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十一月の出来事B面  作者: 池田 和美
11/19

十一月の出来事・⑪



「もうちょっと右に…、窓側へ振ってくれ」

 ヒカルが肩にかけたショルダーバッグのような機械から、雑音交じりの声が聞こえる。最近のスマートフォンなどに慣れた現代人の耳には、不快すら感じさせる音質だ。

「窓の方へ捩じれってよ」

 ヒカルの指示で、スカートのまま教壇に登っていたアキラは、教室に設置されたスピーカーへ乗せるように設置した中継装置へ手を伸ばした。

「このぐらいか?」

「おーおーおー。そう、それでよし」

 感心した声が大きすぎて音割れまでしていた。

「これで最後か?」

 教壇に上がったままで、アキラは肩にかけた自分の通学バッグを覗き込んだ。校庭で渡された中継装置は、いまので最後のはずだ。

「ごくろう、ごくろう。後は昼飯を食べてからだそうだ。おりてこい」

 明実の言葉が終わると同時に、ブツリと紐を切るほどに大きな音がした。回線を切るという言葉は知っていたが、これほどハッキリと聞こえると思っていなかったアキラは、感動すら覚えた。

「言いたい事だけ言って切りやがって」

 スピーカーが雑音やら外国の放送らしいよく分からない音声だのを流し出したので、ヒカルが通信機のツマミやらスナップスイッチを弄って、音量を小さくした。電源を落とさないのは方法を知らないのではなく、いつ緊急連絡が入っても良いように備えているのだろう。

「まあ、こっちから言う事も無いか…。どうした?」

 いまだに教壇の上に立つアキラを、教室の出入り口から振り返った。

 中等部の旧校舎である。この夏に解体予定であるから、全ての物が運び出されていると思ったら、意外と現役当時の物が置きっぱなしになっていた。

 黒板には、おそらく最後の日に記念と思って在校生か卒業生が書いたと思われるラクガキが残っているし、教壇から生徒用の机や椅子が整然と並べられている教室もあった。

 さすがに照明の電源が入らないので暗いままであるが、積もったホコリと合わせて、なにやら薄ら寂しい光景であった。

 新校舎では、黒板は書いた物がそのままコンピュータにデータとして取り込まれる最新式の物になっているし、生徒用の机や椅子も文科省が新しく定めた規格に沿った物に取り替えられたはずだ。

 こうして取り残されているという事は、昭和時代から使われていたような旧式の机や椅子は用済みという事なのだろう。ちなみに高等部では、まだ現役の物である。いや、もしかしたら転売か贈与の予定があるのかもしれないが。

 そんな教室の、しかも上の方へカメラを仕掛けようというのだから、アキラは遠慮なく教壇を踏み台として使っていたのだ。これが現役の教室だとしたら、行儀が悪いと雷のひとつも落ちているかもしれなかった。

「とう!」

 中学生の気分に帰って、アキラは教壇から飛び降りた。着地と同時に意外なほど衝撃を足の裏に感じてビックリする。

「ほほう」

 感心したように腕を組んだヒカルが言った。うな垂れるように下を向いていたキャンディの柄がピンと上を向いた。

「緑か」

「ば、ばか」

 他の誰も見ていないから平気だと思ったが、唯一の目撃者に指摘されると顔が火照ってきた。あわてて、まだ乱れていたスカートの裾を捌いて、まともな格好に戻る。

「なに恥ずかしがってるのかねえ」

 照れるなら最初からやるなと言いたげにヒカルは言った。

「そこは流せよ。二人しかいないんだから」

「まあ、そうだな」

 いちおう廊下の前後を確認してから、ヒカルは自分のスカートに手をかけた。

「ほれ」

 めずらしく白であった。

「ぶほ」

 驚きの余り咳き込んでいると、ヒカルは体を折るほど笑った。咥えているキャンディが口から零れそうだ。

「なんだよ、その顔は」

「そ、そういうことは、するなよな」

 自分がどんな表情をしているのか自信が無くなったため、アキラは右手を開いて顔に当てた。

「最初にやったのは自分だろうに」

 カンラカンラと笑い飛ばすヒカル。

「いや、やりたかったのはジャンプであって…」

 モゴモゴと言い訳を口にしていると、ヒカルは暗い廊下の天井を見上げた。

「子供は元気があるぐらいがいいんだ」

 まるで駄菓子屋で近所の悪ガキどもの面倒を見て来た老店主みたいなことを言い出した。ユラユラと左右にキャンディの柄が揺れていた。

「…」

 その横顔に寂しそうな表情を見て取ったアキラは、慌てて手を伸ばすと、ヒカルの制服の袖を握りしめた。

「? どうした?」

「どこかに行っちまうのか?」

「…は?」

 意外な事を訊かれたと驚きの表情を作ったが、同居してヒカルの百面相を見て来たアキラには違和感のある物だった。

「どこにも行かないよな?」

 まるで幼子が公園に置き去りにされたような湿度の高い声でアキラは訊ねた。

「行かねえよ」

 なにかを悟ったように微笑みながらヒカルは言った。揺れていたキャンディの柄が止まる。

「行くわけがねえ。だいたい、おまえとアキザネを守る約束をしてんだからな。約束は守るよ」

「う、うん」

 そのまま何となく言葉を交わさずに廊下を歩き、階段室へ。下りれば昇降口から外の光が差し込んでいた。

 必要な面積だけ草刈りが終わった校庭に、日本の食卓ではお馴染みの香りが漂っていた。

 校庭の中央に三張りほど立ったパイプテントの方向から流れて来る香しい香りだ。

 足を向ければ槇夫の仲間らしい女子大生が、火力の強そうなキャンプ用のコンロと、複数の飯盒と寸胴鍋を使って炊き出しをしている様であった。

「おつかれ~。お昼だよ~」

 寸胴鍋をお玉で掻きまわしているのは、どうやら気のいい女性らしく、快活に二人へと声をかけてくれた。セーターにジーンズという活動的な格好をして、さらに上からペンキがついたままの大きな作業用のエプロンをかけていた。

「カレーか」

 分かり切ったことをヒカルが口にし、アキラはなぜかホッとした。

「二人とも、先に頂いておるぞい」

 隣の器材を山積みしたパイプテントの中では、楕円形をした銀色の皿へ山盛りついだカレーライスを、さっそく明実が口にしていた。

 パイプテントは、校庭のド真ん中という事で風が抜けて落ち着かないと考えたのか、側方にも幕を張って、パッと見は小屋のようになっていた。

 テントの内外にトラックから降ろしたパイプ椅子が散らかされていた。その内の二つを向かい合わせて、明実の向かいでいつの間にか戻っていたサトミもカレーを食べていた。

 (かたわら)の長テーブルの上には、先ほどまで二人が校舎に仕掛けていたのとほぼ同じの中継装置が準備を終えて並べられていた。

(あれが午後の分か。けっこうあるなあ)

 覚悟していた事であったが、実際に並べられると精神的に来るものがあった。

「やっぱり一度に大量に作るカレーはうまいなあ」

 スパイスなどの細かいレシピが、大量に作ることによってただの誤差となるため、やっぱり大鍋でカレーを作ると、よっぽどのことが無い限り旨くなるようだ。(まあ、たまにその「よっぽどのこと」が発生して悲劇となるのだが)

