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天孫来航  作者: 扶桑かつみ
第二部「汎日本主義」

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21/22

10「革新期3」−2

「中期防衛力整備計画」(1982年〜)


 国防及び友好諸国の防衛という観点もあって、技術革新の波も否応なく軍事面に押し寄せていた。

 

 また革新の中での社会変化で、軍人は肉体と知力、精神力が問われるやりがいのある人気職種となっていた。

 この傾向は、警察や消防などにも見られる傾向だった。

 負傷や死亡に対しても、様々な肉体強化措置や高度な装備によって、革新が押し寄せていた。

 極端な話し、死亡しても短時間内なら脳さえ無事に残っていれば何とかなるというレベルに到達しつつあったので、危険職種に対するハードルを大きく押し下げていた。

 

 なお、新たに登場し始めた兵器群は、ヨーロッパ連合にとってもはやサイエンス・フィクションの世界から飛び出してきた兵器ばかりだった。

 

 ヨーロッパ連合が起こした全面核戦争のせいで、宇宙空間の軍事利用禁止という条約は有名無実化しており、今や衛星軌道、月軌道、第五安定軌道 (ラグランジュ5)には日本軍の戦闘用軍事衛星が日常的に展開するようになっていた。

 主にレーザー砲を搭載した迎撃衛星と宇宙機雷と呼ばれる超高速の破片をまき散らす攻撃衛星だった。

 戦略攻撃用の対地マイクロウェーブ照射衛星までもが存在した。

 人間単体への攻撃という精密攻撃はこの頃はまだ無理だったが、大型爆撃機程度の精度と規模の攻撃が、衛星軌道から可能となった。

 かつての「爆撃」は、今日では衛星軌道からのものを指すようになっていた。

 大気圏内で行われる攻撃は、全て単に「攻撃」と言われるようになった。

 

 そうした変化もあって、軍用軌道基地「たけみかづち」「ひのかぐつち」を根城とする軌道往還機型の軌道兵器の配備も始まった。

 高加速弾道兵器も、地上配備のロケットではなく軍事用衛星に設置されるようになった。

 その方が遙かに効率がよいだからだ。

 しかもこちらは、装甲車程度に対するピンポイント攻撃も可能となった。

 

 空軍 (エア・フォース)はもはや軌道軍 (オービタル・フォース)となっていた。

 さらには、軌道間や惑星間を警備もしくは防衛するための艦艇すら登場し始め、「空間軌道兵器」を搭載する「宇宙空母」や「宇宙戦艦」の建造計画すらが持ち上がっていた。

 宇宙塵を避けるための流線形態と後部から噴射されるプラズマジェットは、新時代の船の象徴と言われた。

 

 そして量子を軍事利用した演算装置や、次世代の捜索・探査兵器が登場すると、軌道上からの監視と攻撃により、全ての遠距離攻撃手段が担えるようになっていた。

 地下や海底深くか入念に熱光学擬装を施さない限り、逃れることは不可能だった。

 

 一方地上(地球上)の軍備は大幅に削減されたが、宇宙からいくらでも偵察と攻撃が行えるのが理由だった。

 それに地上配備の防空用レーザー砲、高加速レールキャノンの前には、対視覚、対電子、対熱対策が施されていない大気圏内しか飛行できないような兵器には、ほとんど価値が無くなっていた。

 むしろ地上を這うように進むローター機やV-STOLの方が、空中機動兵器とし有効と判断されて新たに開発と配備が進んだ。

 軍用航空機と言えば、戦闘用軌道機 (バトル・オービタル・プレーン)と輸送機、一部偵察機を指すようになっていた。

 

 陸戦兵器も、「倍力服」や「装甲服」、「強化服」と言われる全身を装甲で覆った上で怪力を発揮できる兵士、一般的に「装甲兵」と呼ばれるものが主体とされた。

 装甲兵の機動用装甲車はともかく、従来型の戦車が新規計画されることはなくなった。

 歩兵の価値は依然として存在したが、戦場での能力は重装甲車並となっていた。

 

