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天孫来航  作者: 扶桑かつみ
第二部「汎日本主義」

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20/22

10「革新期3」−1

 ・1980年〜


 概要:


 日本本土の総人口が、1億4000万人台を突破。

 80年代後半になると遺伝子デザインされた最初の子供達が成人し始め、次世代のより高度な能力を遺伝子レベルから与えられた子供の誕生も始まった。

 またこの頃になると、革新までに生まれた日本人の遺伝子レベルでの後天的改良もほぼ終わり、日本人の革新はほぼ完了した。

 

 連動して日本人一般の身体レベル、知的レベルが大きく向上して、日本の技術的恩恵が受けられない地域との決定的な格差が発生しつつあった。

 日本人にとって一般的な身体能力ではあっても、運動選手同士となるとオリンピックなど国際競技があまり意味を成さなくなっていた。

 そもそもマイクロマシンで完璧な体調管理を行っている時点で、競う以前の問題だった。

 このため一時期の日本を中心に、革新世代による運動競技というものを分類して行わなくてはならなかった。

 

 知能指数の平均値も、予測通り120以上を記録するようになった。

 記憶する教育を機械的に「脳に刻み込む形」にしている事を加えれば、他国人との格差は決定的だった。

 国際的な交流や商業の場でも、その差は十分に実感する事ができた。

 今や日本人の誰もが、世界の国際公用語複数を日常的に話すことができたし、多数の文字を普通に読み書きできた。

 当然だが、文章は原文で読み、外国作品の字幕や吹き替えも必要なくなった。

 副産物として、異文化のボーダーレス化が進んだりもした。

 

 教育全般では、世界の大学レベルが日本の高校レベルで、世界の大学院レベルが日本の一般大学レベルとなっていた。

 しかも高校までが義務教育化され、日本の大学進学率は80%近くを示していた。

 高学歴者という言葉は、特進を使って短期間に大学院まで進んだ者を指す言葉となっていた。

 もっとも高学歴よりも、知識より実地で技術を学んだ者の方が尊敬されるようになっていた。

 大学進学率が80%なのもそのせいだった。

 博士はともかく修士よりも、伝統芸の免許皆伝や各種技術一級免許の方が尊ばれたりした。

 


 驚異的な知的レベルの向上に平行して、日本の国力、経済力、技術力も大幅に高まっていた。

 

 一方では、日本人の海外移民や永住、渡航に対しても、安全などを理由に一部で規制が強化されていた。

 

 また日本の友好圏の中でも先進国だったアメリカやオセアニア地域、ロシア王国では、日本とほぼ同じ技術革新を開始すると、まずは教育の革新と平行して、医療革新と長寿化、遺伝子設計が国家規模で開始される。

 しかし実際国家規模で行ってみると、予測された以上に莫大な資金と高度な国家体制、医療施設、大量の新規技術を学んだ医者と技術者が必要であり、日本からの技術導入を行ってなお日本よりも多くの時間と労力がかかることが分かった。

 貧富の差を主な原因とする革新の格差によって、流血を伴う混乱が発生した国もあった。

 

 しかも、日本に続いた国々ですら十年近く技術や社会資本の大幅な底上げを行ってこれなのだから、他の先進国はまだしも後進地域や未開地域での人の革新は当分ありえないだろうということが実感された。

 最低限の施設と人材を揃える資金だけで、その国が何度も破産してしまうほど資金がかかってしまうからだ。

 そして日本が段階的と言った意味も、そうした国では理解された。

 一度に地球規模で行ったりしたら、大混乱ですべてが失敗する恐れが予測されたからだ。

 

 しかし一方では、日本からのガンワクチンや血管新生因子などの低価格での普及と提供によって、世界中で各種ガンと成人病、心臓疾患、脳疾患が激減した。

 糖尿病も、恐れるレベルの病気としては殲滅に向かっていた。

 日本人一般のように高度な健康管理を受けてしまえば、肥満は自らで選択できるファッションやスタイルの一つでしかなくなった。

 当然だが、減量 (ダイエット)という言葉も自然消滅した。

 そればかりか、自身の外見年齢すらかなりの幅で操作出来るようになっていた。

 

 その他の疫病の革新的な治療も進み、先進国の人口増加率と平均寿命は、高い技術と資金を必要とする長寿化をせずとも大きく向上した。

 

 また副産物として、各種覚醒剤の治療と無力化も進んだ。

 日本人のように長寿化処置を受けた人間では、既存の覚醒剤そのものが無力化されて効力を失い、覚醒剤と似たような事は疑似体験や体内のエンドルフィンの制御で安全に可能となる。

 このため、裏社会での覚醒剤市場が暴落するという一幕もあった。

 