「で?」

 新たな一掬いを口へ運びながら、サトミが訊いてきた。

「アキラちゃんは、やっぱり持続可能な開発目標(エスディジーズ)に賛同しているから、緑は大事だと思っているわけ?」

「は?」

 言われたことが分からずに、アキラは肩にかけていた通学バッグを長テーブルに置きながら首を捻った。

「聞こえておったぞ」

 明実が通信機材の方を先割れスプーンで指し示した。

「は?」

 もう一度首を捻ってから、明実が示した通信機材と、ヒカルが肩から提げている通信機を見比べて、顔が真っ赤になった。

「ああああああ」

 何をどう言っていいのか分からずに、悲鳴のような声だけが出た。

「で? ヒカルちゃんは何色なのよ?」

 その途端、空気が破裂する音が周囲に響いた。地面で何かが弾け、さらにパイプテントの柱に固い物が当たってキーンという音が響いた。

「おっとお」

 揃えた足を椅子の上に引っ込めたサトミが、笑顔のままで驚いてみせた。サトミが足を置いていた地面には、小さな凹みができていた。

 カレー皿を両手で頭の上にやったサトミは、微笑んだまま驚いているという器用な表情のまま顔を巡らせた。

 視線をヒカルにやれば、いつの間にかに銀色のスナブノーズを構えていた。両手で確実にホールドをし、照門から照星を通してサトミに向ける視線には殺気がこもっていた。

「次は顔面だ」

 忠告という意味だろう、銃口を揺らしながらヒカルは怒った声を上げた。

「その次は右眼、最後に左眼だ」

 ただのエアソフトガンも、保護具なしに眼球に当たれば失明の可能性があった。さらにヒカルのスナブノーズは、BB弾だけでなく金属球(ベアリング)を撃ち出せることができるように改造がしてあることを、サトミも知っていた。

 サトミの足元で跳弾して柱に当たった音から察するに、装填してあるのはその危ない方の弾であろう。そちらの弾をこの距離で、しかも眼球に受けたら、失明どころか蝶形骨まで貫通し脳へ達する可能性があった。もちろんそうなったら致命傷である。

「わかったわかった、こうさんこうさん!」

 サトミが慌てて声を上げた。その情けない声で満足したのか、ヒカルは咥えていたキャンディの柄をペッと吐き出した。狙い違わずサトミの足元へと突き立った。

 いつまでもバカに付き合っていられないと考えたのか、ヒカルはスナブノーズを制服の内ポケットへしまうと、肩にかけていた通信機を長テーブルへと置いた。

「さ、メシにしようぜ」

「う、うん」

 どうやらカタキは取ってくれたようだ。それでも余分にスカートを押さえながら、アキラは炊き出しの列へと並んだ。

「どうしたの?」

 お玉を握る女子大生が心配そうに訊いて来た。どうやらヒカルがキレたことを心配してくれたようだ。

「どうして男ってのは、ああバカなのかねえ」

 サトミにだけでなく周囲でおもいおもいにカレーを食べている大学生にも聞こえるように大声を出した。

 それをまるで聖女のごとく微笑みで受け止めた女子大生は、ご飯を盛ったカレー皿を二人に差し出しながら言った。

「そんなバカな男どもを愛さずにいられないのが、私たち女でしょ」

「ふん。ガキの相手はひとりで、もうお腹いっぱいだぜ」

 チラリとアキラの方を見たような気もするが、ヒカルはソッポを向いて言った。怒りは収まらないようだ。

「あら。お腹いっぱいだったら、カレーは要らない?」

 そう言いつつ寸胴鍋を掻きまわして底の方の沈んでいる具材をお玉に乗せて、二人のカレー皿についでくれた。

「そういえばさ」

 そんな二人と女子大生の交流を横目で見ながら、サトミは足を地面につけて口を開いた。カレー皿が頭の上から胸の前へと下りて来る。

「なんだ?」

 手を休めずに食事を続けている明実。

SDGs(エスディジーズ)ってさ、やっぱり『ノビ▲くん仲間外れ』って意味かなあ」

 サトミの言葉を聞いた瞬間に明実は小さく噴き出した。口の周りを汚したカレールーを長テーブルに用意しておいた紙ナプキンで拭いながら訊き返した。

「いちおう確認するが、なんでだ?」

「え? だってSDGsって、シズ□ちゃん、ドラ◆もん、ジャイ●ン、スネ◇の略だろ? ノビ▲くんだけいないじゃん」

「そんなところだろうと思ったが、まさか本当に口にするとはな。付け足すならデキ△ギくんも入っておらんな」

「う~ん、そこは毎年春恒例の劇場版(きれいなジャイアソがいるほう)で」

「バカな事を言い足りないってんだったら、このカレーを頭にぶちまけてやるぞ」

 男二人のなんともマヌケな会話が終わる前に、カレーライスを受け取った二人がパイプテントに戻って来ていた。

 炊き出しのカレーは、ちょっと豪華であった。サイコロのように切られた肉がゴロゴロと入っている。海藤家のカレーに入る肉は毎度、豚バラのスライスであるから、ちょっと新鮮であった。ちなみに香苗のこだわりにより、豚は豚でも「TOKYO X(トウキョウ・エックス)」が使われる事が多いのが自慢である。

「さて、午後の作業であるが」

 先に食べ始めていたせいで明実のカレー皿はもう空っぽであった。

「夕方までには設置を終わらせたいので、気張ってもらいたい」

「おう」

 口いっぱいに肉を頬張ったヒカルがこたえた。アキラは家の物とは違う味に感動すらしていた。

 もちろん大学生がこんな場所で作るカレーなのだから、市販のルーのままの味であるはずだ。だが料金を支払う外食産業で出て来るカレーライスに負けない味に仕上がっていた。やはり先ほどサトミが言っていた通り、一度に大量に作った強みであろうか。

「さてさて」

 いそいそと明実がパイプ椅子を並べ始める。どうやらそこをベッド代わりに食休みするようだ。

「食べてすぐ寝ると牛になるぞ」

 こちらも細い体に似合わない健啖ぶりを見せたサトミが、明実の分の食器も含めて片付けながら言った。

「Even If Your Aunt‘s House is on Fire」(たとえ君の叔母の家が火事でも)

「You get some rest after a meal」(食後は休んだ方がいい)

