16.リーンからの呼び出し
遅くなりましたー!
『お茶会のときの借りを返して貰おうとおもってるから。今日の放課後、いつもの空き教室に来てね!』
そう言われたのが、朝のことである。
リーンに呼び出された空き教室で、セシリアは一冊の冊子と向き合っていた。白い紙の真ん中には『灰の夜と明けの朝 新訳)プロスペレ王国神話』とだけ書いてある。
「えっと、リーン。これは何?」
「台本だけど?」
「だい、ほん?」
リーンに向けた視線をもう一度冊子に落とす。パラパラめくってみると、どのページにも登場人物と台詞が緻密に書き込まれていた。
リーンは呆けるセシリアの前に、どん、と手をつき。そして、唇の端を引き上げた。
「セシリアには、舞台に出て貰おうと思って」
「え? ぶたい?」
「そう。ぶ・た・い」
語尾にハートマークをつけながらとんでもないことを言ってきた彼女に、セシリアは「えぇええぇぇ!?」とひっくり返った声を上げた。
「ぶ、舞台ってどういうこと!? まさか、あの本の内容を舞台にするの!? 無理! 私、無理だからね!!」
「違うわよ! そういう構想が私の中で有るか無いかと言われれば、そりゃ有るけれど、今回は違う! タイトルをちゃんと見てみなさい」
「え?」
「『プロスペレ王国神話』ってあるでしょ? 今回は健全も健全! 大健全な神話の舞台よ!」
ますます意味がわからないという顔でセシリアはリーンを見る。
神話というのは降神祭の元となっている、あの女神と悪魔の出てくる神話のことだろうか。だとしたら、どうして彼女がそんなことをする必要があるのだろう。しかもよく見てみれば、脚本著者のところに『ニール』とある。これは彼女がBL本を書くときの名義だ。
疑問符を浮かべるセシリアにリーンは人差し指を立てた。
「実はね。本の印税が入ったから、そのお金を使って、救済院で舞台をしようと思って!」
「救済院で?」
「そう!」
リーンは楽しそうな顔で手を叩く。
「もう少ししたら降神祭の時期でしょ? そうしたら、神話を題材とした舞台が至るところで始まるじゃない? あれを、妹たちにも見せてあげたくて!」
妹たち、ということは、救済院というのは彼女の出身であるシゴーニュ救済院のことを指しているのだろうか。確かに、お金が潤沢にあるわけじゃない救済院で、子供たちが全員、舞台を見に行くことは難しい。お金があったとしても、シスターたちが多くの子供たちを引率して、紳士淑女の集まる歌劇場まで行くのは現実的ではないだろう。
「近所の人たちも集めて、盛大にぱぁっとね! あそこ、土地だけは広いから、結構な人たちが集まると思うのよ!」
「はぁ……」
「舞台の設営はまだ考え中だけど、野外に木組みで簡易的なステージを作るつもり! 見積もり次第だから、まだなんとも言えないけどね!」
見積もりまで取っているのか、とセシリアは息を吐く。
ここまで準備されているということは、もうセシリアに拒否権はないのだろう。どう断っても最終的には巻き込まれ、リーンの望んだとおりに進まされてしまうに違いない。
セシリアのそんな気持ちをよそに、リーンは前のめりになる。
「で、肝心の役者なんだけど。ジェイドに相談したら『それなら格安で雇える劇団の人紹介してあげる』って言ってくれて! だけど、その格安の理由が問題で……」
「問題?」
「実は、主役を務めていた人が、急に辞めちゃったらしいのよ! その人に看板役者をやらせてたものだから、劇団は仕事が激減。次の看板役者が見つかるまで格安で仕事を受けてくれてるみたいなの。……って事で、主役よろしくね?」
「はぁ!? 主役!?」
古典的な表現だが、本当に目玉が飛び出るかと思ったセシリアである。
「いや、救済院で舞台したいってのはわかったし! なんか、いい話だから協力したいのはやまやまだけど! それにしても主役って!?」
「仕方がないじゃない。その劇団に残ってる人、皆華やかさに欠けちゃう人ばかりなんだから」
「いや、でも……」
