の下着を被って性的興奮を…」

 余計な例に引っ張り出されて怒りを覚えたのか、赤樫の木刀がサトミの眉間へ飛んできた。

「をう」

 いったん仰け反っ(イナバウアーし)てから、腹筋と背筋の力で元の姿勢へと戻って来た。見事に真剣白刃取りを真似たように両手で木刀を拝み取っていた。

「誤解を招くような事を申すな」

 空楽が大股で歩み寄ってきて、サトミの手の内から木刀を回収した。

「またまた~」

 分かっていますよ旦那とばかりに口元へ手を当てたサトミが言った。

「そんな誤魔化したって、ダメ。空楽だって興味あるでしょ? パンツ」

「よし。選ばしてやる」

 目線をヒカルと交差させた空楽は言った。

「我が家に弘化(こうか)の頃より伝わるとされる無銘(カタナ)に両断されるのと、そこな女子に撃たれて蜂の巣にされるのと、どっちが好みだ?」

「どっちも()

 プイッと幼子がダダをこねるような調子でサトミは言い切った。

「つまり…」

 空楽がヒカルと視線を交わした。

「あたしの手でなますのように切り刻まれたいってことだね」

「は?」

 両者の意見を取り入れた折衷案にサトミが目を丸くしている間に、ヒカルは真ん中のパイプテントへと入って行った。

 土嚢を作った時のスコップが柱に立てかけられていた。それを迷わず手に取るヒカル。

(いつの間にオレ以外の男と仲良くできるようになったんだ。まあ交友関係が広がるのはよい傾向かな? って!)

 アキラは慌ててヒカルを後ろから抱き止めた。

「まってまって。その格好でシャベルを持ったら、それこそクルミちゃんだよぉ」

「離せって」

「でんちゅうでござる、でんちゅうでござる」

「ま、アキラちゃんたら、みんなが見ている前でダ・イ・タ・ン」

 わざとらしく自分の頬を包むように手を当てるサトミを見て、アキラはあっけなく猛犬から手を離した。

「いけ! GO!」

「覚悟しろや、ごらあ」

「うひゃあ」

 振り下ろされたスコップを、大げさなカエルジャンプで避けたサトミは、繰り出される二撃三撃を右に左に避けると前に出た。なにせ大の大人顔負けの膂力を持つ『創造物』の一撃である。スコップの剣先に当たったら本当に骨まで断たれかねなかった。