 面倒臭そうに明実が口にした英語に、サトミは微笑みながら同じく英語で返した。

「なんだ?」

 カレーを口に運びながらヒカルが訊いた。

「オマエは半分しか日本人じゃないから、牛になっても半分だけだって言いたいのか?」

「それじゃあミノタウロスじゃん」

 横からアキラが茶化すように言った。それから視線で明実を指差してから、ちょっとしかめっ面をしてみせた。

「?」

「おーやーすーみー」

 のんびりと脱いだ白衣を布団代わりにかけた明実がアクビをして静かになった。

「半分とか言うな」

 アキラが小さな声で言った。今まで聞いた事のない響きが混じった声である。どうやら怒っているようだ。

「?」

「半分なんて言うな」

 どうやら明実の代わりにヒカルへ対して怒っているようだ。

「まあ、ヒカルちゃんも修行不足だったね」

 二人分の食器を持ったサトミが首を突っ込んできて囁いてから出て行った。

 どうやら自称『道産子とスロバキアの混血でチャキチャキの江戸っ子』なのに、いや逆にそうだからなのか、明実にとってどちらかの半分というのは禁句のようである。

「あたしだって、似たようなモンだけどな」

 そう言い訳をしてからヒカルはアキラに言った。

「悪かったよ」

「謝るなら向こうに直接な」

 いくら小さな声で話していても、同じパイプテントの下である。聞こえてはいると思うが、横になった明実に反応は無かった。

「…わかったよ」

 静かに寝息を立てている明実が再始動するのは、昼休憩の後のはずである。



 標本瓶の中にハツカネズミの標本が浮いていた。

 そこへ、壁を抜けてどこか遠くからラジオの音が聞こえてきた。かかっている曲はスパーク娘の一人が出した流行歌「可愛いベイビー」だった。

 生命を研究する場所に聞こえて来るには相応しいのか、それか全く相応しくないのかは、聞く者によって感想が変わった。

 標本瓶のハツカネズミは、頭を上にして、まるで何かに吊られたように瓶の中央に浮いている。口が半開きで歯が見えるのが不気味であった。

 瞼は閉じられ腹を裂かれ、その内臓の配置が良く分かるようにされた標本。科学が前進するために必要だった死。一見そう見えたソレは、おぞましいことに、生きていた。

 その証拠に、青く光る液体へ沈められたまま、赤色の球のような心臓は拍動しており、ときたま全身がビクリと何かに反応するように引き攣ってみせた。

 標本を覗きこんでいたのは金髪碧眼の女性だった。円筒形をした瓶の表面に映りこんでいた彫の深い顔立ちと合わせて、北欧の血筋なのは明らかだ。

 女性らしい丸みを帯びたシルエットに、ピッタリとした藤色のスーツには皺どころか汚れすらついていなかった。

 その顔に浮かんでいるのは嫌悪感ではない、むしろ感激とか、感心とかいった類のものだった。

「小型とはいえ、哺乳類まで進んだのね」

 明らかに外国人であるはずのその女性は、流暢な日本語で、背後に立つ白衣を着た人物に訊いた。

 確かに彼女は哺乳類と言った。それを示すように、彼女が覗き込んでいた標本瓶の横には、似たような物が並べられていた。両生類(カエル)爬虫類(トカゲ)鳥類(ヒヨコ)魚類(アジ)もあった。

「次は猿あたりをやってみようと思う」

「人間まで、もう少しね」

 覗き込んでいた姿勢から背を伸ばすようにして振り返る。向かい合うのは東洋人の男性であった。外国人では中国人や朝鮮人と見分けがつかないだろうが、慣れている目からして間違いなく日本人である。眼鏡をかけており、いかにも研究者という神経質そうな顔立ちをしていた。短躯(たんく)の多い日本人には珍しく、振り返って腰を伸ばした彼女に引けを取らない高さがあった。彼は冴えない背広の上から白衣を身に着けており、その白衣には血痕と思しき物騒で真新しいシミがついていた。

「ああ。この『施術』の研究が完成すれば、人類は不老不死すら手に入れる事ができる」

 ニヤリと笑ったのは、この東京上野にある藤山製薬研究所の主任研究者、城國(しろくに)吾一(ごいち)であった。

「あと、もう少しだ」

 感慨深げに天井からぶら下げられた傘のついた電球を見上げる男に女は近づいた。

「そうすれば永遠の時間で何をするの? ゴイチ」

「そうだなぁ」

 下の名前で呼ばれた男は、初めて困ったような顔をしてみせた。

「君とずっと日向ぼっこなんてどうだろう、ゾーイ」

「あら」

 目を丸くしてみせたゾーイは、ちょっと怒ったような声で言い返した。

「それじゃ死んでいるのと変わりないじゃない。私はイヤよ」

「そういうキミはどうなんだい?」

 吾一に水を向けられたゾーイは即答した。

「世界一周よ」

「もう半周して来たようなものじゃないか」

 なにせ彼女の生まれ故郷は太平洋の反対側である。

「もう半分残っているじゃない。それに…」

 瞳がキラキラしていた。

「二周、三周としていけないという話しは無いのだし」

 まるで娘のように表情を明るくして言った彼女を見て、つい苦笑のようなものが出た。

「まあ、キミは『施術』目当てで、本当はボクなんか目じゃないのだろうけど」

「また、そういう」

 ムッと膨れたゾーイは、どこか影を引きずっている吾一へさらに歩み寄った。

「好きでもない男の子供なんて産みません」

 半ば笑ったまま唇を重ねる。なすがままにされていた吾一は、彼女が離れて一拍置いてから、顔の下半分を隠すようにして、自分についた口紅を拭った。

 この時代には珍しい国際結婚というやつである。最初は何かと便利なアメリカ国籍のゾーイの方へ、吾一が婿入りという形にするという話しもあった。が、いずれ二人の間にできるであろう(そして実際に生まれてきた)子供は、夫の祖国で育てたいというゾーイの意思で、日本国籍とした。

「今日は、和子(ともこ)はどうした?」

 慌てて探したように、その子供へ話を変えた。おそらく照れ隠しだろう。

「サブちゃんと、博物館へ行っていますよ」

「近くの洋食屋だったらという条件だが、食事はどうかな?」

 吾一は右腕に巻いた腕時計を確認した。

「もちろんサブちゃんも一緒に」

「今夜も泊まりですの?」

 一緒に帰宅するという言葉が出なかったことに、不満があるというより、彼の体調を心配する声が出た。

「あのナニヤラとかいう進駐軍のお偉方に、進捗状況を報告せにゃならん。その報告書つくりさ」

「ナニヤラでなくマシューね。分からないところがあったら、言ってくださいね」

「元通訳だものな、頼りにしているよ」

 吾一の研究はズバリ不老不死であった。そのために古い伝説から最新科学まで数々の文献を紐解き、その結果『施術』と呼ばれる技術に行きついた。

 その内容は科学的というより魔術的な物ではあった。

 科学者である彼も、最初はなにをこんな迷信とバカにした技術であった。

 だが酔狂でこんな研究を始めたわけでは無かった。

 一八年前、彼の祖国は大困難に遭っていた。当時、大東亜戦争と呼んでいた大きな戦い、今で言う太平洋戦争である。

 アメリカとの戦いに日本は全てを注ぎ込んだ。国民からは溶かして武器とするために鍋釜などの金属製品を、果ては村の寺社の梵鐘まで供出させたほどだった。

 そんな挙国一致体制に、もちろん頭脳もつぎ込まれた。そして色々な研究が軍に採用され、様々な決戦兵器が考え出された。

 初の大陸間攻撃を成功させた「ふ号兵器」。

 怪力光線により戦略爆撃機を撃墜しようとした「く号兵器」。

 そしてアメリカに先んじて完成させようとした新型爆弾を製造する「ニ号研究」。

 多数採用された研究の中には、当時ですら眉唾扱いされた物も混じっていた。巨大な電波塔のような物を建てて米英の要人を「呪殺」する計画から、地獄の蓋を開き魑魅魍魎の力を借りる計画まであった。

 その狂気の時代に、大学で医学薬学生物学を修めていた吾一には、陸軍から「容易に死なない兵士」の研究を命じられた。

 陸軍からは「シ号計画」と名付けられた研究。同じ枢軸側に立ち欧州戦線を戦うドイツなどの国も、似たような研究をしていたと吾一の耳に入っていた。

 もちろんアメリカを代表とする連合軍側も対抗した。

 しかし有人宇宙飛行すら可能になった現代でも魔術師が存在するイギリスと違い、新大陸アメリカでは、そういった研究が一歩も二歩も遅れていた。

 幸い東西どちらの戦場にも、そういった「人でない兵士」が現れることは無く、戦争は連合国側の勝利で終わった。

 だが、進駐軍として日本へ乗り込んだアメリカ軍は、遅れている自国のそういった研究を補完しようと、日本側の研究者たちの身柄を押さえ、どの程度までその不老不死の研究が進んでいたか徹底的に調査した。

 もちろん同じことは、先に無条件降伏をしていたドイツでも行われた。

 その調査過程で、通訳であったゾーイと、研究者であった吾一は出会った。

 連合国側に幸いな事に、吾一たちの研究は戦時下の物資不足を背景に、全くと言っていいほど進んでいなかった。

 不老不死の超人を生み出すどころか、爬虫類で行った実験も成功率は三割以下、もちろん終戦で「シ号計画」も終わりを迎えた。

 いや…。

 終わりを迎えたはずだった。吾一は失業して、これから田舎に帰って畑でも耕そうかと考えていたほどである。

 しかし「シ号計画」は、「Mプラン」と名前を変えて存続した。

 一つの戦争が終われば、次の戦争を考えるのが将軍たちの習性である。やっと枢軸国を倒したというのに、次の戦争の気配が世界には漂っていた。

 東西に分割統治されていたベルリンには、物理的に行き来できぬように壁の建設が開始され、中米のキューバではアメリカに支援された亡命キューバ人部隊が打倒革命政権を目指して上陸し、キューバ軍と交戦する事件もあった。

