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天孫来航  作者: 扶桑かつみ
第一部「文明開化?」
3/22

02「天孫拝謁」

 白船来航後、日本には急激な変化が訪れる。

 

 まずは白船でやって来た瑞穂国という未知の国家の国書が将軍に渡され、瑞穂国の使者と彼らを乗せた船は1年後に現れると言って立ち去った。

 幕府の意向もあって天皇への拝謁は断念されたが、後日孝明天皇は異常なほど激怒し、次に瑞穂国の使者が来るときまでに拝謁の準備を整えておくよう強く言い渡した。

 しかもこの場合の拝謁とは、孝明天皇にとっては自らが拝謁する事だった。

 

 一方で瑞穂国の使者は、立ち去り際に出来る限り諸外国には瑞穂国の事は伝えないで欲しいと念を押した。

 知られれば、いらぬ干渉を受けるかもしれないからだ。

 

 なお国書と一緒に多数の献上品が幕府に納められた。

 その中の一部は見事な工芸品や絹織物で、どこか日本的雰囲気を持っていた。

 その上あまりにも完璧すぎる技術で、日本最高の職人達が舌を巻いてしまうほどだった。

 

 そしてきらびやかな献上品よりはるかに多く贈呈されたのが、図書館が一つできるぐらいの膨大な量の書籍だった。

 一部は瑞穂国について書かれた挿し絵付きのやけに色彩豊富な書物だったが、ほとんとが最先端の学術書や技術書、専門書だった。

 しかも完全に日本語で翻訳された書物ばかりだった。

 というより、瑞穂国で使われている書物と同じものだと考えるのが自然だった。

 

 学術書や技術書は、政治、軍事、法律、国際法、商業、経済、基礎数学、高等数学、物理学、天文学、化学、医学、薬学、農業、漁業、林業、土木、工学、基礎科学、それら先端技術や先端科学を含めた広範な技術書と学術書、理論書であった。

 しかも技術実現に必要な方法を記したものや、機械や道具の図面も一通り揃えられていた。

 さらには道具の使い方を記した書物や帆船や蒸気の扱い方を記した書籍もあった。

 加えて、記載された専門用語を理解するための用語集や、前段階の様々な知識を学ぶための指南書までが添えられていた。

 他にも英語、フランス語、スペイン語、ロシア語といった諸外国の言葉の文法書や辞書、会話指南書もあった。

 まさに至れり尽くせりだった。

 世界各地の国家や地域の様々な概要を記した書籍まであった。

 

 なお、書籍の紙の精度は高くて丈夫で、紙とは思えないほど高品質で長持ちするものだった。

 この紙一つをとっても、瑞穂国がどれほど高い技術を持っているかが伺い知れた。

 しかも当時の先端科学や学術を惜しげもなく他国に与えてしまうのだから、新たな知識を知れば知るほど敬いよりも逆に恐れの方が大きくなった。

 ヘタに大砲や軍艦を見せられるよりも恐ろしいほどだった。

 何しろ彼らは、見せたもの以上のものを持っていると言っているに等しいからだ。

 しかも、書籍を与えた意図が今ひとつ分からないのだから尚更だった。

 

 しかし書物そのものは、今の日本人にとってこれ以上ないほどの宝箱であることは間違いなかった。

 実際の価格も、計り知れない事も間違いなかった。

 

 そして、彼らが再び来るといった一年後までに、出来る限りの知識を吸収しなければならなかった。

 

 早速賢者や専門家、知恵者が幕府から多数呼ばれ、知識の習得と実現が行われることになる。

 これには武士も町人も問わず、全ての身分から人々が集められた。

 また役人達は、来るべき諸外国の船に備えるため、法律や国際法、思想、哲学、そして言語などを詰め込むことになった。

 そして書籍は数冊ずつ贈られていたが、うち一部ずつを用いて複写する事になり、こちらの作業も行われた。

 

 一方では、製鉄のための反射炉、工作のための鉄工所、造船所の建設や武器の製造がすぐにも始まり、船大工達は複写された図面を元にして西洋型船舶の建造を開始した。

 台場(海上砲台)の建設もすぐにも始まった。

 


 なおペリー準提督率いるアメリカ艦隊は、その年ついに現れなかった。

 琉球へ派遣した艦隊が難破して艦隊の半数(2隻)を失ってしまい、日本に開国を求めるどころでは無くなっていたからだ。

 

 日本人が事実として知りえたのは、沖縄を出航したアメリカ艦隊はその後数を半減してすぐにも沖縄に戻り、そのまま上海に帰ったということだった。

 ただし瑞穂という新たな国を知った人々は、実は彼らの仕業なのではないかと考えた。

 これだけの知識と技術を持つのだから、蒸気船の一隻や二隻沈める事ぐらい造作もないと考えられたのだ。

 しかもアメリカ艦隊が赴いた先には、瑞穂国がある筈だった。

 