「この」

 間合いを潰され下がる前に、サトミの手がスコップを握るヒカルの右手を掴んだ。

 そのままグイッと抱き寄せると、腰へ左手を回し、ヒカルの唇へ人差し指を当てた。

「女の子がそんな乱暴な言葉を使ってはいけません」

 まるで静かにせよと命じるように、立てた指を唇に当てられたヒカルは、牙を剥く獣のごとく噛みつきにいった。

 ガチンと、慌てて引いた指があった空間で、ヒカルの(あぎと)が閉じられた。

 そのまま間合いを取り直そうとするサトミを追撃した。大振りをしたスコップを当然のように避けられる。だが、それはフェイントで、本命は長い脚による回し蹴りだった。

 ブンと風を切る音をさせて、黒いパンストに包まれた脚が繰り出されると、サトミはその攻撃を予想していたタイミングで、地面にしゃがみ込むようにして下へと避けた。

 そのまま膝に両肘をついて、自分の頭を支えるようなポーズで目を細めた。

「う~ん。自分で選んでおいてなんだけど、その灰色のヤツだと、あんまり色気が感じられないね」

「~~~~!」

 声にならない呻きを上げたヒカルは、埃を払うような仕草でスカートを整えた。

 キッと振り返ると『常連組』は空の雲だったり遠くの富士山だったりを眺めている振りをしていた。

「はいはい」

 コッソリ逃げ出していた明実が手を叩いて悪くなった空気を変えた。

「そこらでいいかな? ふたりとも」

「おまえにも言う事があるからな」

 ヒカルが指差すと不快そうな顔を隠さずに言い返した。

「無闇に人を指差すなと教わらなかったのか?」

「まともに扱われたかったら、それ相応の紳士的な態度を取れ」

「オイラはじゅうぶん紳士的だと思うがのう」

 これを本気で言って、不思議そうに自分の顎を撫でるのが明実である。

 アキラとヒカルは顔を見合わせて、大きな溜息をついた。

「で? こんな格好(コスプレ)させて、何をやらせようってんだ?」

 まだ鼻息が荒いヒカルの代わりにアキラが着ているベストの裾を引っ張りつつ訊いた。

「ふたりには、コジローの相手をしてもらおうと思って」

 サトミの説明に眉が自然と中心に寄った。

「こっちに喫茶店みたいなトコを作ったから、ココでコジローを接待してあげて」

 サトミに誘われるように移動してみれば、三張りのパイプテントの内、中央の物はすっかり様変わりしていた。

 昨日までは炊き出しのコンロなどが並んでいた内部は片付けられ、チッペンデール様式の洒落たアンティークな丸テーブルと、同じ様式をした何脚かの椅子が置かれていた。

 丸テーブルの上には小さなモニターが置かれているが、あれはきっとこれから行われる旧校舎での戦いを見学するのに使用するのであろう。ただし既述したように調理用具は片付けられてしまっていた。奥に置かれた長テーブルの上に電子レンジが鎮座しているのみである。長テーブルの下には、ドコかのスーパーから盗んで来たのか、店内買い物用の買い物籠が地面に置いてあり、二人の通学用バッグが入れてあった。

 食器と言っても、まだ袋に入れっぱなしになっている紙コップが電子レンジの横に立ててあるだけで、出せるメニューは長テーブルに並べられたペットボトルのお茶ぐらいなものだ。

 まあ十一月ということで寒さを感じるだろうから、ペットボトルのお茶をレンジで温めて出せば、喫茶店の真似事ぐらいは出来そうだ。

「コジロー来るの?」

 当然の質問に、サトミはウムと頷いた。

「なにせ勝負の景品であるからな」

 これは明実だ。

「いまの発言。だいぶ問題があるぞ」

 これは大人の女性の意見であった。そう言われて明実は眉を顰めて言いなおした。

「この勝負の発端となった人物だからのう。勝負の行く末を見届けて貰わんとな」

「喫茶店だから、二人のこの格好かあ」

 正美が無責任な声を上げた。それを聞いて空楽がつまらなそうにフンと鼻息を噴き、他の『常連組』は曖昧な表情をした。

「これ。なんの格好だよ」

 銃の専門家であるヒカルは、コスプレには詳しくないようだ。

「マンガに出て来る『ラビットハウス』っていう喫茶店の制服だよ」

「…エロマンガか?」

 睨みつけるようにして確認された。

「大丈夫、そんなんじゃないから」

 アキラがスナップを利かせて左右に手を振ると、すぐに正美が補足してくれた。

「喫茶店のほのぼのとした日常を描いているマンガだよ」

「ならいいが…」

 キョロキョロと『常連組』を見回しながら不思議そうに訊いた。

「なんで、あたしがショベルを持ってると、みんな微妙な顔になんだ?」

「それは…」

「ねえ」

 ヒカルの前でアキラと正美が顔を見合わせた。

「?」

 話しが分からず、サトミとの格闘で使ったスコップを、肩に乗せるようにしてから首を傾げた。

 その仕草に目の前の二人が光の速さで反応した。

「…ダメ」

「うん、笑いそう。笑っちゃいけないけど、笑いそう」

 なぜか、ふたりが目を逸らしていた。

「ショベルはいいぞ。塹壕戦で一番頼りになる武器だからな」

「わかった、クルミちゃん…、じゃないヒカルちゃん。いったん、そのスコップを下ろそうか」

 正美の懇願とも思える台詞に、意味の分からぬままヒカルはスコップを、元あった場所へと戻した。

「押し寄せるゾンゾンした奴らどころか、地下二階のラスボスすら倒しそうだな」

「ラスボス? そんな奴、出て来たっけ?」

 首を傾げるアキラを放っておいて、正美は槇夫と何やら打ち合わせを始めたサトミの方へと行った。

「で? 下見も終わったし、僕たちどうすればいいの?」

「まあ準備運動とか、銃の試射とかしといて。いざという時に弾が出ないなんてこと、嫌だもんね」

 そう言いつつサトミは正美の腰に巻かれたホルスターを見た。

「まあ正美は必要ないかもしれないけど」

 なにせエアコッキングガンである。一発ずつスライドを引いてBB弾をチャンバーに送らないと発射出来ないのだ。動力源も、スライドを引いた時に圧縮したスプリングの力だ。よっぽどの事が無い限り弾が発射されないという事はないだろう。エアコッキングガンは低性能だが安くてお手軽だけでなく、こういう利点もあった。

