異世界に生きたい!
例えば、ある日目が冷めたら異世界に居て、とか、ある日間の悪い偶然に巻き込まれて死にました、気がついたら異世界で転生しました、なんて日常に憧れている人は多いのではないでしょうか?
かく言う私もその一人でした。”でした”で分かるように私は日常は今まさに異世界にあります。
ここで私の半生を手短に紹介しましょう。
今の年若い少年少女からすれば随分昔に感じられるでしょうが、その頃は時代でいうなら平成が始まったばかりで御座いましょうか。
ネット黎明期と言えば身近に感じられる方もいらっしゃるでしょう。
なんの変哲もない産婦人科のベッドの上で私は意識を覚醒いたしました。
見慣れない部屋にランプよりも明るい何かが、部屋を隅々まで照らしているのです。
なんと明るくてきれいな場所だと感動した記憶がうっすらと残っています。
前世の知識というのでしょうか。私にはそれがありました。この世界とは違い、ジメジメとしていて、誰もが明日生きることに不安を感じ、そして今日のパンを手に入れることに心血を注いだ、記憶です。
それに比べて何と明るくキラキラした世界と感動したのはそれから間もなかったと思います。
生まれ変わる前の私がみたら何と素敵な世界!と大はしゃぎしたであろう理想的な世界。
何もかもが目新しいのです。前世と違い魔法はありません。ですが魔法の代わり在ったモノは、もっともっと世界の神秘を解き明かそうとする先進した学問、学問を余すこと無く使い切る技術、そしてまだ見ぬ未知でした。
先程"思います"と申しましたが、なぜそのような曖昧な表現をするかと言うと、私前世の知識は今では随分と薄れてしまったからです。
後に知るのですが、これは幼児期健忘と言うのですね。脳の発達に従って段々と記憶が薄れていくのは2歳位の頃になると恐怖でもありました。
前世では人以外の知性を持った種族も数多くいましたからヒトとは何か、なんて哲学的な事を気にしたことは無かったのですけれど、この世界ではどうやら思考することだとか、道徳的な心を持つことが哲学的なヒトを意味するのですね。
私に言わせれば哲学的なヒトとは記憶から形成される人格だと思っています。だからそのヒトとしての最大の要素たる記憶が消えていくというのは、自分が消滅してゆく、まるで闇に飲まれてゆくような気分でしたから。明日起きた時には大事な友人の顔すら薄れてしまうというのは恐怖と悲しみの入り交じる物で朝起きるのが毎日怖かったのもいつかは克服したのですが。
3歳位のころでしょうか。ようやくその記憶の欠落が少なくなっていったのは。日夜恐怖から縛られたのもこの頃になるとある程度克服された事を考えると案外人間というのは強い生き物なのかもしれませんね。
それでも知性が幼少期から合ったのは本当に大きな強みなのでしょう。私はすくすくと育ち、順調に言葉を覚え、6歳で晴れて神童となりました。前世の知識は偉大です。読み書き計算が出来れば生きていけた世界と比べて多少の苦労はありましたが、私にとっては軽い準備体操です。
小学生に上がった時、私は周りから将来を期待されました。何せ文字は既に覚え、計算も高校生レベルなら出来ましたから。前世より学問は幾分か発展している分難しくもありますが。
そのまま中学、高校、とトップの座にいるのは容易な事でした。何の変哲もない町で何の変哲もない親、家庭で生まれた私は将来を嘱望される天才なのです。
ですが中学生になった頃、私の目を通して見える世界はキラキラとした物では無くなっていました。
期待された将来はそれほど重荷にはならずとも、勉強と部活がルーチンワークとなってしまったのです。ここでようやく私はキラキラとした世界から締め出しを受けたのです。
始めはご飯の味が新鮮で無くなった事が原因でしょうか。生まれ変わった頃は前世とは違う味付け、高度に洗練されたおいしい食事に舌鼓を打って明日の食事は何だ何だと楽しみで仕方なかったです。例え数日おきに同じ食事が出ようとも私にとっては慣れていない味に舌鼓を打つ最高の時間でしたから。