 当面の価値があまり変わらなかったのは、新装備を受領した各種重砲兵ぐらいだった。

 正面戦闘では、装甲兵の持つ携帯火器で全ての地上兵器を撃破できたからだ。

 新時代の「戦車」と言えば、低空を這うように進みレールカノンやレーザー砲、効率的な気化爆弾を搭載した新型の装甲ヘリや装甲V-STOLの事だった。

 当然だが、衛星軌道上から丸見えな兵器には何の価値もなかった。

 一方では、低軌道から地上に軌道降下する強襲装甲兵部隊が設立され、歩兵の最精鋭部隊に位置づけられた。

 これらとは別に発展したのは、屋内戦闘を主眼にしたいわゆる特殊戦部隊で、小型軽量の装甲服や肉体そのものの機械化によって強化された兵士達によって編成された。

 


 そうした中で、一部の開発者、技術者達が夢見た巨大人型兵器は、この時点では出現しなかった。

 

 様々な理由を付けて実際試作してみたりもしたのだが、費用対効果が低い汎用作業機械としてならともかく、地上兵器としてはまるで役立たずの「かかし」に過ぎなかった。

 とにかく前方投射面積が広いことは致命的だった。

 空を飛べるような機体も試作されたが、空力特性から見てどうしようもない存在だった。

 

 熱光学迷彩を施せば使い道も作り出せたが、あえて作り出すほどの費用対効果が得られるものでもなかった。

 装甲兵程度の大きさの無人兵器は数多く導入されたが、装甲兵が装備する火力を防げる防御力を越えない限り、大き過ぎる兵器は地上で無用の長物だった。

 一部の開発者は、驚くべき事に「格闘戦能力」を得難い特徴と言ったが、大型兵器同士が格闘戦を行うゼロ距離になるまで戦闘をする状況自体が確率論上で極めて稀である以上、こちらも費用対効果の点で認められなかった。

 

 ならばと、宇宙空間や月面でも試験運用してみたが、一部での汎用性の高さは有効と判定されるも、現行の軌道兵器の方が遙かに使い勝手が良かった。

 人型を構成するための稼働部が多いというだけで保守整備に多大な負担がかかり、汎用に耐える機械として失格だった。

 逆に人間と似た大きさの汎用ロボット、アンドロイドは軍用でも有効と判断され、積極的に兵器体系に組み込まれ、後に威力の大きさのため問題視されるようになった。

 

 結局試作された大型ロボットのうち数機は、次世代兵器の各種実験に使われ、一部が技術博物館行きとなった。

 しかし巨大ロボットに異常な熱意を燃やす人々は諦めず、軌道機からトランスフォームする兵器を提案するなど、その後も妄想を現実とするべく奮闘する事になる。

 


 海では、水上艦は中小の各種警備用の艦艇が主体となり、各種潜水艦が完全に主力となった。

 大型艦水上艦で残されたのは、災害救助など幅広い任務に対応できる各種揚陸艦艇や補給艦だけとすら言え、これすら最低でも熱光学迷彩の能力が付与されていた。

 革新前に建造された原子力空母も、炉心交換や耐用限界を迎える前に姿を消し、水上艦としての核融合空母は登場すらしなかった。

 

 代わりに日本海軍は、超伝導推進の核融合潜水艦の多数整備を打ち出し、中には「潜水空母」や「潜水強襲揚陸艦」すら存在した。

 海に隠れる「忍者海軍」や「潜水軍」としてしか、戦闘部隊としての海軍に意味がなくなりつつあった。

 計画の中には、満載排水量10万トンもの巨大潜水艦すら計画に含まれていた。

 ただし、これすら数が限られるようになった。

 

 空軍に至っては、先にも挙げたように大気圏内しか飛べない戦闘用飛行機がほとんど意味を失い、防空軍と低軌道軍と化しつつあった。

 

 それが時代の革新が生んだ、軍備の変化だった。

 


「カミング・アウト」(1988年1月)


 日本政府は、重大な発表があると全世界に向けて放送した。

 そして放送のちょうど丸一日後に日本国首相が行った発表は、かねてから内心ある程度予測されていたものだったが十分驚愕に値した。

 

 放送とは『真実』発表だったからだ。

 

 無論日本政府が1853年に最初に発生して以後の『真実』を暴露したのではなく、自らに都合の良い話を作り上げて発表を行った。

 


 なお、発表に踏み切った背景には、敵対勢力との軍事力格差が決定的に開いた事と、自らの勢力圏とした側が全体として圧倒的優位な地位に到達したからでもあった。

 また、技術の恩恵を受けている日本人や友好国の国民ですら疑問に思っている事も多いので、いい加減ある程度辻褄の合う話をするべきだと考えての事だった。

 