「じゃあ、お願いします」

「ドコへ行く?」

 槇夫に声をかけてマイクロバスへ乗り込んでいく背中にヒカルが訊いた。

(ねえ)さんとコジローを迎えに駅まで」

「ねえさん?」

 ヒカルが不思議そうに訊き返すと、正美が代わりに答えてくれた。

「あ、ねえさんって、藤原さんの事」

「あ~」

 ヒカルが手を打っている間に、槇夫がとりあえずといった感じで声をかけてきた。

「じゃあ、俺たちが言っている間に、騒ぎを起こすなよ」

「大丈夫ですよ、たぶん」

 正美はチラリとパイプテントの一つでエアソフトガンの準備を進めている『常連組』を見た。

「だって、一番の問題児が居なくなるんでしょ? 二番目は、お二人が抑え込んでくれそうだし」

「一番の問題児って、なんだ!」

 わざわざ助手席側の窓を開けてサトミが怒鳴って来た。それに、いい笑顔で手を振る正美。

「じゃあ…」

 槇夫がマイクロバスへ戻ろうとした時、校門の方からエンジン音がしてきた。振り返ると四台の自家用車が校門のところへ着いたところのようだ。

 一台目は、世界で二輪車を最多生産している企業が作っている中型高級乗用車のクーペであった。メーカー生産のままの紺色の車体はピカピカに磨き上げられていた。

 開けっ放しの門扉のレールのところでいったん停車すると、運転手が槇夫を確認したのが察せられた。ダッシュボードからマイクを取り上げて、なにやらスイッチを入れていた。

「おはよう」

 どうやらスピーカーがどこかに仕掛けられているらしく、拡大された音声が響いて来た。

「おう」

 聞こえないだろうが槇夫は手を振って答えた。

そのままエンジンを空噴かし気味に回しながら校庭へと入ってきて、マイクロバスとは反対の方にあるフェンス際へと停車した。

 二台目は、世界最大の自動車メーカーが作っている中型高級乗用車のセダンである。こちらもメーカーの色のままの黒色であるようだ。ただ一台目のオーナー違って洗車はマメにされていないようである。

 二台とも最新モデルではないが、大事に乗られているようで、排気音すら安定していた。

 三台目は小柄な車体が特徴的であった。日本最古の自動車メーカーが生産していた小型自動車である。色は愛想が無いオリーブドラブ一色であるが、これは所有者が後から塗った色であろう。

 古臭いボンネット式の車体のさらにフロント部分が張り出しており、そこへPTOウインチを装備していた。車体の色と合わせて、どこかの軍隊にでも所属しているような風格であるが、ナンバープレートは普通の「4」ナンバーであった。

 最後に校庭へ入って来た一台は、見た者が「ウッ」となる自家用車であった。

 なにせボンネットにドーンと、山梨県山梨市の風景を背景にして、修道女服を身に纏ったロゴス症候群の美少女が祈るようなポーズで描かれているのだ。

 側面にも同じキャラクターが無邪気に微笑んでいた。しかも車体からはみ出して後部ドアの窓まで使って描いてあるのだ。

 校庭に入って、三台並列に停められた国産車の横に来て、後部にも同じキャラクターが、作品のロゴと一緒に描いてあるのが分かった。

 そこでやっとドイツのメーカーが生産している四ドアクーペであることに気がついた。レーシングカーの世界では、レース前計量に一キロオーバーしたせいで塗料分の重量を節約するために、銀色の素地のままにレースに参加して優勝したという逸話を持つ会社だ。以来国際レースに参加する時のマシーンは銀色と決めているようだ。イタリアの赤い暴れ馬とはライバルとも言える。

 いちおう日本では高級乗用車に分類される自家用車であるが、排気音でグレードがバレバレである。間違いなく一番下の奴だ。他の車と同じように型落ちであるし、そんなに値段は張らないと察せられた。