 世界中でクーデターやら革命やら、次の戦争を始めるための陣取り合戦は今でも行われていた。

 今度の相手はドイツや日本などの枢軸国ではない。ソビエト連邦を中心とする共産圏である。

 次の戦争で使えるかもしれない研究として「Mプラン」は、在日米軍や発足間もない自衛隊から影の支援を受けて、この研究所を隠れ蓑にして続けられていた。

 英国では一部の再現に成功したとの噂があったが、謎の航空機事故によって研究員が全滅し、それ以上の進展は諦めなくてはならなかった。

 その事故は共産ゲリラによるテロとの噂もあった。おそらく自由陣営(コチラ)も研究しているのだから、共産圏(アチラ)も研究していてもおかしくはない。そして、相手の研究を暴力的に妨害することは十分考えられた。こちらで研究が進まないなら向こうの研究も完成させまじ、というわけだ。

 アメリカ本土で、もっと人員と物資、そしてなにより資金をつぎ込んで研究を行っていた施設は、ある日正体不明の襲撃者によって壊滅した。警備していた兵士の幾人かが生き残り、信じられないような証言をしたとは聞いたが、それ以上の情報はなかった。

 果たして信じられないような証言とは何だったのだろうか。参考までに吾一は知りたかったが、敗戦国の一研究者にはそこまでの情報が提供されなかった。

 イギリス、アメリカと研究所や研究員に不幸が相次ぎ、西側で残っているのはココと、カナダぐらいである。他にも小規模な所があるだろうが、吾一には知らされてなかった。

 もちろん東側となると想像の範囲外だ。

 ただ米軍情報部から、時々思い出したようにある技術的な問い合わせ等から、他国の研究進度を推察することができた。あくまでも吾一の推察であるが、世界で一番研究が進んでいるのは、自分が主任を務めているこの研究所であるようだ。

 世界中の研究所で再現不可能だった『施術』のキモは、吾一がこの研究所の屋上に作った屋上魔法陣であった。

 他の研究所では地上、または地下に設けられた魔法陣であるが、それだと地表を流れる有害な電磁波のような物に影響を受け、思った通りに作動してくれないのだ。

 いちおう仮説ではあるが、アメリカの科学者ニコラ・テスラがウォーデンクリフ・タワーで証明しようとした<地球電流>と同じ物では無いだろうか。

 その問題に対し、東洋的な「地脈」という概念を持ち込んだ吾一は、色々な高さで魔法陣を描き、一番効率的な高さを発見していた。

 この屋上魔法陣によって不死の霊薬である『生命の水』の生成が楽になり、こうして腹を裂かれたままの検体が、死ぬことなくビンの中で今日も身じろぎをしているのであった。

「細胞単位、臓器単位では、人間でも成功しているのだ」

 自分自身に確認するように吾一は、傍らの実験机から別の標本瓶を手に取った。

 そこに入れてあるのは一つの眼球である。大きさから人間の物と類推する事はたやすかった。

「さすがに生きた人間で試すわけにはいかないからね」

「あら」

 悪戯気にゾーイが恐ろしいことを口にした。

「それすらやるのが軍隊でしょ」

 それが吾一の倫理観に抵触したのか、彼はとても酸っぱい物を食べたような顔になった。

「いまの日本には軍隊はいないよ。あー…」

 講釈を続けようと吾一が口を開いた時、二人が会話している部屋のドアが無粋に開かれた。

「?!」

「だ、だんなあ」

 ビッコをひいて入って来たのは、みすぼらしい男だった。

 身長は子供のように低く、まともに右足が動かないので、大きく肩を揺らしながら歩いている。顔も醜悪で、幼稚園児がうまくできないからと投げ捨てた粘土細工のように歪んでいた。

 右側の目の上にコブがあり視界を塞いでいた。代わりと言ってはなんだが、左側全ての体毛が薄く、唇が捲れあがっていた。鼻先も見事なほど潰れており、まるで豚のように鼻孔が正面を向いていた。

梶原(かじわら)。部屋に入る時はノックするように何度も言っただろっ」

 吾一が叱責する声を飛ばすと、あからさまに首を竦めて体を震わせた。

「へ、へえ、すんません」

 東洋人と生活するようになってから、あまり人種差別的な顔を見せなくなったゾーイも、この男にだけは冷たい目を向ける。それを吾一も止めようとはしなかった。

 ゆさゆさと肩を揺らしながら一旦部屋を出た梶原は、部屋の扉を乱暴に叩いた。その所作が気に入らなかったのか、彼女は舌打ちをした。

 この梶原という下男は、不自由な体に加えて知能の方もそんなに高くない。こんな風体で、しかも物覚えも悪いときたら、甲種合格どころか丙種ですらなかった。そのおかげで徴兵されずに、もちろん戦地へ行く事もなかったような男である。

 戦時中はまともな男はみんな軍隊に取られていたので、こんな男にも仕事があった。どうやら拙い話を聞くと港で荷夫を…、いや牛馬の代わりをしていたようだ。

 が、戦後に復員が始まると、まともな人材が雇えるようになり、職を失って上野のガード下に居たところを藤山製薬の人事部が拾って来たのだ。

 掃除夫としても役立たずだが、彼には大事な役割があった。

 研究所の隣町には、江戸幕府歴代将軍から、墨客やら画伯など日本画家の芸術家まで眠るという由緒正しい墓地がある。その関連施設から、吾一が必要とする物を手に入れて来る事だ。

 いま彼が手にしている標本瓶の中身も、梶原が手に入れてきた物であった。

 手配は研究所の事務局がやるとしても、実際の物を扱う「卑しい仕事」を、普通の職員でやろうとする者はいなかった。この醜い男だけはどんなに汚れる仕事だろうが、とりあえず最低限の満足度でやり遂げてくれた。

「おはいり」

 もう半ば怒った声で吾一が入室の許可を出す。

「へ、へえ」

 ぎこちなく頭を下げながら梶原が再び入って来た。

「で? なんの用事なのだ?」

「へ、へえ。おじょうさまが、もどってめいりめした」

「よし、わかった」

 吾一は大きくうなずいてから、追い払うように手を振った。

「今日はもういいよ。君はどうせ居ても役立たずだから」

「へえ」

 あからさまに嫌われている感じに、梶原は肩を落とす。いちおう彼だって人間だ、職場の上司に嫌われているより好かれている方がいいはずだ。

「なんだい」

「い、いえ、そ、そのう」

「もう怒ってないよ。さ、お帰り」

「それでは、おいとましますです」

 ぎこちなく頭を下げると、梶原は出て行った。その哀れな後ろ姿を見て、女性特有の優しい心が動いたのか、それともただ単に好奇心が湧いたのか、ジーンは吾一に訊ねた。

「怒る? あなたが?」

 家ではとても静かな男である。もちろん家族に手を上げるどころか罵声を浴びせるようなことすら一度も無い。その吾一が怒るなど、よほどのことがあったのだろう。

「いや、大したことじゃないよ」

 白衣を脱いで書き物机と対になった木製の椅子へかけながら、場を和ませようと吾一は微笑んで見せた。

「梶原が『検体』を台無しにしてしまってね。それで」

 そこまで言って怒りが戻って来たのか、ギリッと奥歯を噛み締めた。

「せっかくの死にたてで、状態が良かったのに。あいつときたら…」

「これから食事だから、それ以上は聞かない方がよさそうね」

 ジーンに指摘され、慌てて口をつぐむ吾一。

「さ、和子とサブちゃんが待っている。行こう」

 吾一は妻をエスコートして廊下へと向かった。壁にあるスイッチへ手を伸ばし、電灯の電源を落として退出する。

 暗くなった実験室。そこには自ら青色に発光する液体が収められた瓶が、複数残されていた。

 その青く光る中で、ハツカネズミが瞼を開いた。



「いちおうデータのチェックはしたが、御門に口から説明してくれるか」

 いきなりサトミの声が上から降って来たような気がして、アキラの眠りは妨げられた。

(あれ? オレ寝てた…)

 現状認識が遅れ、自分がいま一体どんな状況にあるのか分からなかった。

 まずなによりも今は…。

(夢…、か?)