 日本は、自国の発展と新規技術発展と宇宙開発にはいくらでも人材と資金が必要だとして、友好国の技術的底上げと人材育成を積極的に支援した。

 新技術のパテント料を元手に設立された巨大な公共基金もフル活用された。

 

 そして自国民以外の者でも、テロやスパイ、思想などの審査をクリアした後はどんどん宇宙へと送り出し始めた。

 また多少技術漏洩しても、それほど気にしなかった。

 一部を持ち帰ったところで、絵に描いた餅に過ぎない場合がほとんどだからだ。

 日本の発展と繁栄は、最新最高の頭脳と世界のGDPの3割以上の力を長期間投入して、はじめて実現できたものだからだ。

 少なくとも現時点では、貧乏国に革新は無理なのだ。

 

 また「新規技術産業実現計画」は第二次、第三次計画に入り、初期の段階で基礎技術研究とされていた分野の多くで革新的な進展が見られた。

 

 この中には、無尽蔵に生産され始めた電気エネルギー生産の副産物とした、海水と大気(主に二酸化炭素)を材料とした食料工場の稼働や人工食糧の大量生産も含まれていた。

 工場で人工的に大量生産されたタンパク質、デンプン、糖分の大量生産化は、食品添加物や家畜の飼料を中心に爆発的に拡大した。

 また一部の単細胞生物を使った大量培養も一般化して、食料生産を補うようになっていた。

 これらは、長年低迷を続けていた日本の食糧自給率を劇的に向上させた。

 ただし北米やオーストラリアなど食料輸出国への手前、当面日本での利用は限定的とされた。

 タダ同然の人工食料や単細胞食材は、人口抑止政策や家畜による環境破壊阻止と引き替えに、農業国や貧困国家へ大量に援助されるようになった。

 これにインドなどが応えて、インドでは強力な国家政策として革新への動きが推進されるようになった。

 

 世界各地で不足が指摘されるようになった水資源に関しても、安価で簡便(それでいて日本以外で生産不可能)な濾過装置が安価に販売されるようになって、海に面する国を中心に解消に向かっていった。

 各種工業、鉱業汚染についても、その処理技術はもはや魔法と同義なほど高度となった。

 


 また日本政府が大きな力を入れ続けていた宇宙開発についても、基礎技術の大幅な底上げによって大きく進展した。

 日本は火星への有人探査と有人基地設置も難なく成功させ、月軌道では有人による大規模な小惑星帯探査船や木星探査船の建造も始まった。

 火星には100人単位の人間が暮らすようになり、火星の間には定期航路が開かれ、かつての南極ほどの難易度の場所となっていた。

 宇宙飛行士も、自らのことを「船乗り」と呼ぶようになりつつあった。

 

 地球軌道や月で活動する人類の数も一気に10万人の単位にのぼり、日本は新た産業が次々に勃興・発展して、次なる発展段階に入っていた。

 地球軌道は太陽光発電、月面はヘリウム3や宇宙で使う鉱物資源の鉱山として、かつてない賑わいを見せるようになった。

 

 さらに日本は、静止衛星軌道上に巨大な「鏡」の集合体の建設を開始した。

 場所は日本洋(Jオーシャン)とまで言われるようになった太平洋上で、太陽側は太陽光発電装置だが、設備全体が地球に降り注ぐ太陽光を調節する機能を持っていた。

 これにより、四半世紀ほど前から懸念され始めていた地球温暖化現象が人工的に制御されるようになり、二酸化炭素を人工珊瑚などに封じる技術共々、地球環境の大幅な改善が期待された。

 加えて日本を始めアメリカなどでの核融合への基幹発電の転換は、二酸化炭素排出量を劇的に低下させつつあった。

 日本では電気自動車が当たり前で、ガソリン車は環境破壊の段階を通り越えて贅沢品で、希少的価値を持つ存在となりつつあった。

 環境保全や森林保護でも新たな技術が次々に実行され、環境保護、自然保護も大きく進展した。

 


 しかし一方では、技術の革新が新たな問題ももたらしていた。

 単純労働型生産に対して、大きく進歩した大量の自動機械が生産を担えるようになり、自動機械を用いた生産単価は最も遅れた途上国で生産するのと代わらない程度になっていた。

 これにより日本企業の海外進出は、自国が消費する製品に対しては大きく停滞し、日本と世界の貿易不均衡をさらに拡大していた。

 さらに人間社会内で活動する労働ロボット、補助ロボット、奉仕ロボットが多数出現して、単純労働やいわゆる3K労働の多くを担い始めていた。

 日本の町中には、様々なロボットが溢れるようになった。

 ロボットの中には、人間と見分けのつかないロボット(アンドロイド)も普及するようになった。

 その中には、実質的に性産業に従事するものまでが出現して(セクサロイド又はガイノイド)、様々な理由と付加価値を付けた上で個人所有のものが爆発的に普及した。

 ロボットを使った犯罪、ロボットの盗難が新たな社会問題となった。

 