「その点、セシリアなら申し分ないわ。演技力に関しては、私にはわかんないのだけれど。いつもの『王子様』見てる限り大丈夫そうだし!」
変なところで太鼓判を押されてしまったものである。
セシリアは額を押さえた。
(どうしようかなぁ……)
頷いて良いかどうか微妙な話である。
リーンの話を聞く限り、完全なる慈善事業だ。自分が暮らしていた救済院に恩を返したいとか、そういう話だろう。それならばセシリアだって協力することはやぶさかではない。むしろ、喜んで力を貸す。
ただ、彼女が本当にそれだけのために舞台を作るだろうか。恩を返したいだけならば、ここまで大がかりでお金がかかりそうなことをする必要はない。それに彼女の性格ならば、そんな回りくどいことなどせずにお金をどんと寄付しそうなものである。
もしかしたら、何か別の目的が……
「言っておくけれど、アンタに拒否権ないわよ?」
「え?」
信じられない面持ちでセシリアはリーンを見上げる。
彼女は良い笑顔でセシリアの鼻先をつん、と触った。
「最初に言ったでしょ。『貸した借りを返して欲しい』って。トモダチとの約束はちゃんと守りましょうね?」
この瞬間、セシリアはリーンが別の目的を持っている事を確信した。しかし、悲しきかな。今の彼女には断る術がない。
セシリアは痛い頭をゆっくりと下げた。
「……はい」
「快く引き受けて貰えてよかったわ。それじゃさっそく、衣装合わせいきましょう!」
リーンは有無を言わせない様子でセシリアの腕を引き、鏡の前に立たせる。そして、自作であろう衣装をセシリアの前に持ってきた。
「これ、自信作なのよね」
「ちょっと待って、衣装ってこれ?」
「えぇ! あの神話の主人公といったらこれでしょう!」
鏡に映ったセシリアの前にあるのは、女性ものの真っ白いドレス。清楚な雰囲気を纏うそれは、どこか神々しさも感じられる仕上がりになっていた。
「セシリアの女神役。すごく楽しみにしてるわね!」
「えぇええぇぇ!?」
セシリアは今日一番の声を上げた。
空き教室から帰る頃には、もう日が落ちかけていた。寮に向かう道には、セシリアの長い影がこれでもかと伸びている。
「リーンってば本当にもう、めちゃくちゃなんだから……」
先ほどのことを思い出し、セシリアはがっくりと肩を落とした。耳も奥に蘇るのは『女の格好なんて出来ない!』と泣きついた彼女に対するリーンの言葉である。
『大丈夫よ。設定としては、セシルが女装して女神役をやってるってことにする予定だし! それに、会場は救済院よ? セシリアのことを知ってる人が来るとは思えないわ。それでも心配って言うなら、別にカツラも用意するし! 問題ないわよ』
問題大ありである。それでも、なんとかなってしまいそうな雰囲気を醸し出してくるあたりが彼女らしい。
(というか、こういう舞台が出来るぐらいには、あの本売れてるのか……)
思い返してみれば、それが今日一番の衝撃だったかもしれない。ジェイドによって海を渡ろうとしているところも目撃したし、ちょっとどのくらい広まっているのか聞くのが怖くなってくる。
セシリアは自身のつま先に視線を落とした後、足を止めた。
「ま、なんとかなるかぁ……」
別の思惑があるにせよ。彼女が救済院に恩返ししたいという気持ちも嘘ではないだろう。それならば、協力しないわけにもいかない。
セシリアは深呼吸した後、また歩き出そうと一歩足を踏み出そうとした……のだが。
「へ?」
その時、ひゅん、と何かが鼻先を掠めた。続いて足下で何か重い、食器のようなものが割れる音がする。耳を劈くその音に、セシリアは視線を落とす。そこには、割れた鉢植えがあった。
「はぁ!?」
慌てて上を見ると、暗い校舎の窓からこちらを見下ろす影がある。彼、もしくは彼女は、セシリアと目が合うと、その場から逃げていってしまうのだった。
リーン視点の話もいつか書いてみたいなぁと思ってみたり(^o^)
書籍もコミカライズも、どうぞよろしくお願いします!
面白かったときのみで大丈夫なので、ポイント等もよろしくお願いします(^o^)