可愛い子─水瀬 唯衣
この小説は、「秘性」シリーズの短く重い小説です。是非お読みください。
※一部、過激な表現が含まれているのでご注意ください。
昏い夜。窓を容赦無く打ちつける雨。外は黒い画用紙を貼り付けたかのような真っ黒だった。「死ね」「消えろ」「来なくていいよ」「なんて言った?」心臓に突き刺さる鋭い言葉たち。傷つけられた分だけ私の周りから大切な物や人が離れていって、私は優しいあの人だけが欲しくなった。それ以外何もいらないから、もう私を懲らしめるのはやめて。私を悪者呼ばわりするのはやめて。優しくしてくれる人を愛する事って、間違ってる?愛する人の為に可愛くなりたくて、何がいけないの?
私達を引き裂いたのは、“不倫”の二文字だった。父が不倫をして、それを母が知ったから、離婚した。よくある家庭崩壊。父は、銀行に貯めてあったお金を全部持って家を出て行った。この家の家計を支えていたのは父。だから、溜まっていた貯金の殆どが父の物だったのは事実だけれど。ねえママ、今離婚なんてしたら、私達どうなるの?母はどうなるの?私はどうするの?ねえ?本当にこのままでいいの?問いたいのに、言葉が出ない。吐き気がする。
青春?何それ?知らない。そのまま3年が過ぎて、卒業式。親友も居ないし、まだ何もできていないのに。勉強してないよ。私にもちゃんと夢があって、そのために頑張ることはいけない事なのかな。そうしたかった。どうして私だけできないの?皆ができている事が、どうしてできていないの?ひとりだけ─────。
本当は、私は教師になりたくて、勉強したり、運動したり、社交的を心がけたり、良いと思う先生を見習ったり、色々な努力をしてきた。でも、自信が無くなっていった。親が離婚した時から薄々感じてはいた。でも、今日確信に変わって。母から「奨学金の返済もあるから、あんたもバイトして稼ぎなさい。」と言われた。それだけ。奨学金返済もまだ一向に終わる気配の無い中、私の将来の夢の為にお金を費やせる程裕福じゃなかったから。親のその一言で私の人生が変わって、もう自分が何をしたいか分からなくなって、ただ「やれ」と言われたバイトだけに専念した。この辺の地域で私ができるバイトの中で、二番目に給料が高いバイトで午前中働き、午後には一番給料が高いバイトで働いた。私は生まれつき心臓が小さく、通常、心臓の大きさは器官の約50%を占めているが、私は約30%しか無くて、疲れやすく、体調が優れない日々が続いていた。でも、それはどんどん酷くなっていき、病院で検査を行うと、摂食障害、起立性調節障害と診断された。摂食障害は摂食の量に影響の出るもので、私の場合は一度食べた物を嘔吐してしまう神経性過食症。起立性調節障害は自律神経系の異常により、立ち上がった時に血圧が下がる等調節がうまくいかなくなる疾患。それらはいずれも精神障害。さらに、過去のトラウマ等により全く別の人格を持ち合わせてしまう解離性同一性障害や、躁状態と鬱状態を繰り返す双極性障害、そして秋から冬にかけて強い気分の落ち込みが現れる冬季うつ病も発覚した。その中で、摂食障害と起立性調節障害は毎週治療すれば治ると言うので金額を尋ねると、医師は「約1万円程度です」と答えた。しかもそれを毎週払って治療する。いや、絶対無理。毎週1万って……。しかも、約20〜30%の患者は治療しても悪化するか死亡している。治るかどうかも分からないのに、どうやって僅かな所持金から払うの?絶対に無理。
だから、私は今も治療を受けられないままどんどん悪化し、度重なるオーバードーズやリストカットによる出血多量で病院に運ばれ、気がつけば精神病院に閉じ込められていた。そこの看護師が「ここ、刑務所みたいでしょう?ここは、自分の罪と向き合う所なの。ゆっくり、じっくり、自分の罪を理解して、向き合って、未来に繋げる。それが、ここ精神病院でする事なの」と私に優しく教えてくれた。それを聞いた私の頭の中には、「私、何か悪い事した?」というフレーズが巡っていた。お金が無くて障害の治療を母に拒否され、悪化していく症状に苦しみ続け、躁鬱病になり、それが原因で友達も恋人も先輩も皆離れていって、人間不信になって、もう全部嫌になって、せめてこの吐き気さえ無くなればと思い、大量の薬を飲んで、嫌な事があればこの左腕に逃げて只管傷跡を付けていく。これが私の最大限の、体調不良とストレスの緩和なのだ。それのどこがいけないというのか。私誰にも迷惑掛けてないよね?犯罪行為してないよね?どうして?分からないよ。教えてよ。私の罪を。
結局分からないまま私は退院し、また私は永遠の吐き気と頭痛と裏切りを被りながら生きていく。だったら精神病院に居た方が全然良かったと今更思う。担当のお医者さんは、私を見るなり「お久しぶりですね」と微笑む。そんな言葉、聞きたくなかった。