それが積り中学生になってようやく食事が楽しみでは無くなったのです。
次に私から奪われた物は目新しさです。丁度高校生くらいになった頃でしょうか。
中学生とは違い、大人からも社会人の一歩手前の存在と見なされ世界の幅は増えましたが、私は非日常で見かける物をようやく日常と思い始めてしまったのでした。
変わった衣装を着る誰かさんが通り過ぎて、それに一喜一憂し、巨大な動く鉄塊に目をキラキラさせた私は中学生になった頃にようやくそれを日常と決めつけました。
高校生になって一歩、アングラの世界に足を踏み外しても、やはりその世界は非日常とは成り得ませんでした。この2つが非日常を日常へと変貌させたのです。
高校生になってようやく専門的な科学知識を私は得ました。
しかし、日常が見えてしまった私にとって勉強とは最早意味を失いました。全てが非日常に見えたからこそ、理科を、社会を必死に勉強したのに、その非日常が日常になってしまったからです。
私はようやく挫折を感じました。それでも勉強は止めませんでした。ただし意欲はもう枯渇寸前と言ったところでしょうか。この頃、私は新たな刺激に飢えていたのでしょう。異世界に生まれ変わった私はもう異世界に一度生まれ変わる事を渇望しました。それでも次、生まれ変われる保証が無い為死を選ぶ事は無かったですが、ある日異世界に召喚されたら、程度の希望は捨てませんでした。
そうして高校生として生きました。ターニングポイントはまさにこの高校生になって訪れます。私は先生や親が止める中、ただ一人孤高の戦士となる決意をしました。有名進学校に通うのは進学するため。
東◯大学だって夢ではない成績だった私は学校にしてみれば実績の一つであり、当たり前のように進学を望まれました。しかし、その私が選んだ道は自分探しでした。
大学受験は止めました。もちろん先生は止めますし、その時のセリフは決まっていて、お前は将来をどうする積りだ?か、進学校に進ませてくれた親に悪いとは思わないのか?の2通りでした。
対して私はいつもこう尋ね返すのです。
「だって大学で何を勉強するの?」。先生は一瞬動揺しましが、その後は経営だとか、自然科学だとかを声高々に熱弁するのです。正直ウンザリ、と言うのは口には出しません。口は災いの元と言いますからね。前世だって口から出る言葉をしっかり吟味せず選んだ結果痛い目を見たのは幾度となくありましたから。
そして私は勉学は続けつつ、高校3年でバイトを始めました。始めはコンビニの店員から。卒業後は遠洋漁業で一稼ぎ。その資金を以て卒業後2年、世界を旅した私が目にしたのは日常の中の非日常でした。
まだ見ぬ海の底、空の果ての宇宙、地の下。
ようやく日常が神秘につつまれ非日常となったのです。他にも私は非日常を見つけました。求められる食糧、水、電力。ようやくキラキラとした世界が再び私を入り口招いたのでした。
私は勉強の決意を固め、航空宇宙工学科に入りました。オタサーの姫に私はなりましたが、男漁りは勉強の合間にやれば良いのです。
私の半生はこのようなものでしょうか。
ここまで人生を軽く紹介しつつその時自分が感じた事を少しばかり語りましたが、次は私の欲求についてでも語らせていただきましょうか。
前世では辺境でくらいしていた私にとってこの世界は本当に輝いて見えたのです。
前世では冒険者に依頼を出して辺境を魔物から守って貰う、対価として金を払う、それでも尚朝目を覚ますせることに感謝しなければならなかった世界。生まれ変われば保証された安全。人間の欲の究極の部分はきっと生存することでしょう。私は第一の欲を完璧に満たせました。
次の欲求は食欲。毎日、汗水流して得た小麦は領主に取られ、朝には水を毎日汲みに行く、そうして起床から1時間が経ち、ようやく朝の糧を神に感謝する。
一欠けのパンが聖人によって5000人分になることを夢に見ながら私は毎日食事をとりました。グーグー鳴るお腹はもっと糧を求めますが無い袖は振れません。