 もっとも、この時代になると、日本人の誰も『真実』や『事実』を知らなくなっていた。

 首相を始め日本の中枢を担う人々ですら、ほとんど何も知らなかった。

 

 つまり『真実』の記録は、皇室などの壁を最初に設けて遮断したままの状態が維持され続け、そのうち半ば忘れさられていたのだった。

 そしてお役所仕事の中で、単なる書類などとして破棄された資料や記録も既に多かった。

 そして残された断片的情報だけでは、『真実』の全てを説明することが既に不可能となっていた。

 

 当然と言うべきか、『彼ら』は表だった行動を行わずに不干渉を決め込んでいたし、この頃の日本人達は『彼ら』の存在すら全く忘れてしまっていた。

 

 そしてその『彼ら』は、自分たちの力を人類が自力で使いこなせるようになるには自らの手で月に恒久的に至る能力を得ることが必要だと考え、かなり古い段階で日本人達にこの事を伝え、そして月に自らのライブラリーのメモリーを埋めておいた。

 そして『彼ら』は、その時から直接的な干渉はほとんど行わなくなっていた。

 

 加えて言えば、『彼ら』の言葉を聞き、その事を後世に伝えた人々は遙か昔にこの世を去っていた。

 

 だが月面を目指せという言葉は一部オーバーテクノロジーの断片と共に残され、日本人達はとにかく月面を目指した。

 そして日本人の月面到達以後の爆発的発達は、自力で月に至った日本人がそのライブラリーを見つけた事で起きものだった。

 そして地球上にあった断片的技術情報と、月面で見つかった情報そのものがこの時点の日本人達が知りうる唯一確かな『真実』となっていた。

 


 ただし、ごく一部の者は残された記憶と記録のおかげで、おぼろげながら『真実』を知っていたし、ほとんどの日本人も自分たちが「少し変」なことぐらいは最初から気付いていた。

 意図的に気にしないようにしていただけだ。

 そうだからこそ、自分たちすらおかしいと思っていることに対して、何らかのけじめを付けたかったのだ。

 

 日本政府の発表内容を単純まとめると、大きく以下のようになる。

 


 ・1959年に建設された月面の「かぐや」基地郊外の地下数十メートルの地点で、1961年10月初旬に人類文明と連続性のない知的生命体の文明の産物を発見したという事。

 

 ・連続性のない知的生命体は、恐らくは地球外知的生命体である事。

 

 ・生存者との接触はなかったが、発見された施設や文物の大きさから、地球人類とほぼ同じ大きさと形態を持った炭素系の生命体である事。

 

 ・月面に高度な文明の知識を記録した『遺産』が存在することを、百年以上前に日本人が知っていた事。

 

 ・19世紀、恐らくは19世紀中頃に日本人の一部が異星人の文明と最初の接触を行い、月面に『遺産』が存在することを知ったと考えられる事。

 

 ・最初の接触をした人々が、その時点で得た分かる限りの知識や技術を伝えるために、何も知らない人々に一芝居打った事。

 

 ・月面の『遺産』を発掘・解析するためには、かなりの規模と人数を送り込まねばならなかった事。

 

 ・初期の段階で真実を言ってもかえって混乱を招くため、日本が自力で混乱を沈めることができるだけの力を持つまで発表が控えられた事。

 


 なお、合わせて、幕末から明治初期に見られた『瑞穂』という存在は、天皇家が中心となって仕組んだ茶番だったと説明された。

 ただし、当時の賢人達のうち誰が異星人の『遺産』と接触したのかは、当人達の記録が残されていないため不明な点が多いとされた。

 

 無論、本当の『真実』は別のところにあったのだが、自分たちですら『真実』を知りようがないのだから、どうしようもなかった。

 月面云々の話しも、気が付いたら伝えられるようになっていたのであって、実際がどうだったのかはほとんど誰も何も分からなかった。

 

 そして分からないことを無理矢理にでも説明しようと言うところにそもそも無理や矛盾があるのだが、とりあえず地球外知的生命体との接点を持つのが何故か日本であるという点は、日本人にとってはこれ以上ないアドバンテージであり、とりあえず利用できるだけ利用されることになっていた。

 


 そして当然と言うべきか、全ては荒唐無稽な話だと考えられた。

 少なくとも、そう思う人間の方が多かった。

 

 突然『真実』を信じろと言われても、なかなか受け入れられるものではなかった。

 

 だが、日本人が実現した科学技術や学術面での圧倒的という以上の優位を前にしては、現実主義者も押し黙るしかなかった。

 

