17.昨晩の記憶は全部ありますか?
毎日更新って難しいですね。(ごめんなさい)
何者かに鉢植えを落とされた翌日の昼休み、セシリアの姿は保健室にあった。
治してもらいたい怪我があるわけではない彼女が、そこにいる理由。それは――
「モードレッド先生、昨晩の記憶は全部ありますか?」
「は?」
鉢植えを落とした人物がキラーなのではないかと、勘ぐったからだった。
意味がわからないというような声を出すモードレッドに、セシリアは丸椅子に座ったまま身を乗り出した。
「もし記憶がないって話なら教えてください! 私、絶対に怒りませんし! モードレッド先生に協力したいと思ってるんで!」
「……何の話か、よくわからないんですが……」
自身がキラーだったという事実を知らないモードレッドは、はぁ、と息を吐き出す。眼鏡を外して眉間を揉むのは、困り事が起こったときの、彼の癖だった。
「いきなり来て何を言い出すのかと思えば……。本当に君は、いつもよくわからないことばかりしていますね……」
「それは……」
「大体、『私の記憶がなくなっていても怒らない』って、どういうことですか? それじゃまるで、私が記憶を無くしているときに、君に迷惑をかけているみたいじゃないですか」
(その通りです。先生!)
といってしまうわけにもいかない。
モードレッドはかけ直した眼鏡を、中指の腹であげる。レンズの奥にあるその瞳は、彼女の行動をいぶかしむように細められていた。
そんな彼の視線に負けじとセシリアは食らいつく。
「と、とりあえず、昨日の晩はどこにおられましたか?」
「昨日の晩ですか? エミリーとグレースと私の三人で、食事をしていましたが……」
「ちなみに、いつからいつまで?」
「……六時前に集まって、八時までぐらいですかね」
(時間帯的にもろ被ってる感じか……)
手元に時計があったわけではないので詳細な時間まではわからないが、リーンと別れたのが六時過ぎだったので、少なくとも鉢植えが落ちてきたのはそれ以降だろう。
(じゃぁ、鉢植えを落としてきたのはキラーじゃないのかな……)
一瞬そう思ったが、今この段階で神子候補に危害を加えてくるだろう人間は、キラーぐらいしか思いつかない。もちろんこの推測は、『モードレッドの中からキラーが消えていないのならば……』という考えに基づくものだが……
「じゃぁ、食事の途中で気がついたらすごい時間がたっていたり、別の場所にいたりとか、そういうことはなかったですか?」
「ないですね」
「本当です?」
「……本当ですよ」
その声は、目の前にいるモードレッドが発したものではなかった。落ち着いていながらも、彼の声よりも何トーンも高い女性の声だ。
セシリアは声のした方向に顔を向ける。するとそこには、片眉を上げるグレースがいた。開けたばかりであろう扉を後ろ手で閉めながら、手にはなぜか男性物のコートを持っている。
「あ、グレース!」
「こんなところで何をしているんですか、セシルさん」
呆れ顔でこちらへ近づいてくるグレースを、セシリアは立ち上がり、迎えいれた。
「グレースこそ、何しにここへ?」
「私はこれを返しに来たんです」
そう言って彼女は、手に持っていた男性物のコートを掲げた。そして、「ありがとうございました」と言いながら、モードレッドにそれを手渡す。
「昨晩、モードレッド先生に借りたんです。寒いだろうって」
「あ、そうなんだ!」
「だから言ったでしょう? 食事をしていたって……」
別にそこを疑っていたわけではないのだが、そこはモードレッドの話に合わせて「そうですね」と頷いておく。
セシリアは顎に指先を当てながら、考えをめぐらせた。
(でも、そうなってくると、あれは本当にキラーじゃない?)