 まあ、だからこんな外装を施しているとも言えた。

 四台は並列に停まったまま、適当にアイドリングをしていた。薄い青色の排ガスを垂れ流している後方から槇夫は紺色の車へと近づいて行った。

 音もなく運転席側のパワーウィンドが下げられ、若い男が顔を出した。どうやら槇夫とは知り合いのようで、挨拶を交わしているようだ。

 いくら静かな場所とはいえ、距離があったので会話の内容までは分からない。ただ槇夫が校庭の真ん中に建てられたパイプテントを指差したりしているので、受け入れ態勢をざっと説明しているのだろう。

 ウオンと一段高い排気音をさせてエンジンが切られた。ドアが開けられ、車内から人影が降りて来た。

 紺色のクーペには二人で乗って来たようだ。汚れたままの黒色のセダンは運転席と助手席の他に助手席側の後部ドアが開かれて、合計三人が地に足を下ろした。大戦中のジープを模した小型車からは二人である。

 痛車からは一人だけが下りて来た。

 他の学生が、スラックスに暖かそうなセーターなどを合わせて、オーバーサイズコートなどでお洒落に決めている中、外車から降りて来たふくよかな体型をした男性は、ちょっと不思議な格好をしていた。

 薄く黄色がかった大きな色眼鏡をかけ(けっしてサングラスなんていう上等な物では無かった)ブラックジーンズに暖色系をしたアロハシャツを合わせていた。

 首元にはド紫色をした、怪獣映画で総理大臣を演じる俳優がトレードマークにしているような、捩じり過ぎたマフラーが下がっていた。

 流石に霜月の早朝にはアロハでは薄着だという自覚があるのか、フード付きのロングコートを座席から拾い上げるようにして取り出し、袖を通していた。

 そのコートは遠目からだと白地に黒い斑点模様に見えた。(ポインターかよ)と『常連組』には犬種を連想させた物だが、『施術』とは関係なしに視力が良かったアキラには、別の物に見えた。

 どうやら黒い斑点は、一つ一つがただの円ではないようだ。さらに、よ~く目を凝らしてみると、斑点は特徴的な字体で書かれた漢字という事が分かって来た。

 日曜日の夕方に、とあるテレビ番組(レッレッレソミレ・ミッミパフ)を見ていると目にすることが多い寄席文字というやつだ。

 しかも書いてある内容が、(サバ)とか(キス)(ハモ)(マグロ)と、魚偏の漢字ばかりのようだ。たまに回らないお寿司屋さんに行った時に湯呑なんかに書かれてあるアレだ。

 (ワニ)やら(サンショウウオ)などの魚類以外の水にまつわる生物や、(トド)(クジラ)など哺乳類の漢字も入っているのは、湯呑と違って埋める面積が多いからだろうか。(カブトガニ)なんて文字は初めて見た。それどころか(おおがめ)なんていう想像上の動物まで混じっているようだ。

「なんだあ」

 横のヒカルも目を細めてその特異なコートを睨みつけ、正体を知った直後に「ブッ」と噴き出した。

「わ、わらっちゃいけないと、おもうけど」

 いちおうアキラはヒカルを注意した。なにせ自分たちだって、誰かさんのせいだとはいえ、コスプレなる格好をしているのだから。でも注意しているアキラの声だって踊っていた。

 車から特に荷物を降ろすことも無く、八人が槇夫に案内されるようにパイプテントの方へと歩いて来た。

「よっ」

 自分が代表者とばかりに、その漢字コートに色眼鏡の男が手を挙げた。

「…」

 いちおう挨拶を返さなければ失礼だろうが『常連組』たちは雲の観察で忙しいようだ。もしかしたら伝説のゴーゴンやフンババと対峙する時のように、直視する事を避けていたのかもしれないが。

「おはよう」

 紺色の車から降りて来た男が代わりに挨拶をした。こちらは今様な学生と見えて、紺色のスラックスにストライプのトレーナーを合わせ、その上からボタンを全て外した洗いざらしの水色のシャツを着ていた。ワンマイルコーデという感じだが、ちょっと寒そうに見えた。