 同時に、先人の知識と技術を一人独占した日本に対する、非難、怨嗟、様々な罵詈雑言が浴びせかけられた。

 

 しかし日本人の多くは、自分たちが偶然に宝くじの一等賞に当たった程度にしか考えが及ばなかった。

 何しろ、あまりにも当たり前に高度技術が存在しているのだ。

 海外に行けば神々に匹敵すると言われた体も、国内ではそこら中に溢れていた。

 若年世代にとっては、同世代の全てが似たようなもので、単純な外見にはあまり価値はなかったほどだ。

 高い知識や運動能力も、既に日本人なら当たり前以前の事だった。

 

 既に同じ技術の恩恵を受け始めている友好各国も、ほとんど非難はしなかった。

 アメリカでは、かつての戦争で日本に負けてよかったとする意見の方がはるかに多かったほどだ。

 何しろ、日本の次に恩恵を受けているのはアメリカだったからだ。

 

 だいいち、拾いものだろうが自力によるものだろうが、知識や技術の独占は人類の歴史上で一般的に行われてきた事だった。

 帆船と銃器を得た白人達が、過去数百年間に世界に対して何を行ってきたかが多くを物語っていた。

 宗主国と植民地などというものが何故存在するのかがその答えの一端だった。

 

 

 だが、日本を非難したのは、この半世紀ほど日本と懸命に競争してきたヨーロッパ連合だった。

 また日本が無視してきた形になっている途上国や他国の植民地の恨みも小さいものではなかった。

 

 多くの意見は、表面的には立派な反論だったのだが、突き詰めてしまえば新たな技術を無償でもっと世界に広めろ、俺達にリスクなしで寄こせというものだった。

 

 しかも先に発展している日本などは、これまで受けた恩恵の分だけ世界中に技術と資金を提供して、さらには自分たちの表面上の大義名分のために世界平和にも広く貢献すべきだったという声も少なくなかった。

 

 これに対して日本側は、様々な反論や理論的な説明を行った。

 だが、感情的となった相手には、まともな議論は通じなかった。

 ある程度予測されていた事だが、日本人一般が思った事は、カミング・アウトを『遺産』を見つけてすぐにしなくてよかった、という程度のものでしかなかった。

 

 なお日本側はカミング・アウトと同時に、新たなる国際機関の設立と技術を広めるために、便宜上日本が中心となって新技術のパテント料を基にした巨大な基金や組織を改めて設けることを提案した。

 しかし日本と関係の悪い国々は、日本の世界征服やパックス・ニッポニアが成立するだけだと言って聞く耳を持たなかった。

 途上国はともかく、日本と対立している先進国にとっては、日本と革新的技術が離れて自分たちのものにならなければ意味がないからだ。

 

 当然両者の対立は激しくなった。

 

 しかも日本に対する不買運動やテロ、無軌道な傷害事件が起き、日本人や友好国の人間に犠牲者や負傷者が出るに至り、日本と日本の友好各国もせっかく広く開けようとした門戸をすぐにも閉ざすようになった。

 日本やアメリカなどでも途上国だけでも支援すべきだとする意見が起きたが、途上国が途上国であるのはそれなりの理由のある事だし、だいいちほとんどがヨーロッパ諸国の歴史的な責任だとして、自分たちの勢力下にあるアジアの一部以外では支援の手は伸ばされなかった。

 それに旧植民地の途上国に対しては、すでに日本に迎合していたイギリスやフランスなど主に西欧諸国が果たすべき責任だと認識されていた。

 


 結局カミング・アウトの前と後に大きな違いは起きなかったと言えるだろう。

 

 無論一部の国は日本にすり寄ったりもしたし、逆に日本人に対する反感や反感を行動で示す動きは増えた。

 だがすべては今更の事だった。

 無条件降伏状態となったのは、ヨーロッパ連合を完全に見限った南米諸国ぐらいだった。

 国同士がそれなりの距離で離れていれば、残されたヨーロッパ連合など怖くはなかったからだ。

 

 そして日本人達は世界のおおよそ7割を抱えて、歩みを早める行動を再開した。

 日本について来る意思を自ら持った者をその都度迎え入れながら、歩む速度をさらに速めていった。

 

 現状でも、欲しいものが欲しいだけ手に入れることのできる日本人は、世界の維持、ましてや世界征服などには興味を示さなかったからだ。

 


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