 久しぶりに変な夢を見た。

(たまに見るんだよな。アレ)

「いいだろう。まずコレが一〇ミリAUTOだ」

 明実の声に首を巡らせると、どうやら顔の半分からつま先まで、全身にかけられているらしい毛布の端から、パイプ椅子に座った二人分の背姿を確認できた。

 片方は白衣を着ているので明実と分かる。もう片方は、男子用制服に身を固めたサトミであった。

「銃はなんだ? クリス・ベクター? また詐欺に一人引っかかったって事か。ええと銃身長は…」

 サトミが片手でサッとスマートフォンを操作して検索した。

「一四〇ミリか。一〇ミリAUTOの方は…、試験で銃身一一七ミリの一三五グレーンで一〇四一ジュール? 四四マグナムぐらいの威力あるじゃん」

 清隆学園高等部が誇る変態二大巨頭(アキザネとサトミ)は、少し離れた場所に置かれた長テーブルに向かっていた。どうやら長テーブルの上に置いたノートパソコンに表示した何かのデータを分析しているようだ。もう少し言うと、何かのデータにおいて科学的な見地を明実がサトミに求めたようだ。

 二人の背姿を確認したアキラは、自分の事に戻った。横になっているので自然と視線は上を向き、白い天井が目に入った。

(でも、新しいパターンだったような…)

 夢を思い返す。それまでは婚約者の見舞いに行った帰りの女学生だったり、結婚式間近のOLが会社の飲み会の帰りだったり、学生運動に熱心な女子大生が不審な男に尾行されたりと、変な夢を見る事が多かった。そして共通するのは、最後は電車が脱線して暗転するのだ。

(コレも同じかな?)

 結末は違うが、夢の中の時代は同じのような気がした。

「次が、密造したボウガンだ」

「浅いな。力場への浸徹距離は最低か?」

 どうやら二人の分析は続いている様である。

 変な夢を見たせいか、アキラは全身に脂汗が浮いている事を自覚した。少しでもマシになるかと、首元へ左手をやろうとした。

 ブラウスの首元に締めたネクタイに手が届かなかった。

「およ?」

 見れば自分の左側半分で毛布が大きく盛り上がっていた。

 空いている右手でゆっくりと毛布を持ち上げて中を覗いて見れば、アキラの左腕を身体全身で抱え込むようにしてヒカルが眠っていた。

「ひのふのみ…」

 画面上に表示されている物の長さを測っているのだろうか、サトミが液晶をなぞっている気配があった。

「まあ、火薬を使わなければ、この程度だという事だろう」

 明実の説明にサトミは関心の無さそうな声でこたえた。

「参考程度にはなるか。弓矢で射かけてもこのくらいということか」

(ええと)

 瞼を閉じているヒカルとは、どうやら床を同じにしていたようだ。左腕は完全にヒカルに抱え込まれてしまっていた。両側から柔らかい物に挟まれるようにして固定されているのが、なんとも心地よい。

 なぜ眠っていたのかを頭の中で整理する。

(たしかカレーライス食って、いつもの通り食休みするって…)

 数十分前の事なのに、まるで細い糸を手繰り寄せるようなもどかしさであった。

「コレが本命の長距離狙撃だ」

 毛布の外からまた明実の声がした。どうやら二人の分析は続いている様であるが、アキラの現状把握には役に立たないようだ。

「ふむ。弾丸形状からするとライフル弾だな」

「三三八ラプア・マグナムだそうだ」

 どうやら二人が分析しているデータというのは銃器による何かのようだ。銃器に詳しくないアキラには、何の話をしているのか蚊帳の外(チンプンカンプン)である。それよりも今は現状把握(どうしてこうなった)が先であろう。

 その時アイディアが閃いた時のようにスーッと記憶が戻って来た。

(ああ、そっか。山奥さんが「女の子が椅子で居眠りは辛かろう」って)

 ネクタイを緩めた手で腰の下あたりに触れてみる。二人の身体の下には、地面へ寝転がっても痛くないように、セミダブルサイズぐらいの大きなキャンプマットが敷いてあった。

 毛布と一緒に槇夫のマイクロバスから出て来た品である。

「銃は?」

「さあ。おいらは把握しとらんでのう。ラプアとすると、アメリカのM二四、イギリスのL一一八、ロシアのSV九八あたりかの」

「うーん」

 ヒカルは一言唸ると、まるでネコのように顔をアキラの身体へ擦りつけて来た。二人の無遠慮な声よりも、アキラがゴソゴソ動いたのでヒカルも眠りが浅くなったようだ。

 魅力的な唇が半開きとなってすぐそこにあった。

 相変わらず毛布の外では二人の会話が続いていた。

「ええと、銃身長が? それぞれ? 六一〇、六六〇、六五〇? ギネスに掲載されたのはドレだっけ?」

「イギリスのヤツじゃろ」

 迷うことなく明実が答え、サトミは再びスマートフォンでデータを確認したのだろう、納得の声を上げた。

「あー。一番長いし、そうかもね」

(ゴクリ)

 ふたりの能天気な会話を聞きながら、つい生唾を呑み込んでしまった。何度も重ねて言うが、外見は「女の子のようなもの」であるが、アキラの精神は彼女いない歴イコール年齢の男子高校生(どうていだんし)である。そしてヒカルは、流石に『学園のマドンナ』に選出されないまでも、美少女と言って過言ではない姿形をしているのだ。

 あどけない寝顔のドアップである。興奮と緊張が襲って来た。

 お互い同じ物を食べた後だからか、これだけ密着していても口臭など無粋な物は気にならなかった。なによりもヒカルの吐息は熱を帯びており、そして触れている全部が柔らかかった。

「ええと試験で七〇〇ミリの銃身使って二〇〇グレーンで六七三四ジュール? は? 脳筋な(あたまわるい)弾だなあ。さすがアメリカ」

「頭が悪いとか申すな。それに企画はアメリカだが、生産はイギリスとフィンランドじゃぞい。ロジカルに設計されて一〇〇〇メートル先の軍用ボディアーマーを撃ち抜くのに必要な諸元から、逆算して生み出されたライフル弾だ」

 明実の説明にサトミは理解できないとばかりに言った。

「人殺しにそんなに精を出さなくったってさ。軍用ボディアーマーって…、五枚も重ねてるのかよ」

 呆れているサトミの声は、アキラの耳にはあまり入っていなかった。それよりも、とても柔らかい「すーすー」というヒカルの寝息の方が万倍大きく聞こえていたからだ。

 毛布で乱れた髪の向こうでヒカルの白いオデコが見えていた。いつも機嫌が悪そうに引き締められた眉毛の向こうに、長い睫毛が行進しているように生えそろった瞼がある。いまは閉じられているおかげで、上下の睫毛が互い違いに行儀よく並んでいるのが見えた。