ですがそしてある日死んだと思えばなんと家から魔法で作り出したのかと思ってしまうような道具によって水が得られ、食事が親からマナの如く無条件に与えられるのです。第二の欲求を私は満たしました。
最後の欲求は今存分に満たしています。選択の自由のよって得た、知識欲を満たせる研究者という職業でね。
眩しい世界
ルーチンワークと化した毎日。朝起きて水をくみ、十数キロほどの重さがありそうな水桶を持って家まで歩く道のり。相対性理論をアインシュタインが説明した時、楽しひと時と長く辛い時間。水汲み場への距離若干数百メートルが水汲みには何キロにも感じられ、それが毎日のように続きます。そして食事の用意、そして女だからと衣類の洗濯を毎日川でしながら薄汚れている自分の体を冷たい川水で洗っていた自分は、生まれ変われば意思を持ったかのように動く箱が洗濯をし、どの家にも取り付けられたお湯の出る魔道具から、いつ何時だってすぐにお湯が出てくる、毎日を小奇麗に過ごすことが出来てしまう。
こんな明るい世界になんの不満が御座いましょうか。
いや、多少不満をその後覚えましたが。だって世界が色褪せ始めたんだもん。
ジャネーの法則というものがありますよね。年をとるごとに感じる時間がどんどんと早くなるというあれです。
高校生で色褪せた世界に気がついた私は、これが経験だとか知識が幾度も積み重なって、そして慣れてしまうからこそだと思うのです。
慣れというのは恐ろしいですね。パン一つを手に入れる事に心血を注いだあの頃と違い、今は食事だって簡単に手に入るのにそれに退屈してしまうのですから。
しかし、いくら"慣れた日常"に退屈したからと言ってその生活を否定したことはありません。もし、前世の異世界(この世界が異世界である私が異世界と申しますのも変な話ですが)に生まれ変われるよ、と神が言いましても私は絶対にそれを受けないでしょう。
それほどこの世界は満たされております。
そう、これは神が与えてくださった死の直前の、つかの間の夢ではないかと毎日思ってしまうほどに。ですがこの夢は終わりませんでした。代わりに来たのは輝いていた世界からの締め出しです。世界が色褪せて見えるというのは本当に恐ろしいものです。
少し悲観的な言葉で欠きましたが、"この世界は素晴らしい"この考えだけは変わりません。
「前世では魔法が使えるから」、その事実により私は親に売られました。魔法使いは高く売れるのです。奴隷ではありません。単に領主が魔法使いを集めていただけです。私は領主によって買われました。別に親に裏切られたわけではないので、その額は30枚の銀貨よりももっと多いですが。
それからは故郷に居た許嫁とは引き離され、毎日魔法を使い、領主の領地を魔法で癒やすのです。魔法使いに選択の自由はありません。決められた未来が待つだけ。それでも私はその未来に絶望したことは御座いません。エリート街道たる魔法使いは前世の平民にとって一つの高嶺の花とでも言うべき道で御座いましたから。毎日汗水たらして食事を用意せずとも領主から糧を与えられ、家を与えられ、その対価は魔法を更に上達させるための訓練勉強ですから。
魔法使いとなる前の、ルーチンワークと化した膨大な時間を費やす、最低限の生活の為の日常は、その頃の私にとっては非日常となりました。
と言っても小さい頃からやっている最低限の日常行為は決して短期間で抜けるものでは無く、時折自分の服を川で洗ってしまうのですが。領主は口を酸っぱくして身分に相応しいことをしろと言い、その度私は慣れは早々治りませんと言い争った事が何度あったことか。
言い争った意外には、"慣れた日常も周りが変われば非日常になり、いい刺激になるものですね"と領主様と軽いお話をしたのはいい思い出もありますが。
こうして私は順調に、
領主に洗脳されました。
だって高嶺の花っつったって自分のやりたいことじゃないよ?私はもっと冒険者とか、魔法の研究者になりたかったんだよ?