 また新規産業として、自動生産ロボットの権利を持つ事で所得を得る産業構造が生まれつつあった。

 しかもゆくゆくは、超安価な電力を中心にしたエネルギーと自動機械群の生産と奉仕により、人は生産労働に従事しなくてもよくなるローマ市民のような社会が実現可能との試算も出た。

 一定レベル程度の文明的な生活を維持する程度なら、人が働く必要はなくなると予測されたのだ。

 しかも、そう遠くない未来に。

 

 このため政府や企業などでは、人を怠惰にさせないための研究と政策が熱心に研究されるようになった。

 

 一方で、他国から日本への労働移民の意味は、高価値労働者以外でほとんどなくなっていった。

 


 物理面以外でも、機械化は進んでいた。

 特に電算機、電脳を利用した技術の発展と普及はめざましく、「マトリックス」と呼ばれる高度な仮想電脳空間が日常化して、現実世界とは別の新たな仮想世界を作り上げていた。

 しかし肉体からの逃避を促す傾向が強すぎるため、国家規模での法規制が早々と電脳空間の管理という形で実施され、国家権力と違法者や犯罪者との虚々実々の追いかけっこが日常となりつつあった。

 

 そうした中で、国内では産業構造と労働人口移動の大転換が始まった。

 一次産業、二次産業の自動化の進展で、三次産業従事者が一時的に異常増加した。

 二次産業の主力も先端産業と職人芸を必要とする産業、研究開発分野に集中するようになり、新たな教育システムを用いた日本人全体の再教育と産業界の再編成が大きく進展した。

 飲食業や一部のサービス業のように、産業分野によっては法律で自動化が規制される動きもあった。

 その一方で人の手を使うもしくは使わせることが、贅沢のステイタスと言われるようにもなりつつあった。

 完全な奉仕職種であるバトラーやレディメイドですらが、一般的な職業として脚光を浴び始めたほどだった。

 

 一次産業でも自動化が進んだのだが、人の手で自然に農作物を作ることが、生産・消費双方での一種の贅沢とされ人気職種となりつつあった。

 農家や緑豊かな郊外など、自然環境溢れるところでの生活も、新たな贅沢となった。

 無論、高度な文明の支援を受けた上で、という付帯条件が付く状況での贅沢であった。

 

 また一方では、付加価値産業や伝統産業、手作業以外に代わりが難しい産業への就職傾向が強まり、大量生産や単純労働は機械が行うものという価値観が生まれつつあった。

 伝統工芸のための専門学校や大学がいくつも設立されたり拡張された。

 科学や技術、先端、伝統、分野、方面を問わず一芸を極めることが、日本人の新たな価値判断基準となりつつあった。

 能や歌舞伎などの古典芸能も、芸能界での大幅な復権を遂げた。

 

 なお、遺伝子設計と健康管理の副産物だった容姿の洗練化により、日本人の間で外見が重視されなくなり、モデルや役者、芸能界の大きな変化が見られるようになったのも80年代後半に入った辺りからだった。

 何しろ、ティーンエイジャーのほとんど全てが、かつてのモデルやアイドルを越える神々しいまでの容姿だったからだ。

 

 そして神々しいまでの容姿が半ば一般的になると、少なくとも日本国内では単純な外見にあまり価値がなくなっていった。

 無論無価値にはならず、決定的な世代間の格差は存在した。

 後天的な遺伝子改良や万全の健康管理だけでは、容姿の洗練化に限界があったからだ。

 また一時期は子供の誘拐が激増したりもしたし、日本人の海外での誘拐も多発したため、日本人の渡航禁止や規制が行われた国も多かった。

 


 80年代も半ばになると、日本で始まった革新は日本の友好先進国の間でもようやく広まり始めた。

 北アメリカ、オセアニア、ロシア王国地域では、幾つもの障害を強引に乗り越えて大きく進展した。

 また一方では、これらの国々がそれまで奨励していた移民の受け入れを厳しく規制するようになる。

 日本でのように単純生産や単純労働の自動化が進めば、国内での低賃金労働者の多くが不要になるし、新技術の恩恵を受けるためだけに移民してくる者に莫大な国費を投じることは避けるべきリスクだったからだ。

 


 そして環太平洋地域での大きな革新の波は、他の地域にも大きく影響し始めた。

 

 核融合発電の日本での大規模な商業発電が開始されて、本格的に燃料資源の大幅な価格下落が始まっていた。

 また原子炉関連の小型化技術と効率化、核燃料リサイクル技術が運用技術共々革新的に進展した。

 他にも、安価な太陽光発電が核融合発電より早く大規模な商業利用が開始された。

 超伝導技術の発展により蓄電や伝導、動力技術が飛躍的に向上し、多くの動力が安価に生産される電気へと置き換えられていった。

 

