14.変なことはしていない!
それから一時間後、厨房には三体の死体があった。
まるで、試合途中で真っ白になってしまったボクサーのように、椅子に座り、俯くオスカー。
座ることもままならないのか、立ったまま口元を押さえるギルバート。
椅子を三つ並べた上に白目を剥いたまま寝転がるジェイド。
毒を盛った張本人だけはピンピンとした様子で、おろおろと三人の周りをうろついていた。
「ほ、本当にごめんね! 今日のは美味しく出来たと思ったんだけど!!」
泣きそうな声でそう言うセシリアに、オスカーは顔を上げる。
「あの調理過程でよく『美味しく出来た』なんて言えるな、お前……」
「今日のはまだマシな方ですよ。一応、全部食べられるもので構成されてましたからね……」
「口がヒリヒリ、じょりじょりする……」
そんな風に言いつつも、三人の器は綺麗に空になっていた。残っているのはセシリアの器にあったプリン(のようなもの)だけだ。
ジェイドは目から零れる涙を拭いながら口を開く
「もしかして、リーンたちはこれがわかってて逃げたのかな……」
「お前はもう少し、人の事を疑うようになろうな?」
「……うん」
ジェイドはよろよろと起き上がる。そうして口元を押さえ、側に立っていたギルバートの制服を掴んだ。
「ギル、どうしよう」
「……どうかしたんですか?」
「吐く……」
「は!?」
「ごめん、一人で歩けない。トイレにつれて――うっ」
胃が拒否反応を示しているのか、ジェイドの身体が波打ち、首が竦んだ。これは、もうすぐそこまで迫ってきている反応である。
「わかりましたから! 今ここで吐かないでくださいよ!」
ギルバートはジェイドの肩に手を回し、彼の身体を支えた。そして、厨房から出て行こうとする。しかし出て行く直前、彼は振り返り、オスカーに鋭い視線を送った。
「すぐに帰ってきますからね!」
変なことはするな、ということだろう。釘を刺しに来たのだ。
(変なことをする気がないが……)
オスカーは『わかった』というように頷いた後、息を吐き出す。
セシルの正体に気がついてから、彼は前にも増してオスカーをセシリアに近づけたがらない。元々ギルバートのことは『義姉思いのいいヤツ』だと思っていたのだが、ここまで過保護だと妙な勘ぐりも頭の中によぎってしまう。
ギルバートは言うだけ言った後、ジェイドを支えたまま部屋を後にする。セシリアはその背中が見えなくなるまで「ジェイド! 本当にごめんね!」と泣きそうな声を出していた。
二人がいなくなった厨房で、セシリアは落ち込んでいた。プリンが失敗したこともそうだろうが、ジェイドの状態がかなり堪えているのだろう。
俯く彼女に、オスカーは声をかける。
「まぁ、そうしょぼくれるな。失敗は誰にでもある」
「……うん」
あれを『失敗』で片付けて良いものなのかはわからないが、とりあえずそう言っておく。
なおもしゅんと萎れる彼女に、オスカーは息を吐き、立ち上がった。そして、袖のボタンを外し、腕まくりをする。
「とりあえず、片付けるぞ!」
「え?」
「何かしてたほうが気が紛れるだろ?」
そう言いながらボールを手に取ったオスカーを、セシリアは慌てて止めた。
「オスカーはいいよ! 俺が片付けるから!」
「お前だけにやらしたら、また何かやらかしかねないからな」
「そ、それは……」
怯んだような表情になるセシリアに、彼はふっと笑みを零す。
「冗談だ。俺も手持ち無沙汰だったからな。手伝わせろ」
「あ、……うん。ありがとう」
そうして、二人は並んで、使い終わった食器や調理器具を洗い始める。砂糖の焦げ付きが残る鍋を洗いながら、彼女は唇をとがらせた。
「あーぁ、なんで失敗しちゃったんだろう」
「それがわからないうちは再挑戦するなよ。食材がもったいないからな」
「それはそうだけどさー」
「どうしてもプリンを渡したいって話なら、買ってきたものか、誰かと一緒に作ったものにしろ。じゃないと、今度は腹痛の詫びにいかないといけなくなるぞ」
「それは、そうだね」
オスカーのもっともな指摘に、セシリアは苦笑いを浮かべながら深く頷いた。
「そういえば、オスカーもプリン全部食べてくれたよね? お腹大丈夫?」
「あぁ。今日の晩あたりに苦しむことになるかもしれないが、今は大丈夫だ」
「残してくれてもよかったのに……」
「まぁ、お前が作ったものだしな」
オスカーはボールとフライ返しの水を切り、布の上に置く。すると、セシリアがこちらを見上げていることに気がついた。応えるように視線を返せば、彼女はへにゃりと不抜けた笑みをみせる。
「オスカーって、友達思いだね」
続けて「ありがと」と言いながら彼女はまた手元を動かしはじめる。
先ほどよりも幾分か気分が上がっただろう彼女のつむじを見ながら、オスカーは口を開いた。
「ただの友人のなら、残してたぞ」
「え?」
その瞬間、再び視線が絡み合う。
「お前のだから、食べたんだ」
そう発した三秒後、彼女の顔は、ボンッ、と赤く染まった。珍しく、言葉の意味にちゃんと気がつけたのだろう。
セシリアは視線をオスカーから外し「そ、そっか!」と声を上擦らせた。
そのまま数分間は会話がなかった。
二人の間には食器同士がこすれるような音しかなくて、それがなんとなく居心地を悪くさせる。