グレースの登場により、キラーのアリバイは完璧になってしまった。モードレッドの中にキラーが残っていないということなら、それはそれで喜ばしい事なのだが。しかしそうすると、昨日の鉢植えは一体誰が落としてきたのだろうか。それがわからない。
「もしかして、何か不測の事態でも起こりましたか?」
セシリアの考え込む顔を見て何かを察したのだろう、グレースはセシリアにしか聞こえない声でそう囁いてきた。セシリアがそれに頷くと、グレースは少し考えた後、彼女の手を取る。
「え?」
「それでは、ちょっとあちらでお話ししましょうか? セシルさん」
「う、うん!」
「あ、ちょっと! 二人とも!」
何が何だかわからないモードレッドは、二人の後ろ姿に一瞬だけ腰を浮かせた。しかし、二人がそれで止まらないとわかると、まるで落ちるように、再び椅子へと戻っていく。
「もう、本当になんなんですか……」
そのぼやきは、もう扉の外に行ってしまった彼女たちにまで届かなかった。
数分後、保健室から離れた二人の姿は、校舎の裏にあった。ジメジメとした雰囲気の、生徒が誰も近寄らないだろうそこは、以前ツヴァイとココを助けた場所である。
その壁に背を預けながら、二人は話していた。
「……て、事があって。キラーがまた現れたんじゃないかと、モードレッド先生のところに……」
「事情はわかりましたが。よくもまぁ、そんな危険なことしましたね」
「危険なこと?」
きょとんとした顔で首をひねるセシリアに、グレースは目を眇める
「もし本当に、モードレッド先生の中にキラーが残っていたとしたら……とか考えなかったんですか?」
「あ……」
「しかも、わざわざ二人っきりで。そんなのもう、殺されに行くようなものじゃないですか。自殺ですよ、自殺」
「確かに……」
キラーは消えた。その前提で先ほどの動きをするのなら問題はないのだが『まだ、キラーが残っているかもしれない』という前提なら、話は百八十度変わってくる。
話をした地点で豹変して殺される。
キラーというのは、そういうのが十分あり得てしまうキャラクターなのだ。
「まぁ、結果として。先生の中にもうキラーの影はなさそうなので問題はありませんでしたが。それにしてもこんな作戦、よくギルバートさんが許可出しましたね」
「え? ギル?」
「彼なら話を聞いた時点で、こんな作戦やめさせると思っていたのですが……」
見当違いでしたかね、とグレースは続けて口にする。どうやらグレースの中でギルバートはセシリアのお目付役という位置づけになっているらしい。
セシリアは困った顔で頬を掻いた。
「いやぁ。実は、ギルにはまだ言ってなくて」
「え?」
「ほら、無駄に心配かけさせちゃダメでしょ? だから、自分で一通り調べてから、後で一緒に考えてもらおうと思ってさ」
そう言った瞬間、グレースの目が据わる。呆れるを通り越して、腹を立てているに近い表情だ。
「そういうところが、余計に心配かけるんですよ?」
「でも、最近ギルも忙しいからさぁ……」
コールソン家に帰る話が出ているからか、最近の彼はバタバタと忙しい。自分の将来のことについても考えないといけない時期なのに、こんな不出来な義姉の面倒なんて見ていられないだろう。
「それなら、オスカーさんにでもついてきてもらえばよかったでしょう? 彼、貴女からの頼みなら、喜んで力を貸してくれそうですし」
「それはそれで、オスカーも忙しそうだし。なにより、気まずくなりそうだしさ」
「……あなたは本当に、自分の命を守る気があるんですか?」
そう頬を引きつらせるグレースに、セシリアはへへへ、と苦笑いで頬を掻く。そんな彼女を一瞥して、グレースは息を吐いた後「まぁいいです」と仕切り直した。
「とにかく! その鉢植えを落とした人間はキラーではありません。それは、私が保証します」
「そっか……」
「そもそも、ただの事故じゃないんですか? たまたま鉢植えを落としてしまって、気まずくなって逃げたとか」
「それも考えたんだけどね……」
鉢植えを落とした後の、セシリアを見つめる双眸が頭をよぎる。
あれにはどこか負の感情が含まれている気がした。
(まぁ、全部私の勘なんだけどね)
事故なら事故でそれにこしたことはない。とにかく、二度目がなければいいのだ。
グレースは校舎の壁から背を離す。
「とりあえず。本当に犯人を探しだろうとするなら、一人でなく複数の方が効率がいいと思います。貴女には頼めば協力してくれる人が沢山いるんですから、それを使わない手はないですよ?」
「うんわかった。とりあえず、ギルには相談してみるね」
「そうしてください」
そう話が一段落したときだった。
突然、セシリアの頭に何かがふりかかってきた。同時に視界が滲む。
「え?」
頭にかかったものが水だと気づいた瞬間、今度は頭の上に空になったバケツが落ちてくる。
「――っ!」
金属を蹴り飛ばしたような音と共に、セシリアはその場に蹲る。そして次に襲ってきたのは、全身を包む熱だった。
「あっつ! これ、水じゃなくてお湯!?」
「大丈夫ですか!?」
焦ったような声を上げながら、グレースはセシリアに近づき、その場に膝をついた。膝を濡らす水の温かさに気がついたのだろう、彼女はセシリアの肌を確かめる。
「火傷は!?」
「平気。そこまでの熱湯じゃなかったみたい……」
へへへ、と笑いながらセシリアは顔を上げる。しかし、もろにお湯がかかっただろううなじの部分は、真っ赤になってしまっていた。
「大事にはならないとは思いますが、首の方は冷やしておいた方がいいかもしれないですね」
「……うん」
グレースはセシリアが蹲っている場所から視線を上に移す。そして、そこにあった窓に目を細め、低い声を出した。
「どうやら。セシリアさんは本当に、何者かに狙われているみたいですね……」
12月28日にコミカライズ2巻が発売になっております。
どうぞよろしくお願いします。
面白かった時だけで結構ですので、ポイント等もよろしくお願いいたします。