 涙袋から鼻のラインを見て、その先の唇へ視線が至った。

 ヒカルは制服を着ている時は口紅どころかリップクリームも塗っていないはずだが、とても瑞々しく見えた。

「だが侵徹距離はだいぶあるな。もう少しというところか」

「残留エネルギーがどのくらいか計測できなかったのは、甚だ遺憾である」

 二人揃って歯がゆいという声を出した。

「ちなみに最長狙撃距離は更新されたぞい。バレットか何かで三八〇〇ヤード以上じゃそうじゃ」

「三八〇〇ヤード…、約三四二〇メートルか」

 秒どころか瞬時に単位の換算をしたサトミが呆れた声を出した。

「戦車砲の戦闘距離だな。バレットだと五〇口径か。たしか同じ弾丸(たま)使ってベトナム戦争じゃ二五〇〇ヤード(二二五〇メートル)って記録があったな。一キロ以上の差は何だ?」

「まあ科学技術の進歩じゃろうな。ベトナム戦争から何年経ったと思っておるんじゃ」

「うっと半世紀…。そうか…、戦車砲か」

 銃火器の事は詳しくないアキラには馬の耳に念仏のよう(チンプンカンプン)な言葉の羅列も、いやそうだからか、いま視界のほとんどを塞ぐヒカルのあどけない寝顔から目を離す役にはたたなかった。

(ゴクッ…)

 緊張のあまり喉が渇いたのか、二回目はそんなに喉は鳴らなかった。

 本人にも伝えてはあるが、アキラはヒカルのことが好きであった。もちろん「女の子のようなもの」になってしまった身体という事情があるが、純粋に男子高校生が意中の人に思いの丈を打ち明けたのだ。ちなみに告白したのは人生初だったので、それはそれは不格好な告白だったと自覚はあった。

その後ヒカルはろくな返事をくれていないが、こうして一緒に眠るぐらい親密さが増していた。出会った当初は遠慮なく銃口を向けられていた事を考えると、一八〇度変わった距離感である。

「殺し合いばっかりに金をつぎ込みやがって、少しは極東に暮らすこの美しい研究者に回してくれれば…。この銃は?」

「おそらくS(スミス)W(ウェッソン)のレディスミスではないかのぅ」

「弾丸は?」

「さあて」

 毛布越しに聴覚で確認するに、二人の意識はまだノートパソコンに向かっていた。そしてアキラが「好きだ」と告白したヒカルは、目の前で体を密着させていた。

(いけない。ダメだ。でも…)

 (りせい)では分かっていた。

 アキラは毛布の中でゆっくりと右手を伸ばして、ヒカルの制服の上着をくぐらせた。紺色のベストに包まれた丸みがそこにあった。

 小柄な体格に似あった曲線である。それでも厚い布地越しに、ヒカルの身体を感じることができた。手の甲に当たる固い物はおそらくヒカルが内ポケットへ入れている銃であろう。アキラにはそれが自身の仕業を責めているように感じた。

「レディスミスだと、例外はありそうだが、おそらく九ミリパラか。ええと銃身長は…」

「だいぶ改造されているようだがの」

「四インチか? すると一一六グレーンで四八三ジュールか。確かにクリス・ベクターの半分も侵徹してないな。とすると、やはり侵徹は運動エネルギー量に比例するんだな」

 毛布の外から聞こえて来る声に安心しながら、アキラの神経は右掌に集中していた。

「ん…」

 先ほどの呻き声とは明らかに違う、艶の籠った吐息がアキラの腕へとかけられた。厚手の生地でできた制服越しである。普段ならば感じる事すらできないはずの柔らかい息が、まるで映画に出て来る怪獣が吐いたのかと思うぐらい熱く染み込んで来た。

「コレは、まあ番外編だな」

「ああ、ヒカルちゃんご自慢のハンド・キャノンね。なんだ、ちゃんと撃ててないのか。じゃあ、本当に番外編だな」

 サトミの口からヒカルの名前が出た時は、さすがに全身が硬直した。が、やっぱり二人はノートパソコンに夢中で、そしてヒカルの瞼は閉じられたままだった。

 朝の洗顔フォームから風呂場のシャンプー石鹸に至るまで、同じ物を使用しているというのに、ヒカルの身体からは自分とは別の甘い香りがした。

 アキラは右手をちょっとだけ引くと、大胆にもヒカルのベストへ手をかけた。ボタンを一つだけ外し、その隙間へ右手を差し込んだ。

 冬場に冷えた身体でコタツへ潜り込んだよりも熱い感触が待っていた。制服などよりも薄いブラウス越しに感じる丸みは、規則的に膨らんだり縮んだりしている。呼吸と鼓動が感じられる感触に、アキラの方だって呼吸も鼓動も速くなった。

「そして、コレからじゃ」

 明実の声にも緊張が走った。

「?」

訝しむサトミの前でノートパソコンを操作したのだろう、小さくタンと叩く音がした後に、サトミが息を呑む気配がした。

「これは…」

「シー」

 すぐに万国共通の合図があった。

「おまえ…、コレは…」

 絞りだすような声でサトミが驚いているのが分かった。

 驚きはアキラも同じだった。

(やわらかい)

 横になっているというのに、アキラは緊張しすぎて膝に震えが来ていた。

 ブラウスの中にある丸みの上に感じる凹凸は、ヒカルが今日つけているはずの下着であろう。

 もちろん、そういうファウンデーション・ガーメントはアキラも身に着けていたが、別人が着けている状態で意識して触れるのは初めてだった。

 ブラウス越しの柔らかい丸みは力を込めたら壊れそうで、アキラはゆっくりと(さす)るように触れていた。

「おまえも…、わかっているな!」

 サトミが突然上げた声に、アキラはまた硬直した。ゆーっくりと毛布から目まで顔を出して、二人の様子を確認する。二人は相変わらず長テーブルの上に置いたノートパソコンに夢中なようだ。

「じゃろ。やはり必殺技はコレでないとな!」

 半ば気持ち悪い笑いを含みながら、明実も自慢げに声を上げていた。

「ん…、あ…」

 目を閉じているヒカルが、ちょっと切なそうな声を漏らした。どうやらアキラが驚いて硬直した瞬間に、少々きつめに握力をかけてしまったようだ。

 ヒカルの形の良い眉毛が顰められたような気がする。アキラにしがみつく力が強くなり、毛布の中で足同士を絡みつかせるようにしてヒカルの身体も硬直していた。

 ヒカルの膝がアキラの太ももを割るように入って来る。同時にヒカルの身体がより密着し、左足に熱い物が押し付けられるような感触があった。

 自身も体温が上がった状態なはずなのに、まるで松明を抱え込んだような気がした。

「こいつは…。この技は、古くは『(くろがね)の城』から始まり、『偉大な勇者(グレート)』『フリード星の守り神(ダイザー)』『魔神皇帝(カイザー)』そして『世界(キュ)に広()がる()ビッ()グな(リー)愛(物理)』へと受け継がれた由緒正しき技だ。なにも間違っちゃあいないぞ御門!」

「まてえい!」

 聞き捨てならぬと明実が声を張り上げた。

 その声でアキラは我に返った。いま寝ている場所が中等部旧校庭のド真ん中に立てたパイプテントの下だという事に思いが至り、アキラは右手を引こうとした。

 その手首がガッシリと掴まれた。

(!)