先に口を開いたのは、未だに顔を赤く染めた彼女の方だった。
「……オスカーって、俺のこと好きなんだよね?」
「あぁ」
「それは、こう、恋愛的な意味での?」
「そうだな」
決死の覚悟、という感じで発したセシリアの言葉を、オスカーは簡潔に肯定する。もう少し何か言ってやればよかったのかもしれないが、そう答える以外、何も思いつかなかったのだから仕方がない。
オスカーは隣をチラリと見る。
反応としては嫌がられているというわけではなさそうだった。ただ、戸惑ってはいるのだろう。大きな瞳がゆらゆらと揺れ動いている。
「あのさ、オスカー」
「ん?」
「俺、男なん――ぶっ!!」
セシリアがこちらを向いた瞬間、おろそかになった手元が粗相をした。彼女の手の甲が、水の出ている蛇口に当たったのだ。結構な勢いで垂れ流されていた水は勢いよく彼女の顔面に直撃し、そしてそのままの勢いで、オスカーにも降りかかってきた。
「…………セシル」
「ごめん……」
気がついたときには二人で濡れ鼠になっていた。セシリアは顔から下、全部。オスカーは左半分が頭からびっちょりと濡れそぼっている。
「本当にお前は、なにやってる、ん、だ……ぁ?」
セシリアに目を向けたその時だった。思わず視線が顔から胸元に滑った。
そこには濡れたシャツから透ける、赤いバラのような形の痣。
(アレが……)
神子候補に現れると言われている、痣なのだろうか。
珍しいものを見るような目でそれをまじまじと眺めていると、視線がさらにもう一段階下に下がった。そこには布で巻かれているがゆえに、くっきりと主張する胸の谷間。そして、布の上には収まりきらなかったであろう胸の――
「オスカー、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ! 大丈夫だから! いま、こっちに来るな!」
オスカーは近づいてきたセシリアから距離を取る。
よく見れば、腹部の方もシャツが張り付いていて、彼女の白い肌が惜しげもなく晒されていた。そして、それを本人は気がついていない。
(こ、これは言った方が……。いやでも! コイツは俺に男装を隠しているわけだし……)
言ったが最後、セシリアは自分の男装がオスカーにバレてしまったと気がついてしまうだろう。そうなれば、彼女は国外に逃亡してしまい、二度と会えなくなるかもしれない。
それはいやだ。というか、無理である。
「オスカー?」
(どう、すれば……)
あまりにも目に毒な姿に、オスカーも顔を背けたまま彼女を見ることが出来ない。試食をする際にエプロンを外してしまっていたのも仇になっていた。
その時だ、急に厨房の外が騒がしくなる。複数人の男子生徒の声がこちらに向かって近づいているのだ。
(まずい、このままじゃ!)
基本的に生徒たちは厨房を使わない。それは彼らが貴族で、お世話をされる側の人間だからだ。しかし、ジェイドのような平民から成り上がった生徒たちは、自ら厨房に赴き、簡単な調理をしたりお茶を入れたりすることがある。
もし、彼らが今ここに来たら。
セシリアの痣はバッチリとみられてしまい、彼女が彼であることが白日の下に晒されてしまうだろう。
(というか! セシリアのこんな姿を、他の奴らに見せられるかっ!)
オスカーは自身の上着を引き寄せると、セシリアに着せた。そして、前を合わせるようにして彼女の胸元を隠す。
しかし、それに抵抗したのは、自分がどんな姿になっているか気がついていない彼女自身である。
「ダメだよオスカー! これじゃ、オスカーの上着が濡れちゃう!」
「気にせず着てろ!」
「ダメだって! それはさすがに悪いから――!」
近づく足音。上着を脱ごうとするセシリア。通常通りに動かない自身の頭。
そんな三つが重なり、オスカーはいつもの自分ならしないだろう大胆な行動に出た。
「いいから、隠してろ!!」
「へ?」
そう言うやいなや、彼は自分の上着の上からセシリアを抱きしめる。抵抗できないように腕をしっかりと押さえ込み、ぎゅっと自分の身体と彼女の身体をくっつけた。
(これなら――)
「オ、オ、オ、オスカー!?」
「いいから、じっとしてろ!」
直後、扉が開いて誰かが厨房に入ってくる。しかし、その姿を見た瞬間、オスカーは一瞬にして冷静さを取り戻した。
「あ……」
「は?」
そこにいたのはギルバートだった。隣にジェイドはいないので、おそらく保健室まで連れて行ったのだろう。
彼の背後を数人の男子生徒が談笑しながら過ぎ去っていく。
「……何してるんですか、殿下?」
扉をぴしゃりと閉めた後、彼は地の底を這うような低い声を出した。そして、未だかつてない侮蔑の籠もった視線をオスカーに向ける。
これにはさすがのオスカーも頬を引きつらせた。
「ギルバート、これには深いわけが……」
「言い訳は、セシルを離してからゆっくりと聞きましょうか」
そう言って笑う彼は、まるで悪魔のようだった。
緊急事態宣言中は、皆さんの気持ちを上向きにするお手伝いをしたいので、できるだけ毎日投稿をしたいと思います。
娘もいるので『できるだけ』ですが、がんばりますね。
私の小説を読んで、楽しい気分になって下さる方が一人でも多くいますように。