家に帰って、丁度午前中のバイトが終わったところだったので、午後のバイトへと足を運ぶ。このバイト先は最悪で、先輩は後輩のことを誂ってくるし、私が体調不良で早退したいと伝えても言い訳だと聞き流すし、他の先輩や店長、さらには客までセクハラをしてきて、耳元で「可愛いね」「僕が君の父親になるよ」と言ったり、私に「両親が離婚して父親いません」って皆が居る場所で言わせたりしてくるし、このバイト先はどうしてセクハラクソ野郎しか居ないのだろうと疑問に思ってしまう。でも、一人だけ好きな先輩、梶原先輩がいて、優しくて格好良くて面白いけど、梶原先輩は私の大嫌いな梨瑚ちゃんと付き合っていて、本当にこのバイト先はどうなっているのだろうとも疑問に思ってしまう。
私は中学生時代、イジメを受けていて、時折それらの記憶がフラッシュバックして、休憩室で泣いてしまうこともある。そういうのがきっと先輩達にとって迷惑なんだと思うから、見つからないようにこっそり泣いているのに、いつも見つかってしまう。大丈夫だから。本当に大丈夫だから。放っておいて。お願いします。そう言いたいのだけれど、私のことを気に掛けてくれる優しさも心地良くて、言えない。そう、声を掛けてくれるのはいつも、私の好きな梶原先輩だから。私が体調不良で早退しても辞めたとしても、所詮居ても居なくても良いアルバイターなので、社員にとってはどうでも良い筈。だからセクハラされて声を上げても何の対処もしてくれないだろうから何も言わない。私はそういう存在なのに、社員の梶原先輩は優しくしてくれる。でもそれは私にだけではないから、辛い。だったら優しくしないでよ。ああ、私面倒くさいね。ごめんね。こんな私で本当にごめん。許して、皆。
午前中のバイト先は、先輩も店長もお客さんも皆優しくてちゃんとしていて、それに近くに薬局があるから、辛くなった時に薬を買うことができる。午後のバイトより給料は少ないけれど、そんな事どうでも良くなってしまうくらい午前中のバイト先が大好きだった。苦手な常連客や同僚も居るけれど、それは単に気が合わないだけ。優しいし、普通に関われる。クリスマスも年末年始も休まずに朝5時から出勤で、朝に弱い私にとっては辛いけれど、休みたいとは思わない。だって、大好きなバイト先に行けるのだから。それだけが私の生きている意味。働いていないと頭がおかしくなりそうだった。
そんな私だが、実は8月12日に自殺しようと思っている。今日は丁度1ヶ月前。本当はずっと前から、25歳で死ぬと決めていた。それなのに予定日が早まったのは、私の病気が主な原因だった。私は様々な精神障害を患っているが、中でも躁鬱病、解離性同一性障害、冬季うつ病で酷く苦しめられてきた。特に冬季うつ病は、小学6年生の頃に発症して、冬になると突然死にたくなり、リストカットやオーバードーズ、飲酒、煙草に逃げ、本当に自殺しようかと考えた事もあった。何度か倒れて入院し、父親のせいでお金が無いというのに更に貧乏になっていった。自分が情けなくて、大嫌いで、仕方が無かった。それをきっかけに不登校になり、中学2年生の夏に転校した。その転校先はとても良い中学校で、冬季うつを発症する前のように難なく学校へ通えた─────筈だった。冬になると、また、死にたくなったのだ。その瞬間が、今まででいちばん辛い経験だったと思う。折角戻れたと思ったのに。先生も友達も皆優しくて、毎日楽しくて、成績も悪くなかったし、遊び相手も沢山いて、本当に幸せだったのに。それなのに、どうして?どうして冬になるとそうなってしまうの?私は冬が本当に好きだった。クリスマスも誕生日も年末年始も雪もファッションも全部全部、大好きだった。でも、その出来事があってから、冬が嫌いになった。冬なんて大嫌い。来なければいい。いつか冬を好きになれる日が来るのかな。また冬を好きになりたい。
そうした様々な欲望から、16歳になった今、私は整形を決意した。父親に似たこの顔を今すぐにでも変えたくて。親には一銭たりとも頼らずに、全て自分で稼いだお金だけで整形する。そうすれば今よりも少しはこんな自分を愛せるようになる筈だから。そして手術をして、目の幅と鼻先を整形した。金額は60万円。予定通り自力で払った。可愛くなれて幸せ。今まででいちばん幸せかもしれない。そのくらい今私はこの上ない幸せ者だ。周りからブスだのデブだの言われたって、可愛い私には関係ない。私は世界一可愛いし、体重は38kg。ブスでもデブでもない。所詮私よりもブスでバカな連中だから嫉妬でもしているのでしょう。相手にしている暇もない。私はこれからももっと可愛くなっていく。それが私の、生きる価値なのだから。
「もうバイト来なくていいよ」
