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天孫来航  作者: 扶桑かつみ
第二部「汎日本主義」
17/22

08「革新期1」−1

 概要:


 日本本土の総人口は1億500万人台。

 世界に先駆けて、完全な高齢化社会に突入して社会保障支出は巨額なものとなったが、人口は何とか安定曲線に移行していた。

 域外からの移民も質の高いものだけに限って受け入れているため安定していたが、主に近隣諸国からの密航が後を絶たず日本政府は対応に追われていた。

 それも日本が、世界から飛び抜けて発展しているからだった。

 

 世界は主にヨーロッパとその植民地地域と、日本・アメリカを中心とする環太平洋圏で二分されていたが、世界全体による国際組織に事欠いているため、世界レベルでの様々な問題の対策が後回しにされていた(※国際連盟(LN)は一応存続していた。)。

 

 また日本は、市場や資源として必要がある場合は友好関係を結んで手厚く援助もするが、必要がなければ半ば自己満足の人道援助以外ではほとんど手出ししなかった。

 しかもヨーロッパは、自陣営の維持運営のため植民地維持に汲々としており、日本の影響国となったアメリカもニュー・モンロー主義を盾にますます自国本位となって、単純な経済進出以外では人道的援助以上の行動は取らなかった。

 

 つまり世界の光と影にあまりにも大きな落差があったが、世界各地同士の交流が限られているため誰も気にしなかったし、影の側の人間は気づくことすらできなかった。

 

 世界の識者の間で「国際連盟」に代わる国際機関を作ろうという動きもあったが、ヨーロッパ諸国と環太平洋諸国の対立、ヨーロッパ列強と植民地の格差などがあって実現しなかった。

 

 一方では、日本とアメリカが中心となって「環太平洋連合(URP、リムパック・ユニオン)」(本部:ホノルル)を設立した。

 ヨーロッパも正式に「ヨーロッパ連合(EU)」を作って対抗した。

 しかしURPが独立国家間による国際組織なのに対して、EUはヨーロッパ諸国と植民地による組織という大きな違いがあった。

 

 そして世界は二分されたまま、互いのイデオロギーを宇宙にぶつけるが、その宇宙で画期的な発見が行われたと人々は噂した。

 1960年代半ば以降、人類の技術進歩が急速という速度を越えて高まったからだ。

 


「先端技術開発」(1960年代前半)


 デジタル技術の向上と光回線技術によって、1950年代半ばから急速に発展していた「電脳世界」が一般化した。

 まずは社会資本の整っていた日本で、次いでURP諸国に瞬く間に広がっていった。

 簡便な操作が可能なコンシューマー用オペレーションソフトが普及を大きく後押しした。

 

 また十年ほど前に初期型が登場した携帯端末の小型が急速に進展。

 こちらも環太平洋地域を中心にして、急速に普及した。

 

 医療では、ヒトゲノム解析の第一段階が終わり、iPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究と開発が試験段階に入った。

 

 全ての科学技術の基礎となる理論科学でも、いくつもの発見と進展が見られ、日本は世界を完全に置き去りにしつつあった。

 


「軍事開発」(1960年代前半)


 日本は、非核型ミサイル防衛システムの初期型を完成した。

 人工衛星などによる監視網と、陸海空(+宇宙)の各種迎撃ミサイルと大型機搭載のレーザー砲台による迎撃装置により迎撃網が組み上げられ、飽和攻撃でない場合の弾道弾迎撃装置によって日本の圧倒的優位はさらに強化された。

 この防衛システムは日本にまずは配備されたが、順次アメリカ、ロシア、オーストラリアなど各国が急ぎ導入していった。

 特に、高速で移動可能な大型機搭載のレーザー砲台が好評だった。

 当然ながらヨーロッパ連合が軍拡を呼び込むとして強く非難したが、今までの攻撃的兵器に比べてはるかに平和的だとして、日本などは意に介さなかった。

 実際、核兵器の自主削減まで行ったので、文句を言っても空しい響きがあった。

 

 一方ではロシア人同士が、ユーラシアの奥地で大軍を並べて真面目に睨み合っていたが、それは先進国列強の間では例外的事例だった。

 

 アメリカは日本に戦争で負けて以後は、自衛戦力以外揃えようとは考えず、核兵器すら日本の庇護下にあった。

 しかもなまじ国力が大きいだけに、「自衛戦力」だけで十分にヨーロッパ連合の脅威となっていた。

 《エンタープライズ号》は、この時期に原子力空母として復活を遂げていたほどだった。

 

 そして日本とヨーロッパの間には巨大な大陸か海洋が横たわっているので、弾道弾以外では直接張り合うことは極めて難しく、どちらも実際の戦争の可能性についてはあり得ないと考えるようになっていた。

 

 そうしたところに日本側がまともな弾道弾迎撃網を作ったので、ヨーロッパ連合の焦りはかなり大きくなった。

 核兵器と弾道弾こそが、日本と張り合うための唯一の力であり手段だったからだ。

 


「宇宙開発」(1960年代)


 1960年代初頭にヨーロッパ連合は月面に人類を送り込んだが、全ての面で日本とは比較にならなかった。

 日本は恒久的な巨大基地を月面や月軌道に持っていたが、ヨーロッパは月面に数日滞在するのがやっとだったからだ。

 

 既に世界規模で核爆弾の一定の禁止条約が結ばれ推進装置として原爆を使えないため、衛星軌道もしくは宇宙空間に送り込める物量が一気に低下していた事も、双方の宇宙開発の格差に影響していた。

 無論禁止したのは、日本が圧倒的という以上に優位である核弾頭迎撃システムと核爆弾推進技術を封じるためだったが、ヨーロッパが被らねばならない不利益も小さなものではなかった。

 しかし核爆弾推進船の建造には、国を傾けるほどの予算を傾注しなければならないので、ヨーロッパにとって二度はない以上それほどの気にもならなかった。

 

 ただし日本は、いち早くお椀形状の往還型大型宇宙船を開発。

 地球軌道と月での開発を、以前にも増して精力的に行った。

 

 両者の話し合いというより日本の譲歩により、南極同様に月面及び月軌道の領有や独占、さらには軍事力の持ち込みはできなくなったが、単なる調査や資源開発は問題なかった。

 

 そして地球軌道と月双方に百人単位で人間を滞在させている日本の、宇宙での優位は揺るぎなかった。

 月面では、持ち込んだ機材や工場施設によって月面資源の採掘や精錬、さらには資材や製品の生産まで始まり、格差は広がるばかりだった。

 月以外での月軌道の開発や、『月面都市』の建設すら始まっていた。

 月面広く分布する鉱石内の酸素に加えて、同様に地中の水資源も発見されたため、月での開発は衛星軌道よりもむしろ順調だった。

 打ち上げが簡単な月面から、地球軌道に人工衛星が投入されるという事まで行われるようになった。

 

 十年以内に、月面人口は一万人を超えるだろうと言われていた。

 そうした中で、一つの大きすぎる『発見』があったと言われた。


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