 これらの変化によって、日本では地下燃料資源の需要が激減した。

 石油需要は、各種加工品や潤滑油としてだけ必要なものとなった。

 しかも日本は、目の前の太平洋から自国で必要な資源を安価に濾過採取するようになっていた。

 ウランなど重金属、重元素の一部は、すでに輸入が不要だった。

 濾過採取の為の巨大施設が、洋上にいくつも建造されていた。

 アメリカなどでも、日本の技術援助で同じ施設が建設されるようになった。

 そして産業転換できなかった産油国など燃料資源国は、実質面で軒並み没落を開始した。

 特に他の有力産業がなかったもしくは育てられなかった中東産油国の没落が本格化して、ヨーロッパ連合の支配がいっそう強まった。

 

 平行するように、環太平洋諸国による海洋と月面での資源採掘と地球軌道開発が大きく進展した。

 太陽系宇宙こそが、新たなフロンティアとなりつつあった。

 そして物質面で満ち足りた環太平洋諸国は、自らの勢力圏以外の関心を低下させ、他国の事にあまり気を遣わなくなった。

 

 地球規模での資源収奪や経済活動の維持が必要なければ、国家戦略上として国際的影響力の確保や人道面以外で援助する必要性がないからだ。

 地下資源を求めた場合、特にそうだった。

 外交的価値、軍事的価値、市場価値などがあれば別だが、製品の購買力もない後進国の市場価値などこの時点では知れていた。

 

 半ば自己満足だった、後進地域に対する一部の人道主義者以外の援助や支援も大きく減った。

 それにもともと人道援助は、ヨーロッパ連合の支配下の植民地や後進地域に対して多くが行われていたので、一度関心が下がるとあとは見向きもされなくなった。

 

 報道がされなくなれば、市民にとっては異世界のできごとであり、存在しないも同然だったからだ。

 また支援の後援団体だった企業にとっての利点が減れば、支援しなくなるのが摂理だった。

 また、日本人を中心対象とした海外でのテロや犯罪が多くなると、日本人などの側からの反発も強くなり、なおさら援助や支援、協力の密度を低下させていく事になる。

 そしてさらなる反発を招くという悪循環を続けていた。

 特に特定宗教から一方的で理不尽な反発を受けたと解釈した日本人達は、あからさまにそうした人々との接触を自ら断つようになった。

 もともとそうした地域とは資源輸入はもちろん貿易や交流自体が希薄なので、日本人の行動を実質面で非難する国も少なかった。

 

 また日本人を攻撃する側では、日本での変化こそが燃料資源の大暴落を起こしたとは言っても、日本そのものは自分たちを搾取している訳ではないし、単に自力で豊かになって一方的な行動を取るだけなため、経済面だけでは今ひとつ攻撃への熱意は低くならざるを得なかった。

 その代わり、日本人の発展そのものが、絶対者への冒涜や敵対行為だとして反発が大きくなった。

 

 そして日本人達は、自分たちが不干渉を決め込んでもなお攻撃してくる相手には、徹底的に反撃する姿勢を見せたため、負の連鎖の法則に従い対立とテロは続いた。

 ただし、犯罪者、犯罪者予備軍が日本の勢力圏に入ることは物理的にほぼ不可能なため、俗に言う「原理主義」勢力について多くの日本人は感心を抱かなかった。

 多くの日本人にとっては遠い世界の出来事でしかなかったし、日本政府もそうなるように最大限の努力を傾けた。

 

 一方では、ヨーロッパ世界が大きく東西で分裂したため、ベネルクス三国より西側の西ヨーロッパ諸国、スカンディナビア半島を中心とした北欧諸国との交流は俄然活発化した。

 環太平洋諸国の市場として観光地として注目され、有り余った生産力と資金、そして技術がヨーロッパ共同体や西ヨーロッパ、北ヨーロッパと言われる地域になだれ込んで、それらの地域を根底から変えていった。

 

 しかしヨーロッパ世界の変化は、ドイツから西ロシアにかけてのヨーロッパ連合の態度をますます頑なにさせた。

 また見向きもされない途上国や資源国の多くでも、環太平洋諸国への怨嗟の声は徐々に大きくなり、その盟主となった独露との対立はむしろ先鋭化した。

 

 しかし一人だけ未曾有の繁栄に湧いている日本を筆頭とする環太平洋諸国は、自らの影に入れられた地域のことにあまり目を向ける気はなかった。

 

 日本ではこの頃の変化と活況を、後に『バブル』と呼んだ。

 それほど一方的な差が開いた時代だったと言うことだ。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 現実で「理性的かつ温厚」的な顔している先進国も少し違うだけでここまで愚かで嫌な国に成り果てるのが面白い。過去を見たら本当にどの国にもその可能性がありますもんね。 地味に日本のネット民の間で…
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