 一方では、8月にプチャーチン提督率いるロシア艦隊が長崎に来航した。

 しかし長崎奉行が幕府全権が来るまで交渉は行えないとした事と、当時ロシアがクリミア戦争を行っている事からそのまま上海に退去した。

 このため日本内では、複数のロシア船が一度に来たという以上の事は知られなかった。

 

 そして日本人が棚ぼたのような形で得た最新技術と知識の吸収と実現に努力しているうちに、1853年は暮れていった。

 


 明けて1854年1月、またもロシアのプチャーチン艦隊が来航した。

 今度は幕府も準備していたため、ロシア側との交渉となった。

 ここで日本側は、やや不完全ながらロシア語を解せる通訳を自ら用意して、ロシア側を驚かせた。

 

 そして幕府の役人と交渉が重ねられたが、文明国として強硬姿勢を取らない方針だったロシアは、自ら課した制約もあって一定の成果という程度のもので満足して引き上げざるを得なかった。

 しかし日本は、ロシアが日本側の約束事を遵守してまずは長崎で開国を求めた事と、ロシア側の紳士的な態度には好感触を持った。

 紳士的でない事の方が、当時としては一般的だったからだ。

 

 同月末、続いてペリー準提督率いるアメリカ艦隊が、軍艦など5隻で浦賀沖に出現した。

 前年の思わぬ事故により艦船を失ったための急ぎ来航だった。

 

 しかし日本に来たペリーは、事前情報と違うことに戸惑った。

 自分たちを出迎えたのは、小型ながらクリッパー型の最新型の帆船だった。

 当然とばかりに日の丸を掲げていた。

 そして日本船の先導で浦賀沖に停泊すると、すぐにも数隻の船がやってきた。

 どれも大型ではなかったが大砲が据えられ、うち1隻は外輪もないのに蒸気を吹き上げて走る世界的に見ても最新鋭の戦闘艦艇だった。

 

 そして久里浜に上陸してみたが、オランダ語を話せる通訳はほとんど必要なかった。

 日本側が用意した通訳が、発音がおかしいながら英語を話せたからだ。

 しかし交渉した日本の役人は、どこかおどおどしていて対応がなっていなかった。

 交渉に慣れていないのは一目瞭然であり、ペリー側は日本人には強く当たるべきだという方針に従って強硬な姿勢を示した。

 これは当時幕府の外交責任者が長崎でロシアとの交渉を終えたばかりで、江戸近辺に戻っていなかったからでもあった。

 

 ただアメリカ艦隊の周りには、日本の帆船や蒸気船が自分たちよりも多い数が押し寄せているため、日本人を威嚇するデモンストレーションのような行動は取りにくかった。

 日本側の戦力は未知数だが、蒸気軍艦を保有していることは意外以上の出来事だった。

 万が一戦闘に発展すれば、取り返しのつかないことになる恐れが高かった。

 それにアメリカとしては日本の開国が目的であり、戦争が目的ではなかった。

 そんな野蛮な事は旧大陸のイギリスやフランスの行うことであり、新大陸の新たな文明国のする事ではなかった。

 

 そうした自負もありペリーは自重し、国書を渡すことで満足しなければならなかった。

 そして日本人が先端技術をどういう経緯か有しており、押しに弱いことが改めて分かったのは収穫だった。

 

 ただし既にアメリカでは大統領が替わって保守外交が主流となったため、アメリカはしばらく積極性を失い、アメリカの次の訪日は一年を越えることになる。

 

 そしてきっかり一年後、瑞穂国の白船が再び来日した。

 


 瑞穂国の目的は、国書の返事をもらうことだった。

 

 先年渡された国書の内容は、不朽の和親、相互開港、相互最恵国待遇、領事の設置などであった。

 また国交樹立の暁には、瑞穂側はさらなる技術援助を約束する見返りとして、日本は瑞穂側の発注する品々を貿易することが希望として添えられていた。

 瑞穂は小さな島国であり、様々な物産の入手が困難だからだとされていた。

 

 一方日本側というより江戸幕府は、まだ煮え切っていなかった。

 幕府の方針としては、瑞穂国からもたらされた技術や知識で一定上の軍事力を保持するまで、開国や外国との本格的交渉を行わないのが得策と捉えていた。

 

 朝廷は、孝明天皇以下朝廷を挙げて、瑞穂国との関係強化とそれ以外の外国の排斥を訴えていた。

 また瑞穂国来航の際は、京の御所への来訪を強く願えとも幕府側に言っていた。

 既に朝廷の中では、瑞穂国こそが日本の危機を救う唯一の手だてのように思われていた。

 いや、考えられていた。

 

 このことは、ペリー来航での幕府の不甲斐ない対応に現れていた。

 せっかく様々な知識や技術を与えてもらったというのに、あまり有効に使うことがなかったのだから当然だった。

 

 そして日本の基本方針は、開国したくないので軍事力が揃うまでのらりくらりと外国との交渉を長引かせるというものだった。

 ただ朝廷が強く求めた瑞穂国との関係だけが別格とされた。

 同じ日本人を祖としているのなら、夷(外国)に当たらないというわけだ。

 