「おはようございます」

 男子(だんし)どもが社交的でないので、仕方がなくアキラが挨拶を返した。まあ外見は美少女であるが、本当は後ろの『常連組』と同じ性別のつもりではあったが。

「おっ、かわいい娘がいるねえ」

「キミ、名前は?」

 寒さのせいかポケットに手を突っ込んだまま、ちょっと前屈みというガラの悪そうに見える姿勢をした大学生たちに、半円を描くようにして囲まれてしまった。

「どお? サバゲ終わったら、走りに行くの? いいっしょ?」

 なにやら提案をしてくるが、脂下がった表情から(よこしま)な考えしかしていないことは丸わかりだ。

 咄嗟にアキラはヒカルの方を振り返った。彼女もまた一緒に半円の包囲網に取り込まれているが、余裕の度合いが違った。まあ、あれだけ素地がいい美少女という外見で世界中を旅して来た『創造物』であるから、男に絡まれるなんて慣れているのであろう。

 場を取り繕う笑顔を見せているが、アキラには分かっていた。こんなナンパヤローに囲まれるなんて、MajiでKoi(らんしゃ)する五秒前である。

「ねえねえ、お昼。一緒に食べに行こうよ」

「もち、お兄さんが奢るからさあ」

「えっと」

 回り込まれないよう間合いを保つために後ろへ下がろうとした時、二人の肩へ少々筋張った腕が上から回された。

「?!」

「!?」

 見上げると、いつもの白衣に高等部の制服という明実であった。

「オイラの秘書たちに、なにか御用で?」

 確実に三歳は年上の半ダース以上の相手に、堂々とした態度で言い切った。なにせ清隆学園高等部一年という顔の他に、清隆大学科学研究所に席を持つ研究者という別の顔も持つ明実だ。大人相手のディスカッションやらブレイン・ストーミングなどの場で、平気に意見をぶつけることができる神経のズ太さを持っていた。そのぐらいでないと「明日のノーベル章受賞者のその候補」とまで大人たちから評価はされなかっただろう。

 まあ正体は「道産子とスロバキアの混血でチャキチャキの江戸っ子」という彼自身の言葉が示すとおり、ただの変態なのであるが。

 一気に白けた場の空気を察したのか、槇夫が声をかけた。

「じゃあ堀越、こっちのテントは自由に使ってくれ。俺は『学園のマドンナ』を、お迎えに上がらないとならんから」

 槇夫が手を挙げて行こうとすると、集団を代表して挨拶をした学生が、ちょっと心細そげな顔をした。

「なんなら俺も行こうか?」

「おっとぉ」

 両方の人差し指で彼自身が堀越と呼んだ学生を指差すと、ニッと槇夫は笑った。

「先に抜け駆けしようってのはダメ。じゃ、行って来る」

「ちぇ。じゃあ準備しておくからよ」

 お互いが手を振り合って別れた。

 堀越はそのまま車の方へと足を向ける。その進路に、あの意味不明な漢字コートの男が腕組みをして割り込んで来た。

「?」

「困るなあ」

 とても不遜な声で、しかも顔を見ずに当たり前のように話しかけて来た。

「この戦いは、俺が受けて来たんだぜ。つまり、いくらSMCで纏め役をやっていようが、今日は俺の顔を立てて貰わんとな」

 一瞬だけ他の六人がギョッとするが、堀越はあくまでも穏やかに言葉を返した。

「これは失礼した。そうだったね。今日は秋田くん、君の『決闘』だった。僕もあまり前に出ずに君のサポートに回ることにするよ」

「わかればいいんだ。うんうん」

 大きく頷きながら背中を見せる漢字コートの秋田。その背後で堀越の表情を見た六人が顔色を変えている事には気が付かなかったようだ。

 そのまま事件を起こすことなく、大学生たちは車の方へゾロゾロと戻って行き、ドアやトランクを開いて荷物を降ろし始めた。

「どうやら、向こうは一枚板ではないようだのう」

 明実が感想を述べた。

「で?」

 ヒカルが額に青筋を浮かび上がらせた声で訊いた。

「いつまで、おまえはこうしているつもりだ?」

 どうやらアキラとヒカルを(オオカミ)どもから救ってくれたようである。しかし、いまだに堂々と両脇に抱えるように肩を組んでいる明実は、身長のせいで上から笑顔を振りまいた。

「たまには、こういうのもいいのう。これが両手に花というやつか」

「…」

 ヒカルが何やら目で合図を送って来た。一言も交わさずに相手の意図を読み取ったアキラは、コクリとひとつ頷いた。

 そのままふたりの片足が持ち上げられ、遠慮なく明実の靴へと同時に振り下ろされた。



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