涙
悲鳴を上げるほど痛かったはずのリゼは捻った勢いをそのまま足に回し、鋭い回し蹴りを影に浴びせる。回し蹴りは影に当たり、先程まで刃物だった部分の影が霧散するが大部分の影は素早く校内へ逃げ込む。
グチャッと生々しい音を立てリゼの腕が地面に落ちる。腕が落ちた断面から止めどなく青い血が滴り落ちる。おおよそ肘の先の前腕程からすっぱりと切れている。
「はぁ...やって...くれたわね」上腕を押さえてしゃがみながらリゼが言う。
急いでリゼに駆け寄る。ワイシャツを破り簡易的な止血帯を作り、応急処置を行う。
「写世、応急処置の知識持ってるのね」
「余計血が流れるから喋るな!」
必死に応急処置をしながら、改めてこの世界が現実とは違うことを認識する。リゼと会ったことですっかり気が緩んでしまっていたと自分を悔やむ。もう少し早く気がついていれば彼女にもっと早く言って腕を失わずに済んだのに...必死に応急処置を終わらせる。すると彼女が複雑そうな申し訳無さそうな顔で
「ワイシャツまで破ってもらって申し訳ないのだけれど、治るわよこれ」
「へ?」素っ頓狂な声が出る。いやいや治るわけがない。ここが名医のいる総合病院であったならまだ可能性があったかもしれないが。
彼女は立ち上がると腕のところまで行き、腕を拾って戻ってくる。
「ちょっと腕を持っててくれる?」
腕を差し出される。血みどろさ加減にためらいながら腕を受け取る。
「そしたらこの腕が切れた位置にあてがってもらっていいかしら?」
リゼが腕を元の位置にあてがわせるとスカートの内側の太ももにつけられたポーチからクロスを取り出す。クロスには色とりどりの糸で精緻な模様が編み込まれ、あまりの精密さに無機的な印象を受ける。そして接合部分にそのクロスを掛けた。クロスが一瞬発光したかと思うと切り落とされたはずの腕がピクピクと震え始める。
「繋がったわ。もう離して大丈夫よ」
彼女がクロスを取り去ると見事に腕がくっついていた。信じられなくて手のひらをペタペタと触る。
「ふっふふっ、指ぃ触らないで。ふふ。繋がったばかりは敏感でぇ...くすぐったい...ふふっ...から」
頬を薄く染めて少し扇情的に笑いを堪える彼女にドキッとして、手を離す。「ふふふ」と笑いの余韻が残る彼女は少し赤い顔で繋がった手をもう一方の手で触診を始める。
「自分で触る分には平気なのだけけど不思議ね」
上腕との接続部から指先に至るまで触るとうんとうなずく。
「少し傷が残ったけれどそのうち治るでしょ。これはいらないわね」
腕と一緒に飛んでいったブラウスの切れ端をその場に落とすと影の去った方向を見る。同じように影の去った方向を見ると煤に似た黒いものが滞留している。
「流石にどっちに行ったかはわからないわね。一撃当てたけどあんな靄みたいな敵じゃあ追いかけられなさそうね。血も出ないみたいだし」
あんな事があったのに信じられない早さ立ち直りで影を追おうとしている彼女がいる。でも体がすくみあがってしまった。目の前で人の腕が切られて血がいっぱい出た。小春と別れるまではあんなにも普通の日常だったのに。
「ねぇ?ってあなた顔が真っ青よ。大丈夫?」
頬にリゼの手が伸ばされる。温かい。なぜだか涙が溢れる。
「えっ。え?どうしたの?」
「わからない、わからないんだ」
泣きながら手で涙を拭おうとする。しかしそれより先にリゼのもう一方の指先で涙が拭われる。今度は透明な涙だった。
「そうよね。約束したとはいえ、当たり前ね。あなたは普通の高校生だもの。ここにいること自体がイレギュラーだわ」
顔を近づけられ、笑みをこぼした彼女に頬を少し抓られる。ほんのちょっと痛い。頬の手が離される。
「わかった、ここにいて。アイツを倒して、迎えに来るから。」
銃を取り出しながらそう言い残し、リゼは校舎の赤闇に消えていった。