 かくして朝廷の動きに流されたような形で、日本と瑞穂の間に和親条約が締結された。

 

 そして瑞穂国の使者の上洛と天皇への拝謁も合わせて実行される事になった。

 この時瑞穂の使者は、当然とばかりに天皇への拝謁を受け入れ、それどころか将軍にも謁見したいと申し出た。

 ただ当時幕府の方は将軍が代わったばかりで落ち着いていないとして将軍への謁見は断り、天皇への拝謁だけが許される事になった。

 

 そして船で数日後に、幕府船の先導に従った白船は大坂の安治川河口(大坂港)に到着。

 そこで最低限の護衛を付けた瑞穂の使者が京の御所へと出向いた。

 

 道中は、幕府によりものものしい警備が行われたが、それがかえって人々の関心を高めさせた。

 安治川河口に停泊する白船だけは隠すこともできないからだ。

 しかも瑞穂の使者は、どことなく和風な純白に金の装飾が施された豪奢な馬車と去勢された白馬まで持参していた。

 まるでおとぎ話から出てきたような人々と出で立ちに、上方の町民は興味津々の視線を注ぎ込んで道中の沿道を埋め尽くした。

 

 幸い人だかり以上の問題もなく道中は消化され、無事京の御所へとたどり着くことができた。

 

 ただ天皇への拝謁の前に少し問題が発生する。

 

 瑞穂側の使者ばかりか、謁見する者の中にまで女性が1名含まれていたのだ。

 

 瑞穂国の説明では、瑞穂では民の数が少ないので女性にも大いに働いてもらうのが国是となっており、瑞穂で女性が官職にあるのは普通の事だと言われた。

 だが日本では、女性がまつりごとに関わるなど言語道断だった。

 天皇への拝謁など論外だった。

 

 しかし孝明天皇の使者は、まったく問題ないと返答して対面をむしろ望んでる事を伝えた。

 孝明天皇にすれば、女性が使者だということは天照大神が顕現なさったに違いないという事だったからだ。

 

 そして実際瑞穂人の使者と対面した孝明天皇は、自らの考え(思い込み)が全く正しかったことを即座に確信した。

 孝明天皇は、あまりに見目麗しくも威厳に満ちた瑞穂人の姿に感嘆の声を挙げ御簾を自らのけて見入り、涙まで流して感動した。

 

 そして自ら頭を深々と下げてしまう。

 

 もったいなくも、よくぞ日の本をお救いにご降臨下さいました、と。

 

 その行いは、朝廷の中どころか日本の権威政治上ではあってはならないことだった。

 瑞穂側の使者もあまりの事態に黒くもない目を白黒させて、対応に困ったほどだった。

 当然だが、居合わせた側近や侍従によりすぐに拝謁は一時切り上げられた。

 

 その翌日に改めて拝謁が行われ、そこでは何とか儀礼的なやり取りが行われ、瑞穂側からは孝明天皇への献上品が贈られた。

 品は刀剣や貴金属の類で、珍しいものといえば贅を尽くした黄金の機械式時計ぐらいだった。

 だが孝明天皇は感動しつくしてしまい、新たな三種の神器であるとして丁度献上品の中に含まれていた刀、鏡、最も大きな宝石をそれぞれの神宮に奉納するように言い伝えた。

 

 当然孝明天皇の瑞穂人熱はさらに上昇し、瑞穂人の献策は全て聞き入れる旨の勅書を即座に出してしまう。

 あまりの勢いと熱意に、朝廷の誰も反論を言うことができなかった。

 それに朝廷の者の多くも、孝明天皇と似たように考えていたので、むしろ積極的に孝明天皇と行動を共にした。

 一部の現実的な公家にとっても、自分たちに権力を少しでも取り戻すために、瑞穂人は非常に利用価値のある存在だった。

 

 もっとも、今回初めて瑞穂人と同行する事になった幕府や朝廷の役人にすれば、瑞穂人もただの人だった。

 確かに見た目はこの世のものと思えぬほど美しいが、飯を食べれば厠にも行った。

 多少話もしたが、日本の景色や人々の暮らしを普通に珍しがっていた。

 知性は高いし尊敬に値する賢人達ではあったが、取りあえず神様仏様の類でないことは十分に理解できた。

 まあ、少しばかり鼻の下を伸ばしてしまうのは人の性なのでご愛敬と、役人は自分自身を慰めたほどだった。

 

 ただ病的なまでの孝明天皇の態度は、日本の進路をさらにねじ曲げてしまう。

 その勅書を見れば、瑞穂人の言葉は天皇の言葉と言わんばかりだった。

 そして当時の尊皇派、勤王派にとっては、天皇の言葉こそが全てだった。

 

 また今回の天皇拝謁では、瑞穂人自らが日本の一般の前にも広く姿を現したため、俄に瑞穂人ブームが日本中に撒き起こった。

 一部の人の間では、天皇と朝廷が自らの復権を賭けた芝居なのではと言い合ったりもした。

 

 それは、再びロシア人がやって来る、ほんの少し前の出来事だった。

 

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