 慌てて毛布の中を覗き込めば、アキラの右手首を、細い割に膂力がある手が掴んでいた。

「少なくとも『世界に広がるビッグな愛(物理)』さんは巨大ロボでは無いぞい」

「なにをいまさら」

 鼻で嗤う雰囲気。

「体一つでスパ□ボに参戦した例などたくさんあるではないか。□ム兄(いのうえかずひこ)さんとか青きイクサー(とだけいこ)さまとか」

「う、うむ…」

 どうやらサトミに丸め込まれたようだ。明実の声が弱くなっていた。

 明実がやり込められるなんて珍しい出来事も気にならなかった。

 元から晩秋で弱まった太陽光が、さらに生地を透かし入ってくるため、毛布の中は薄暗かった。

 その明るさの中でしっかりとヒカルと目があっていた。ヒカルの黒色の瞳の奥にある青い炎のような光が見て取れた。

「あ…」

 言い訳しようと口を開いた瞬間に、ヒカルはアキラの手首を掴んだ手の人差し指を立てた。そのまま顔の方を指へ近づけて、自分の形の良い唇に当ててみせた。

「それに考えてみろ御門。あの『空モモ』の遺跡に眠っていた四体合体ロボ(ミソキーナーサ)だって(限定)参戦したくらいだ。いずれは『はづき博士の超兵器(ドレミロホ)』や『ウルトラハッピー(ハツピーロボ)(巨大)』だって参戦するかもしれない」

「うっ」

 見事な三連撃に明実は呻き声しか出ないようだ。

 変態の二人は変態らしい議論に集中しているようだ。背後の地面に敷かれたマットの上で何が起きているかは、まるで気がついていない。二人がこちらに気がつく前に、穏便に済ませようとアキラも頭を毛布へと潜らせた。

 顔を突き合わせて早口で告げた。

「怒ったんだったら、後で謝るからさ…。離してくんない?」

 いまだにアキラの手首から先は、掴まれたせいでヒカルの服の中だ。ヒカルに動きがない。とりあえず一言でも謝らないといけないようだ。

「しかもだ。『ウルトラハッピー(巨大)』にだって、この必殺技は装備されているぞ」

「そんな物にまで詳しいとは、意外だな」

「ああ。身内に『女の子だって暴れたい(このシリーズ)』に詳しい…、そうだな…、ここでは仮名を池田としておこうか。その池田(仮名)に嫌でも見せられたからな」

 二人が先ほどとは別方向で、アキラには分からない話題で盛り上がっているようだ。今の内に事態の収拾を図った方が良さそうである。

「さわって悪かったよ、すま…」

 言い切る前にアキラの唇が塞がれた。ヒカルがアキラの制服を引っ張るようにして身体を伸ばすと唇を重ねたのだ。

 勢いよくぶつかるように来たためにカチッと前歯同士が触れ合う音がした。

(や、やわらかい)

 シュークリームやエクレアよりも柔らかく、かつ血の通った温かいヒカルの唇が、たしかに自分の唇と重ねられていた。

 細かく痙攣しているように震えるヒカルの瞼が閉じられた。

「すると『世界に広がるビッグな愛(物理)』さんも?」

「ああ。恐ろしいことに浄化(きめ)技ではないが、奴も拳を飛ばして戦うぞ。しかも『目から(ミクル)ビーム』、『片手で扱う(そーど)ブロードソード(びっかー)』、そして敵を溶解させる『胸部から(さんまんど)の熱線』と、お約束の武装まで揃っている。あれは間違いなく『Z()ノ系譜』の末裔だぞ」

「おお」

 どちらかというと穏やかなインストゥルメンタルが流れていて欲しい雰囲気であったが、聞こえてくるのは二人の変態が変な話題で盛り上がっている声だけである。

「エッチ」

 やっとアキラの唇を解放してくれたヒカルが、大きく目を見開いて吐息のかかる距離で言った。いつもの強気な態度はそこにはなく、とても優しい声だった。中に青い炎が見える黒い瞳がイタズラっぽく細められた。

「ちなみに全くの余談になるが池田(仮名)によると、変身前だというのに『わたしはおまえだ!(たかやまみなみ)』のパンチを、膝をつくだけで耐えた『月光に冴える一輪の花(ひさかわあや)』が単体で最強らしい。チームとなると『力の一号(ほんなようこ)技の二号(ゆかな)』が揃って『輝く命(たなかりえ)』が加わっている初代チーム。技としての威力は『玩具成績最下位(きもとおりえとえのもとあつこ)』の最終回に出た

二人はってタイトルな(プリキユアスパイラノレハー)のに四人でドッカーン(トスプラッシュスター)

が最強らしい。なにせ威力がビックバン一個分」

 サトミが早口で説明していた。そのおかげで雑音が彼ら二人の耳に届くことは無さそうだ。

「こういうことをするのは、男に戻ってからじゃないのか?」

 ヒカルは自分が掴んでいる手に握力をゆっくりとかけてきた。逃げ出すようにして引こうとしたアキラに逆らって、ヒカルはさらに自分の方へと引っ張り寄せた。

「ん、あっ」

 強く当たったアキラの手が、布地越しに敏感な箇所へ当たったらしく、ヒカルは艶っぽい声を漏らした。薄地の下に感じる凹凸のさらに向こうにボタンのような感触があった。だがブラウスの下にボタンなんて存在するはずがなかった。

「まてえい!」

 だが明実が聞き逃さなかったゾとばかりに大声を上げた。絡み合っている二人の身体が硬直した。

「騙されんぞサトミよ。たしか『みなぎる愛(なばためひとみ)!』さんも、最終回に『大戦鬼(パルテノソ)モード』でそれぐらいの威力を出していたはずだ」

 なんだコッチの事じゃないのかよと二人揃って身体を弛緩させた。

 先ほどは思わず漏らしてしまった声を消すためか、ヒカルはアキラの持つ二つの丸みへと顔を埋めた。

「…」

 まるで釣りで魚が餌を啄むように、ヒカルの手がアキラの手首を数回引っ張った。

(い、いいのかな?)

 アキラは再びヒカルの制服の中で、丸みを撫でるように動かした。制服のベストに埋もれたヒカルから、鼻で呼吸している音しか聞こえてこなかった。その呼吸するペースが段々と速くなっていくのが分かった。

「ふっふっふ。残念だったな御門」

 サトミの勝ち誇った声が聞こえて来た。

「あれは確かに凄い。なにせ笑いながら一人で、ラスボスを地面から成層圏までキック一発でぶっ飛ばしていた。が、その程度だ。あの時入っている解説は、女の子が誰かを守りたいと思う気持ちはビックバンに匹敵すると言っていて、威力がビックバンと言っているわけでは無い。あの時のビックバンという言葉は、爆発力という事ではなく、宇宙をも創造した力という意味ではないかな」

「ムムム」

 アキラにとって変な話題で二人が盛り上がってくれているのはありがたかった。

 ギュウッとヒカルの指に握力がかかる。掴まれている右手の皮膚は爪で破られそうだ。アキラの背中に回された方の手も、制服を爪が貫通したかのように食い込んで来た。

 息継ぎをするようにヒカルが顔を起こした。いつもは冷徹な頬が真っ赤である。

「ふ…」

 また声が出そうになったので、二人は唇を重ねた。

「参考までに訊くが、最弱は誰になる?」

 御門が質問する声が遠くに聞こえた。

「そりゃ味方の浄化技をくらったことがある『海風に揺れる一輪の花(みずさわふみえ)』だろ。一回だけなら他の伝説の戦士たちもくらったりすることがある。しかし『海風に揺れる一輪の花』は七〇人を超える伝説の戦士たちの中で、唯一ひとりだけ二回くらっているからな。ちなみに番外戦士を入れて良いなら『ナチュラルパワー(はらにし)は野生の力(たかゆき)』だな。『事故が起こる前(たむら)にみんなを守る(なお)!』は、小学生とはいえ後に正規の戦士(マシェリ)に格上げされているしな」

「サトミよ…」

 明実が声色を変えて訊いた。

「なぜ、そんなに『女の子だって暴れたい』に詳しいのだ?」

「やだなあ御門。『警視庁の三階にある奥の部屋で紅茶を嗜んでいる刑事』さんだって『胸のキュンキュン(ドキドキ)止まらないよ(プリキユア)』が二〇一〇年に放送されていないことを知っているんだぜ。知らないより知っている方が常識だろ」

 ヒカルの足が毛布を集めるように動く。ガッチリと左腿が両足に挟まれて動かせない。と、思ったらヒカルの方からネコが匂いづけするために体を擦りつけるように動き出した。

「むむ」

 唇で塞がっているのに、口腔から音が漏れそうになる。それを察したのか、アキラの唇を割って、歯列にまるで軟体動物のような物が触れて来た。

(これがディープキスってやつかな?)