その一言で全てが変わった。午後のバイト。もう前向きに「私は可愛いから大丈夫」なんて言って浮いていられなくなった。私は仕事ができない。私は他人の思い通りにできない。私の心は可愛くなれない。私は素直でない。そうでないと私には価値が無い。でも働いてお金を稼がないと私の価値が無いから、明日もまた来る。こんなにも頑張っているのに。店長なんて働かずにただ突っ立って命令しているだけ。嫌がらせのくだらない冗談で1人で笑っているだけ。人目の付かない所でセクハラしてくるだけ。そんな奴にどうして従わなければならないの?おかしいでしょう。無性に腹が立つ。でも妙にその冷たい言葉が心臓に突き刺さる。くだらないと思っている筈なのに、ただのセクハラクソ野郎としか思っていない筈なのに、私はそいつの迂闊な一言で一日中苦しめられることになる。それも嫌だ。そんな野郎の為に精神をすり減らしたくない。でも、虚言癖で負け組の私にはそんな事できない。夜は気が強いのに、昼間は臆病になってしまう。そう、私がいちばん嫌いなのは店長ではない。こんな時に声も上げられない、弱い自分がいちばん嫌いなのだ。
その後休憩室で、やっぱりまた、泣いた。もう我慢するのは限界だった。そしてまた、梶原先輩が助けてくれる。このクソみたいなバイト先で、救いは梶原先輩だけ。できることなら好かれたい。愛されたい。付き合いたい。でも梶原先輩は、皆が一目置くような聖なる存在だから、私のような小さな存在に振り向いてくれる事など西から日が出ることのよう。それでも私は、死ぬまでに梶原先輩に振り向いてもらいたかった。それには時間が必要だ。だから、やっぱり8月12日は死にたくない。梶原先輩に振り向いてもらえた時、冬に、本当に死にたくなった時に死にたい。今まででいちばんおしゃれして、可愛くなって、美しく死ぬ。私の可愛さを梶原先輩に見せ付けたい。今年中に死ぬ予定だから、はやく可愛くならないと。はやく、はやく、はやく、はやく、はやく……。
そして私は、また整形をした。整形箇所は、二重幅とVライン。費用は同じく約60万円。もっと可愛くなれて幸せ。摂食障害のおかげもあって痩せているし、髪型も最高に似合っている。整形する前までは、鏡で自分の顔を見ると吐き気がするほど自分の顔が嫌いだった。最低で大嫌いな父親に似た顔。あの人の元にさえ生まれてこなければ、少なくとも今よりは幸せだったのだから。1回目の整形で可愛くなって、私の人生は生き生きとしてきた。そして今回の整形で、私は世界でいちばん可愛くて幸せになった。もう、死ななくてもいいかもしれないとさえ思えた。この上無い幸せを手に入れたから。
でも、そんなわけにはいかなかった。冬になるとまた、ダメだ。どうして?あんなに何もかも上手くいっていたのに。どうしていつもこうなるの?私は何もしていないのにね。冬になると私は、可愛くなくなる。何をする気力も無くなるし、顔色が悪くなる。でも、全ては梶原先輩に愛される為。このまま頑張っていれば必ずその日が来る。苦しくても、辛くても、何としてでも、はやく可愛くなって愛されなくちゃ。
顔色の悪さを隠して、死んだ目を隠して、痩せ過ぎを隠して、病んだ精神を隠して……。
「─────梶原先輩、」
「唯衣ちゃん?どうしたの?」
「今日、空いてますか?」
「うん!4時からは暇だよー。」
家もきれいに片付けておいた。もうこれで安心。
「唯衣ちゃん、家きれいなんだね。」
「唯衣ちゃん、料理上手なんだね。」
「唯衣ちゃん、ポケモン好きなんだね。」
「唯衣ちゃん、ヴィヴィアン似合ってるね。」
梶原先輩は、私の事を沢山褒めてくれた。認めてくれた。でもこれは、愛ではないのだろう。楽しくて、嬉しくて、哀しかった。
夜。久しぶりの満月が、朱色に輝いていた。遠くで花火が咲き乱れる。黒い雲はやがて晴れる。邪魔者が無い、2人だけの世界。涼しいベランダで、告白をした。幸せ。幸せなの。これでいいの。梶原先輩はこれからずっと、私に囚われてくれる。私のことを覚えていてくれる。そう信じて。さようなら。ごめんなさい。愛してる。
「愛してるよ。ずっと。」
そして私は、飛び降りた。涼しい夜風が吹き抜けていく。幸せ。なんて幸せなの。私は、この世でいちばん可愛い。私を虜にしてくれたおかげで、私今最高だわ。
この小説をお読み頂き、ありがとうございます。「秘性」シリーズでは、このような重い内容の短い小説を書いています。「秘性」シリーズの小説は、Ⅳまで投稿する予定です。ただし、主人公はそれぞれ異なるので、どれからお読み頂いても大丈夫です。そして、どれもこの小説に出てくる、「午後のバイト先」で働くアルバイターや社員を主人公にしています。作者である私はまだ中学生で、皆様に満足して頂けるような小説は書けないかもしれませんが、よろしければ次からの「秘性」シリーズもお楽しみください。頑張ります!