ニタニタ笑いながら、洗脳教育を施し丸くなった私をまるで一つの作品のように説明する領主を偶然見かけた時には「だれがチョロいじゃボケ!」なんて激昂してました。貧民街に住んでいる平民にだって五分の魂。小さなプライドに任せて領主を思いっきり殴ったら死刑。
理不尽ですの。少し顔が醜くなって体の一部がホムンクルスの体の一部をと入れ替わっているけど、生きてるじゃないの。
少し生活には難があるかもしれないけど、生きてるじゃないの!殺して無いのに死刑なんて理不尽です。裁判もナシの死刑になって、皮肉にも死後ようやく私は自由を手に入れました。
前世の反省は少なからずあります。育ててくださった領主様に、洗脳教育を受けたからというだけで半殺し、もとい、一方的な暴力を振るったのは確かに非道徳的だったと思っている程度ですけれど。
それでも私はこの世界に来てよかったと思っています。高校生でこの世界に一度飽きて、その後やり直しましたが、結果オーライです。
前世と違い、魔法は使えませんが、そのかわりにこの世界は知識欲を満たしてくれます。天国で楽に生きたいと思った前世。まさにこの世界は天国です。
毎日、刺激に溢れた世界に生まれ変われたらな、と思った前世。私が求めていたものは刺激なのです。興奮と刺激、それがあれば世界は異世界に変貌します。私はこの世界で数々の刺激に出会いました。アフリカに行き、追い剥ぎに合って全部を失いましたし、紛争地域で足は撃たれるし、ロシアで凍傷にもなりましたが、全て良い刺激となりました。外国で日雇い労働をしたのもいい刺激になりました。
興奮こそが異世界を旅する鍵なのです。退屈な日常は興奮と刺激で異世界となります。例え死にかけても、拷問されても、その時に興奮していればそれは異世界に変わる鍵なのです。ラッセルも興奮こそが幸福の為の最重要の要素だと言っていますから。
旅は私を異世界から、日常に変わったこの世界を再び異世界に引き戻してくれました。
今日だって太平洋の孤島で日本を真に独立させるために必要だった放射性物質の無毒化理論を、日本から集めた研究者と共に創り上げたばかりです。核融合炉で電力を賄い、孤島なれど食糧を地下施設で自給し、世界の何処からも独立した島を私は創り上げました。まだまだ防衛システムの作成が残っていますが、量子コンピュータを実現させた我々にはアメリアだって的じゃないです。防衛システムの後はようやくこの世界での魔法の研究を始めるつもりですが、まだまだ先は長いです。
ですが、確かな幸福感があります。この世界で私は幸福を得ました。
世界中の富と名声を得ても幸せを感じることの出来なかったどこかの王様が得た幸せは、神に祈りを捧げ、毎日勤勉に働き、おいしい食事を食べて、最後に一日の疲れを酒で癒やしてって日常だけど、
私が得た幸せはやりたいことを出来る日常なんだって今なら言えますね。
この世界は本当にキラキラしていて、それでもって神秘のベールに包まれていて、本当に異世界様様です。
浅はかな者は熟慮することを覚え、愚か者は反省することを覚えよ。よく言われました。前世の反省からこの世界では慎重に自分の夢を叶える為の選択をしましたし、盲目的に世界の狭さを決めつけてしまった高校生の頃には熟慮して旅をしました。本当に良い世界ですココは。
この世界に生きる、異世界に生まれたいと思っている皆様。多分誰だって異世界に生まれ変わったら直に退屈が心を満たしますよ。
皆様には次の瞬間死ぬかもしれない、害獣刈りで生計を立てるおつもりですか?
毎日、泥混じりの水を抱えて、家からの道のりを歩きたいですか?
パン一つに時間を奪われたいですか?
男だから、女だから、そう言われて人生を決めつけられるなんて苦痛の極みですよ。
本当に異世界に行きたいならまずはこの世界を堪能してください。
宇宙の果てを見たことはありますか?地中奥深くを探検したことはありますか?深海奥深くで奇妙な魚を見たことは?
難易度が高すぎる?ならもう少し簡単にしましょうか。
アフリカで追い剥ぎに襲われて一文無しになってください。極北のロシアで凍傷になってください。紛争地帯で死にかけてください。どれか一つでもやって見れえば日常なんて異世界に見えるはずです。