 呼吸困難になりながらアキラは脳の片隅でそんなことを考えていた。アキラの舌先を探り当てると、唇の端から唾液が零れるのも構わずに、どちらが上か分からなくなるほど絡みつけて来た。

「…」

「…」

 二人が毛布の下で絡み合っているのを察したのか、明実とサトミが押し黙ってしまった。

「…なんの話をしてるんだっけ?」

「『飛ばせ(ロケット)鉄拳(パンチ)』では無かったか?」

「おお、そうそう。本題に戻そう」

 どうやら違ったようだ。やはり変態は変態のようだ。

「こいつはジーグ、■ボニャン、ジオ▲グ、ザボー□ーにアルフォ▲スと、使えるロボは数えきれないほどだ」

「ジオ▲グは…、まあロケットで前腕部が飛んではいるが…。まてまて、アルフォ▲スは推力すら無いじゃないか」

 サトミが呆れた声を上げた。

「それに言われて見れば巨大ロボだけではなかったの。某一六号はアンドロイドだし、シーグルもそうだ。ベリアル少佐は人間なのに装備しておる。さらに言えば鬼〇郎のリモコン手首も飛ぶな」

「ぷは」

 明実の声に紛れるように二人は唇を離して息継ぎをした。やっと解放されるのか、ヒカルはアキラの手を制服の内側から引っ張り出した。

(もうちょっと触っていたかったな)

 男子高校生らしい感想が浮かんできた。

「じゃあ『世界に広がるビッグな愛(物理)』が使えてもアリということになるな。それと鬼〇郎のリモコン手首は攻撃手段というより、いつの間にかに背後を取っているとか、離れた位置にあるスイッチを入れるとか、そんな感じじゃん」

 サトミが物申している間に、再びアキラの手がツイツイと断続的に引かれた。制服の内側から解放されたというのに、まだ何か用事があるらしい。アキラはヒカルに引かれるままに右手を伸ばした。

 毛布の中で、さらに何かの布地をくぐるような感触があった後、右手がなにかスベスベな物に触れた。

「ふ…、あ…」

 我慢しきれず声を漏らすヒカルの手にそのまま上へと引かれると、アキラの指は熱い何かに至った。

(え? え? え!)

「日本だけではないぞ。ハリウッド映画でもロケット推進のパンチがある」

 知識を(ひれ)かして明実が得意そうに言った。すぐにサトミの反論が入った。

「あれ、飛ばないじゃん。日本語吹き替え版は中の人(ともかず)が強引に『ロケットパンチ』ってアテたらしいけど、肘にロケットエンジンがついてて、普通のパンチよりは威力があるってだけだろ」

「心の狭いことを…。まあなんでもよい。この必殺技を発明したのはマンガの神さまだし、日本の由緒正しき必殺技だから、ハリウッドでは遠慮したのかもしれん。そういったわけで、自分の『作品』にコレを取り入れるのは当たり前であろう」

(ぬれるっていうケド、ほ、ほんとうにしめっぽくなるんだ)

 柔らかい布地の向こうに、これまで触れた事のない柔らかい部位が存在し、その向こうにヒカルの骨格を感じる事さえできた。

「はあっ」

 抑えきれず声が出たヒカルが、アキラの左腕に噛みつきて来た。

「うっ…、うっ…」

 胸の丸みをそうして触れたように、優しく擦るとビクビクと背中を痙攣させた。その度に、噛みついている歯の間から押し殺した声が漏れていた。

「だが、ボウガンよりは浸徹しているが、銃器とは比べ物にならんぞ」

「そうなのだ」

 サトミの冷静な指摘に、ショボンとした明実の答えが重なった。

 アキラが柔らかくて熱い塊の中で人差し指だけを伸ばすと、左腕に噛みついているヒカルの歯がいっそう食い込んで来た。

 柔らかさの中に溝のような構造がある。さらに探ると溝の一端にしこりのような物もあった。自分自身の身体に当てはめてみて、とんでもないところに触れていると実感が湧いて来た。

(ん?)

 その頃になるとアキラも自分の身体に異変を感じていた。悪い物を食べて下した時に痛くなるあたり、つまりヘソの下あたりが妙に熱くなってきていた。

「そうなのだが…。なぜだ!」

 明実が叫び声を上げながらタンとタッチパネルを叩いたようだ。対照的に冷静なサトミの声がした。

「へえ。なんで二発目は命中しているんだ?」

「それが分からんから、こうして相談しておるのではないか」

 またアキラの手首がツイツイと断続的に引かれた。これ以上の出来事があるのだろうかと、ヒカルが導くままに手を任せる。するとちょっと上に移動しただけで、布地の終わりが来た。ヒカルは自分のお腹を凹ますように、アキラの手首をその頼りない布地の中へ押し込もうとした。

(まてまて、これって)

 さすがに躊躇していると、毛布の向こうで話していた二人が振り返った気配がした。

「さて、そろそろ午後の作業に戻らないと」

「サトミィ。コレの答えは?」

「う~ん。愛ってやつかな」

 サトミの声がすぐ上から降って来たような気がした。アキラは手首が解放されたので、慌てて自分の胸元に引き寄せた。

「おきたぁ?」

「ん、あ」

 まだ半寝ぼけという声を演出しながら、ゆっくりと右腕をヒカルの身体へと回してやった。

「う~ん」

「そろそろ午後の作業に取り掛かって欲しいんだけど」

「う、う~」

 ヒカルもやっと落ち着いたのか、歯を立てていたアキラの制服から口を離した。

 二人してのっそりと地面に直接敷いたキャンプマットの上から上半身を起こす。毛布が二人の身体の上から落ちた。

 それでも下半身は毛布が隠してくれる安心感で、ふたりは抱き合ったままパイプテントの中を見回した。

「そんなに毛布に潜っていたからじゃないの? 顔が真っ赤だよ」

 二人の上気した顔を見てサトミがクスクスと笑った。どうやらいい方向へ誤解してくれたようだ。

「ちわ~。手伝いに来たよ~」

 ノートパソコンを置いた長テーブルの向こうに、球形のシルエットが現れた。制服を着ているということは、午後のクラスによる自習会を参加せずにやってきた誰かのようだ。

「お、助かるよツカチン」

 サトミの意識が他に向いたところで、アキラはヒカルに回していた両腕を開いた。

 気分的によそよそしく距離を保つと、毛布で乱れた服やら髪やらを直そうと手を動かす。するとアキラに見せつけるようにヒカルが、ベストの真ん中のボタンを留めた。

 ブレザーにも色々な着方があると思うが、上着のボタンはかけないのが清隆学園高等部の女子流である。なので前を開けたブレザーの間からベストが見えても普通なのだが、なぜだかその仕草だけでアキラを魅了する物があった。

 自分の手元を確認するために俯いていたヒカルが、そのまま上目遣いにアキラへ視線をよこした。なにも言っては来ないが、視線には熱い物が含まれていた。

「さ、はじめるよ!」

 サトミは手を叩いてみんなをせかした。


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